【自主レポート】
邑楽町平和展について
群馬県本部/邑楽町職員労働組合・青年婦人部
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1. はじめに…
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平和への願いを込めて風船を飛ばしています |
今年で、23回目を迎える邑楽町平和展。この活動は、戦争の悲惨な過去を風化させることなく次の世代に継承しようとはじめられました。そして、地域から反戦・平和へのメッセージを発信しようと毎年行っているものです。平和展の開催にあたっては、邑楽町職員労働組合青年婦人部(以下、青婦部)が中心となって実行委員会を立ち上げ、企画から運営まで工夫を凝らして開催しています。
昨年の第22回邑楽町平和展では、沖縄戦についてのパネルの展示や戦時中の食事の再現、子ども向けのアニメーション映画の上映などを行いました。また、町内の読み聞かせボランティアグループも参加し、子どもたちに戦争の悲惨さを訴える本の読み聞かせも行いました。当日は、多くの住民のかたに来場していただき、さまざまな感想を寄せていただきました。そして、以前から行っている平和への願いを込めた風船飛ばしにも、多くの反響がありました。
邑楽町平和展の歴史や取り組んできた活動、運営方法などについて簡単ではありますが、皆さんにご紹介させていただきます。
2. 邑楽町平和展の始まり
邑楽町平和展の始まりは、1982年(昭和57年)に行われた第1回原爆展がきっかけとなっています。この当時、青婦部長として原爆展(平和展)の立ち上げに尽力された石原照盛さんからお話を伺いました。
(1) 原爆展(平和展)への取り組みについて
─原爆展(平和展)に取り組んだきっかけはなんですか?
当時、群馬県内のいくつかの単組では、すでに平和展に取り組まれていました。私は青婦部長をしていたのでほかの単組と交流する機会が多くありました。そして組合活動を通して、平和展に取り組んでいる人たちと交流し、たくさんの情報を得ていきました。そして、地球上から核兵器を根絶し平和への運動を拡大するためにも、平和について考える機会が必要だと感じるようになったのです。
また私たちの世代の親は、戦争を体験しています。そして私は、親に「なぜ、戦争が起きたのか?」「何が問題だったのか?」と疑問を投げかけてきました。しかし戦後40年を迎えようとするときに、今度は私たちが次の世代の子どもたちから同じように問われる時代になるのではと考えるようになりました。広い視野に立ち、私たちを取り巻く状況を見つめ直し、何が起きているのかを考える機会として原爆展(平和展)を行おうと考えました。そして平和展に取り組むことで部員同士の仲間意識を高め、団結力をより一層強固なものにしたいとも考えたのです。そこで私は、自分の思いを執行委員に話し、議論を交わして実行に向けて動きだしたのです。
(2) 当初の原爆展(平和展)について
─当初の原爆展(平和展)は、どのような内容だったのですか?
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手作りした日本国憲法の大看板やトマホーク巡航ミサイルの実物大模型を展示(第3回平和展) |
第1回原爆展(1982年)では、パネル展示(長崎・広島・東京大空襲関連)、原爆瓦の展示、16ミリ映画 「人間をかえせ」、「予言」、「ピカドン」やビデオ 「侵略」の上映、反核コンサートを開催しました。パネルなどは平和展を行っている団体から借りてきました。原爆瓦については、平和運動について研究している小林平造氏(現鹿児島大学助教授)から借りました。
第2回平和展(1983年)では、丸木美術館から借りた絵画や沖縄戦・東京大空襲パネルを展示。そして映画の上映や紙芝居なども行いました。反戦資料として核兵器や原発などについての資料を手作りで作成しました。また、広い視野に立ち私たちを取り巻く環境問題について取り上げ、食品公害について考える実験や資料を発表しました。
第3回平和展(1984年)では、展示物として
トマホーク実物大模型、憲法第9条、第99条の大
看板を手作りしました。
(3) 平和展を続ける大切さについて
─原爆展(平和展)を行って、よかったと思うことはなんですか?
