【論文】

第35回佐賀自治研集会
第1分科会 住民との協働でつくる地域社会

 多様な人々の思いが、長い年月を掛けて融合し、響き合い、共鳴し合って熟成され、ひとつの空間を創り出す。大牟田市のまちづくりも、このようなしっかりとした地域環境が整い、継続され、継承されていく息の長いモノであって欲しい。そうした取り組みの中心的役割を担えるのは、新たなまちづくりの初期段階においては行政の専門性である。「市民と行政との協働」による取り組みによってしか「新しい公共の場」が見えてこない。



文化論とまちづくり(まち育て)とは


福岡県本部/大牟田市職員労働組合・OB 吉田 迪夫

1. はじめに

 いろんな取り組みが、いろんな人たちを通してこれまで取り組まれてきた。そのほとんどは、長い年月を掛けて融合し、響き合い、共鳴し合ってハーモニーを奏でている。それが、文化的な旋律というようなものだろう。
 多種多様化する人々の思いが、当時はぶつかり合い、離散したにしても、長い年月を掛けて熟成され、ひとつの空間というものを創り出し、そして、人々の心の中に文化という息吹を吹き込み、心の豊かさを実感できる、そんなまちづくりが地域の中で生き続けていた。
 それが大牟田市のまちづくりと言われるようなものになって欲しい。まちづくりの連続性というものによって、しっかりとした地域環境が整い、継続され、継承されていく息の長いモノであって欲しいし、そのためには、忍耐と努力を必要とするまちづくりとして育っていって欲しい。それによって、コミュニティは成熟度を増すことにもなる。
 そうした取り組みの中心的役割を担えるのは、新たなまちづくりの初期段階においては行政にしかできない芸当(専門性)である。長い年月のうちに、「市民と行政との協働」は市民権を得ることになるだろうし、そうした、まちづくりの取り組みによってしか「新しい公共の場」が見えてこない。

2. 公・共の豊かさと市民自治、そして文化振興とは

 「公共の場」が豊かであればあるほど、「自治」というものへの改革心は興るものである。大牟田の石炭産業等の歴史が「負の遺産」から『世界遺産登録』へと変化してきたように、大牟田市のまちづくりの取り組みは、住民自らが誇りを得るために「市民自治」への造詣を深めるものになるために、これから大牟田市は何をすべきなのか? ということである。
 こうした場合、段階的なまちづくりの取り組みを想定しなければならない。国は、社会情勢の変化に対応していくために矢継ぎ早に地方自治体に変革を求めている。地方分権・市町村合併・市民と行政との協働・定住圏共生ビジョン・文化芸術振興プランなど、地方自治体の根幹を変えていくほどの変革を求めてはいるが、それに、地方自治体もついていけないし、地域住民は、逆に何のことかも理解できていない。
 そうした中で、大牟田市は行財政改革の推進と併せて「市民と行政との協働によるまちづくり」をめざしている。自治体職員の意識改革はもとより、地域環境の改善や住民の方たちの公共の場への関心から参加を促していくという、まちづくりの初歩的な取り組みから、大牟田市と協働していけるだけの情報の習得と学習というモノが必要となっている。市民としての義務と責任を認識・自覚してもらいたいというのが狙いである。
 まちづくりを通して、地域環境が改善され、地域住民の公共の場への参加し、社会の仕組みを変え社会を支えていく、という市民としての自覚を持ってもらうためのまちづくり事業(文化振興)が必要となっている。

3. 文化というものの多様性を見極める

 地域環境という目に見えない空間を充実させ、豊かなモノにしていくためにソフト的なまちづくりが必要で、それによって「ひとづくり」というモノが展開される。それが、「文化振興」ということになるのだろう。
 よく文化論を交わす中で使われる文化事業というものは、鑑賞型文化事業(箱モノ中心の文化事業:受け見型)というものが主流で、やはり眼に見えないと文化論も語れない、ということになるのだろうか。そうしたモノとは別に、まちづくりの中の空間的なモノの捉え方に、もうひとつの文化事業が存在する。頭の中で創造し、それをイメージ化していく、という創造の世界の中に、もうひとつの文化事業が存在する。
 文化事業と文化的視点という違った文化論がごちゃ混ぜになり、ひとくくりにした「文化」が議論されている。それによって、文化というモノが狭義のモノになったり、広がり過ぎて形として捉えられない、という難解な事もつきまとうから、担当枠を超えた議論がし難いというのが大牟田市としての正直な気持ちなのだろうと思う。
 そうした議論の中身は、自分自身の経験と知識を越えていく領域、また、日常的な業務の延長でしか物事の良し悪しを捉えきれない、というよりも領域を超えた部分の説明がなかなか出来にくいことも、組織的な感覚で言うことの縦割り的な発想で領域が意図して「文化」を片付けた方が、何となく厄介事にはならないとの思いが動くのではないかと考える。
 もうひとつの文化事業というものは、空間という想像の世界の中に存在するもので、自分自身の経験や知識を越えた、非日常なものから外れた所から発意され下りてくるもので、雑多な意見や多様性のある意見の中からしか、発見できないモノ、それが「新たな文化」ということで、形なきものを形に作り上げていく過程が大事とされる文化事業ということになる。
 そうしたものを社会実験的(社会教育的文化振興事業)なもので取り組み、新たな価値観等を創出していくことも重要ですし、人々の思考回路の中に生まれるように新たな価値観が芽生えていくことを願うものである。
 空間的なモノの中に自然発生的に生み出されていく、そんな地域環境が整えばベストなのだが。新しい分野・流域に挑む時は、そのことに関しての答えも最初から有るものではなく、議論し、実践していく過程の中で生み出されていくもので、実践活動の中で予想・仮説・想像し、粗方の絵図を描き当面の目的に向かって物事を進める。その曖昧さの中に「文化」というものが存在する。

