【自主レポート】

南アフリカスタディーツアーの記録
社会貢献事業にむけた一考察

東京都本部/南アフリカ人権スタディーツアー実行委員会

1. はじめに

 この報告書は人種隔離政策(アパルトヘイト)を平和的な手法で克服した南アフリカの訪問記録である。参加者は自治労組合員13名、研究者1名、国会議員秘書の計15名。訪問都市・地域はヨハネスブルク、プレトリア、ソウェト、オレンジファーム、そしてケープタウンにケープ半島である。
 南アフリカは都市部の治安の悪さから、訪れるのに少し勇気のいる国である。外務省の渡航情報ではホテルからの1人歩きを厳しく戒めている。出発前は大きな期待と少なからぬ不安を抱いていた。しかし、私たちは今まで訪れたどの国よりも強い印象や多くの思い出を胸に刻んで帰国した。
 南アフリカ訪問は、プレトリアの日本大使館に勤務する自治労町田市職員労働組合出身の高橋薫さんを激励しようと言う自治労東京都本部役員・女性部や自治労町田市職員労働組合の仲間の希望で実現した。労働組合員がナショナルセンター(連合)から書記官として大使館に派遣される制度で、高橋さんは2000年9月に南アフリカに赴任した。現在、4名の連合組合員が世界各地に派遣されているが、女性の派遣は高橋薫さんが始めてである。
 高橋さんの2年近くの大使館勤務を通じて交友関係が築かれた南アフリカの公務員労働組合(SAMU)、ナショナルセンターの1つであるCOSATUとの訪問・交流、ヨハネスブルグ郊外のオレンジファーム(黒人居住区)の障害児施設と、エイズ孤児を含む保育園と女性就労支援等の複合施設訪問を予定していた。SAMUとの交流は給与格差是正を求めるストライキと重なり実現できなかった。
 オレンジファームの2施設訪問では困難な中で、未来に向かって生きようとする南アフリカの黒人たちのひた向きさと強さを感じるとともに、子供たちの素直で輝く瞳の大きさに心から感動した。両施設建設は日本大使館の財政的支援で行われたが、施設運営を支えているのは日本のNGOの日本ボランティアセンター(JVC)である。
 1976年6月16日のソウェト蜂起で、警官隊の発砲により多くの子どもが亡くなった。最初に銃弾に倒れた13歳の少年の名前を付けたヘクター・ピーターソン記念館が6月に完成し、ソウェトで今回訪問出来たのは意義深いものであった。
 最後に訪れたロベン島はアパルトヘイト時代にネルソン・マンデラを始めとする多くの政治犯を投獄する島であった。現在は世界遺産としてアパルトヘイト時代の様子を見学できるようになっている。マンデラは自伝『自由への長い道のり』(原題はLONG WALK TO FREEDOM)の中で、18年間のロベン島時代を『暗い年月と、希望への始まり』と記している。気の遠くなる過酷な年月にも精神を打ち砕かれず、常に民主主義実現と言う希望を捨てずに、アパルトヘイト廃絶を勝ち取った人々の足跡に、訪れた人は畏敬の念を抱く。
 日本は経済的繁栄を成しとげながら、心の豊かさや政権交代を基本とする民主主義を実現していない。ひた向きに生きること、疲労した政治システムを変革することへの勇気をもち続けることの大切さを南アフリカ訪問で得ることが出来た。最後に、ツアー企画をお願いしたピース・イン・ツアーの島村昌浩さん、JVC東京事務所の中野恵美さん、南ア研究者の飯山みゆきさん、現地でお世話頂いたJVC南ア事務所の津山直子さんを始めとする日本人、南アフリカ人にこの場を借りてお礼を申し上げたい。