住民の皆さんに平和の大切さをアピールできたことです。邑楽町では、非核平和の町宣言を行っていますが、こうした活動が地域の世論作りの下地になったと私は思っています。若手の職員が平和について地域にアピールし、メッセージを発信することは大切なことです。次の時代を担う若者が平和について考えることは、とても重要なことです。そして職員だけではなく住民の方にも参加してもらい、地域に根ざす活動として広めることも大切だと感じます。平和展を行うには苦労が多く、準備にも時間がかかりやっかいだなと思うかもしれませんが、そこから得るものは多くあります。これからも続けていってほしいですね。
3. 最近の平和展の状況
図1 平成17年度邑楽町平和展
実行委員会執行体制
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平成17年度の各部門から |
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戦時中すいとんを再現して配布(平成17年)
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最近の運営方法などについて紹介します。最近10年間の平和展の内容を表(表1)にまとめましたので合わせてご覧ください。運営は、邑楽町平和展実行委員会(以下、実行委員会)を組織して行っています。展示や映画上映などは、部門を立ち上げて個別に準備を行います。また、平和展を行う前に部員を対象とした学習会を開催しています。
(1) 邑楽町平和展実行委員会の立ち上げ
実行委員会を立ち上げるまでに、執行委員会で平和展の開催日時と会場の決定、部員の参加確認と担当する部門を決定します。これ以降については、実行委員会が中心となり運営を進めていきます。青婦部長が実行委員長になり、執行委員は事務局として参加します。そして、実行委員会は各部門長と参加団体の代表で構成されます。体制については、図1を参照してください。
(2) 各部門について
平和展の準備は、各部門を設置して部門長を中心に進められます。2005年度では、展示部門、広報映画部門、戦時食再現部門の3部門を組織しました。各部門の仕事は、図2のとおりです。戦時食再現部門は以前、販売部門として模擬店などを行っていました。その中で戦時食を再現して配布する活動にも取り組むようになり、より多くの人に戦争の現実をアピールできないかと考え、戦時食再現部門と名称を変更しました。
また、上記の部門以外にも平成7年には講演会部門を立ち上げて沖縄県出身のかたをお招きして「私の生まれた沖縄」というテーマで沖縄についてお話しを伺いました。このように必要に応じて部門を増減させて行っています。
(3) 参加団体について
平和展には、ほかの団体も参加していただいています。そして団体活動の発表の場にもなっています。これは地域住民に参加していただくことで、平和展を職員だけの活動ではなく、地域に根ざした活動にしていくためです。住民のかたが参加することで、より多くの方に訪れていただき平和について考えるきっかけになればと思っています。これまでに、「平地林研究会(自治研活動・町内の平地林の保存や有効活用などを推進)」の活動報告展、「ホタルの会(自治研活動・美しい自然環境のある町づくり目指す)」の活動報告展、「邑楽町伝統文化研究会(自治研活動・町内の民俗芸能を研究し、保存・普及活動)」による模擬店、邑楽・館林子どもの本の会(絵本の展示)、学童保育くらかけ広場(模擬店)、読み聞かせボランティアとうぐみの会(読み聞かせ)などの団体に参加していただいています。しかし最近では活動の低迷や休止により、参加団体が減り、学童保育くらかけ広場やとうぐみの会などが参加するだけとなっています。
(4) 事前学習
私たち自身が平和について考え、知り、学習しなければ平和展を行うことはできません。そこで事前に学習会を行っています。埼玉県平和資料館(埼玉県東松山市)や他の団体が行っている平和展などを見学しています。また1997年(平成9年)には、日本と米軍基地を考えるために横田基地を見学し、1999年(平成11年)には、自衛隊相馬原駐屯地を見学しました。この見学では米軍や自衛隊側からの視点だけではなく、平和運動を行い基地問題に取り組んでいる人を招いて講演をしていただいたり、基地周辺住民で被害を受けている人などからお話を伺ったりもしました。これは、ただ戦争の悲惨さや平和の大切さを学ぶだけではなく、広い視野に立ち私たちの周りや世界で何が起こっているかを学ぶという機会にしたいと考えたからです。

