【自主レポート】

第35回佐賀自治研集会
第8分科会 男女がともにつくる、私たちのまち

 玖珠町中央公民館では、社会教育法(1949年6月10日法律207号)に基づき、公民館主催教室を開設している。2013年度は、こども対象の2講座、成人一般対象の9講座、高齢者対象の5講座の計16講座を開講したほか、夏休みこども特別講座2講座、青少年リーダー育成研修も継続的に開催している。
 今回、高齢者講座5講座において人権学習会を開催したので、検証を行った。



人権を守る取り組み
―― 玖珠町中央公民館における人権学習会の実施について ――

大分県本部/玖珠町職員労働組合 高  康哲

1. 高齢者講座について

 高齢者講座とは、おおむね65歳以上の高齢者の方々が生涯学習を通じ日常生活で役立つ知識・教養を身につけることを目的に、高齢者大学・福寿学級(玖珠地区)・森大学(森地区)・八幡大学(八幡地区、以上5月~翌年3月の年11回)・寿大学(北山田地区・2カ月に1回の年5回)の5学級からなる。講座は1回90分で、玖珠町第5次総合計画や、講座生へのアンケート結果に基づき講座内容を策定しており、高齢者が直面するさまざまな課題を解決すべく、認知症予防教室や健康体操教室を取り入れたり、工作や陶芸教室を行い公民館発表会に出展したり、昨今の国政・経済の動向など時事的な学習も取り入れたりしている。
 その中で、「人権学習会」として、玖珠町人権同和啓発センターに依頼し、社会教育指導員の方を講師派遣してもらい、「人権問題の重要な柱、同和問題について考える」と題し中央公民館及び玖珠町内の4自治会館において学習会を行った。

各高齢者学級における人権学習会の開催状況
講座名 開催時期 受講人数
(学習会参加者/講座生総数)
八幡大学(八幡地区) 2013年11月 6人/16人
福寿学級(玖珠地区) 2014年1月 35人/52人
高齢者大学 2014年2月 21人/39人
森大学(森地区) 2014年3月 14人/29人
寿大学(北山田地区) 2014年3月 13人/27人

2. 講義での学習内容のまとめ

 1996年の地域改善対策協議会(地対協)意見具申には、「同和問題を人権問題の重要な柱として捉え……」とあり、同和問題を考えることは、人権問題を考える基本であるということが念頭に置かれ、講義内容に入った。以下、簡単ではあるが学習内容をまとめる。

<用語解説>
◆同和問題
 日本社会の歴史的発展の過程で形作られた身分的差別により、今なお、生まれ育った地域を理由に一部の国民が、結婚や就職などで不当な差別を受けるなど、憲法に保障された基本的人権が侵害されるという、日本固有の重大な人権問題。

・2012年(平成24年)の玖珠町人権意識調査によれば、部落差別がなくなる方向に前進していることがわかったが、いまだに結婚差別、就職差別、身元調査、インターネットを使った中傷、差別ビラ・差別ハガキ・差別落書きなどの事実があり、今なお部落差別は解消していないといえること。
・平安時代、人間・動物の死体処理や警察任務を請け負わされた河原人が住んでいた地域が被差別部落の起源であるが、差別自体はまだ緩く慣行的なものだったが、近世に入って制度化されたことで差別が強まったこと。
・一方、被差別民衆に対する誤解があること。例として、近世医学の発展に寄与(解体新書)、人々の生活に必要不可欠な警察・刑吏、清掃、雪駄作りなどに従事するなど、日本の文化・芸術面に貢献してきたこと。
・田畑を持ち農業を営んだり、皮革製造者として高い地位や経済的保証を得ていたりと、すべての被差別民衆が貧しかったわけではないこと。そのことから、被差別身分は、江戸期のピラミッド型身分制社会の最下層身分ではなく、身分制社会の「外」におかれた身分と考えられていたこと。3,000石の武士に相当するものもいた。

(1) 明治政府の政策
・被差別部落の全体的な貧困化は、「解放令」によるものが大きく、身分制度は廃止したが、差別行為を禁止しなかったことにより、差別慣行が残されたままとなった上、これまで部落が担ってきた前述の職業を奪われたが、何の補償措置も取られなかったことや、地租改正により土地を没収されたことなどで大きな経済的打撃を被ったこと。また、解放令反対一揆により、死傷者や家屋の焼失・損壊被害などの迫害を受けた。

