【自主レポート】
三重県一志郡嬉野町における市町村合併
三重県本部/嬉野町職員組合・合併委員会
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1. はじめに
現在、嬉野町では2005年合併をめざし、様々な課題について行政の中で議論され始めた。行政としての動きは、津地区合併協議会、松阪地区合併協議会、一志郡合併研究会の3組織に参加するといった現状であり、まだ、嬉野町が2005年にどのように合併するかは未確定な要素が強く、その方向性について組合活動としては明確なビジョンを描くことができない状況にある。また、今回の合併がどのような問題をもたらすものかについても不確定である。
こうした点を踏まえ、まず活動として、1955年合併における10年間の推移を見ることによって、合併における問題点とその対策について検討する事とする。
2. 1955年合併の状況
現在の嬉野町は、1955年3月25日に旧宇気郷村(一部)、中郷村、豊地村、豊田村、中川村、中原村の6ヵ村が合併する事によって新嬉野町が誕生した。
この年の11月には新嬉野町としての広報が刊行され、当時の助役が「新しい町村行政について」として一文が記載されている。その中で「日本の自治制度は、戦前は府県が中心であったが、シャウプ勧告が出、税制改革が行われはじめ、市町村優先主義と言う考え方に転換し、現在の日本の自治制度は市町村が最も重要な体制であり、基本的なものである。今後、市町村行政の確立、行政能力、水準の向上が国民福祉、国の水準向上につながる」と指摘している。また、合併の必要性については、こうしたことを踏まえ「人口過少な弱小町村についてはまず合併によって、その規模の合理化をすることが是非必要である」と述べた。
この合併の大きな背景にあったものは、国の合併促進法であるとともに、この1955年当時の自治体財政の破綻が大きく意味するものであると言える、この財政状況については、社会教育委員の「私が見た地方行政」の一文に「最近地方行政の窮乏は年々その度を深めており、(略)地方自治体は過去の赤字の解消はもちろん、本年度の収支の均衡にも事欠き、毎月の財政資金の調達に追い回されている」とし当時の逼迫した財政状況を見ることができる。
こうした状況の中での町村合併であった。この中でまず助役指摘である合併に関してであるが、現在の合併議論において今何故必要かとする指摘と類似する点が多々ある。
現在の必要性としてはあげられるものについて整理をして見ると
今、市町村合併が求められる理由としては、
① 地方分権の推進とし、「住民に身近な行政の権限をできる限り地方自治体に移し、地域の創意工夫による行政運営を推進できるようにするための取り組みで、これを円滑に進めるためには、地方自治体にも行財政基盤を強化するための努力が求められる。」
② 高齢化への対応として、今後、各地域で高齢化が一層進展し、高齢者への福祉サービスがますます大きな課題となり、とりわけ高齢化の著しい市町村については、財政的な負担や高齢者を支えるマンパワーの確保が心配される。
③ 多様化する住民ニーズへの対応とし、住民の価値観の多様化、技術革新の進展などにともない、住民が求めるサービスも多様化し、高度化している。これに対応するため、専門的・高度な能力を有する職員の育成・確保が求められている。
④ 生活圏の広域化への対応とし、交通網の発達などにより日常の生活圏が拡大し、これにともない行政も広域的に対応する必要があり、都市近郊では市町村の区域を越えて市街地が連続しており、より広い観点から一体的なまちづくりを進めることが求められている。
⑤ 効率性の向上として、危機的な財政状況にあるなかで、より効率的な行政運営が求められている。とりわけ、隣接市町村での類似施設の建設には批判がある。
と現在の市町村合併の必要性が指摘されている。
また合併のメリットとしては
① 高齢者などへの福祉サービスが安定的に提供でき、その充実も図ることができる。
② 保健、土木などの専門的・高度な能力を有する職員を確保・育成することができ、行政サービスの向上が期待できる。
③ 窓口サービスや文化施設、スポーツ施設などの公共施設の広範な利用が可能になる。
④ 広域的な視点から、道路や市街地の整備、文化施設、スポーツ施設などの整備を効率よく実施することができ、一体的なまちづくりを進めることができる。
⑤ 重点的な投資が可能になり、目玉となる大型プロジェクトを実施できるようになる。
⑥ 行政経費が節約され、少ない経費でより高い水準の行政サービスが可能となる。
⑦ 地域のイメージアップにもつながり、若者の定着や職場の確保が期待できる。
となっている。
この中で、1955年段階で見ることができなかった問題としては高齢化の問題のみであり多くは、1955年段階で、その必要性が述べられた事と同様な点によって合併が推進されていることが伺える。
1955年当時、行政の合併の「新嬉野町」の大きな取り組みとして明記されるものとしては、
・合理的な行政の区割りが必要
・住民と役場の連絡する行政の仕組みが必要
・役場職員の練達した技術職員の配置が必要
・地域的感情の解消
等があげられている。
こうした点から見るならば、1955年時の合併と今回の合併との必要性については同じ問題で合併の必要性が求められていると言える。これは、ある意味では、1955年合併が初期のシャウプ勧告の理念と大きく乖離した為に、今回の合併問題が発生していると見ることができる。
では、1955年の市町村合併において、当時、職員にどのような影響が出たのであろうか。
嬉野町広報の記載から、人数について見てみると嬉野町広報第1号が出された11月段階では、60名在職した職員が、次年度では48名に減少している。この内訳について見てみると、10名の退職者、2名の休職者になる。この時期の公務員制度に定年制度が存在しない事からすれば、定年による退職ではなく、自己都合による退職である。もう少し詳細について見ると、課長級職員が1名退職、1名休職、係長級職員が4名退職、1名休職、一般職員5名が退職者となる。
係長職の5名の休退職はこの段階で9名存在した、係長、出張所長の内実に55%が休退職したこととなり、職員の内2人に1人の、係長級職員が休退職したこととなる。退職理由については、詳細な記述がないために、その理由についての検証はできないが、合併後人員削減等がなされたことが物語られる。(表1参照)
表1 合併後の職員の動静
合併当時職員構成
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合併後の休退職者数
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休退職比率
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退職者
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休職者
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課 長
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6
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1
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1
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33.33333333
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係 長
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9
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4
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1
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55.55555556
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主 事
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43
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5
