【自主レポート】
さぬき市の合併を検証する
香川県本部/さぬき市職員労働組合
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1. 合併のメリットは?
2002年4月1日、香川県大川郡8町の内西部5町(志度・津田・大川・寒川・長尾)の合併により、さぬき市が誕生した。
全国に先駆ける形で、5町対等合併により新設された「さぬき市」は、いろいろな意味において県内自治体はもちろんとして、全国からも注目の的である。
果たして、さぬき市現状は? |
国、県は、市町村の合併機運を盛り上げようとして、「平成の大合併」を謳い文句に、合併メリットを列挙し、あたかも「合併」が21世紀の街づくりの唯一の手法であるがごとく、この時期を逃せばもう後はないと各地方自治体への後押しに躍起である。
国・県の掲げる合併の必要性と合併メリットは、全国一律のものであり、現在多くの合併に係る協議会・研究会の設置が見られるが、同様のメリットを挙げている。
分権型社会への対応、行政サービスの広域化、高度・多様化する行政課題への対応可能な行政体制の整備、意思決定の迅速化、責任体制の明確化、行財政基盤の整備・効率化を図ることを合併の必要性として、広域的な視点に立った計画的・効率的な街づくり、組織の専門性を高めた住民サービスの維持・向上、行政組織内部の効率化や財政基盤の強化によるスケールメリット等を合併メリットとして挙げている。
これらの合併の必要性・メリットは、地域住民にとって本当の合併メリットになるのだろうか?
さて、さぬき市において、この合併メリットについて検証してみると?
合併前の法定協議会で公表した新市建設計画は、「広域的な視点に立った計画的・効率的な街づくり」という観点から、多彩な自然・歴史ともてなしの心「さぬきマインド」が育む健康で創造的な市民生活の創造『人いきいき 親自然・真健康・新創造都市 さぬき市』をキャッチフレーズとして新市建設の基本的方針・施策を策定している。
しかしながら、行政主導で策定した新市建設計画は、さぬき市の将来像を市民一人ひとりが真剣に考慮し、議論し、納得し、住民ニーズを適格に把握したものではない。
また、これまでの旧5町独自の計画的・効率的な街づくりを否定し、新たなさぬき市としての街づくりを実践することは、到底不可能であり、旧5町独自で振興してきた街づくりを継続的に実践し、そのうえで新たなさぬき市としての広域的な事業を考案し、且つ、旧5町の地域特性を加味し、公平な事業配分等に考慮していくことになると考えられる。
とすれば、この「計画的・効率的街づくり」とは、あくまで行政サイドの意向を反映したものであり、新市建設計画は、具体性に乏しいものであり、住民コンセンサスは非常に困難なものである。
ただし、さぬき市としては、新市建設計画を基本とした「計画的・効率的な街づくり」を具体化し、実践していかなければならない。ここで行政と市民の間で、街づくりの概念上大きな隔たりが生じてしまうこととなり、行政主導で進められている現実の街づくりでは、市民にとっての合併メリットであるべき行政効果は期待できない。
新市の広域的・効率的・計画的街づくりは、あくまで行政と住民が一体となり進めていくべきものであり、市民を主役とした街づくりが原則として根底にない限り、市民にとっての合併メリットはあり得ないという事になる。
さぬき市の場合、行政主導・住民不在の典型的な合併形態である。さぬき市民として、広域的・効率的・計画的街づくりを実感し、この合併メリットを享受するには、まだまだ時間が必要であり、市民参画を基本とした街づくりを実践することが重要である。
次に、「組織の専門性を高めた住民サービスの維持・向上」という観点から合併メリットを検証してみる。
この「組織の専門性を高めた住民サービスの維持・向上」という合併メリットを掲げること事態が非常にナンセンスと思えてしようがない。
「これまで、旧5町においては「組織の専門性を高めることも、また、それに伴う住民サービスの維持・向上も期待できません。そこで、5町合併して改善に努力します。」と言っているようなものであり、行政から住民に対して、合併メリットの1つであると胸を張り公言すべきものではない。住民の受け止め方も個人個人によって様々ではあるが、市制を施行したからといって、改善できると受け止めてくれるかどうか? 問題である。
とは言うものの、合併メリットの1つとして掲げているものであり、合併後のさぬき市において分析してみることにする。
