【自主レポート】

高レベル放射性廃棄物の受け入れ阻止運動の行方

 岡山県本部/脱原発専門委員会・委員長 平岡 正宏

1. はじめに

 高レベル放射性廃棄物とは、再処理工場において原子力発電所で使用した燃え残りの核燃料を高温で溶かし"ウラン"や"プルトニウム"を取り出す「再処理」を行った後の廃液で、扱いやすくするためにガラスと一緒に『キャニスター』と呼ばれるステンレス容器に入れられます(ガラス固化体)。このキャニスター1本分に含まれる「死の灰」=放射能は、広島型原子爆弾約30発分に相当し、数秒間そばにいるだけで即死するほどの超猛毒です。しかもその放射能はウラン鉱石の放射能レベルになるまでに1万年以上の長期間を必要とするものです。
 原子力発電をつづけ、その燃料を再処理しつづけるかぎり、今でもこの高レベル放射性廃棄物は確実に増えつづけているのです。
 原子力発電は、稼働開始直後から「トイレ無きマンション」と揶揄されつづけてきましたが、ここにきていよいよ危険な放射性廃棄物、その中でも特に危険性の高い「高レベル放射性廃棄物」の処分に向けた動きが現実のものとなりつつあります。
 あとで詳しく述べるように、現在、国が定めている高レベル放射性廃棄物の処分方法は、技術的にも不安定なものであり、現状ではとうてい容認できるものではありません。
 私たち「自治労岡山県本部脱原発専門委員会」では、岡山県内での高レベル放射性廃棄物の処分に反対する市民団体「放射能のゴミはいらない! 県条例を求める会」と連携し、県内への高レベル放射性廃棄物の持ち込み拒否運動に取り組んできました。
 本稿ではこれまでの運動の経緯から到達点までを概観し、今後、高レベル放射性廃棄物受け入れ反対運動を全国展開していくためのサンプルケースにしたいと考えます。

2. 何が問題なのか?
 ~高レベル放射性廃棄物地層処分の危険性~

 2000年5月31日、高レベル放射性廃棄物の処分方法に関する「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が定められました。それを受けて2002年12月19日、最終処分の実施主体である原子力発電環境整備機構は、使用済み核燃料を再処理した後に残る、「高レベル放射性廃棄物」の最終処分を行う候補地5ヶ所程度の選定をするべく、全国約3,200の市町村長に対し、最終処分地の「公募」を行うことを発表し、「応募要領」等の資料を送りつけたのです。
 上の法律で定められた放射性廃棄物の処分方法は、高レベル放射性廃棄物を地下300メートル以深の深地層に粘土で覆って埋めるという、ある意味では非常に原始的な方法です(地層処分)。つまり危険な高レベル放射性廃棄物を人類から「隔離」し、「埋め捨てる」ものです。しかしながら、"地震大国"日本で本当にそのような地層処分ができるのでしょうか。良質な花崗岩に封じ込めれば一切影響なしと言う専門家もいますが、そんなことは考えられません。
 現実に、原子力発電環境整備機構の地層処分についての考え方でも、ガラス固化体のキャニスターなどの"人工バリア"だけで放射能を封じ込めることはできず、地層中に放射能が漏れ出してくることが前提とされています。ただし、それが地表に届くまでには時間がかかるし、人間の生活環境に出てきたとしてもわずかな量である、という理屈でその安全性を説明しています。しかし、わずかな量といえども非常に危険であることに変わりはありません。
 日本という地震大国内で、大地震がいつ起こるかもしれない状況下において、事業主体でさえも地層中に放射能が漏れ出すことを前提としている危険きわまりない高レベル放射性廃棄物の地層処分を、私たちは認めることはできないのです。

