【代表レポート】
非核平和都市条例の制定と今後の平和運動
北海道本部/苫小牧市役所職員労働組合・自治研推進委員会
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はじめに
戦後、「三ツ矢研究」にあるように、幾度か有事法制が話題となったことがあったが、「戦後政治の総決算」を標榜していた中曽根政権時にも、50年以上続いた冷戦下でも国会に上程されたことは一度もなかった。
今、小泉政権は、有事法制を成立させようと必死になっているが、私たち自治体労働者のみならず、労働組合の反戦平和に対する運動を強化し、地域の住民と連帯しながら、総力を挙げてこれを廃案に追い込まなければならない。それにとどまらず、国民運動をとおして、二度と提案できなくなるように世論形成を構築する必要がある。
上程されている有事法制は、来年にも想定されている、アメリカのイラン攻撃に、日本が後方支援から、一歩前にでるためのものであり、参戦するための「国家総動員体制」を構築しようとするものであり、事実上の憲法改悪にほかならない。この法案が成立するならば、憲法の根幹である「平和主義」「基本的人権」「国民主権」の3原則が投げ捨てられるものと言わなければならない。「平和主義」は放棄され、「基本的人権」の侵害は明白であり、「非常大権」を首相に与えることによって「国民主権」すらも脅かされるのだからである。
こうした危険な状況下にあって、今年3月に苫小牧市が「非核平和都市条例」を策定したことは、極めて大きな意義を持つと考える。「英国のマンチェスター市から始まった非核自治体宣言運動が日本に『着陸』してから、ちょうど20周年に当たる」(西田勝「週刊金曜日」)この3月に、条例が制定されたことは、今後の平和運動を考える上で避けて通れない課題を同時に突きつけられていると考えている。
このレポートをとおして、非核平和都市条例の制定過程を振り返るとともに、今後の私たちに課せられた問題を整理してみる。
1. 非核平和都市条例制定の過程
(1) 「核兵器廃絶平和都市に関する決議」
苫小牧市においては、既に83年に「核兵器廃絶平和都市に関する決議」が市議会で議決されている(資料1)。これは、非核自治体宣言運動の「着陸」にそって、地区労が中心となって請願し、議決されたものだった。
83年に「平和都市」が決議されながらも市としての宣言には至らなかった。すなわち、保守・中道が推した板谷氏が、同年の市長選挙で初当選したが、これを市全体の宣言とはしなかったのである。
87年の選挙では、元苫小牧市職労委員長で、元社会党市議の鳥越現市長が板谷氏を破って市長の座についたが、鳥越市長も「非核都市宣言」をすることはなかった。非核平和都市条例が日程に上ってくるのは、市民運動の結果によるものだった。
(2) 条例制定陳情が「趣旨採択」
旭川市、釧路市、帯広市など主要な都市に革新市長を誕生させ、横路革新知事を83年に登場させた北海道は、もともと「革新勢力が強い」と評されていた。その横路時代に「泊原発」問題が浮上していた。
チェルノブイリ事故以降初めて建設される原発として注目を浴びた泊原発1号炉は、北海道内ばかりでなく、全国の反原発運動から熱い視線を送られることとなった。横路革新知事を戴き、もともと革新勢力の強い北海道は、住民投票によって原発を止め得る最短距離にあったからだ。全道労協が道民投票条例の制定を求め、100万人署名活動を実施、ほぼ目標値に達し、知事が条例案を上程するが僅差で否決され、結果的には建設を許してしまった。この反原発闘争の過程で、その後の苫小牧の市民運動の中心を担う女性を中心としたグループが登場したのである。実際、その後苫小牧にITER(国際熱核融合実験炉)誘致の問題が生じたが、この反対運動の中心的役割を担ったのも、この時期反原発に立ち上がった女性達だった。
反原発に立ち上がったグループが、次に目標としたものの1つが、この「非核平和都市条例」の制定だった。全国的な非核平和都市条例制定要求運動の盛り上がりのなかで、苫小牧市においても条例制定運動が活発化していった。特に反原発、平和運動を担う女性グループ「大地の会」が中心だった。95年に市議会に陳情を提出する。(資料2)