さぬき市においては、これまでの旧町の行政機構から、部の設置により行政組織を再編した。これまでの町レベルの行政機構では、新市の行政運営に支障をきたすかどうかは不明であるが、とりあえず、総務部・企画部・市民部・産業経済部・建設部を設置し、スムーズな行政事務の運営がスタートしているはずである。ただし、これも行政サイドの一方的な考えであり、市民にとってメリットとなるかどうかは別問題であり、行政サイドの考え方と、市民の受け取り方では、異なる場合も有りうる事を忘れてはいけない。
このさぬき市の部課制による行政組織は果たして組織の専門性を高めることが可能かどうかであるが、これもまた、長い期間が必要であることは間違いのない事実であり、合併後数ヵ月で判断できるものではなく、数年間または、数年後の組織再編を経て順次整備され、実現されていくものと考えられる。
つまり、合併による組織再編後、組織の専門性を高めるということは容易でなく、期間も要することであり、一概に住民サービスの維持・向上には繋がらないということである。
さぬき市において、旧5町の役場の職員が、市制転換後すぐに専門的な知識が身につくはずはなく、行政組織・機構がまだまだ不十分な状態であり、住民サービスの維持に精一杯の努力をしていかざる得ないのが現実であり、「組織の専門性を高めた市民サービスの向上」とは、合併の如何に関わり無く、行政として本来努力していくべき課題であるということである。
次に、「行政組織内部の効率化や財政基盤の強化によるスケールメリットへの期待」ということの合併メリットについて考えてみる。
行政組織内部の効率化ということでまず考えられることは、職員数の削減である。これについては合併協議会の議論の中でも最重要課題として取り上げられており、合併後10年間で約100人の職員数削減を公表している。5町合併で誕生した新生さぬき市ということで、トータル的範疇での職員数の削減による組織のスリム化・効率化は、容易であるが、業務の実態に見合う適正な職員配置や、支所の形骸化の防止に伴う職員配置、分散型行政機能の維持のための職員配置等を考慮した場合、単なる効率化を目途にした職員数の削減は、住民サービスの低下に繋がってしまう危険性がある。
国・県行政と異なり、住民と直接関与することの多い市町村の行政事務においては、職員と住民との距離に大きな隔たりはない。また、職員自らが地元役所への勤務ということで、特に地域住民との関連は深いものがある。そういう点においては、職員一人ひとりが地域に根ざした行政運営を実践しており、安易な職員数の削減は住民サービスの低下に繋がってしまう危険がある。
また、財政基盤の強化として考えられる点は、合併特例法の優遇制度上のものだけで、各地方自治体が自らの財政分析により、財政再建を図っていこうとする姿勢は皆無に等しい。「財政難」を合併の理由に挙げるのであれば、まず行政としてやるべきことは、各自治体における財政分析であり、財政再建に向けたあらゆる手段・方策を考慮すべきであるが、そういう自治体が無いということは、いかに現在進められている「合併」という名を借りた街づくりが、財政難を当面回避するだけのもので、現状の問題(財政難・借金)を将来に先延ばししていくものに他ならない。
そのうえ、合併後10年間保証されている合併特例債、交付税措置についても、絶対的な保証はない。国の財政難の地方への転嫁であり、国の借金減らしを合併による市町村数の絶対数の削減によって補うだけのものである。
また、市民にとってスケールメリットを感じられる街づくりとは、具体的にどういうことなのか?これまでと同様な、住民要望とかけ離れた箱物建築・インフラ整備主体の公共事業優先施策では、新たな借金を増やすだけである。
合併メリットとして掲げられた「行政組織内部の効率化や財政基盤の強化」によるスケールメリットは、市民の声を十分に反映することにより、市民が期待できるものとして実現可能である。さぬき市にとって、今後の街づくりを推進していくうえで、市民参加を絶対的条件として具体的施策を決定していく必要があり、その上で、安易な行政組織の効率化・財政強化のための職員数の削減は、市民サービスの向上には繋がらないということを認識すべきである。
2. さぬき市長選挙にまつわるエピソードから
2002年4月1日、合併により誕生したさぬき市の初めての市長選挙が、5月12日実施された。
果たしてその選挙の実態は? |
5町の対等合併ということでスタートしたさぬき市では、旧5町の地域間の交流・調和が第1の課題とされた。4月に開催された第1回のさぬき市議会では、合併特例により旧5町の全議員がさぬき市議会議員となり、総勢66名という大所帯での開催となった。