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11.62790698
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表2 合併後の職員数の変動
年度
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職員数
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本庁職員
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宇気郷出張所
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中郷出張所
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豊田出張所
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中川出張所
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中原出張所
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1956年
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60
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39
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5
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4
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4
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4
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4
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1957年
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48
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36
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3
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4
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1958年
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53
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45
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3
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3
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1959年
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53
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47
|
2
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2
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1960年
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53
|
47
|
2
|
2
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1961年
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53
|
47
|
2
|
2
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1962年
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53
|
47
|
2
|
2
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1963年
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54
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48
|
2
|
2
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1964年
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61
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56
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2
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2
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こうした職員への対応状況としては、合併の4年後に出された財政再建計画の中で、歳出の抑制及び節減として明記されており、第1項で人件費の抑制及び節減が挙げられ具体的な策として
①人員整理、②超勤の縮減、③昇給の抑制などが挙げられている。合併当初の人員削減についても1956年、1957年に実施された事が明記されている。
1959年1月財政再建計画項目
行政規模の合理化に関する方針
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機構の改革、職員の配置転換、減員
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各種団体の統廃合
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組織の合理化に関する方針 |
組織の簡素化 |
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職員配置の合理化に関する方針 |
組織の簡素化 |
職員の整理 |
欠員の不補充 |
事務処理の合理化に関する方針 |
職員の減員 |
事務の合理化 |
職員研修 |
予算執行の合理化に関する方針 |
集中管理 |
収納事務の統合 |
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歳出の抑制及び節減に関する事項 |
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一 消費的経費の抑制及び
節減に関する方針 |
人件費の節減 |
消耗品の節減 |
寄付金、負担金の抑制 |
二 投資的経費の抑制及び
節減に関する方針 |
公共事業の見直し |
財源確保 |
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三 その他経費の抑制及び
節減に関する方針 |
法令に基づくもの以外の抑制 |
国保の運営の適正化 |
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歳入の増収確保に関する事項 |
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一 税の増収確保に関する事項 |
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二 税外収入の増収及び
確保に関する事項 |