陳情には、当初「無防備都市」の宣言を求める条項があった。非核自治体宣言運動の根底には、ジュネーブ条約の「無防備地域への攻撃を禁止する」規定を根拠に「非武装地域」を宣言して、自都市の平和を守ろうという主張があるからだった。
しかし、「無防備都市の宣言」という条項が入った陳情は、自民党・旧民社党系の多い市議会で採択される可能性はなかった。自民党・旧民社党系市議は、防衛問題は国の専権事項であるとして、非核平和都市条例の制定自体に反対の立場だった。旧社会党市議団は、この陳情を何とか採択するためには、「無防備都市宣言」の項目の削除はやむを得ないものと考えた。
陳情者が「無防備都市宣言」の削除に応じると、採択を追及する旧社会党・共産党と、98年に「核兵器廃絶平和都市に関する決議」を全会一致で決議している以上、不採択の理由付けが乏しくなった自民党・旧民社党系との間に妥協が成立した。しかし、「趣旨採択」という結果に終わった。「趣旨採択」というのは、「趣旨はよいが今は実現できないので、不採択にはせずに、趣旨だけを採択する」というものである。実態は、「不採択」という結論を避けるために「趣旨採択」としただけであり、議会としての真摯な論議より、会派のメンツを前面に押し出したものとなった。
(3) ボールは市長へ
既に議会の「核兵器廃絶平和都市」が決議されている。さらに、「趣旨採択」とはいえ条例制定についても議会が賛成したことになる。少なくとも条例制定推進側からすれば、議会が条例制定の要求を「採択」したとして受けとめることができる。ボールは市長に投げられたことになったわけである。
鳥越市長は、条例化に消極的だった。大きな理由としては、市議会の勢力地図は、自民党系、旧社会党系、旧民社党系が拮抗しており、現在も民主党を名乗るのは旧社会党系に近い部分で、旧民社党系は別会派を構成している。
そうした中、革新色の強い非核平和都市条例の制定は、多数を占める市議会の保守・中道勢力との関係からも、否決される可能性が高く得策ではないと考えた。
しかし、最大の問題は、国との関係だったと思われる。鳥越市長は、国の大規模プロジェクトである「千歳川放水路計画」に「慎重姿勢」で臨み、結果として国に反旗を翻した形になっていた。「革新系市長」は、様々な場面で国から圧力を受けていたのである。鈴木宗男衆議院議員が開発庁長官だったときに、陳情に赴いて面罵されたことが最近の新聞に報じられている。これは、「国の圧力」を象徴した出来事と言える。
2. 条例化へ
(1) 市長、市議、市民の綱引き
市長が条例化に難色を示していたが、市民の制定要求運動は続いていた。何度も署名が提出される。党派を問わず市議会議員を訪問する。市長にも直接要求するなど、地道な運動が継続されていたのである。民主党(現)組織内市議は、「会派では、一般質問を行うたびに条例化を要求してきた」「多くの市民の働きかけもあり、市長も保守・中道会派も飲める形で、条例化を進める途を考慮し始めるようになった」と述べる。
転機となったのは、「新ガイドライン」の策定と、ガイドライン関連法案の制定だった。新ガイドラインの策定とともに、米軍艦が次々と日本の普通港湾に寄港し始めた。小樽への空母「インディペンデンス」、函館へ「ブルーリッジ」、室蘭に「ビンセンズ」と、米軍艦は挑発的とも思えるほどに日本中の基地のない港湾に寄港し始めたのだ。
こうした最中に迎えた99年の市長選挙で、鳥越市長は「米軍艦寄港に対する神戸方式の準用」を公約に掲げ、三度目の無投票当選を勝ち取った。4期目に向けて、あえて「革新色」を打ち出したのである。しかし、この公約に挑戦するかのように、01年2月、米第7艦隊旗艦ブルーリッジの苫小牧寄港が表明された。
市長は、外務省当局へ問い合わせするなど、「核搭載有無の確認」にこだわったが、条約局長との激論の末、「安保」の枠組みの中で「米軍からの通告がない以上、核の搭載はない」との結論に押し切られ、総合的な判断として核搭載はないとし、寄港を容認する。しかし、苫小牧西港への寄港は商業港としての混雑をタテに認めず、工業港として位置づけられながらも利用の少ない、市中心部から15キロ離れた東港に寄港を限定した。