3. なぜ運動が起こったのか?
 ~岡山県内の運動の経過~

 岡山県内では、高レベル放射性廃棄物地層処分に関連して、法律が制定される遙か以前の1980年代から数ヶ所であやしい動きが確認できていました。地元住民は『岡山県が狙われている』という高い関心を持ち、『故郷を放射能から守りたい!』という素朴な願いから、1981年に運動を開始しました。
 1981年、財団法人原子力環境整備センターが川上郡成羽町(現・高梁市)・山宝鉱山の石灰岩鉱床内において低レベル放射性廃棄物処理処分のための試験研究と称して、地層処分場空洞掘削実験を行いました。まったく何も知らない状態で試験が行われたことが、当時の成羽町長の議会全員協議会での試験受け入れ表明から明るみに出たことにより、高梁川流域で、「成羽川・高梁川流域放射性廃棄物処理試験反対同盟」を結成し、高レベル放射性廃棄物処理場関連試験と位置づけ、反対運動が行われましたが、実験は阻止できませんでした。
 1985年には日本原子力産業会議が、阿哲郡哲多町(現・新見市)荒戸山周辺に高レベルのボーリング調査を誘致するために、地元の有力者に東海村の原子力施設を視察させ、日本原子力産業会議の本社まで案内するなど、幹部を中心に誘致の動きがありました。
 さらに、業界紙も哲多町荒戸山周辺を特定し、「国が岡山県・哲多地区で、4,000億円を超す計画、高レベル放射性廃棄物処分施設立地方針を固めた」という、生々しい記事が掲載されました。このときは、早めの情報収集と山宝鉱山の運動で得たノウハウを活用し、旧哲西町職の仲間をはじめとする住民運動が組織され、町民の90%以上の署名を集約して、町長・議会へ提出。町長提案で「放射性核廃棄物の持ち込み拒否宣言」が議会で採択され、一定の成果をあげることができました。
 しかし、その後も県北部を中心に地下施設計画など地層処分につながる不審な動きはつづいていました。
 このような不審な動きや旧科技庁・旧通産省の情報等を分析した結果、県の各地が高レベルの処分地として狙われているのでは? という危機感が高まり、1989年10月1日に「放射能のゴミはいらない! 県条例を求める会」が結成され、この組織を中心に、岡山県に高レベル放射性廃棄物持ち込みを拒否するという県条例の制定を求める運動が県下全域に広がっていきました。
 1990年6月、全国の仲間に支えられ、地方自治法第74条による「県条例直接請求署名運動」が2ヶ月間行われました。120万人の有権者中34万6千5百人という多くの署名・押印を集め、岡山県知事へ請求しました。臨時県議会において、残念ながら条例案は否決されましたが、当時の長野士郎知事は「県民が不安を覚えるような施設を誘致するつもりはない」と意志表示し、知事が代わった現在でも県の見解として守られています。
 この運動の延長線上で1991年3月湯原町議会において放射性廃棄物を拒否する条例が全国ではじめて採択され、4月1日施行されました。
 県条例案は否決されましたが、休む間もなくプルトニウムなどを含んだ回収ウランの濃縮試験に反対する運動が始まりました。1991年に上斎原村の人形峠事業所の天然ウラン濃縮設備で、四者協議(科技庁・県・村・動燃)になかった回収ウラン濃縮試験が発覚しました。これに対する署名が約54万筆集まりましたが、試験は強行されてしまいました。
 2000年5月、情報公開請求で、1986年~1988年の3年間、旧動燃事業団が採掘権をもっている上斎原村有地・旧動燃敷地内で探鉱と称して、1,005メートル1本、505メートル2本のボーリング調査を秘密で行っていた証拠を見つけました。これは正に高レベル放射性廃棄物の地層処分の研究用に他ならない決定的な事実でした。自治労では「放射能のゴミはいらない! 県条例を求める会」に結集し、街宣活動、ビラ配布などにも積極的に参加し、人形峠におけるボーリング問題を県民に訴えました。
 その後も「放射能のゴミはいらない! 県条例を求める会」を中心とした高レベル拒否運動を継続し、県内1,000ヶ所を目標に地域・職場での学習会、調査活動等をつづけながら、リアルタイムで政府の審議会や業界の動きを調査し、高レベル推進側の動きを追跡しています。