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その他に関する事項 |
住民サービス的事業への重点支出 |
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財政再建に必要な具体的措置 |
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1 消費的経費の抑制及び
節減に関する方針 |
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一 人件費の抑制及び
節減に関する事項 |
1955年度,1956年度に人員整理の実施 |
欠員の不補充 |
1959年度に再度人員整理 |
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超過勤務手当は緊急以外は原則命令しない |
職員の昇給の抑制 |
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二 物件費の抑制及び
節減に関する事項 |
交際費、食料費の抑制 |
通信・光熱費・消耗品費の節約 |
旅費の節約 |
三 補助交付金の抑制及び
節減に関する事項 |
各種団体の経常的経費の補助交付金の原則廃止 |
事業費の見直し |
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四 寄付金、負担金の抑制及び
節減に関する事項 |
寄付金、負担金全廃 |
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2 投資的経費の抑制及び
節減に関する事項 |
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一 補助事業の抑制及び
節減に関する事項 |
事業の見直し |
災害復旧事業の優先 |
低率補助事業は実施しない |
財源確保 |
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二 単独事業の抑制及び
節減に関する事項 |
新規単独事業の抑制 |
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3 その他経費の抑制及び
節減に関する事項 |
国保事業の独立採算制 |
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こうした状況は、1959年以後に職員数に大きな変動がないことからすれば高度経済成長において、財政再建計画どおりに人員削減などが実施されなかったと考えられるが、現在の社会状況などから見れば、合併後に人件費の抑制は大きな課題として、上記3点に
ついて、検討課題として提出されると考えられる。
合併後に見られた、大きな混乱は、10年後の1965年広報では、大きな混乱は見られなくなったようであるが、この時期において既に、単独市町村で行政を実施することは困難であり、広域行政の必要性が町長の年頭あいさつに現れ始めている。
3. 平成合併における課題と取り組みについて
前章では1955年合併における、状況についての検討を行ってきた、この中で、今後の課題について整理を行うこととする。
福利厚生的な側面としては、合併前の職員の状況については検討を行っていないが、合併前後において様々な理由からの退職者が発生することが伺える、また10年間の中である数の休職者が存在する。こうした問題は、今回の合併においても、同様の傾向が現れるものと考えられるが、多数の退職者が出る状況におけるサポートをどのようにするかといった問題がある。1955年合併時に退職者が多数出た係長級職員については、本来行政の中心的な世代であると考えられる層であり、退職者の比率が高いことを見ると、現代的解釈をするならば、合併に伴うストレスの解消やカウンセリングなどの方策を検討する必要性があると考えられる。
また、合併推進の課題である高齢化の対応について、現在の職員中、高齢者世代を持つ職員数は40代の職員が41(女性18)名、50代職員が21(女性5)名で総数62名ある。その中で介護などの負担の比重がかかるであろう女性職員(仮定)は23名ある。こうした職員が退職する事なく、勤務する事が可能な体制づくりが必要になる。同様に核家族化した現状で、今回のような広域合併によっては、子育て段階の職員の保育、育児が大きな負担にならないように、勤務と育児が可能な勤務体制や保育の環境づくりが必要であり、「介護育児休業法」などの法律で規定される労働条件以外の諸施策の検討が必要となる。
施設的な側面としては、1955年合併において、旧村議会で新庁舎の建設地について合意を得ることができずに、1956年11月23日まで、新庁舎が存在せず、旧村役場に課が分散され各事務が実施されており、この時期の監査報告などを見ると、各旧村での税務などの一部職員への業務の偏りが見られるようであり、早い段階からの新体制への移行が必要になる。
人事制度などの側面としては、職員の職制について見てみるならば、合併のメリットの中で「専門的・高度な能力を有する職員を確保・育成することができ、行政サービスの向上が期待できる。」とするが、1955年合併にもそうした文言が見られるが、その後人事の都合上からか、そうした配置は法律で規定される以外は配置されないといった状況になっている。そうした点も当初段階で明確な規定や取り決めを実施しないと結局は同様な職員体制で実施されることとなり、当初の目的の達成がなされないと考えられる。
また、今回の合併問題でも財政再建が目的ではないとされるが、昭和の大合併段階でも当初はそうであったものが、4年後の、財政再建計画として人員整理や昇給抑制などが実施されている。こうした点において、今回の合併においても同様に財政再建の問題は発生すると考えられる。そうした中で、現在、職務上不安定な身分で雇用されている嘱託職員や幼稚園などの業務補助員扱いの教諭についての身分的な確保を求める必要性がある。他に、各市町村における各種団体の統廃合が実施される事となり、各種団体の職員の身分保障をどのように確保するか等は重要な問題点になるであろう。
4. 結 語
合併における大きな課題については、前章のような側面について今後の検討と議論が必要になる。合併を取りまく大きな状況は地域社会の大きな変化であり自治体が大きな過渡期にあると言える。しかし、この数年来、行政サービス、住民満足度などの言葉で行政が語られるようになり始めて久しい。その中で多くの自治体職員が日々その問題について切実な思いで対応しているのが現状である。こうした視点に立つときに「サービスの満足度は、従業員(職員)の満足度に比例する」とする考え方が欠落している。特に給与制度等は自治体間の格差があり様々な問題について、議論をする必要性が出てくる。今回の合併でわかるように、自治体の枠組みのあり方は50年程度しかもたない体制であり、2050年には、新たな市合併が求められると考えられる。
現在、地方自治法上、国、県、市町村が横並びの関係であるとすれば、それぞれの、人事、給与等の諸制度についても、同様である必要性があるのではなかろうか。
今後、各市がそれぞれ連携を行い人事交流等を実施できるような、新たな自治体像を模索する必要性がある。そうした点からすれば、今回の合併が、住民の為の地方分権の受け皿となるように国、県、市といった個別の組織ではなく、公益的な住民サービスを行う機関としてより自由な人事制度の確立を目指さなければ、昭和合併の理念となったシャウプ勧告で目指された住民により近い自治体が、最も重要な自治体であるという理念が失われることとなる。
今後、少なくとも新市同士や国、県等の機関と活発で対等な人事交流等を目指す方策であるならば、今回の市町村合併の大きな目的である住民の視線に立った、地方自治の確立が目指せるものと考えられる。
こうした問題は、個別の自治体や各組織が議論するのみではなく自治体の労働者の集合体である自治労などが主体的な立場となり議論すべき課題であり、自治体内の職員が変革を求める必要性がある。
嬉野町職員組合でも本年4月合併委員会を立ち上げた。それぞれの合併協議会で本年度中に法定協議会設立が目指されている中、残りわずかな期間となっているが、積極的に研究を重ね周辺自治体労組とも議論をし、積極的に地域住民と意見交換をすることにより、住民に開かれた地方自治の確立に前進するのではないだろうか。
職員の動静
合併時職員の動静
合併後の動静1
合併後の動静2
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