【代表レポート】
非核平和都市宣言を地域に活かす
山梨県本部/甲府市職員組合
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はじめに
昨年のアメリカ同時多発テロを発端に、アフガニスタンへの報復攻撃が始まり、日本政府は、自衛隊が物資の運搬や給油などで参加することを可能にした「テロ対策措置法」などが十分論議もしないまま第153回臨時国会で決まりました。また、今年の4月の国会に「武力攻撃事態法」「自衛隊法改正案」「安全保障会議設置法改正案」の有事法制関連三法案が提出され、益々戦争への道が進められています。
私達は、過去の侵略戦争と唯一の被爆国として、地方自治体から核を持たず、世界の永久平和に向けての取り組みがまさに重要になっています。
甲府市職員組合は、甲府市が全国に先駆けて非核自治体宣言を行い、今日までに様々な平和行政を実施してきた内容と、職員組合としての取り組みを報告します。
1. 非核平和都市宣言に向けて
(1) 宣言に至るまでの経過
昭和57年に開催された市長会の席上、甲府市長と川崎市長との対話において、近時ますます増大する核戦争への危機感に対し、これを抑制するための地方都市の受け持つ役割について話が交わされた。
その後、市議会及び市民の賛意を得て、同年6月市議会定例会に市長提案を行い、満場一致で可決されたものである。
(2) 昭和57年6月市議会定例会提案説明
「私たちは、人類初の核被爆国民として、また悲惨な空襲を体験した甲府市民として、すべての戦争を否定し、人類の生存を脅かす核兵器の廃絶を求めるものであります。
このことは、永遠の平和を願う市民として当然の要求であると考えます。
今やこの運動は世界的に展開され、本年3月21日には国連の場において、ニューヨーク100万人集会が世界行動計画として展開されたことをみても、わが国のみならず、世界的な運動として高まっております。
こうしたなかで甲府市は、去る3月定例市議会において満場一致をもって核兵器の全面撤廃と軍縮の推進に関する意見書の可決をしたところであります。
私は、この全市民的な強い要望を踏まえ「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則の完全実施を願い、すべての国の核兵器の全面撤廃と軍縮を求め、人類の共通の願いである永遠の平和と、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに核兵器廃絶平和都市を宣言するものであります。」
(3) 平和都市宣言事業の推進
平和都市宣言事業推進の基本的な考え方としては、市民意識の啓発と市民の自発的運動に対する側面的援助を主眼におき、恒常的、継続的に推進することとしている。
具体的事業の推進については、助役及び関係部長で構成する「庁内連絡会議」において全庁的な整合をはかり、経常業務の中で行えるもの以外の新規事業については、役割分担及び予算配分を決め実施している。
(4) 平和都市宣言事業の主な経過
1982年7月2日 |
「核兵器廃絶都市宣言」を行う。 |
1982年7月6~8日 |
「甲府空襲展」に後援団体として協力する。 |
1982年度 |
平和ポスター・テレビ番組を作成し、市民への啓発活動を実施した。以降継続する。 |
1983年7月6日 |
甲府空襲の日に、平和黙とうを実施する。以降継続する。 |
1984年7月18日 |
「非核都市宣言自治体連絡協議会」結成準備会に参加する。 |
1984年8月5日 |
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」へ市民代表を派遣し、以降継続する。 |
1984年8月5日 |
「非核都市宣言自治体連絡協議会」が設立される。
甲府市長(幹事) |
1985年4月1日 |
「原子爆弾被爆者に対する見舞金支給要綱」を改正する。 |
1985年7月2日 |
「核兵器廃絶平和都市宣言」表示塔を設置する。 |
1985年8月3日 |
非核都市宣言自治体連絡協議会第2回総会において、甲府市の平和事業を報告する。 |
1985年8月4日 |
第1回世界平和連帯都市市長会議に参加する。 |
1985年8月4日 |
甲府市役所職員組合が組合員と家族代表を「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」等に派遣を始める。以降継続する。 |
1986年4月1日 |
「非核都市宣言自治体連絡協議会」の副会長に甲府市長就任する。 |
1986年5月19日 |
山梨県非核都市宣言自治体連絡協議会の結成準備会に7市10町が参加する。 |
1986年7月22日 |
山梨県非核都市宣言自治体連絡協議会を設立(会長 甲府市長)する。 |
1989年8月5日 |
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」へ少年議会代表(中学生)の派遣を始める。 |
1989年9月26日 |
