【自主レポート】

    すべての都道府県に、公立夜間中学校を!

日本弁護士連合会が文部科学省に提出した
『意見書』が示すもの
―埼玉の公立夜間中学設立運動の立場から─

東京都本部/自治労東京都庁職員労働組合・建設支部  野川 義秋

1. 埼玉の公立夜間中学設立運動と『人権救済申立て』

 埼玉県川口市で、火曜日と金曜日の週2回、ボランティアによる「川口自主夜間中学」を運営しながら、県内に公立夜間中学校の設立をめざす運動を始めてから、今年でもう21年になる。
 そのきっかけは、①県内には1万人以上の義務教育未修了者が在住している。②毎年20人前後の人達が、片道1時間も1時間半もかけて、東京都内の公立夜間中学校までわざわざ通っている。③在日韓国・朝鮮人や引揚者・難民といった外国人がたくさん埼玉県内に住んでいるにも関わらず、生活していく上で必要な日本語を習得する機会は十分に保障されていない。④小・中学校では、長期欠席児童が100人に1人の割合で生み出されている。といった実態が明らかになったことだった。
 1985年の9月に、「埼玉に夜間中学を作る会」(以下「作る会」という)を発足させ、12月から「川口自主夜間中学」をスタートさせた。
 いわゆる夜間中学は、戦中・戦後の混乱や部落差別・障がい者差別・貧困・病気といった様々な理由で義務教育を受けられなかった人達が、学びを取り戻す場で、戦後の義務教育の中で大きな役割を果たしてきている。全国には35校の公立夜間中学校があり、約2,700人が学んでいる。これとは別に、自主的に運営されている自主夜間中学が、北海道から沖縄県に及ぶ全国地域の17箇所に開設されている。
 埼玉における21年の夜間中学運動はこれまで、力のおよぶ可能な限り様々な取り組みを展開してきた。埼玉県や川口市・さいたま市等の教育行政に対しての、設立に関する要望書の提出及び直接交渉、県議会・市議会に対する議員を通じての議会質問。県民・市民に直接呼びかける駅頭署名活動、市民団体・労働組合との連携。一方においては、関東を始めとする全国の設立運動団体との共同の行動も進めてきた。しかし残念ながら、今なお設立の展望を見いだすには至っていない厳しい状況の中にある。
 川口市を始めとする市町村の教育行政は、「義務教育未修了者は、県内の市町村全地域に在住しており、一市で施策を講じることはできない。あくまでも広域行政として県が主体となるべきものである」との主張をくり返している。それに対して県の方は、「小・中学校の設置主体は市町村であるから、設置を名乗り出る自治体がない限り、県の方から特定の市町村に強い指導はできない」という姿勢をかたくなに貫いている。
 私たちが運動を続けている間も、毎年20人前後の人々が都内の公立夜間中学校に通い続ける実態は、一度も途切れることはなかった。公立の夜間中学校の先生達で構成する東京都夜間中学校研究会の調査によると、これまで30年間に埼玉から通った生徒は、延べ633人にのぼる。ちなみに、昨年と一昨年は35人を数え、過去最高の人数となっている。
 さて、全国的な傾向として、公立夜間中学校増設の機運が見いだせない状況の中で、義務教育未修了者を放置することは人権侵害にあたるとして、日本弁護士連合会(以下「日弁連」という)に、訴える行動を起こそうという取り組みが開始されたのは2002年だった。この主張は、ただの1校もない埼玉で開設を求めている「作る会」の主旨とも合致するものであるので、川口自主夜間中学の生徒・スタッフが中心となって、人権救済の「申立て人」として参加していった。その名簿は、翌年の2003年2月20日、「日弁連」の人権擁護委員会に膨大な夜間中学関係の資料といっしょに提出された。

2. 『意見書』が持つ意味と意義

 申立てを受けた「日弁連」は、提出資料の審査に入ると同時に、公立夜間中学校や自主夜間中学等の実態調査に入った。川口自主夜間中学にも3人の担当弁護士が訪れ、学ぶ生徒のようすを見学し、運動の状況についても詳細な聴取を受けた。そして、約2年半もの長きにわたる審査を経て、8月10日に文部科学省に対して、『学齢期に修学することができなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書』が提出された。
 「全国夜間中学校研究会・自主夜間中学生徒やスタッフ・公立夜間中学校生徒・卒業生や教職員・文化人」といった、広範な人達による『人権救済申立て』への「日弁連」の『意見の趣旨』は、次のような内容であった。