4. 平和展の現状分析
平和展の現状を考える上で、会場や日程の設定についてどういう狙いや在り方があるのか分析してみました。また、テーマの設定についても考えてみました。
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施設利用者を取り組むことで、多くの人に平和展を見てもらうことができます |
(1) 会場や日程の設定について
平和展の会場としては、邑楽町立図書館や邑楽町公民館を借りています。これにはいくつかの理由があります。まず会場の広さです。展示物や映画上映を行うには、ある程度の広さと設備があることが必要です。また、多くの人が利用する場所であるということも大切です。平和展の開催にあたっては、新聞にチラシを折り込んだり、町内の学校にチラシを配布したり、町の広報紙を活用して呼びかけたり、町内の各施設や商店などにポスターを貼ったりするなど工夫をしています。さらに、多くの人に来場してもらうため普段から人がたくさん訪れる施設を借りるようにしています。特に町立図書館は、一日平均700人以上が利用する施設です。そして周囲には、シンボルタワーやおうら中央公園、農産物やそば・うどんなどを販売するあいあいセンターがあり、土・日曜日には町外からも多くの人が訪れます。集客力のある施設を会場に選択することで、多くの人が来場する可能性が高まります。
日程については、8月上旬から9月上旬に行っています。8月という月は、戦争や平和を考えるうえで終戦や長崎・広島への原爆投下など歴史的に大きな意味がある月です。ですから8月前後に平和展を行うことは、戦争や平和を考えるうえでよい時期であると考えています。開催期間については、映画上映や風船飛ばし、模擬店などのイベントを行うのは1日だけです。しかし展示については、できるだけ多くの人に見ていただけるように1週間前から行っています。
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沖縄戦の展示を見る来場者(平成17年)
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平成17年度平和展の主な収支
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(2) テーマ設定について
平和展のテーマ設定にあたっては、戦争や平和を考えるためにさまざまなテーマに取り組んできました。過去の戦争から悲惨さを訴えるために原爆や沖縄戦、知覧特別攻撃隊、太田市空襲などを取り上げたこともあります。また沖縄の在日米軍基地や対人地雷、イラク戦争などをテーマにして、現在私たちを取り巻く状況について訴えたこともあります。過去の戦争から多くのことを学ぶことは大切です。しかし今、世界で何か起きているのか知ることも大切です。そこでテーマ設定では、「戦争の悲惨さを伝えること」と「平和について学ぶこと」を考えながら決定していきます。
(3) 平和展の予算について
平和展の予算は、青婦部の会計とは切り離して実行委員会独自の会計で行っています。収入は、組合(親組)からの助成金です。第1回実行委員会で各部門で準備にかかる費用や紙風船などの費用を予算配分していきます。
各部門の予算は、年ごとによって大きく違います。手作りの展示物なら、材料費程度で済みます。しかし、他の団体や施設からパネルなどの展示物を借りるとレンタル料や運搬費が必要です。また、映画も多くの人を対象に上映するので、多額の使用料が発生することもあります。権利関係が問題になる場合があるので事前に十分な打ち合わせが必要です。これ以外にも、平和展の宣伝に使う媒体や印刷物などによっても負担が違ってきます。
5. 今後の課題について
1982年に第1回目の原爆展が行われ、今年は9月上旬に第23回平和展が行われます。原爆展が行われた時代は冷戦下にありました。その冷戦も1990年初頭には、ソ連崩壊によって終わりました。しかし、その後も世界各地で紛争や戦争が起こっています。日本でも、在日米軍や自衛隊、憲法など多くの課題があります。より一層、平和について考える必要がある時代だといえるでしょう。これからも平和展を続け、邑楽町から反戦・平和のメッセージを発信していくためにはどうしたらいいのか。そのためには、何が必要なのか。今後の展望と合わせて考えてみました。
