自治研究レポート(個人)

IT時代の自治体労働組合の役割

東京都本部/自治労多摩市職員組合 鴨志田 修

1. はじめに

 現在のわれわれが生きる社会には、情報があふれかえっている。「毎週発行される一冊の『ニューヨークタイムス』には、17世紀のイギリスを生きた平均的人間が一生の間に出会うよりもたくさんの情報が詰まっている。」(ワーマン、1990)と言われる。雑誌や新聞などのマスメディアだけでも多くの情報が提供されているが、いわゆる「ITシステム」の中ではもっと多くの情報が駆け巡っている。まさに、「情報化社会」と言われるゆえんだ。A・トフラーは『第三の波』(1980)で、「第一の波」を農業文明、「第二の波」を工業文明、そして「第三の波」を情報文明と位置づけている。まさに、現代は大きな変革期を迎えているといえよう。
 このような時代背景の中で、政府は「e-Japan戦略」と名付けたIT施策を推進しており、また各自治体においてもこの「e-Japan戦略」に基づいた施策を展開している。しかし、政府・各自治体が進めているIT施策は、本当に住民や自治体で働いているわれわれ職員にバラ色の将来をもたらしてくれるのか? 何か、問題は無いのだろうか? そして、われわれ自治体に働く職員やわれわれが組織する労働組合の果たすべき役割は何なのか? このことについて、若干の考察を加えてみたい。

2. e-Japan戦略は、バラ色の将来を約束するか

 政府が進めているe-Japan戦略、そしてこの構想に基づいた各自治体のIT施策は、本当にそこで暮らす住民やわれわれ自治体に勤務する職員にバラ色の将来を約束しているのだろうか?
 ITの中心的な役割を担っている、インターネットはもともとが軍事的な目的を持って構築されたものだと言うことは、周知の事実だ。つまり、一極集中型の情報システムは、その中心となる施設が物理的な攻撃(当然ながら想定されていたのは核攻撃であるが)を受けた場合には一挙に壊滅する。そこで考え出されたのが、インターネットのようないくつかのネットワークを繋ぎあって巨大なネットワークを構築することなのである。この方式ならば、複数の拠点があるためにいくつかの拠点が攻撃されたとしてもネットワーク自体は生き残ることができるからだ。しかし、物理的な攻撃に対しては強靭なシステムが成立したものの、ソフト的な攻撃(いわゆるサイバーテロなど)には、脆弱なシステムが出来てしまうのだが、軍事的な観点からはそのメリットは非常に高いものと言える。
 ここで、私が指摘したいのは「ITシステム」は利便性が高いものの非常に脆弱なシステムであり、そのセキュリティについては完璧なものは絶対ありえないと言うことだ。これは、強固なセキュリティシステムを備えていると言われるアメリカ国防省のメインコンピューターに年間かなりの数の不正侵入が行われていることからも明白だろう。つまり、ITそのものが両刃の刃的な性格を有していることを現している。このことを正確に理解していなければ、ITは住民個人に対してかえって危険なものになる可能性さえ秘めている。現在は、ITの持つ光の部分ばかりに目がいっているが、その影の部分に対してもっと注視をしなければならないのではないか。
 8月5日から施行される「住基ネット」が最近騒がれている。本来セットであるはずの「個人情報保護法案」が継続審議になったのだから「住基ネット」の稼動は延期すべきだとの論調で語られていることが多い。これに対して、国は「個人情報が漏れることなどありえない。」「心配のしすぎだ。」などと強弁をしているが、ITの持つ脆弱性を本当に理解しているのだろうか。真に理解しているならば、このようなことはとても言えるはずがない。国がここまで強弁して、「住基ネット」の稼動を強行しようとしている背景には「国民総背番号制」がその背後にあるからだ。このままでは、個人情報が守られないだけでなく、その利用範囲も際限なく拡大されていくのは目に見えている。バラ色の将来どころかこれは最悪の事態となる。しかし、この事態を招いたのは、われわれ自治体に働く者とわれわれが組織している組合にもその責任の一端があるのではないだろうか。「住民基本台帳法」の改正案が国会で審議されていたとき、自治体に働くわれわれがもっと声を上げ、問題を提起し、議論を深めなければならなかったのである。法が改正されてしまった以上、われわれが今できることは「住基ネット」が適正に運用され個人情報が漏れることが無いよう注意深く監視することしかない。
 また、各自治体が進めているIT施策についても問題はないのだろうか? もし、ただ単に国の施策に乗って行政の利便性・効率性の観点だけに着目してIT施策を進めているとすれば、それは大いに問題ありと言わざるを得ないだろう。この場合には、住民よりも行政に比重が多くかけられている。そのまま、ITシステムを構築していった場合には、従来の箱もの行政と何ら変わることがない。このようなことを行っている自治体では、住民本位の施策展開に転換させていくことが必要となる。
 なにか、IT時代のこれからに対して暗いことばかり述べてきたが、もちろん悪い面ばかりではない。ITそのものは、使い方さえ間違えなければ非常に便利なツールであることは否定できない。「住基ネット」のように利便性だけを求めて個人情報を取り扱うようなシステムを構築することは危険だが、個人のプライバシーにかかわるもの以外の情報を流通させるには最適な道具となる。なぜならば、ITは時間や場所、距離に関係なく必要な情報がいつでも取り出せるからだ。この特性をうまく利用すれば、情報公開制度は非常に進展するだろう。このことは、とりもなおさず分権化を進めていくことにもなる。また、ITを通して情報を公開することにより行政の透明化が進めば、行政と住民の相互理解にも役立つことになる。ITは、地方分権化の切り札ともなりうる側面を有していることも忘れてはならないだろう。