4. 「文化」とは、画一的なものとして評価し難いもの

 だから、そうした「文化論」はなかなか論じ合うこともできない。実際は目に見えていて、既成のモノ差しで測れるものでなければ、人は論じることはできないようだし、価値あるものという判断もできない。そうした思考回路の中に「文化」というものは根付けない。新たな価値観を創出していくその過程の中にしか「文化」は存在しない、ということを理解しようとしない。目で確かめられない、知識として理解できないことが人の意識を止めている。
 例えば、日本の伝統的文化及び芸能、さらには暮らしの文化などは日常的な生活の中に存在する文化であって、行政が特別に関与すべきモノなのか? ということに疑問符が付く。市民自らが、日常的な暮らしを営む上で必要とするものであって、行政が、何かを強いるものでもないし、行政が直接的にタッチすべきモノでもない。
 しかし、そうした市民が主体的に動く中で必要な文化事業というものはあることも事実である。そうした、市民自ら取り組むことを社会教育とか、生涯学習ということで大牟田市はサポートしているが、本当の文化振興策ということになると、もっと、別次元での行政の関わり方がある。例えば、市民と行政との協働によるまちづくりを展開していく中での市民意識の高揚とか、市民自治のための地域環境づくりとか、市民自治組織化に向けたまちづくりの有り様とか、未来社会を見据えた文化振興事業というものに大牟田市が積極的に関与すべきなのではないか。
 大牟田市の「文化振興策」ということに基軸となるべきものとしては、大牟田市の未来社会を創造していくための地域環境づくりと人材育成・発掘・確保ということになる。そのためのまちづくりが展開される訳だが、旧来の公共事業一辺倒のまちづくりではなく、これからのまちづくりはソフト面が主流になる。
 そのために、大牟田市の職員としてまち育て的な視点と専門知識が必要で、多種多様な意見に対し相互調整し、合意形成のためのマネジメント力が必要となる。自治体職員として、本当に市民のためのまちづくりを推進していけるだけの資質が必要となってきた。行政本来の仕事がようやく出来る、ということでもあり、そうしたものを称して「文化振興」ということになるのだろう。

5. さいごに

 いろんな取り組みが、いろんな人たちを通してこれまで取り組まれてきた。そのほとんどは、長い年月を掛けて融合し、響き合い、共鳴し合ってハーモニーとしての美しい音を奏でる。それが、文化的な旋律というようなものだろう。
 多種多様化する人々の思いが、当時はぶつかり合い、離散したにしても、長い年月を掛けて熟成され、ひとつの空間というものを創り出し、そして、人々の心の中に文化という息吹を吹き込み、心の豊かさを実感できる、そんなまちづくりの有りようが見えてきている。
 それが大牟田市のまちづくり、と言われるものになって欲しい。まちづくりに人が関わることで「まちづくりの連続性」というにものが生まれてくる。そうしたことが、しっかりと地域社会の中で受け止められ、継続され、継承されていく息の長い、忍耐と努力が必要なまちづくりが必要で、そのことが地域社会の中で芽生えた時にコミュニティは熟成されていく。
 そうした取り組みの中心的役割を担えるのは、当面は行政にしかできない。「公共の場」の担い手は、地方自治体であり、そのために市民は税金を納入し、行政にまちづくりを委託している。「公共の場」が豊かさであること、人々の心がわが町を誇りとすること、それを大牟田市は、「世界遺産登録」の中で作り上げようとしている。
 そのためには、大牟田市が組織全体で文化的な視点を養い、地域環境づくりのためにまち育て活動に関わり、多くの住民の親しみと信頼づくりに励むことだと思う。そのために文化事業の果たす役割としては、人々の心の垣根を乗り越え、形あるものの枠を取り壊していく、という空間的な発想から既成事実を改善していくことが可能であると考える。
 足元の改革(既存の価値観の改善)と社会を包み込むための新たな社会の仕組みづくりという二つの文化的な視点が必要で、今回の「大牟田市文化芸術振興プラン」策定というのは、大きな意味と意義を含んだものと思われる。大牟田市としての品格を、どう描くのか? という重要テーマでもある。
 最初の一歩が、何処を向き、どんな道筋を描いているのかで、大牟田市としての未来が決まる。競争主義というものを間違って理解している人たちに気づいて欲しいことは、文化レベルにしても、まちづくりの取り組みにしても、職員の資質にしても、全て競争心がなければ理想の形を求めようとしても意味がないことになる。現在という、私たちの居る場所から、どうステップアップしていくのかが、まちづくりのための競争意識だと考える。