初議会においては、当初心配されていたとおり、旧5町の地域エゴとはいかないまでも、各町出身議員の駆け引きにより、まず、議長・副議長人事で混乱を招くことになったのである。
その後の審議案件について(暫定予算の承認等)も、かなり多くの質疑がだされ、これまでの通常定例議会とは明らかに異なる雰囲気での開催となった。一人の議員が発言するのを待って、続いて堰を切ったごとく質問が出され、しかも、もうすでに合併し、さぬき市が誕生しているにもかかわらず、まるで合併協議会での議論・質問等の内容のものまで出てしまうというお粗末な結果となった。
そういった状況下、さぬき市長選挙は幕を開けたのだが……。
旧5町の町長は、5人とも保守系無所属。当初から合併を勧めた5人の中で、一体誰が初代さぬき市長となるかということで、様々な憶測・情報が飛び交い、地元市民よりもマスコミ関係の関心は以上に高いものであった。
将来像を「合併」という形に託した町の代表として、当然、5人の首長全員が立候補し、初代市長の座を争うもの、又は、5人の協議により1人の首長に将来を託すという形で収まるかと、良識ある一部の住民は考えていた。しかし、現実は非常に厳しいものとなり、5人のうち3人(元志度町長・元大川町長・元寒川町長)が立候補し、新人1人が選挙戦に加わり、ある意味、予測のつきようのない選挙戦を呈する事となった。
有権者数から単純に当落を判断すれば、旧志度町が圧倒的に有利であることは間違いなく、逆に、他の地域の住民はそれにある種の脅威、若しくは、危機感を抱いたのである。
その危機感とは、さぬき市となって中心市街地は本庁舎のある旧志度町であり、そこから市長が誕生することになれば、他の4町は、合併メリットなんてぜんぜん感じられなくなってしまうという意識であった。ただでさえ5町の対等合併ということで、旧町意識・地域エゴの払拭が合併後の一番の課題と考えていたにもかかわらず、市長選挙自体が、完全な地域選挙(地域エゴのぶつかりあい)の象徴になってしまった。
それに拍車をかけてしまったのが、選挙公報を発行しないということの決定である。これについては、合併協議会での決定事項の1つで、合併した5町のうち町長選・町議選において選挙公報を発行していたのが、旧志度町だけであったということで、住民は全く知らないうちに選挙公報の発行はしないという決定をしていたのである。
本来選挙の争点となるべき各候補者の公約に掲げる基本的政治姿勢などお構いなく、さぬき市の将来像などぜんぜん話題にも上らず、とにかく、「おらが町の代表者」が一番であり、人物・政治理念・政策は二の次となったのである。
また、今回の市長選挙において信じ難い行為が、マスコミ等を賑わすこととなった。立候補しなかった旧津田町長が、立候補者の1人である旧大川町長へ全面的な協力を表明、しかも、当選後には助役のポストを約束しているとのうわさが、まことしやかに流れてしまったのである。この結果、一番怒りを覚えたのが旧津田町民であり、津田町長は、合併を推進したのは自分の保身のためというレッテルを貼られることに繋がってしまった。
そのうえ、旧長尾町長も(こともあろうに市長決定までの暫定的な職務執行者であるにもかかわらず)、旧大川町長の応援演説をやり、その演説中「今回の選挙は、山手4町(大川・長尾・寒川・津田)と旧志度町の戦いである。」と断言してしまったのである。これにはさすがに驚きを感じた人は少なくなかった。さぬき市誕生後、暫定的ではあるが市の行政執行をつかさどっていた職務執行者が、さぬき市の一部分の市民に対する支援を表明したことと同じであり、旧志度町民の驚き・怒りは頂点に達してしまった。更には、4月1日以降さぬき市の職員として、超多忙な業務をこなしてきた旧志度町の職員は、まさに、青天の霹靂といった感じでこの事実を受け止めたのである。
マスコミ等がこの異常な事態を取り上げ、合併後のさぬき市の由々しき問題として報道したことは、言うまでもない。
さて、さぬき市民の1人として冷静になって考えてみると、合併により誕生したさぬき市は、今後、どんな街となるのだろうか?と考えてしまう。せっかく5町の合併による新たな街づくりを我々自身が選択したのだから(現実は行政主導・住民不在で有無を言わさず選択させられたか)、さぬき市民は一体となり、合併メリットを十分に感じ、「この町に住んでよかった。さぬき市の市民でよかった。」と思えるようになることがまず大切なことであるはずだ。ところが、今回の市長選から言えること、また市議会を見ても根底にあるのは、地域エゴ・地域意識だけなのではないだろうか?
