【レポート】

第39回静岡自治研集会
第7分科会 まちおこし ~持続可能な地域づくりの取り組み~

 地域における文化財の活用が求められている昨今、各地で様々な取り組みが実施されています。特に近年、城跡は高い人気を呼んでおり、ブームにとどまらずカルチャーになっています。この報告では、安芸高田市における国史跡郡山城を核とした保存・活用の実践例を紹介します。中山間地域の小規模な自治体が限られた財源の中で、コロナ禍においても持続可能な地域資源の活用はどうあるべきかを探る検討材料となれば幸いです。



地域資源としての城跡の保存と活用
―― 安芸高田市 郡山城での取り組み ――

広島県本部/安芸高田市職員労働組合・安芸高田市歴史民俗博物館 秋本 哲治


安芸高田市中心部、吉田町にある郡山城跡

2023年毛利元就入城500年記念ロゴ

1. はじめに

 全国どの自治体にも存在する文化財。近年、国や県から地域における文化財の活用が求められていますが、各自治体では様々な取り組みがされています。特に近年城跡は高い人気を呼んでおり、教育のみならず観光のツールにもなっています。私は教育委員会の職員として市立の歴史民俗博物館に勤務しておりますが、市内の城跡に注目し、これまで公私を問わず調査研究活動を続けてきました。本報告では、安芸高田市における国史跡郡山城を中心とした城跡の保存・活用の実践例を紹介します。中山間地域の小規模な自治体が限られた財源の中で、どの自治体にでも存在する文化財。とりわけ城跡について、コロナ禍においても持続可能な地域資源としての活用ができるのではないか、そうした試みの一例として報告いたします。

2. 文化財の保存活用と城跡

 近年、文化財の保存に加えてその活用が求められています。これは、インバウンド観光客の増加(コロナ禍以前)に伴い、民間からの要望も勿論ですが、これまで保護優先であった文化庁自らがその方針として主導しています。国民共有の財産である文化財は保護するだけでなく、積極的に活用してこそ価値が高まるという考え方が広がってきたためで、「日本遺産」認定事業などはその象徴といえるでしょう。こうした文化財の公開活用については、国は文化庁のみならず観光庁とも連携し財源的な後押しを進めています。
 また、こうした背景には、インバウンド客のみならず国内でも歴史や文化財を愛好する人々が世代を超えて増加していることがあります。しかも、それらが書籍、テレビ、映画、アニメ、ゲームなどのメディア分野も巻き込み、SNSの普及と呼応して「歴史ブーム」が「歴史カルチャー」になっています。それにより、歴史・文化財がビジネスにもなっており、地元自治体や観光業者にとっては、「過去の遺産」が「現在の人を呼び込む地域の宝」として注目されるようになっています。
 その中で、ここ数年特に高い関心を集めているのが城跡です。国内に無数に存在している様々な遺跡の中でも、城跡は①全国どこにでもあり②遺構がのこりやすく③目的がはっきりしていることが特徴といえます。一般に城跡というと、大きな町の中心に残る石垣や天守を残す巨大な公園を思い浮かべるかと思いますが、そういった城跡は江戸時代の「近世城郭」で、ごく一部といえます。実際には、全国に3万~5万ヶ所程度存在するといわれており、そのほとんどは中世の城跡です。特に南北朝期~戦国末期のおよそ300年の間に盛んに築かれ、使用されました。その多くは要害性を重視したことから、山上に立地していたため、後世の改変を受けることが少なく現在にいたるまでそのまま遺構がのこされています。城跡については、「城跡であって、城はない」といわれることがありますが、それは「城=天守などの建物」と認識されているからです。本来「城」とは土で成ると書き、土木作業で構築された軍事施設全体を指すもので、建物はそれに付随したものです。現在軍事施設として使われている城はないため、日本にあった全ての城は「城跡」であるともいえます。
 こうした城跡について、学会や行政ではこれまであまり重視されていませんでした。それは、戦後しばらく考古学が扱う遺跡は、原始・古代のものが中心であり、多くの中世以降の遺構は遺跡という認識自体されていなかったからです。それが1970年代頃から中世の遺跡も注目されるようになり、その主要遺跡である城跡が保護の対象とされるようになりました。よって、本格的に城跡が遺跡として研究や保護の対象とみなされるようになったのは1980年代以降であるといえます。つまり、自治体が城跡を遺跡として行政事務として保存をはかるようになってから、まだ40年余りなのです。具体的には、文化財保護法に基づき開発に際しては届出を行い、開発による破壊を避ける対応や、やむを得ず破壊される場合には調査を行い記録保存を行うなどの諸手続きです。そうした保護措置に加えて、先ほど述べたように、近年ではそれを活用していくことが求められ、活用事業に対する国からの補助金・交付金などの財政的支援も進められるようになっています。