「連合」苫小牧は、早朝の反対集会を呼びかけ、マイナス15度の極寒のなか、旧総評系・市職労を中心に500名を超える参加者が結集していたが、ブルーリッジは、入港を容認した東港へ向かう途中で、突然「東港の水深では航行の安全が保証されない」としてきびすを返し、西港への寄港受け入れを要請する。しかし、市長はこれを拒否し、結局ブルーリッジは苫小牧寄港を断念することとなった。苫小牧寄港反対闘争としては、あっけない幕切れではあった。ブルーリッジの寄港を拒否できなかったが、港湾の選択を認めず、結果として寄港はなかった。このことを市長の「準神戸方式」の限界として受け取るのか、西港寄港に最後まで反対した対応を評価するのか、課題は残された形となった。
しかし、市長はこの対応に自信を抱いたのではないだろうか。表面化している範囲内では、保守系会派からも批判的な見解は出ていない。「非核平和」という大義名分に対して、真っ向から反対できる勢力はないのだ。
こうして、自民党などが反対できない範囲内での条例化を追及することになる。革新系議員が提案しても、保守系会派は何とかこれを葬り去ることだろう。しかし、市長提案であれば反対できない。結局、市長は議会に条例案を提案、全会一致で可決成立させた。
(2) 条例制定の意義
成立した条例(資料3)は、内容的には簡単なものであり、これによって行政に大きな転換があるわけではない。また、これにより今後東港への寄港にも反対できるというものでもない。しかし、「市長の政策」としての核搭載艦船の寄港拒否だけではなく、議会も確認した、いわば市民の総意として核搭載艦船の寄港を拒否できることになる。このことの意味は大きい。
市長は、非核平和都市条例をふまえて、アメリカの未臨界核実験などにも「抗議声明」を発している。こうしたことも、「非核平和」を望む市民の声を条例化したことにより容易になったことであり、今後市長が代わった場合においても、「先例」として重みをもつことになるだろう。
函館や小樽など北海道の他都市への波及を考えると、その意義はさらに広範な意味を持つ。これらの都市においても、非核平和都市条例の制定を求める広範な市民の運動が進んでいる。苫小牧が先行したことで、条例制定要求運動の進展が期待される。
上述したように、アメリカの「対テロ戦争」がエスカレートしつつあり、日本が参戦するための有事法制が提起されているなかで、多くの市民が危機感を抱き始めている。こうしたなかで、「革新」の原点とも言える平和運動の進展を目指す「非核平和都市」の動きを広げていくことの重要性は、あらためて確認されるべきことである。
また、「鳥越市長でなければ、非核平和都市条例は制定し得なかった」という言葉も確かである。市民が先導し、組織内市議がこれに協力して市長を動かして平和運動を進める。このことが可能となったということこそが、最大の意義なのかもしれない。
しかし、有事法制が成立した場合には、市長の権限を首相が代行し得ることになっており、「核搭載艦船の寄港」を拒否できなくなってしまう。そのことを考えるならば、非核平和都市条例をさらに進め、有事法制反対のたたかいを市長をも巻き込む形で追及するのでなければ、条例制定の意義を活かし得ないといわなければならない。
(3) 反省と課題
83年に「核兵器廃絶平和都市に関する決議」が採択され、95年に「非核平和都市条例制定の陳情」が趣旨採択されている。この間に、苫小牧市の平和運動が大きく様変わりしているのだ。89年の「連合」結成と同時に、不一致課題を「平和運動センター」が担い、その後「平和フォーラム」に移行していったが、力の分散の影響は避けられず、苫小牧市の平和運動をはじめとする大衆運動に影を落としている。
上述したように、泊原発1号炉の反対運動や、千歳川放水路反対運動の過程で市職労を始めとする労働団体と市民団体との連携も進んでいた。しかし、旧総評の流れを汲む労働組合と、旧同盟系労働組合との運動の距離は大きく乖離した状態が続いたままである。
非核平和都市条例制定の過程においても、「連合」は条例制定の要望はしていたが、具体的な行動はほとんどなく、市職労・市労連が「職場で」署名に取り組んだに過ぎない。泊原発1号炉のときのような、総評・社会党ブロックが広範な市民と連携して大衆運動を作り出す、そうした運動にはならなかったのである。