現在、さぬき市が誕生して約2ヵ月が経過しようとしている。我々さぬき市民に残ったものと言えば、旧5町間の醜い地域意識だけである。
3. 「市町村合併」と労働組合の関わり方
現在、全国的な論議を巻き起こしている「合併」問題について、労働組合としてはどういうスタンスで臨むべきか?
行政主導で進められたさぬき市の合併に対し、自治労に結集する単組の取り組みは? |
労働組合の基本的な役割の1つに、組合員の賃金・労働条件の維持、改善がある。
「市町村合併」という行為は、当該自治体職場で働く者にとって、労働条件の変更に繋がることは言うまでもない。しかも、財政事情の悪化が合併推進の要因の1つに掲げられていることを考慮すれば、当該自治体労働者にとっては、労働条件の改悪の恐れは多分にある。また、国・県の発行している合併関連のパンフレットでは、職員数の削減が、合併メリットの1つに挙げられており、明らかに労働者の切捨てに繋がるものである。
反面、職場の組合員にとってのメリットと予測できるものは、どう考えても見当たらない。
とすれば、当該労働組合とすれば、少なくとも「合併」賛成=当局と手と手を取り合い合併に向けて共に歩みましょうということにはならないはずである。
次に、制度政策的な見地に立ち「合併」問題を捉えてみた場合、自治体労働者としてどう臨むべきか。
21世紀の新たな街づくりを模索していく中で、「市町村合併」は街づくり・活性化の1つの手法にすぎない。
日本経済が不況に低迷する中、国の財政、各地方自治体の財政が悪化しており、国・地方併せて総額666兆円の負債を抱えていると言われている現状で、これまでの住民サービスを維持しながら、新たな住民ニーズに対応していく必要性、更には、地方分権による国・県からの権限委譲に伴う業務量の増加にも対処していく必要に迫られている。
こうした情勢下において、あたかも『合併しか生き残る道はない』と、市町村合併を各自治体の責任として推進しているのが、国である。そのうえ、アメとムチのごとく、交付税の削減・合併特例の優遇措置を使い分け、各自治体の首長を合併に向け煽っている。
現在進行している全国的な合併の流れの本質は、ここにある。莫大な負債を抱えた国の苦肉の財政政策の1つであり、地方交付税の削減という「行革」路線の延長線上のものでしかない。そのうえ、合併特例法による財政優遇制度により政策的な誘導を図り、「住民の自主性」は、皆無に等しい。
自治労に結集する労働組合として、現状進行している『合併』には、断固反対の意思表示しかない。
まさに、住民不在、住民意思を無視した合併により誕生したさぬき市において、自治労加盟単組の労働組合として、果たしてどういうスタンスで具体的活動・運動を展開したのだろう。
1998年12月、東かがわ青年会議所が中心となり大川郡8町合併協議会設置請求(有権者の約20%の署名を集約)が、各町議会へ提出された。それを受けて、1999年3月各町議会は、合併協議会設置協議の議会付議を決定、5月、志度町議会、長尾町議会において、合併協議会設置協議案は否決となり、一連の合併論議は終結かと思われた。
このとき、各自治体職場で働く職員、地域住民の殆どが、『合併』は自分たちの生活、地域には全然関係ないものと確信に近い感覚で認識してしまった。
数ヵ月後、大川郡内の西部5町議会で合併推進決議を可決、翌10月、第1回香川東合併研究会が開催された。この情報を聞いた住民は、「一体議会は何をやっているのだろう。今更合併研究会を開催し、何を議論するのか?」という感覚しかなく、まして、2000年4月に法定合併協議会が設立されるなど夢にも思わなかったのである。
こういう背景の中で、我々自治労に結集する労働組合も『合併』に対する取り組みの遅れ・認識の甘さがあり、それが現在のさぬき市の現状に直結してしまったのである。およそ合併など我々にとって無縁のことと考えていたため、法定合併協議会が設置された時点においても、また、その議論が進行していった時も、危機感を感じるなど到底無理なことであった。
現実の合併協議会は、住民意志の反映など言葉の上だけであり、合併の是非を問う機関としての位置づけもあってないようなものであり、『合併』は既成の事実であるがごとく進行していってしまったのである。
