【要請レポート】

第35回佐賀自治研集会
第13分科会 自治体からはじまる地域教育へのチャレンジ

 川崎市職労教育支部学校部会では、市職労自治研活動の一環として、ゴーヤのカーテンに引き続き、川崎発祥の果物である伝十郎桃復活の取り組みを2008年から続けています。これまでの6年間の経緯と、これからの課題について報告します。



学校用務業務
―― 川崎発祥「伝十郎桃」復活の取り組み ――

神奈川県本部/川崎市職員労働組合・教育支部

1. はじまり

(1) 桃の伝十郎とは
① 川崎市と川崎区について
  川崎市は、神奈川県の北東部に位置し、東京都との境を流れる多摩川の中流域から河口域にその流れに沿うように細長い地形となっています。市域の南東部を中心に平坦な土地が広がる一方で、北西部は多摩丘陵の先端部にあたる丘陵地となっています。
  市の行政区は7区(川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区、麻生区)あり、市域面積は142.70平方kmと政令指定都市20市のうち最も小さく、東京と横浜市の間に隣接していることから急速に都市化が進んだ歴史をもっています。川崎区の臨海部においては、古くは近郊農業としての果樹園が、近代以降は重化学工業を中心とした産業が集積し、日本経済の発展を牽引してきました。その一方、急速な環境悪化を招き、大気汚染や水質汚濁などの甚大な公害問題が起こりました。各企業や行政などは様々な取り組みを行い、公害を克服する過程で高い環境技術を蓄積してきました。近年は最先端の環境技術を持つ企業等の集積がなされるようになっています。


【写真】羽田空港国際ターミナル付近上空から川崎駅周辺地区を望む(川崎市撮影)

② 川崎の果物
  川崎市域は江戸時代からウメ・梨・柿など様々な果物が栽培され、消費地江戸近郊の産地として知られていました(桃も江戸時代から栽培されていましたが、この頃の桃は今のようないわゆる洋桃ではありませんでした。)。
  今でこそ川崎で果物といえば北部の多摩区から隣接する稲城市にかけて広がる梨園が有名で、夏から秋にかけては、梨のもぎとりや直売が盛んですが、昭和のはじめぐらいまでは、多摩川が運ぶ滋養の高い土壌に育まれ、市内各地で果樹栽培が盛んに行われていました。それを象徴しているのが、1928(昭和3)年に川崎区港町の多摩川べりに造られた川崎河港水門(国登録有形文化財)です。水門頂部の彫刻は、当時川崎で栽培されていた梨・葡萄・桃が盛られた籠を表現しています。

③ 伝十郎桃とその歴史
  川崎区大島の大島八幡神社本殿の前に「温故知新」の碑が建立されています。この碑文によれば、1868(明治元)年に横浜の外国人を通じて洋桃が輸入され、大島村では競って栽培を試みましたが成功しなかったといいます。ところが1896(明治29)年に吉沢寅之助という人が30有余種を交配した末に1品種を発見し、先代傅十郎の一字を冠し、「伝桃」と命名したとのことです。これが大島村の地味に適し、栽培法が容易と見え、栽培者が激増し、市場における名声を得るに至りました。1914(大正3)年には皇太子殿下に献納する栄誉をいただいたことから、これを記念し、植桃以来の沿革を録する碑を建立したということが記されています。
  100年前、幾多の苦難の末に発見された「伝桃」は、その後改良を重ね「橘早生」となり、さらに日本を代表する銘柄である「白桃」・「白鳳」、そして今日の福島名産となった「あかつき」・「ゆうぞら」へとつながっていくことになります。
  明治の末から大正の初め、川崎区の多摩川沿い一帯は桃の里だったといいます。伝十郎桃は梨の「長十郎」と並んで川崎を代表する果物として盛んに栽培されましたが、大正に入って、セメント工業の進出とその降灰害などにより果樹園が打撃を受けるようになると、桃の栽培は大師河原、中原、そして北部へと移っていき、残念ながら川崎から桃は姿を消してしまいました。

(2) きっかけ
 2005年に東大島小学校は創立50周年を迎えました。当時同小に勤務していた上田正昭教諭は伝十郎桃の由来を調べていましたが、大正の末期に大島から姿を消したはずの伝十郎桃が、多摩川上流へと移っていき、川崎市フルーツパーク(現・経済労働局農業技術支援センター)で花桃の木に接木されて保存されていることが分かりました。そこでその穂木(ほぎ)をフルーツパークより譲り受け、校庭にある花桃の台木に創立50周年記念事業として接木することにしました。
この接木は成功しましたが、残念ながら花は咲きませんでした。理由は、台木とした花桃が老木で力がなかったためと考えられました。しかし、これがきっかけとなって、地域、学校、市職労、農業技術支援センターが協力して伝十郎桃を復活させようという取り組みが始まりました。