甲府市平和推進連絡協議会が設立される。(甲府市が広島へ派遣した市民による平和推進団体) |
1990年8月8日 |
「非核都市宣言自治体連絡協議会」が「日本非核宣言自治体協議会」に改称される。 |
1991年9月21日 |
「講演会と映画の集い」を開催する。平和広告塔を設置する。 |
1991年9月27日 |
市内の小中学生を対象に平和ポスターを募集し、「平和ポスター展」を開催する。以降継続する。(優秀作品12点平成5年のカレンダーにして制作・配布した。) |
1992年7月2日 |
平和都市宣言10周年事業として「広島原爆展」開催する。 |
1992年9月6日 |
平和都市宣言10周年事業としてビデオ(今、君たちが見つめる平和)を作成し、放映する。 |
1992年9月26日 |
平和都市宣言10周年事業として「広島平和祈念式参加発表会」を開催する。 |
1992年11月4日 |
第6回国際非核自治体会議(実行委員会副会長 甲府市長)に参加する。 |
1993年8月5日 |
第3回世界平和連帯都市市長会議に参加(広島市・長崎市) |
1993年8月6日 |
非核都市宣言自治体連絡協議会総会において、甲府市の平和事業を報告する。 |
1994年3月25日 |
広島平和祈念式への市民代表派遣記念誌「平和な地球を引き継ぐために」を発刊し、市内公共施設、小中学校へ配布する。 |
1995年4月13日 |
戦後・甲府空襲50年特別事業推進委員会を設置する。 |
1995年7月5日 |
戦後・甲府空襲50年特別事業として、「甲府空襲展と広島原爆展」を開催する。 |
1995年7月9日 |
戦後・甲府空襲50年特別事業として、「市民平和のつどい」を開催する。 |
1995年12月22日 |
戦後・甲府空襲50年特別事業として、市役所駐車場に平和記念碑を設置する。 |
1997年1月 |
広島平和祈念式参加者の体験を、甲府市少年議会を通して平和活動アンケートを実施した。 |
1998年10月 |
生涯学習記念事業として、「長崎原爆被災展・被爆体験講和」及び「沢田教一写真展」を開催する。 |
1998年11月 |
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」参加者の記念文集を作成し、市内小中学校へ配布する。 |
1999年9月 |
市内の小中学校を対象に平和ポスターを募集し、「第9回平和ポスター展」を行う。 |
1999年10月 |
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」参加者の記念文集を作成し、市内小中学校へ配布する。 |
2000年10月 |
市内の小中学校を対象に平和ポスターを募集し、「第10回平和ポスター展」を行う。また、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」参加者の記念文集を作成し、市内小中学校へ配布する。 |
2001年10月 |
市内の小中学校を対象に平和ポスターを募集し、「第11回平和ポスター展」を行う。また、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」参加者の記念文集を作成し、市内小中学校へ配布する。 |
(5) 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典への派遣状況
年 度 |
市民代表 |
中学生
代 表 |
計 |
1984年 |
46人 |
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46人 |
1985年 |
43人 |
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43人 |
1986年 |
42人 |
|
42人 |
1987年 |
43人 |
|
43人 |
1988年 |
42人 |
|
42人 |
1989年 |
39人 |
40人 |
79人 |
1990年 |
37人 |
40人 |
77人 |
1991年 |
40人 |
40人 |
80人 |
1992年 |
39人 |
41人 |
80人 |
1993年 |
36人 |
41人 |
77人 |
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年 度 |
市民代表 |
中学生
代 表 |
計 |
1994年 |
10人 |
29人 |
39人 |
1995年 |
31人 |
42人 |
73人 |
1996年 |
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42人 |
42人 |
1997年 |
|
42人 |
42人 |
1998年 |
|
42人 |
42人 |
1999年 |
|
45人 |
45人 |
2000年 |
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45人 |
45人 |