3. 深刻化する情報格差

 ITが進展していく中での問題の1つに「情報格差」の問題がある。これまで、行政は情報の価値についてあまり重要視をしてこなかったように見受けられる。いや、むしろ情報の持つ重要性に気がついていたか、或いは本能的に察知していたためにあえて情報の価値に目を向けてこなかったのかもしれない。権力の集中するところに情報も集中する。人の知りえない情報をもつことによって、権力基盤を維持しているようにも見受けられることが多い。昨今の政治家の行状を見てもこのことに対して頷くことが出来るだろう。我々行政内部に関しても似たり寄ったりの状況が見受けられる。上層部にいけばいくほど、入手する情報量は増えていく。一般の職員が知りえないような情報を如何に入手するかだけに心を砕いている管理職が見受けられるのではないだろうか。これらの様々な情報(仕事上の情報だけでなく、個人的な情報に関しても)を持つ事によって、職員の管理をしている管理職がいることは事実だろう。行政内部の情報化がなかなか進展しないのは、案外こんなところに原因があるのかもしれない。つまり、情報が広く流通してしまえば、管理職たちの持つ権力基盤がその分だけ弱くなるからだ。このことを本能的に察知しているから、行政内部の情報化のみならず、外部に対する情報公開に対しても消極的になるのではないか。
 情報の流通にITがこれだけ深くかかわってくると、個人個人の持つ情報量にも次第に差が生じてくる。ITを使うには、パソコンなどの機器に対する投資だけでなく、通信費やプロバイダーへの接続料金もかかる。アメリカでの普及過程研究では、社会的・経済的地位が高い人(家庭)ほど情報通信機器を早く導入している事が判っている。この原因は、①メディア導入のコストが高いこと、②学歴が高い人ほど情報に対する感覚が鋭く、③かつ利用能力が高いことにあるといわれている。また、恵まれない教育環境の子どもたちのために製作された「セサミストリート」は、世帯主の学歴が高い家庭でより多く視聴されていて、恵まれない家庭の子どもたちより大きな教育効果を挙げていたという調査(Cook et al,1975)もある。これらのことは、学歴が高い人ほど情報に対する感受性や情報の利用能力が高いと言うことを示している。
 日本においては、バブルの崩壊後の今日、賃金格差が次第に広がってきている。このことから、ITに投資する金額も格差が生じ、結果的に個人の持つ情報量に格差が生じていくことは明白だろう。
 教育と言う観点から見ても、経済的な格差から教育を受けることのできる質量とも格差が広がっているという見方がある。ITに関してもIT教育を受けることのできる質量ともに格差が広がっている。また、経済的な要因だけでなく年齢的な要因によっても情報格差が広がってくる。
 D.ベル(1995)は、脱工業社会では、ますます多くの人が社会で必要な知識を吸収できないと言う理由で、労働の現場から排除されることになり、社会から排除される恐れのある住民層が急激に増加することを危惧している。
 日本経済が低迷し、リストラの嵐が吹き荒れている現状では、将来にわたってさらに賃金格差が広がっていくことが予想される。富める者は、そうでない者よりさらに多くの情報を手に入れることができ、それによってさらに賃金格差が生じると言う事態が想定される。IT先進国と言われるアメリカでは、「情報格差」が深刻な問題となりつつあり、日本でも近いうちに問題となるものと思われる。
 変革期には、様々な差別の種子が蒔かれてしまうことは、歴史を振り返ってみても明らかだろう。「第三の波」と言われるこの大きな変革期に「情報差別」とも言える新たな差別問題が生じてくる可能性さえある。
 今後、「情報格差」をいかにして抑制し格差をできるだけ少なくするかを考え、現実的な対応をとっていくことは、われわれ自治体に勤務する職員に与えられる新たな課題と思われる。