2. 復活に向けて

(1) 取り組みの経緯
① 市職労の参加
  川崎区選出の飯塚正良市議会議員(市労連特別執行委員)から伝十郎桃の話を聞いた川崎市職労の当時の多田委員長(教育支部出身)は、教育支部学校部会に働きかけ、1校だけでない、部会川崎班全体での取り組みに広げました。学校部会では、市職労自治研活動への参加の一環として、ゴーヤなどのツル性植物を使用した「緑のカーテン」の取り組みを中部・北部の学校を中心に行ってきた経緯もあります。また、教育支部としては、学校用務員が全体で培ってきた経験的専門性が伝十郎桃の復活のために活かされることで、職能継承の必要性をアピールする機会になるのではという思惑もありました。そして、具体的には、農業技術支援センターの協力を得て、川崎区内の10の学校で接木が行われることになりました。
② 経済労働局の協力
  2008年からあらためて始まった取り組みでは、東大島小での反省を踏まえて、伝十郎桃の接木に先立ち、台木となる木を植えることから始めるよう、農業技術支援センターの職員から助言がありました。
  伝十郎桃の復元はセンターの協力なしではありえませんでした。農林水産省関係の試験研究機関から伝十郎桃の穂木を取り寄せ、センター職員が接木をしましたが、貴重な穂木を手に、大変緊張を強いられる作業だったと思います。
  接木した後は学校用務員が追肥や剪定、害虫駆除のための葉むしり、摘果などの世話をしてきました。
③ 飯塚市議の役割
  議員の立場から地域のいろいろなところで伝十郎桃の話をし、関わる人を広げ、つなげる役割を果たしたのが飯塚正良市議でした。
  市内の有力者もそれぞれの立場から関心や関わりを持ってくれることになり、伝十郎桃と、その復活に向けた取り組みが広く地域に知られることとなりました。新聞でも報道されたり、2010年には「川崎区の宝物」にも登録されたりしたのは、そうして地域に関心の輪を広げる活動をしてきた市議の役割が大変大きかったといえます。
  このレポートをまとめるにあたっても、学校部会からの資料を基本としながら、細かな経緯や事実関係が不明なところは飯塚市議の議会での発言記録や活動報告などに多くの部分を依拠しています。

経過年表
2008年11月 川崎区内の5つの小学校(殿町小、東大島小、向小、田島小、渡田小)に台木として桃の苗木を定植
2009年4月 花桃が植わっていた藤崎小を含めた6小学校の桃に接木するが成功せず
2010年4月 6小学校すべてで成功。殿町小=10カ所の接木のうち2カ所、渡田小=5カ所のうち3カ所、向小=6カ所のうち1カ所、田島小=10カ所のうち3カ所、東大島小=8カ所のうち1カ所、藤崎小=12カ所のうち2カ所で新芽が確認された
2010年11月 川崎区内の小中4校と1事業所(宮前小、小田小、京町中、京町小、昭和電工)に苗木を定植
2011年 (東日本大震災の影響により中断)
2012年4月 2010年に植えた4校と1事業所で接木を行う

(2) 実 り
① 桃栗三年
  2010年には花が咲きましたが、接木した木の成熟を促すため、3年程度は全て摘果する必要があるということで、最初の収穫が2013年になるという見込みがでました。その間も学校用務員は異動もありますので、業務引継ぎを確実にしながら、各校での取り組みをつないでいきました。
② 収 穫
  それから3年目の2013年6月上旬、藤崎小学校の花桃に接木した部分から、実に100年ぶりとなる4個の実がつきました。発見した原田職員は、農業技術支援センターの助言を仰ぎ、鳥などの被害を防ぐための袋つけ作業を行うなど慎重に育てました。
  藤崎小でなった実は直径7cmほどでした。結果的に渡田小、京町小を含めた3校で実がなりましたが、食べられるほどの大きさに育ったということから藤崎小において「復活を祝う会」が開かれることになりました。

3. 復活を祝う会

(1) お披露目
 2013年7月28日、飯塚市議を発起人として、教育長、経済労働局長、市職労福島委員長など多くの来賓を迎え、「伝十郎桃の復活を祝う会」が藤崎小学校で開催されました。夏季休暇中にもかかわらず、教職員や児童の参加もあり、また、各紙報道等でも取り上げられ、広く伝十郎桃の歴史を伝える機会となりました。

(2) 地元の果物屋さんの協力
 地元でフルーツ販売を手がける橋本幾男社長は何種類かの桃をこの場に提供され、いろいろ解説等もしていただきました。参加者は伝十郎との味比べなどを楽しみました。