2001年 |
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45人 |
45人 |
2002年 |
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44人 |
44人 |
合 計 |
448人 |
578人 |
1,026人 |
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(6) 山梨県非核宣言自治体連絡協議会
山梨県の各市町村は、1982年7月2日の甲府市が非核平和都市宣言をしてから、1987年7月13日山中湖村を最後に、県内全自治体(1県・64市町村)すべてが宣言をしました。
山梨県非核宣言自治体連絡協議会の設置は、1986年5月19日に7市10町が参加し準備会を結成、7月22日に会長に甲府市長とする、協議会が発足しました。
以降全山梨県下の全自治体が加入し、非核平和宣言運動の普及啓発事業の推進を図ってきました。
特に、各自治体では、防災無線を使って住民に対して平和の尊さと意識高揚を図るため、広島及び長崎の原子爆弾投下の日と終戦記念日には黙とうの呼びかけを行っています。
(7) 日本非核宣言自治体協議会
この会の目的は、非人道的核兵器の使用が、人類と地球の破壊の危機をもたらすことにか
んがみ、生命の尊厳を保ち、人間らしく生活できる真の平和実現に寄与するため、全国の自治体さらには、全世界のすべての自治体に核兵器廃絶、平和宣言を呼びかけるとともに、非核都市宣言を実施した自治体間の協力体制を確立することを目的とするために、1984年8月5日設置されました。
会員自治体数については、2002年7月15日現在318自治体です。
(8) 甲府市における平和事業
甲府市は、次の平和事業を毎年推進しています。
事 業 名 |
事 業 概 要 |
広報誌・テレビ・ラジオ・新聞等による啓発事業 |
戦争の冷酷さを反省し、再び繰り返さないことを市民の心の中に刻み、恒久平和を訴えるために各種の広報媒体を通じ啓発を行う。 |
戦争犠牲者への黙とう |
甲府空襲の日(7/6)、広島(8/6)・長崎(8/9)原爆の日及び終戦の日(8/15)に市長が防災無線放送により全市民に呼びかけを行う。 |
原爆被害者見舞金の支給 |
「原子爆弾被爆者に対する見舞金支給要綱」に基づく見舞金の支給 |
戦災死没者無縁仏の供養 |
無縁仏の供養 |
原子爆弾被爆者の会助成 |
会の運営費補助 |
沖縄「甲斐の塔」慰霊巡拝への助成 |
慰霊巡拝への助成 |
平和意識啓発用ビデオの購入と貸出し事業 |
ビデオ等を広く市民(団体)に貸出しを行い、戦争の悲惨さ、罪悪、平和の尊さを知ってもらう。 |
山梨県非核宣言自治体連絡協議会事業への参加 |
県内の非核宣言自治体が恒久平和を願い、住民の平和意識の高揚と会員市町村間の連絡調整を図りながら、平和事業の推進に努める。 |
日本非核宣言自治体協議会事業への参加 |
全国の自治体と連携を図り、核兵器廃絶を訴え、平和を願う心を醸成するため、各種平和事業に参加した。 |
甲府市平和推進連絡協議会への支援 |
広島市平和祈念式典へ参加した市民によって設立された平和推進連絡協議会の支援を行う。 |
広島市平和祈念式典への参加 |
広島市原爆死没者慰霊祭及び平和祈念式典に派遣した。 |
広島市平和祈念式典への参加者記念文集の発行・配布 |
広島市原爆死没者慰霊祭及び平和祈念式典に派遣した参加者による記念文集を発行し、市内公共施設等に配布した。 |
平和都市宣言啓発用ポスター印刷・配布 |
昨年度の平和ポスター展の最優秀作品を用い平和ポスターを作成・配布した。 |
平和ポスター展の開催 |
「恒久平和を訴える」をテーマに、市内小中学生を対象に募集したポスターのうち、入賞作品を102点を展示した。 |
埼玉県平和資料館見学事業(核兵器廃絶都市宣言20周年記念事業) |
核兵器廃絶都市宣言20周年記念事業として、小学校高学年とその親を対象に「親子で平和について考える、埼玉県平和資料館見学」事業を行う。 |
2. 甲府市職員組合における取り組み
(1) 市職平和行動の取り組み
1985年、市職結成25周年を契機に、市で派遣している「広島市平和祈念式典」と同様に職員と家族を募集し「広島・長崎・沖縄」と平和行動を実施し、今年で18回目になりました。参加者からの感想文をまとめた、「平和行動報告集」を毎回作成し組合員に配布しています。
甲府市職平和行動の経過
回 数 |
年 度 |
場 所 |
参加者数 |
1 |
1985年8月 |
広島市 |
41人 |
2 |
1986年8月 |
広島市 |
32人 |
3 |
1987年8月 |
広島市 |
39人 |
4 |
1988年8月 |
広島市 |
40人 |
5 |
1989年8月 |
広島市 |
36人 |
6 |
1990年8月 |
広島市 |
39人 |
7 |
1991年8月 |
広島市 |
39人 |
8 |
1992年8月 |
広島市 |
21人 |
9 |