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毎回テーマに沿う資料集めに苦労しています
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(1) 各部門について
展示部門……今までは、埼玉県平和資料館(埼玉県東松山市)からパネルなどの展示物を貸し出してもらう機会が多くありました。しかし最近、貸し出しの対象が埼玉県内限定になったため、展示物や資料の調達が難しくなりました。近隣で資料を持つ団体を探すためにインターネットを利用していますが、実物を見ることができないという問題があります。またいい資料を見つけても借りるのに使用料や運搬費など多額の費用が必要になるケースもあります。そのため、町の広報紙を通じて住民のかたに呼びかけ、当時の資料を募集していますが、テーマに沿った資料を多く集めることができないという問題が発生しています。
広報映画部門……第20回より無料の映画を上映していますが、無料で上映できる映画は種類も数が少なく、また上映時間も短いものしかありません。また、著作権などの権利関係が複雑で多額の費用が必要になる場合もあり、今後は、予算内におさめるのは厳しくなるでしょう。
戦時食再現部門……第21回より販売部門という名前から変更し、無料で戦時食を配っています。変更後の平和展のテーマは、太平洋戦争関連が続きました。そのため戦時食として毎回、「すいとん」を再現したために、代わり映えのしない印象になってしまいました。また今後、現代の世界紛争をテーマとしたときに、果たして戦時食部門として、どのような食を用意するのかが問題になるでしょう。
(2) 参加団体について
平和展では、青婦部以外の団体からも協力をいただいています。しかし、今まで参加していた団体が休止状態になるなど以前と比べて参加する団体数が少なくなっています。平和展は地域に根ざし、多くの人たちに平和について訴えていくことを趣旨としています。今後は、新たに参加団体を増やすためにも地域の中で活動している多くの団体に、積極的に参加を呼びかけていくことが必要でしょう。
(3) 平和展を継続するために
平和展も今年で23回目を迎えます。しかし、回数を重ねるごとに平和展を行う意義は薄れ、年間の恒例行事という意識が強くなっています。平和展について見つめ直そうとしても、きっかけがわかるものや当時の資料はほとんど散逸してありませんでした。今回のレポート作成も聞き取り調査を行って当時のことを調べたほどです。平和に対しての思いで今まで続けてきたと言えますが、最近では平和展の開催を疑問視する青婦部員も増えています。そのため事前学習に参加する人数が少なかったり、自分が担当する部門以外については何をしているのか分からなかったりする青婦部員もいます。
その一方で平和ついて学習をすることの大切さに気づき、多くの人々に平和を訴えていきたいと考えている部員もいます。このように部員間でも認識に差が出ているのが現状です。私たちは平和に慣れ、その大切さや尊さが見えなくなっているのではないでしょうか。平和展は、そのことに気づくいい機会だと思います。確かに多くの人が集まって一つのことを実行していくことには、大変な苦労や困難があります。その中で私たちができることは、ほんのわずかなことかもしれません。しかし、地域に根ざし、平和を訴えていくことは重要なことです。反核・平和の訴えを地域の活動として多くの人に広めることで、小さな力であっても多くの人が結集すれば、それは大きなうねりとなるからです。
今、私たちはこれからも平和展を続けていけるかどうかの大きな分岐点に立っていると思います。続けていくためには、さまざまな課題に取り組みそして解決していくことが求められています。そのためには私たち自身が初心に立ち返り、「我々は、なぜ平和展を行うのか」ということを見つめ直すことが必要です。そしてこの活動をより強固なものにするためには、青婦部員そして組合全体で平和や戦争について学んでいくことが重要になっています。反核・平和への願いを次の世代に伝え続けていくためにも、私たちのこの活動がより素晴らしいものになるように頑張っていきたいです。
新聞から見る立ち上げ当時の平和展(原爆展)
第22回邑楽町平和展で作成したポスターやチラシなど
(表1)最近10年間の平和展の内容 |