4. IT時代の自治体労働組合の役割

 大きな変革期を迎え、労働の質自体も今までとは違ったものとなりつつある。つまり、ITを駆使し様々な情報収集しそれを分析することによる知的生産性を高める労働形態に変化しつつあるのだ。
 このような時代の中で、われわれが所属する自治体の労働組合はどのような役割を果たすべきだろうか。以下、3点について挙げてみた。

(1) 自治体のIT施策に対する分析、検証、提言
   自治体が展開するIT施策が、行政側の利便性や効率性だけを追求していないか、住民本位の施策になっているか、住民誰もが公平、平等に情報を得る機会が与えられているかなどを分析、検証し、このような傾向が見られるときには改善策を提言していく必要がある。そのためには、われわれ職員(組合員)のITに対する理解度や能力を向上させる機会を提供することも組合として必要となってくるのではないか。

(2) 自治体のITシステムのセキュリティに対する監視、職員(組合員)モラルの向上
   IT時代では、自治体の持つ様々な情報の価値がますます高くなっている。民間企業から見れば、宝の山であり垂涎の的なのだ。自治体の持つ情報を引き出すために様々な手段(適法、違法を問わず、また政治的な動きも出てくるだろう)を取ることが考えられる。このような中で、組合としてもセキュリティ対策が万全に取られているか監視をしていく必要がある。また、残念ながら個人情報が漏れるのは職員の手によって行われてしまうことも事実である。このようなことが無いよう、ITや個人情報に対する職員モラルの向上を図るよう当局に提言するのも組合の責務となるだろう。このことが結果的には職員(組合員)を守ることにもつながるのだ。

(3) 住民との協働
   ITの問題に限らず、住民との協働は組合にとってこれまで以上に重要となるのは間違いない。IT問題に関しても、情報格差を是正するために障害者団体やNPOとの協働、また、これらの組織された人たちだけでなく住民一般とも広く協働していくことが必要となる。
   残念なことに、住民の中には利便性や効率性だけに目を向けている人たちも多くいることもまた事実である。これらの住民に理解を求め説得していくことも必要なのだ。これには、ホームページ上で組合の考え方や主張を載せ、広くPRしていく必要がある。IT時代においては、組合も積極的にITを活用していく必要がある。その中で住民との協働も広がるチャンスが得られるのではないか。

5. 終わりに

 「情報革命」ともいうべき変革は今も進行している。情報の処理と伝達にかかわる技術は急速に進歩しているのだ。これら、情報処理と伝達に関する技術(IT)の最先端の成果を利用できる人々にとっては、生活の便利さは飛躍的に向上している。反面では、いろいろな事情からITを利用するチャンスに恵まれない人々にとっては情報へのアクセスと言う点でいっそう不利な状態に置かれてしまう。現代は、情報をどれだけ所有できるかと言う点で、深刻な「貧富の差」が生じてしまう危険性が大きい時代となっている。
 「情報革命」ともいうべき新たな本質的変化の時代をわれわれは経験しつつある。産業革命の進行とともに通常の財貨(お金)を所有するかどうかと言う点で、生きていくことにも事欠くような「貧者」が大量に発生したことに合い照らして、「情報革命」の進展はいわゆる「情報貧者」とも言うべき新たな生存のための条件に関して、きわめて不利な状態の下に置かれた人々を大量に生み出してしまうことを危惧している。