 国は、戦争、貧困等のために学齢期に修学することのできなかった中高年齢者、在日韓国・朝鮮人及び中国帰国者などの多くの人々について、義務的かつ無償とされる普通教育を受ける権利を実質的に保障するため、以下の点を実施すべきである。
1. 義務教育を受ける機会が実質的に得られていない者について、全国的な実態調査を速やかに行うこと。
2. 上記の実態調査の結果をふまえ、
 (1) 公立中学校夜間学級(いわゆる夜間中学)の設置の必要性が認められる地域について、当該地域を管轄する市(特別区を含む。)町村及び都道府県に対し、その設置について指導及び助言をするとともに、必要な財政的措置を行うこと。
 (2) その他の個別なニーズと地域ごとの実情に応じ、①既存の学校の受け入れ対象者の拡大、②いわゆる自主夜間中学等を運営する民間グループに対する様々な援助(施設の提供、財政的支援等)、③個人教師の派遣を実施することなど、義務教育を受ける機会を実質的に保障する施策を推進すること。

 以上は、『意見』の部分だけであるが、全文はA4版で25ページにわたり、2.「夜間中学の概要」、3.「義務教育未修了者の概要」、4.「義務教育未修了者の教育を受ける権利の内容及び義務教育未修了者のカテゴリー毎の検討」、5.「実施されるべき施策」と、在日外国人を含めた夜間中学で学ぶ生徒の実態とその内実に迫っている。この論旨に流れているのは、戦後一貫して夜間中学を真正面から受けとめようとしてこなかった、文部科学省に対する苦言と忠告を含んだ提言となっていることである。
 部分的に紹介するが、5.「実施されるべき施策」では、「……文部科学大臣が、実態調査を行った結果として、夜間学級の設置を指導、助言すれば、各地方公共団体はこれを尊重し、その設置が実現される可能性は高いものと考えられる」(20ページ)と指摘し、「……国は、個別のニーズと地域ごとの実情に応じて、①既存の学校の受け容れ対象者の拡大、②自主夜間中学等を運営する民間グループに対する様々な援助(施設の提供、財政的支援等)、③個人教師の派遣等の基礎学力履修施策を推進するべきである。」(21ページ)と論理づけている。そして、6.「おわりに」では、夜間中学を終戦直後の残存物のように言い、あたかも役割を終えたかのように位置づける風潮に対して、「このような状況であるからこそ、仮にも、夜間中学の意義と機能を軽視し、その縮小を図るような措置が取られることは、厳に慎まれるべきであることを特に付言する。」(21ページ)と締めくくっている。