<用語解説>
◆「解放令」
 賎称廃止令とは、1871年(明治4年)8月、賎民身分の廃止を宣言した太政官布告。えた・ひにん等の称を廃止して一般民籍に編入し、身分や職業を「平民同様」にするといった内容で、従来の賎民支配を解体すると同時に、地租免除停止の措置にみられるように、中央集権国家確立の前提として不可欠の施策であった。習俗化した差別は厳しく残存したが、差別を不当とする活動や論策の根拠ともなった。

・四民(士農工商)平等という言葉が使われるようになり、部落観が変化し、身分制社会の「外」から「下」へと、差別意識が強まったこと。
・明治政府の近代化政策により、新しい価値観(知識、富、健康を重視する価値観)と対極にある「無学」「貧困」「不衛生」による差別を受け始めたこと。

(2) 同和対策諸法の問題点
・1965年に出された同和対策審議会(同対審)答申において、「同和問題の解決は、国の責務であり、国民的課題」であるとされた。
 「国の責務」とは、そもそも部落差別が当時の支配者(国)によりつくられた差別であるから、その解決をはかることは国の責任においてなされるべきであるということ。
 「国民的課題」とは、一部の国民の問題ではなく、国民全体に関わる課題(国民一人ひとりの課題)であるということ。
 つまり、「同和問題の解決は、国の責務であり、国民的課題」とは、「同和問題の解決は、国の責任であり、国民一人ひとりの課題である」ということ。
・その後、1969年に同和対策事業特別措置法(同対法、13年間)、1982年に地域改善対策特別措置法(地対法、5年間)、1987年に地域改善対策特別措置法に係わる国の財政上の特別措置に関する法律(地対財特法、15年間)の合計33年間にわたり時限立法による取り組み(約15兆円)が行われた。しかし、総合対策を謳いながら実際は住環境の改善に力点を置いた政策であったため、環境改善はある程度進んだが、同和教育・啓発面での取り組みが遅れた。すなわち、差別意識解消の取り組みが不十分であった。
 →【同和利権】や【えせ同和行為】
  同和利権とは、同和対策事業に関わる同和団体が政治家・役人・反社会的勢力と手を結び、公共事業に便乗して手に入れる巨額の利権のことである。
  えせ同和行為は、会社や個人、官公署等に対し、同和問題への取り組みなどを口実として賛助・献金を不当要求したり、高額書籍を押し売りしたりする行為。地対協の1961年12月の意見具申では「何らかの利権を得るため、同和問題を口実にして企業、行政機関等へ不当な圧力をかける行為」と定義されている。

<用語解説>
◆同和教育
 身分差別をなくし、真に自由で平等な人間社会の建設を目的とする教育。特に、部落問題(同和問題)の解決をめざして取り組まれる教育。語源は、1941年(昭和16年)中央融和事業協会が同和奉公会に改組され、融和教育が改称されたことに基づく。
 戦後の同和教育は、未解放部落の児童・生徒に極めて多かった不就学・長期欠席をなくす努力から始まり、一部の府県では民主主義教育発展の牽引車にもなった。
 同和教育には2つの側面があり、一つは部落の人々に対し必要に応じて特別な配慮を行い、教育の機会や条件・進路等の点で部落外との教育格差を解消し、学力遅進や非行をなくすこと。もう一つは部落問題学習を通じて部落出身者であるか否かを問わず、国民に部落問題や人権についての科学的認識を養い、差別をなくし人権尊重のために取り組む能力を育てることである。なお同和教育は憲法・教育基本法の原則に基づく民主主義教育の一環である。

3. 質疑討論

 学習会が終了し、質疑討論を行ったところ、ある高齢者の方から2つの意見をいただいた。
① 「自分には関係がなく、周囲にも差別がないので、同和問題の学習をする必要はないのではないか」
  「そのような学習をすることで、かえって差別問題を知らないこどもたちがこの問題を知ってしまうのではないか」
  これに対しては、今は同和問題に関係がなくても、いつかどこかで同和問題と出合う可能性はゼロではなく、実際に同和問題と対峙したとき、正しい知識を持っていなければ、間違った情報を鵜呑みにしてしまい、それをまた他の人に受け売りで伝えてしまう可能性があるので、学習を深め、真実を知ることが重要であるということを講師が説明した。
② 「そっとしておけば自然になくなるのではないか」
  これに対しては、1871年(明治4年)の賎称廃止令(解放令)公布から、1965年(昭和40年)の同和対策審議会答申が行われるまでの約100年間、住環境対策がされたかというとされていない。むしろ、この間に部落差別はなくなるどころか厳しくなっていったことを講師が解説していった。