4. どのような運動を提起してきたのか?
  ~県内すべての自治体首長から「高レベル拒否回答」を求める~

 以前から「処分地候補」と目される地域が全国に数カ所存在すると言われつづけていましたが、私たちはこれまでの経緯からその候補地の一つが上斎原村(現・鏡野町)人形峠周辺の花崗岩層であろうことを明らかにしてきました。
 高レベル最終処分地の誘致に直接つながる概要調査地区の「公募」方式については、当該自治体の首長が絶対権限を持っています。そのため、私たちが取った戦略は、県内市町村すべての自治体首長から高レベル放射性廃棄物の「拒否回答」を得て、県内に高レベル放射性廃棄物を持ち込ませないという方法でした。
 そこで、県内78市町村すべての自治体首長から「高レベル拒否」を求めるべく、「放射能のゴミはいらない! 県条例を求める会」を中心に、すべての市町村長に直接会って「公募に応じないよう」要請することとしました。各自治体には事前に趣旨と申し入れ書を提出することを伝えた上で、2002年11月15日に「STOP! 高レベル放射性廃棄物」キャラバン隊として最初に岡山市を訪問し、以後各地域の団体・労働組合からも協力を得ながら、要請行動をつづけました。各市町村からの反応はさまざまでしたが、直接対話により自治体の複雑な胸中も明らかになりました。
 2002年内には、ほぼ申入れが完了し、いくつか文書で回答もいただきました。しかしこの時点では確かな「高レベル拒否」の数が少なく、「拒否」を表明した自治体を赤く塗りつぶしていく「県内市町村の拒否マップ」を完成することができるのか、予断を許さない状況でした。
 そこで、2003年1月、電話と再度の訪問で確認作業を行い、2月上旬には78市町村のうち、上斎原村(現・鏡野町)を除いた77市町村長から「高レベル拒否」の回答を得ることができました。
 県下全自治体に直接出向き、申し入れを行ったことにより、それぞれの自治体が「高レベル放射性廃棄物」や「地層処分方式」の危険性について真剣に考え、検討した上で「拒否」の回答を出したというのは、運動として大きな成果と言えます。
 問題は残された1つの自治体 "上斎原村"でした。上斎原村長とは2003年2月13日に面談し、以下のような見解を得ました。それは、「地層処分が絶対安全であるという認識ではない」にもかかわらず、「応募による多額な電源三法交付金」に魅力があり、それを財源に小さな村でも自立してやっていきたいし、原子力発電環境整備機構は「良質な花崗岩に封じ込めれば一切影響ない」との見解である、との理由から「高レベル拒否」という答えは出せないというものでした。さらに2003年2月17日、上斎原村長から改めて「原子力発電環境整備機構の公募は、基礎的自治体の生き残りの手段として検討する苦渋の選択肢の一つではないかと思っています。」という文書回答がありました。進行していた平成の大合併を横目に見ながらの回答ではありますが、全国初の「高レベルを拒否しない」自治体宣言でした。
 このように上斎原村の回答を得たことで、78全ての市町村長の回答が出そろい、1つの自治体だけが白く塗り残された"県内市町村の拒否マップ"が一応の完成を見たのが2003年2月のことでした。
 その直後から"平成の大合併"が始まり、岡山県も例にもれず、これまでの78市町村から2005年8月段階で32市町村に自治体数が激減しました。ちなみにこの時点で「拒否しない」宣言をした上斎原村は、現在、近隣の鏡野町等と合併し、自治体としては消滅しています。
 私たちはこの時点で再度、合併後新しく選出された首長にあらためて「高レベル拒否」の「第二次要請行動」を行いました。その結果、旧上斎原村の人形峠環境技術センターがある鏡野町を含め、すべての新市町長から「高レベル拒否・応募しない」との文書回答を得ることができました。
 さらに合併は進み、2006年3月末に29市町村となりました。新しい市町長に対して更に2006年6月に「第三次要請行動」を行い、改めて「高レベル拒否・地層処分地応募拒否」の意思確認を行いました。
 これにより、現地点ですべての首長から「高レベル拒否」の回答を得ることができたことは、当面の到達点といえます。つまり理論的には、現時点で岡山県内に高レベル放射性廃棄物が持ち込まれる状況はなくなったということです。

5. 私たちは今後どのような運動を追求していくべきなのか?
 ~概要調査地区選定反対運動~

 これまで書いてきたように、地域での運動の成果として、県内全自治体から高レベル放射性廃棄物「拒否」の回答を得ることはできています。しかし、日本列島全体を見渡したとき、中国山地の花崗岩層が高レベル放射性廃棄物の最終処分地として狙われているという事実には、何ら変わりがないというのが現在の認識です。今後も、継続的にすべての首長から「高レベル拒否」の回答をもらい続ける必要があると考えています。
 また、高レベル放射性廃棄物処分場の概要調査地区決定はこれまでのスケジュールでは、2007年頃となっています。つまり、今年から来年にかけて、どのような動きが出てくるのか、全く予断を許さない状況です。
 くりかえしになりますが、高レベル放射性廃棄物最終処分場の誘致には、公募のため当該自治体の首長が絶対権限を持っています。首長が公募に応募するということは、例え処分方法が「危険な」地層処分から他の方法に変わったとしても、処分場建設に道筋を与え、原発が動き続ける理由を与えることになります。だからこそ、逆に日本全国の首長がすべて「公募に応じない」運動ができれば、"脱原発"へ向けての大きな一歩を踏み出すことができるでしょう。

6. おわりに
 ~脱原発の実現に向けて~

 『故郷を放射能から守りたい!』という郷土を愛する言葉が一致すれば、どの地域でも高レベルを受け入れることはないでしょう。
 国民を高レベル放射性廃棄物の放射能被害に曝さないために、全国一斉に"市町村の拒否マップ"を塗りつぶしていただきたいと考えます。そして、1人でも多くの方に災害時でも持続可能な"クリーンエネルギー"に理解をいただき、普及運動を積み重ね、これ以上放射能のゴミを増やさないためにも、原発を止め、使用済み核燃料を再処理せず、安全な処分方法が確立するまで、当面、発生者の責任において地上管理を続けることが「脱原発社会」につながっていくと考えます。
 岡山では、地域に根ざした運動としてこれまでに取り組んだ成果を整理し、運動手法を全国に発信するために『漂流する原発ゴミ』という冊子を作成しました。「高レベル放射性廃棄物を地層処分させない」運動が日本全体に広がることを望みます。
 私たちはこの取り組みを全国に発信し、日本列島に「高レベル放射性廃棄物を地層処分させない」運動を構築するべく新たな取り組みを追求します。