3. 自治体労働者としての私と夜間中学

 少し脇道にそれるが、東京都建設局の土木技術職員として働いていた私が夜間中学と出会ったのは、夜間大学4年の時に、卒業論文のテーマとして取りあげたことがきっかけだった。当時25校あった公立の夜間中学を、東京から広島まで訪問して調査を行ったことで、各地の夜間中学の先生や生徒といった人たちと知り合いになり、関係を深めるようになった。
 結婚と同時に住むようになった埼玉に、公立の夜間中学がないことを知って設立運動を始めることになった時、3人いた発起人の中の一人であった。すでに冒頭でも触れたが、1985年の9月のことである。
 これまでの運動は、県や川口を始めとする各市との行政交渉、及び市民に働きかける為の駅頭署名・宣伝活動等に参加することと、川口自主夜間中学の運営に携わることを、活動の大きな両輪とするものであった。教育現場に身を置く立場ではなかったので、夜間中学に関わることが直接的に、職場と何らかのつながりを持つという訳にはいかなかったが、色々な形で協力や支援を仰いだ。区画整理事務所にいる時は、区画整理の工事現場やそこで行われていた遺跡の発掘調査の「社会見学」を実現したり、上野動物園の工事課時代は、動物園や葛西臨海水族園の「社会見学」も4回行った。また、動物飼育の職員の3人に自主夜間中学まで出向いてもらって、動物についての「一斉授業」の講師を務めてもらったこともある。
 設立運動関係では、所属する都庁職建設支部に要請して、『埼玉県内に一日も早く公立の夜間中学を作って下さい』の署名に取り組んでもらい、7,000人分が集まったこともある。署名活動はもう10年近く続けており、当初1万人を目標にした署名も、今や48,000人を超えるに至っている。運動の裾野をさらに広げる意味もこめて、今、地元の自治労埼玉県本部・教職員組合、関東圏として自治労東京都本部・JR東労組等にも、組織的な署名活動の要請行動を展開しているところである。
 また、私は現在、多摩地域の都立公園や霊園の事業を管轄する事務所に勤めているが、来る10月21日は、東京湾の埋立地・夢の島にある都立熱帯植物館と新江東清掃工場の見学ツアーを計画している。こちらは、江東区内にある「江東自主夜間中学」と、千葉県松戸で開設されている「松戸自主夜間中学」との合同で行く予定で準備を進めている。
 このように、職場の同僚や職域といったところにも、夜間中学運動に関して多大な協力と支援を受けてきた。しかしこの21年間をふり返ると、公立化が実現した時に実際に教える立場の教師、或いは、教育行政に直接関わる関係職員に、夜間中学に対する理解を深めてもらう為の積極的な努力をしてきたかについては反省しなければならないと考えている。

4. 人間の尊厳を取り戻す『場』として

 文部科学省に『意見書』が提出された直後に行われた報告集会の中で、『勧告』でなかったことに関して、今後の効力という意味で憂慮する発言が出された。それは別としても、『意見の趣旨』に明記された三つのポイント「①全国的な実態調査を速やかに行う。②設置について、市町村及び都道府県に指導・助言、必要な財政措置を行う。③自主夜間中学等を運営する民間グループへの施設提供、財政的支援を行う」は、運動に関わる立場からもとても重要である。
 例えば、この中の、義務教育未修了者の実態調査については、埼玉ではすでに数年前、県に要望書を提出したことがあり、プライバシーを侵害する恐れがあるとの理由で応じてもらえなかった苦い経験を持っている。今回のことを後押しにしながら、再度要望していく方向で検討したいと考えている。
 去る8月27日(日)と28日(月)の二日にわたって、愛知県岡崎市で「夜間中学を考えるつどい」(第25回夜間中学運動全国交流集会)が行われ、そこでも、『意見書』のことが中心議題となった。関西と関東で運動を担っている者同士で議論の末、確認しあったことは、単に文部科学省への提出に終わらせないことだった。文部科学省の今後の対応を運動の側として追跡して行くと同時に、地域での取り組みの『武器』=糧として生かしていこうと言うことであった。
 とは言いつつも、夜間中学は元より、教育全体をとりまく情勢はますます厳しくなってきている。日本国憲法や教育基本法の「改正」という名で歪めようとする動きが、加速度的に強まっていることも無関係ではあるまい。非力な市民運動対ではあるが、埼玉から、公立夜間中学校を作れという声をあげていくことも、日本国憲法や教育基本法を改悪することへの反対の意思表示として、ねばり強く主張していく。
 『意見書』の「6.おわりに」の中に、『多くの義務教育未修了者は、依然として放置されたままであり、夜間中学は、これらの多様なニーズを抱えた人々のいわば「駆け込み寺」として、これを受け容れ、教職員たちは、そのニーズに応えるべく日々悪戦苦闘しながら教育実践を繰り返している。これらの放置された人々にとって、夜間中学は、何ものにも代え難い権利の回復のための「学びの場」となっているのである』の一文がある。そうであるが故に、『夜間中学は、社会の諸矛盾を写しだす鏡である』と言われるのであろうが、日本人であれ外国人であれ、様々な矛盾を身に負わざるをえなかった人たちが、ただ単に夜間中学に駆け込むだけではなく、そこで文字の読み書きを身につけながら、学ぶ喜びと共に、人間としての尊厳を取り戻していく『場』でもなければならないのである。そのことを肝に銘じつつ、埼玉の地に根ざす市民運動を担うひとりの自治体労働者として、歩んで行ければと考えている。