3. 「城」カルチャー&ビジネスの拡大

 学会や行政の変化の一方で、一般市民の側からもこれまでマイナーであった趣味としての「城巡り」が、近年変化していきました。それは、お城の認識が近世城郭だけでなく、中世城郭にも拡大していったことです。そのきっかけになったのが、2006年の日本百名城の選定とそのスタンプラリーの開始でした。これは公的なものでなく、(財)日本城郭協会により選定されたものでしたが、たちまち注目され、そこを巡ることがひとつの旅のスタイルとして浸透していきました。広島県内では、広島城、福山城と並び安芸高田市の郡山城が百名城に選定され、それ以後本市では百名城巡りの観光客が目に見えて増加していきました。特に百名城スタンプラリーの効果は大きく、山麓の歴史民俗博物館窓口にスタンプを設置したことにより、城跡に登らなくてもスタンプのみを求める来館者も多数存在します。また、百名城スタンプラリーそのものを目的とした旅行会社による団体ツアーも企画されるようになり、城巡りがビジネスとして成立するようになっていきました。
 そうしたブームの象徴が、2016年から毎年横浜で(財)日本城郭協会が中心となって開催している大規模イベント「お城EXPO」。全国各地から、我が町のお城のPRに自治体・観光関係者と多数のお城ファンが集結して、あらゆるお城関係媒体を堪能できるまさに「お城の博覧会」のようなイベントです。このイベントの盛況は、官民問わず関係者が注目しており、お城が単なるブームではなくなっていることを物語っています。そしてメディアにおいても、アマチュアの城好きの増加により、お城を扱う番組や記事が増える中で、山城も紹介され、コロナ禍による少人数でのアウトドア志向の高まりもあり、趣味として決して一部のマニアだけのものではなくなっています。また、需要の高まりに伴い、山城をもつ各地の自治体でも住民が中心となって、山城の清掃・整備を行う例が増加しています。もはや「城」は「カルチャー」であり、「ビジネス」にもなっており、自治体・民間会社・住民それぞれにとってまちづくりの重要なツールになりうる存在といっても過言ではありません。


日本百名城認定証

お城EXPO2016広告

4. 郡山城と安芸高田市歴史民俗博物館

 さて、私の所属する安芸高田市は広島県北西部に所在し、中国地方のまさに中心に位置しています。本市は2004年、高田郡6町の合併により誕生しました。その中心にあったのが郡山城ですが、高田郡は古代には高田郡と高宮郡に分かれており、そのうち高宮郡の中心が高宮郷、現在の吉田であり、この郡山山麓あたりに郡衙がおかれていたと考えられています。両郡は中世には高田郡として一体化したと思われ、その中央に成立したのが吉田荘です。鎌倉末期には吉田荘の地頭として越後佐橋荘(現新潟県柏崎市)より毛利氏が入り、以後その本拠をおきました(なお、この毛利氏は、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する幕府の重臣大江広元の子、毛利季光を祖としています。よって、毛利元就の代に至っても安芸毛利氏は公式には大江姓を名乗っています)。現在の郡山城の国史跡名称は毛利氏城跡「郡山城跡」で、1940年に指定され、1988年に追加指定されています。標高390m、比高190mの郡山山頂を中心に約1㎞四方に遺構が残ります。東側に江の川(地元では可愛(えの)川と呼ばれる)、南側には多治比川が流れていますが、これは天然の堀と言うよりも、川を含めたその合流点に広がる吉田盆地が交通・物流の要所であり、郡山城がここを支配する上で重要であったと言えます。
 安芸高田市歴史民俗博物館は、1990年に旧吉田町の歴史民俗資料館として開館し、2004年の合併による新市誕生以降は市の博物館となりました。ここ10年余りで入館者数が5千人台から増加し、年間1万人を超えるようになりましたが、コロナ禍により休館が続き、2020年度~2021年度は再び1万人を切っています。なお、この入館者のうちおよそ8割が市外で2割が市内在住者です。とはいえ、人口3万人弱の田舎町の博物館にこれだけの来館者があるのは、館が国史跡である郡山城や毛利元就墓所等関係史跡のガイダンス施設(=観光施設)であることが大きいといえます。一方で市の歴史民俗資料の調査・収集・啓発を行う施設(=教育施設)でもあるため、この両面のバランスを保つよう意識しています。両者は一見相反する目的ですが、観光も教育も「地域振興」であるという認識に立てば矛盾することではないと考えています。