2000年5月、遅ればせながら労働組合としての状況分析により、我々組合員にとって決して好ましいものではないという認識に立ち、組合運動を展開することとなった。
先ず、大川支部において合併問題の学習会を開催、各単組執行部への情報提供と、合併問題に対する基本的な認識の共有を図ることからスタートした。
6月には合併協議会に対し、要求書を提出、交渉を実施したが、合併問題に関する労使交渉の必要性を考えていない当局側の口実として、「合併協議会自体が交渉窓口になり得ない」と、結果的に何の回答も出ないまま逃げられてしまう結果に終わってしまった。
7月、篠山市の視察を実施後、西5町の内自治労加盟単組3単組で大川西合併対策会議を開催。翌8月、県本部としての合併に対する基本的指針を策定。ここではじめて、現状の合併論議に対して『反対』という意思表示をすることで、各単組においても県本部方針に沿って反対闘争を統一的に取り組むことになった。
合併問題について住民との対話を考え、「志度町地域を考える集い」を2ヵ月連続で開催し、合併のメリット・デメリットについて検討し、街づくりの方向性を住民とともに語ることを、労働組合として積極的に主催し、参加していった。
しかしながら、合併問題に対する労働組合としての取り組みの遅れは如何ともし難く、このまま合併反対闘争だけを継続すれば、合併が現実のものとして動き出してしまっているため、組合員の賃金・労働条件に係る条件闘争ができなくなってしまうという時期まできてしまった。言い換えれば、条件闘争も合併までの期間を考慮すれば、遅すぎるという時期に至ってしまったのである。
11月合併対策委員会から、小委員会を立ち上げ、賃金・労働条件、行政機構・人員問題、組合組織・拡大の3部会による条件闘争へ転換を図ることとなった。(ただし、対地域住民への合併情報の提供等合併反対のスタンスは堅持。)
月1回の小委員会の開催により、最終的に要求書を作成、当局交渉の実施を目指し、検討・議論を重ねていったが、結果的には、条件闘争として好条件を引き出せず、当局主導で賃金・労働条件等が確定されてしまった。
賃金面においては、各町運用上の格差がついたままでの新市への移行となり、諸手当においては国公準拠ということで、通勤手当、持ち家住居手当等の切り下げを余儀なくされてしまった。
労働組合として、組合員の生活を守るという点において、また、住民との一体となった制度政策闘争という点においても不十分な結果となり、今更ながら後悔の念を抱いている。特に、『合併』に対する認識不足から反対闘争を十分にできなかったこと、その影響で条件闘争が不十分となったこと、また、住民との連携不足により、住民の立場に立った街づくりの観点から、さぬき市が、住民不在・行政主導の典型的な合併代表例として全国的に有名になってしまったことである。
ただし、産別自治労に結集する組合員の1人として、我々の取り組みの反省点を全国の仲間に発信することで、今後の合併論議において少しでも役立てればと考えている。
無関心のまま決して『合併』を受け入れるのではなく、また、交付税の削減という国の誘導的な政策を安易に受け入れることなく、21世紀の街づくりを真剣に考えていくことを切に望んでいる。
4. さぬき市職員労働組合の結成(組織再編と組織拡大)
2002年4月1日、5町の対等合併により発足したさぬき市において、我々自治労に結集する仲間は、同日、さぬき市職員労働組合結成大会を開催した。
さぬき市職労としての新たなる旅立ちである。
しかしながら、市職労結成は、決して容易と呼べるものではなかった。これまでの苦難の道程と、自治労連との競合問題も含め組織拡大における課題について整理すると…。 |
さぬき市は、香川県大川郡8町のうち、西部5町(志度町・津田町・大川町・寒川町・長尾町)で構成されている。
合併前、労働組合組織として志度町職・津田町職・大川町職は自治労加盟単組、長尾町職は自治労連加盟単組、寒川町は未組織未加盟単組という現状であり、さぬき市職労の結成・組織再編は、我々にとって重要な課題であったことは言うまでもない。
まず、自治労加盟の3単組において、自治労さぬき市職労の結成に向けた取り組みをスタートさせた。