意見に対する考察
 ではなぜ前述のような意見が出されたのか。
 差別問題を知らない人たちにあえて差別問題を知らせる必要はないということは、意見者の発言で読み取ることができた。
 たしかに、意見者の周囲では差別事象が起こっていないかもしれないが、玖珠町内では、これまで下記の差別事象が発生している。

◆玖珠町で発生した主な差別事象事例
差別事象・発生年 内     容
電話による問い合わせ事象
2006年(平成18年)5月18日
玖珠町総務課に、50歳代から60歳代の男性から「玖珠町の森地区は同和地区ですか」などといった内容の電話がかかった。
森高校での差別ビラ事象
2006年(平成18年)6月1日
大分県立森高等学校の敷地内に、「エタハモリコーニクルナ」と書かれた差別ビラが放置されているのを生徒が発見し、体育教官室に届け出た。
森高校でのエタ・ヒニン発言
2006年(平成18年)9月26日
森高校において、1限目の授業中、2人の生徒がふざけ合っている最中、1人が「エタ・ヒニン」という言葉を用いた。
差別ハガキ事象
2007年(平成19年)4月19日
「今年こそ、玖珠町より同和の人間を追放して、ケガれのない玖珠町づくりに協力よろしくお願いします。玖珠町民より」という内容のハガキが、玖珠町人権同和啓発センターに届けられた。差出人は不明である。

  差別事象はなぜ発生してしまったのか。残念ながら、差別を行う人の意識が欠如しているのは言うまでもない。しかし、行政(町)の人権問題に対する啓発が足りず、すべての町民の方に課題提起や意識付けができていないがために、差別事象が起こってしまった、ともとれる。
 社会教育施設の職員として何ができるか。それは、これからも人権問題に関する各種学習会を継続して開催しながら、町民の方に真実とは何かを知ってもらい、偏見をなくす機会を提供していくことなのではないかと考えている。

4. 玖珠町の取り組み

 1977年(昭和52年)に大分県下で初めて隣保館を開設し、同和問題をはじめとする人権問題の解決にむけ取り組みを始めた。2007年(平成19年)に玖珠町人権同和啓発センター(玖珠町人権同和啓発センター設置及び管理に関する条例により設置)となり、今日を迎えている。
 この間、1996年(平成8年)に制定された「玖珠町部落差別撤廃・人権擁護に関する条例」に基づき、行動計画や町民意識調査を実施している。
 くすまちメルサンホール(中央公民館)においては上記公民館主催講座を開催している。このほか、毎年、玖珠町社会教育課主催の「人権学習講座」を、また、玖珠町人権同和啓発センター主催により、8月に「人権を守る町民のつどい」、12月に「人権を考える町民のつどい」を実施し、差別根絶に努めている。

◆玖珠町の取り組み
実施年 取り組み
1977年(昭和52年) 玖珠町隣保館を開設(大分県下初)
1996年(平成8年) 「玖珠町部落差別撤廃・人権擁護に関する条例」を制定。
2000年(平成12年) 「人権教育のための国連10年」玖珠町行動計画を策定。
「人権問題に関する町民意識調査」(有権者の1割を対象)を実施。
2005年(平成17年) 「玖珠町人権施策基本計画」を策定。
2007年(平成19年) 「玖珠町人権同和啓発センター」を設置。
「人権問題に関する町民意識調査」(有権者の1割を対象)を実施。
2012年(平成24年) 「人権問題に関する町民意識調査」(有権者の1割を対象)を実施。

5. おわりに

 自民党政権による日本国憲法改正草案第11条では、現行条文「国民は、すべて基本的人権の享有を妨げられない。」から「国民は、全ての基本的人権を享有する。」へと改正し、また「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」の下線部分が削除されていることから、将来的に人権への妨害や制限があり得るのではないかとも考えられる。
 明治政府の近代化政策―「国策」により差別意識が生みだされてしまったこと―など、正しい歴史認識を持ち、人権・同和問題の解決に対する、同和対策審議会(同対審)答申での「国の責務」「国民的課題」とは何なのか、改めて考え、他人の人権を尊重する、自分自身の人権が尊重される、そのような日が来ることを願っている。
 出典:「新版日本史辞典」(角川書店)