平和運動や地域生活圏闘争を進める上にも、積極的に市民運動と連携をしなければならないし、できあがった非核平和都市条例の意義を多くの市民に浸透させてゆく行程は、市民との連携にしかないと考える。
資料1
核兵器廃絶平和都市に関する決議
広島、長崎に原子爆弾が投下されてから37年「広島、長崎をくりかえすな」の声は、全世界の平和を望むすべての人の間にますます強まっています。しかし、核兵器全面禁止・核戦争反対のせつなる願いをよそに米ソ両大国を中心とする核兵器開発、核軍拡競争は、いまなおとどまるところをしりません。
いま、核兵器の廃絶・使用禁止は、最も緊急な課題であり、日本国民は、世界唯一の被爆国民としてこれを積極的に実現する崇高な責務を負っています。
苫小牧市は、わが国の非核三原則が完全に厳守され、すべての核保有国に対し、核兵器の廃絶と軍縮を求め、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに核兵器廃絶平和都市となることを、決議する。
昭和58年3月10日
苫小牧市議会
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資料2
陳情第4号 非核・平和都市条例制定に関する陳情
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提出者の住所・氏名
苫小牧市木場町2丁目5番4号
大地の会
代 表 山川 美明 |
陳情の要旨
苫小牧市議会では1983年3月の議会において「核兵器廃絶平和都市に関する決議」を可決しましたが、苫小牧市では宣言に至っていないという経緯があります。
よって、私たち市民は、敗戦50周年という節目に当たり、市民の安全と平和を守るため、「核兵器廃絶・平和都市」を宣言し、さらに平和事業の推進のため、下記事項について「非核・平和都市条例」の制定をしていただきたく陳情いたします。
記
1 日本国憲法第9条に規定する平和の意義を広く市民及び世界に普及
2 平和に生きる権利並びに基本的人権の擁護
3 核兵器廃絶・非核三原則の遵守
4 国内、国外の諸都市との平和交流の促進
5 平和教育の充実を図るとともに、それに要する平和基金の設置
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資料3
平成14年4月1日
苫小牧市非核平和都市条例
わたしたち苫小牧市民は、安全で健やかに心ゆたかに生きられるように、平和を愛するすべての国の人々と共に、日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に努めるとともに、国是である非核三原則の趣旨を踏まえ核兵器のない平和の実現に努力していくことを決意し、この条例を制定する。
(目 的)
第1条 この条例は、本市の平和行政に関する基本的事項を定め、市民が安全で健やかに心ゆたかに生活できる環境を確保し、もって市民生活の向上に資することを目的とする。
(恒久平和の意義等の普及)
第2条 市は、日本国憲法に規定する恒久平和の意義及び国是である非核三原則の趣旨について、広く市民に普及するように努めるものとする。
(平和に関する交流の推進)
第3条 市は、他の都市との平和に関する交流を推進するように努めるものとする。
(その他平和に関する事業の推進)
第4条 市は、前2条に定めるもののほか、平和の推進に資すると認める事業を行うように努めるものとする。
(平和の維持に係る協議等)
第5条 市長は、本市において、国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする。
(核兵器の実験等に対する反対の表明)
第6条 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、関係機関に対し、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。
(委 任)
第7条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。
附 則
この条例は、公布の日から施行する。
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