合同執行委員会の開催による執行委員クラスの意思統一、3単組執行部のメンバーを中心とした暫定執行部の組閣、市職労規約の整備、各単組解散大会の準備、結成大会に向けた準備等多くの事務・調整を進めた。
この時期は、合併前における5町間の事務・事業の最終調整段階であり、その上に労働組合としても、合併に向けた最終段階ということもあり、各単組独自、3単組合同での会議等超繁忙時期となった。特に、暫定執行部のメンバーは、合併小委員会から継続した中心的メンバーであり、当然単組においても中心的存在・役割を担っており、全ての組合関連事務が集中した。
さぬき市職員労働組合の規約(案)については、合併対策小委員会のもと、ある程度の枠組みが完成しており、組合内部機構の具体化、組合費の徴収率が最終段階まで検討項目として残った。これらについても、各単組の解散大会までには結論を出し、全組合員でのさぬき市職労への移行を議案提出し承認されるよう、準備を整えていった。
最終的には、3月25日津田町職解散大会、翌26日大川町職解散大会、翌27日志度町職解散大会が無事開催され、3町職ともに全組合員でのさぬき市職労への移行が承認された。
(さぬき市職労の組合費は、20/1,000とした。)
そして、4月1日18時30分より、200名の組合員の参加を得て、盛大に結成大会が開催された。当日は、県本部を初め、中央本部、その他共闘組織から多くの来賓もご参加戴き、全国の町村評また、県本部からのメッセージ(祝電)も届き、産別自治労の団結を肌で感じることができ、喜びもひとしおであった。
さぬき市職労の結成に向け旧自治労加盟単組の組織再編とともに、未組織未加盟単組の職員又は、自治労連加盟単組の職員へのアプローチによる、さぬき市職労への加盟にむけた組織拡大は、もう1つの重要課題であった。
長尾町、寒川町は大川郡内の近隣町ということで、それなりに仕事上での付き合いもあり、組合への加入は困難であるとは思えなかったが、今思えば、我々の甘さであり認識不足であったと痛感している。
未組織未加盟であった寒川町の職員へは、大川町職の組合員を中心にして、自治労加盟を働きかけた。役場内の雰囲気、職員気質等それなりの独自の歴史的背景もあり、労働運動・自治労運動の話はできても加盟となると難色を示すといった状況が強く、即、さぬき市職労結成と同時に、組合加盟へという話ができたのは数名しかいなかった。
そのうえ、自治労連の方からも同じように勧誘されており、これまで労働運動が皆無であった職員にとっては、どちらを選択することもできず、逆に混乱するばかりとなったのが現実である。また、自治労連サイドの絶対的有利と思われる切り口として、自治労中央本部の不祥事問題があった。我々がいくら身近なところで実践している運動の話をして、「とにかく新市になって同じ職場で働く職員になるのだから一緒に頑張ろう」と働きかけても、労連側の配布するチラシ「自治労とは?」の効果は抜群であった。我々自治労傘下の組合にとって、且つ、合併を目前に控え組織拡大を目的にした取り組みをする時期に、「なんとタイムリーなことか!」と、今思い出しても腹立たしさは収まりがつかない。ここで、中央本部の不祥事の件を持ち出しても、もう過ぎてしまったことと片付けられてしまうかもしれないが、我々にとっては、莫大なダメージであったということである。
そういうことから、もちろん長尾町の職員に対しては、組織拡大どころか、まず、自治労不祥事の問題の説明から始める必要が生じた。長尾町職の自治労連加盟の際、数人の仲間が自治労を支援し、脱退届けを提出しており、この仲間に対し、まず、加盟の話と不祥事の件についての話を始めなければならなかった。この不信感は、すぐには払拭できなかった。4月1日結成大会当日旧長尾町の職員は、1人もさぬき市職労への加盟はなかったのである。
市職労結成以降約2ヵ月を経過し、我々の活動を実際に見て・感じてもらうことで、寒川町の職員の約半数、長尾町の職員も徐々に加盟となりつつある。
今後更なる組織拡大を目指し、最終的には、全職員加盟の自治労さぬき市職労を達成するため、我々の活動は続いていく。
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