郡山城遠望

安芸高田市歴史民俗博物館

5. 安芸高田市における山城を活かしたまちづくりの試み

 安芸高田市内には、郡山城跡を中心に100か所以上の城跡が存在していますが、毎年新たな発見をしているため、実数は130カ所以上と考えています。私は、これらを地域の資源ととらえ、これまで住民への広報啓発に加え、地域の新たな魅力向上につなげようとさまざまな試みを実施してきました。そうした例を紹介します。

(1) 市広報紙への城跡紹介記事連載
 毎月市内の城跡へ現地調査に行き、その結果を市広報紙の2012年5月号~2020年12月号まで計88回連載。そのうち60城分を2015年に『安芸高田お城拝見~ベスト60ガイド~』としてまとめ、博物館名義で発売。また、市内の山城の企画展を開催し、記念シンポジウムも開催しました。


市広報紙連載

山城シンポジウムの様子

(2) 現地見学イベント
 文字だけでなく、実際に山城の見どころを紹介すべく、市内の山城での現地見学会を随時開催。時には地元主催の場合もあり、山の中でガイドを行い、住民や市外の方へ史跡の存在と見方を解説し、その価値を啓発しています。一見、ただの山が歴史を語ります。

(3) 研究発表、出張講座
 講師依頼があれば各種イベントでのブース出展や県内外での講演会に出張し、市内の城跡や歴史のPR活動をしています。さらには城郭関連の研究会など、全国どこへでも出かけ、研究成果を報告しています。一方で、市内の中学校や高齢者大学など地元での出前講座も行っており、あらゆる世代や関心の高さに応じた内容で講義をしています。こうした活動は公務でも個人でも行っており、ライフワークと捉えています。


お城EXPOでのPRブース出展

地元中学校での出前授業

(4) メディア出演
 テレビ・ラジオ・新聞などのメディアは無償でPRできる絶好の広報ツールととらえ、できる限り取材協力をしています。また、報道機関等へ新発見などの情報提供やコラム執筆も積極的に行っています。私の調査で発見した城跡の新たな研究成果が、研究者等への情報提供を通じてNHKの番組(『英雄たちの選択』『サイエンスZERO』)になったこともあります。こうした活動の広報ツールとして、SNSも活用しています。

6. 郡山城跡における保存と活用の実践例

 2020年からのコロナ禍により、博物館運営にも大きな影響を受けました。その中で、2021年には毛利元就没後450年、さらに2023年は毛利元就郡山入城500年という記念の年を迎えるに際して、「郡山城」の魅力を磨き上げるべく、さまざまな事業を極力低予算かつ自前(自作自演)で企画・実施しています。

(1) 動画制作
 2020年、郡山城内の見どころを現地で解説し、それを動画撮影して計22本を博物館のYouTubeに掲載しました。コロナ禍で県外からの来城が難しい中でも、その魅力と見どころを伝え、PRのための手段として、無料で掲載できるYouTube動画を活用しています。

(2) 赤色立体地図および平面図作成
 2021年1月、国庫補助事業として郡山城の航空レーザ測量を実施し、地表面の細微な凹凸を示した赤色立体地図が作成されました。これを元に、私が郡山城内を隅々まで現地調査し、新たな平面図(略測図)を作成しました。これにより多くの新たな学術的発見がありました。


郡山城赤色立体地図

郡山城平面図

(3) 報告イベントと書籍・グッズ製作
 こうした調査成果を一般市民に報告する、「郡山城トークライブ」を2021年6月に開催。また、赤色立体地図のポスターとクリアファイル、さらにポストカードを製作し販売。さらに郡山城史跡ガイド協会名義の『ガイドブック郡山城』の監修を行いました。