1993年8月 |
長崎市 |
31人 |
10 |
1994年8月 |
長崎市 |
30人 |
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回 数 |
年 度 |
場 所 |
参加者数 |
11 |
1995年8月 |
沖 縄 |
28人 |
12 |
1996年8月 |
広島市 |
25人 |
13 |
1997年8月 |
長崎市 |
32人 |
14 |
1998年8月 |
沖 縄 |
40人 |
15 |
1999年8月 |
沖 縄 |
30人 |
16 |
2000年8月 |
沖 縄 |
39人 |
17 |
2001年5月 |
国際交流
ベトナム |
12人 |
18 |
2002年8月 |
広島市 |
21人 |
合 計 |
(広島10・長崎3・沖縄4) |
575人 |
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(2) 甲府空襲 戦争と平和・環境展の開催
① 開催の目的と経過
57年前の1945年7月6日の深夜11時40分から約2時間、甲府市の大半は139機のアメリカB29の空襲により焼け野原と化し、死者1,200人以上、負傷者1,000人以上の尊い生命を失いました。甲府市の7割以上が破壊されました。
あの悲惨な状況を再び起こさないために、戦争体験を後生に残していくために開催していくことになりました。
甲府空襲展は、1982年「甲府空襲を考える平和のための市民行動」のひとつとして、県平和センター参加団体の自治労・山教組等が主催団体となって実行委員会の形で取り組んできました。
空襲展の資料(展示品)集めには大変な苦労があり、ビラ4万3千枚で広く県民・市民にも提供を呼びかけ、200点ほどの空襲関係・軍隊生活・戦中の生活が分かるもの、書籍・手紙・写真などが寄せられ、展示することが出来ました。
第1回の甲府空襲展は、82年7月6日~8日に県民会館地下ホールで開かれました。入場者は3日間1,500名と大盛況でした。
甲府空襲展は、その後、核問題、原発、南京大虐殺など時限的なものを加味しながら毎年継続して開催しています。
② 第21回 甲府空襲展 戦争と平和・環境展
2002年7月3日~7日の間、「第21回甲府空襲展 戦争と平和・環境展」が開催された。展示内容は、ア.甲府空襲と戦時下の生活、イ.15年も続いた戦争(ヒロシマ・ナガサキの被爆実態、日中戦争、沖縄戦、アウシュビッツ等展示)、ウ.ビデオ上映コーナー(「にんげんをかえせ」「対馬丸」「フロン」「ダイオキシン」等上映)、エ.環境コーナー(遺伝子組み換え食品、BSEパネル、ユニセフ、リサイクル等展示)、オ.「語り部」コーナー(甲府空襲、戦争体験を聞く、「もうひとつのたなばた」紙芝居)、カ.折り鶴コーナー、キ.北富士問題コーナーを設置しました。今回特別企画として「勇気の人─杉原千畝」展を開設しました。また、来場者に「私たちの甲府空襲記録」を発刊し配布してきました。会場入場者は、1,300人以上あり、年々盛り上がっています。
今後も、戦争を知らない世代が増え、かつての戦争体験を語り継いでいくことが難しくなってきています。だからこそ多くの県民のみなさまに平和な生活の尊さをあらためて、認識していただくためにも継続して開催をしていきたいと思います。
(3) その他の取り組み
① 平和行政の推進に対する申し入れ等取り組み
甲府市職員組合は、この間、連合山梨や平和センター等が開催する諸行事に積極的に参加してきました。また、市長に対して、フランス・アメリカ核実験の停止を求める要請や、米軍実弾射撃訓練の北富士演習場への移転反対の申し入れ、市議会に対しての請願書の提出、自衛官募集記事の広報への記載させない申し入れなど、節々での要請をしてきたところです。
非核平和都市宣言をしていることもあって市当局は誠意をもって対応しています。
ま と め
非核平和都市宣言を先進的に実施した甲府市であるが、その後の平和行政事業の停滞により、マンネリ化している状況が見受けられます。しかし、現在の事業を継続しさらに啓発事業を増やしていくことが必要になっています。
非核平和都市宣言を実施した自治体数は、年々増加し、2002年7月15日現在2,651自治体となりましたが、日本非核宣言自治体協議会の会員になっている自治体はその12%(318自治体)しかありません。甲府市長は、幹事になっていますので、他の自治体への加入への働きかけを行うよう要請していきたいと思います。
また、非核平和都市宣言を行っている自治体は数多く見受けられますが、非核・平和条例化の取り組みについては、全国でも少ない状況の中で、連合山梨や山梨県平和センター等と連携を取る中で、条令化に向けての取り組みをさらに強化していきたいと思います。
また、私たちは、いままで以上に、行政と連携を密に取りながら、今後も地域に根ざした運動を続けていく決意を述べて甲府市職員組合の報告と致します。
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