(3) 反 響
① 報 道
  復活を祝う会の模様は新聞や地域のミニコミにも取材され、多くの市民が伝十郎桃のことを知るきっかけになりました。
② 社会教育の場で
  伝十郎桃復活をきっかけに、教育文化会館田島分館の市民自主企画事業では、地域史講演会「伝十郎桃のはなし」が企画され、2013年11月に開催されました。川崎区誌研究会の小泉茂造さんによる伝十郎桃についての講演をメインに、かわさき歴史ガイド協会の山中敏之さんにも田島地区の歴史について話してもらうことで、地域の歴史に関心と愛着を感じ、住民自らが地域を守り歴史を大切にしようとする機運に結び付けばというねらいで、シニア層を中心に30人ほどが集まりました。

試食する子ども達   藤崎小で実った伝十郎桃

4. これから

(1) その後の1年
① 2014年の実り
  2013年の7月に復活を祝う会が開かれてから1年が経ちました。2014年の実りはどうだったでしょうか。残念ながら2014年は食べられる実は収穫できませんでした。
  復活するまでの各方面での働きかけと、復活の際の反響はとても大きいものがあったと思いますが、この1年はこれといった目立った動きはありません。
  学校では、春先には花を愛で、郷土史の教材として少しずつ活用されているようですが、地域全体の宝としてもっと活用される余地もあるのではと考えます。
② 反 省
  ここまでの取り組みを教育支部の自治研活動という観点から振り返ってみて、私なりに感じた反省点を挙げたいと思います(支部として総括をしていないので、あくまで個人の感想です。)。
  ひとつは、教育支部には社会教育の職員もいる中で、学校部会のみに負担が偏り、学校で実った成果を地域に広げていく活動につなげることが十分にできていないのではと思います。育てるのは学校用務員の職能を活かし、地域の学びにつなげるのは市民館や図書館職員の職能を活かす、というような連携プレーができれば良かったのではと思います。
  ふたつには、先にも記しましたが、一貫した公式の記録を残しておくべきだったということです。今回、このレポートを作成するために参照した外部資料の多くは飯塚市議の説明や記録を下敷きに作成されたものでした。しかし、学校部会が作成した別の一次資料との事実関係の食い違いや、同じ飯塚市議の言葉による資料でも人名や固有名詞が違っているものもあります。学校部会でも関わった職員それぞれが記録を残していますが、全体の経緯を掴むにはやはり多くの外部資料に当たる必要がありました。このレポートをまとめたのを機に、今後は地域に発信する意味で、ブログやフェイスブックなど、誰もがいつでも容易に参照できるかたちでこの取り組みを記録し、発信していければと思います。

(2) 今後何年?
 これからも児童の郷土史の取り組みとして、伝十郎桃の歴史を学校用務員の立場からサポートしていくことが必要だと思います。接木をした全ての学校で立派な桃が実るまでには、まだ長い年月を要するでしょうし、学校を越えて地域の実りとして安定した栽培がされるようになるにはさらにまた息の長い取り組みになると思われます。
 この間にも各校では職員の異動があり、その都度、ノウハウは引き継がれてきました。しかし、これからのことを考えると、今の職員配置の状況は大変不安なものがあります。
 長年にわたって新規採用が停滞する中で、今や川崎市の学校用務員の3割近くが非常勤職員に替わっています。その中には学校用務OBもいれば、一般公募による未経験の方もいて、同じ非常勤嘱託職員といっても業務に関する知識や技能に大きな差があります。さらに、非常勤職員には上限5年の制限があり、業務を覚え、技能を身につけて、ようやく一人前になった頃には雇い止めとなってしまいます。短期で職員が入れ替わることで、何年かの先に十分な経験を持った職員がいなくなってしまうなどということがないよう、この取り組みを通じて、経験的専門性を育み継承していく正規職員配置の必要性をアピールしていけたらと思います。

(3) おわりに
 今回、要請レポートということでその経緯をまとめましたが、学校用務員の取り組みを紹介する機会としてならともかく、支部の自治研活動としてはまだなにも報告できる状態ではなく、始まってさえいないのだというのは、ここまでお読みいただいた方にはお分かりかと思います。
 今後の取り組みを後押ししていただけるようなご指導ご鞭撻、叱咤激励、ヒントとお知恵等を分科会の場で賜れれば幸甚にございます。

2013年6月13日東京新聞

2013年7月29日朝日新聞

 

2013年7月29日神奈川新聞



参 考
カナロコ「幻の『伝十郎桃』が復活」(2013年7月28日)
http://www.kanaloco.jp/article/60751/cms_id/60542
タウンニュース「田島地区発祥 伝十郎桃が復活」(2013年8月2日号)
http://www.townnews.co.jp/0206/i/2013/08/02/198526.html
飯塚ホットライン「114年ぶりに甦える伝十郎桃」(2011年1月7日)
http://www32.ocn.ne.jp/~iizukahotline/syoukai/onko.html
川崎区の宝物
http://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000035/35849/index.html