「郡山城トークライブ」の中国新聞記事

郡山城ポスターとクリアファイル

(4) デジタルガイドマップ制作
 2021年、郡山城史跡ガイド協会による、郡山城デジタルガイドプロジェクトが県観光連盟の「デジタル技術等を活用した観光地スマート化推進事業補助金」に採択されました。私は、企画・監修として中心的にこのプロジェクトを進め、12月についに完成しました。これにより、タブレットに郡山城の地形データを落として、GPSにより現在地を確認しながら登れるようになりました。また、各ポイントでの解説、VRさらには書状スタンプラリーなど多彩な機能を搭載して、現在博物館の窓口で有料貸出中です。

デジタルガイドマップタブレットと郡山城山上からのVR画像

(5) 博物館特別展の開催
 2023年、毛利元就郡山城入城500年記念として、博物館で郡山城をテーマとした特別展を開催予定です。
 またそれに関連する講座、イベントなども開催予定です。

7. 地域資源としての城跡の活用

(1) 城跡の扱い方
 城跡という遺跡の特徴として、戦争遺跡であるという点があります。一方では「戦国ロマン」であり、一方では「負の遺産」ともいえます。また、我々が知る歴史そのものが勝者の残した歴史であり、敗者は何も語りません。こうした、極めてデリケートな問題を内包する遺跡である城跡を語るとき、できる限り客観的に中立的な視点で見るように心がけています。郡山城でいえば、毛利氏というネームバリューを活かしつつも、その周辺にいた人々の歴史にも焦点を当てる、つまり郡山城のような大きな城だけでなく、地域の小さな城にも目がむけられるようにしたいとも思っています。

(2) 地域を巻き込み、次世代へ継承
 住民がその土地に残された先人たちの生きた痕跡を目と体で感じ、その金額では計れない価値を共有し、地域全体で保護・維持管理し、さらには地域外の人々も巻き込んでその魅力を共感してもらい、そしてそれを次世代にも伝えていく。このサイクルが繰り返されていくことで、その城跡が活かされて、何物にも代えがたい地域資源になり得ると信じています。

(3) 誰のための活動? 
 こうした活動は、基本は公務でもありますが、ライフワークとしても続けております。では、辛い山歩きなどを誰のためにしているのか? 私は次のように考えています。
 まずは自分のため。自分自身が地元の城や歴史の実像を知りたいことが原点です。自分自身が興味をもつことで、他の人にそれを楽しくかつわかりやすく伝えることができるようになります。
 次は地元市民のため。地元の城跡について存在を知ってもらうことが大切です。どこに城跡があって、何が遺構なのか、それをどう見るのかを啓発することで、史跡の破壊を防ぐことに繋がります。
 そしてさらには市外・県外の人のため。市の歴史・文化財の魅力をPRし、市を訪れる人が増える(=交流人口の増加)ことになれば市民への刺激にもなります。しかし、観光客を増やすことがゴールではありません。市民も市外の人も価値を共有し、官民問わず城跡が「地域の宝」になるために公私を問わない活動を続けています。

8. おわりに

 以前、私が市上層部へ郡山城の測量調査の必要性を説明した際、「それで市が潤うのですか?」と問われました。その嘲笑とも受け取れる問いかけに対し、怒りを覚えた一方、市の上層部でも文化財に対する理解はその程度なのだと理解しました。それ以来、もちろん文化財の価値は、お金では買えない、計れないもの(=学術的価値)であることに疑いの余地はありませんが、一方で公費を伴う事業である以上は、観光地として多少なりとも収益を導く視点(=経済的価値)も持っておく必要があると感じています。私の活動の源はこの「嘲笑への抵抗」であり、いつの日か城跡で市が潤うことを示していきたいとも思っています。だからこそ公務員として、両方の価値を追求しているところです。
 今回紹介した活動は、公私を問わず私の地域に対する貢献と捉えており、まだまだ道半ばですが、これからも継続していきます。是非皆さんも一度お近くの山城に登り、地域の歴史を体感してみてください 


山城調査で猛烈な薮に突入する私、決して薮が好きなわけではありません