2. 地域でたたかう女性たち
   …福祉施設、自立支援施設訪問…

 オレンジファームはヨハネスバーグの南にある黒人居住区の1つ。ソウェトよりもさらに貧しい地域と聞かされていたがそのとおり小さなトタン作りの小屋が続く。200万人近くが住んでいると言う。緑のものはほとんど見られない。あるのはただ埃ぽい道と地域を区画する金網。津山さんの「この国では緑も富を象徴する」と言う言葉が現実に感じられる。私たちはまずビンキーさんの運営する障害者施設テボコハウスを訪問した。
 小さな小学校ぐらいの敷地はあるだろうか。金網の門を入ると右手に新しい煉瓦作りのL字型の建物、左手に小さな事務棟、正面はアフリカの強い日ざしをさけるための日よけのついた運動場とトレーラーが3台。迎えてくれたビンキーさんが津山さんの通訳でこの施設の説明をしてくれた。
 「74年のソウェト蜂起の時、息子が警官に銃で殴られ障害者となった。そのときから、障害を持つ子どもたちの行き場がないことについて考えるようになった。子どもたちは両親が亡くなったりしてしまえば、誰も面倒を見てくれない。現在50人の子どもたちがここで生活している。直子(津山さんのこと)がいろいろ努力してくれて日本大使館から援助を受けて、右手の建物を建てることができた。建物がきちんとしていれば政府から補助金を貰うこともできるようになるので。建てたのは私たち。この地域の住民から志願者を募って煉瓦の作り方からトレーニングして建てた。調理の職員も看護の職員も地域から募りトレーニングした。南アフリカ政府は子どもたち34人分の食費として補助金を出してくれているが、トレーラーに住んでいる16人には一銭も出してくれないし、職員の給料も出してくれない。月額400ランド(約5,200円)だが、交通費にもならない人もいる。辞めざるを得ない人も出てきている。地域のケースワーカーは何もしてくれない」時には激しい口調で現状が説明された。職員は19人(そのうち2人が男性)。120万円で1年間何とかなる。私たちは15人。15人なら1月7,000円、都本部の皆だったら1年間で1人10円出せば良いのか。私がそんな計算をしてしまう程彼女の切実さは伝わってきた。また、言葉の端々に津山さんへの信頼が伺える。NGO活動の必要性を改めて感じた。「皆がこの地域は怖いと言うけれど、直子はどの場所も怖がらないし、近所の人は皆彼女のことを知ってる。だから、あなたたちも直子とくれば怖いことはないよ。それに、直子は役所との交渉が上手。ほんとに助かっている」ビンキーさんは津山さんのことになるとにっこりする。昨年1年間津山さん以外の日本からの女性もここに滞在していたと言う。「できることなら日本から保健師や理学療法師の人が来てくれて援助してもらいたい。やりたいことはたくさんある」私たちの同僚で誰か来てくれないかと彼女は問い掛けている。何とかしたいなぁ。
 スタッフと子どもたちが運動場に勢ぞろいしてくれた。一人ひとり紹介される。ほとんどの子どもたちが車椅子。まったく自力では動けない子もいる。木下さんが私たちの紹介をした後、日本から運んできたカセットデッキを手渡す。そのあと、トレーラーを見学。2つは子どもたちの宿舎、最後の1つはプレイルームになっている。そこに1人の子どもと青年がいた。「彼は9歳になる。捨て子だったのを面倒見ている。でも学校にいけない。医者は学校に行けば伸びると言うのだけれど。こちらは子どもたちに療法をしている。彼もこの地域の出身。大学に行って学んだが職がない。給料がないからご飯も余り食べられない。私が時々食べさせたりしているけど。ここにいなければ、悪いことをしているかも知れないし」プレイルームの中は日本のものと良く似ているし、この国の例に漏れず、外よりも中が圧倒的に整とんされていて美しい。
 一番新しい建物の中を見学する。症状や性別によって分けられた部屋。各壁一杯に大きく明るい楽しそうな絵が描かれている。天井からひとつ1つのベッドに釣り下げられたぬいぐるみ。お揃いのベッドカバー。私たちはビンキーさんの後をついていく。「この絵は近所の学生たちに描いてもらった。美術大学を出ても仕事がないからグループを作っていろいろな施設の壁に絵を描かせてもらっているようだ。このぬいぐるみもベッドカバーも直子が揃えてくれた。ぬいぐるみには一人ひとりの記録がついている。ここがお風呂。ここが、医務室。お医者さんが定期的に来ている。ここは台所」。台所ではポリッジ(小麦のお粥)が出来ていた。見学が終わって記念写真を撮った。アフリカで会った女性たちは皆気持ち良く大きい。太っているのはとても良いことでファットと言わずフィットと言うのだそうだ。フィットな女性たちに囲まれて写真を撮った。何もない、何も分からないところから、勉強して、お金を工面して、人を集めて、煉瓦を積んでここまでの場所にした女性たち。笑顔と心もフィットな彼女たちだった。
 オレンジファームの中のもう1つの施設アレコパネに向かった。ここは、保育所。エイズやドメスティックバイオレンスにも取り組んでいる。たくさんの子どもたちが私たちを歌って迎えてくれた。ここには必需品のせっけんを持参した。ここはNPOとして厚生省のような所管と緊密な連係をとっているようで、人件費は何とか補助金でまかなっている。建物はビンキーさんの所と同じ外務省の草の根保証金で建てたとのこと。識字教育、縫製や煉瓦作り、パン作りなどの職業訓練を行っていて、ここで学んで建てた家は150軒もあると言う。スタッフは遠くまで講習にも出ていく。アフリカの伝統的な料理を食べさせていただいた。ほうれんそうとじゃがいものあえ物とチキンフライととうもろこしの粉の練ったもの。思いがけず親しみやすい味。責任者はベッシ-さん。津山さんによれば頼りになる女性と評判らしい。
 南アフリカではこうした活動の中心は女性なの? と訊ねると「子どものことや、家庭のことは女という考え方がある」とのこと。男性はエイズのことにも関心がない。がんばっているのは私たち女性ですとはっきり言われた。DVやエイズに関する活動は主に情報提供とのこと。エイズについては栄養のことや体調管理のことを中心に情報を届けているそうだ。また、エイズ感染者との協働もこの施設の特徴だという。
 南アの人口40%がエイズ感染者だという。しかし、これは正式な統計とは言えず実際はさらに数字は高いといわれている。ベッシ-さんに紹介された女性はエイズポジティブ。英語は話せないため通訳にベッシ-さんと津山さんの2人を介した。
 「私はこの国の多くの女性と同じように妊娠時の検査で感染が分かりました。そして、1人目の子どもは感染していてもう死んでしまいました。2人めの時は当時認可されていなかった母子感染を予防する薬を試験的に使っていたため、陰性で生まれました。元気にしています。現在は投薬を受けていて、1ヵ月に1回通院して様子を見ています。まだ私も元気。ここでパン作りをしています。ここでは私がエイズであることは皆が知っています。そういう方針なんです。時間が有ったら皆さんを私の家に御案内するつもりでした」。
 彼女の話に出て来る母子感染を防ぐ薬は政府が認めなかったのを裁判に訴え、政府が敗訴し、つい最近、ようやく総ての妊産婦が投薬を受けられるようになったという。
 施設を後にする前に彼女が作った焼き立てのパンを買わせてもらった。天然酵母の味のする、しっかりした食べごたえのあるイギリスブレッド。このパンの売り上げがもう1人の感染者やDV被害者を救う糧になっていくのだなと思った。
 もう1つの女性の自立支援施設の有るアレキサンドラに向かう。アレキサンドラは珍しく白人居住区のまん中にあり、政府が精力的に再開発計画を進めている。そのせいで、ここで初めて4階建てくらいのアパートを目にした。しかし、今度の施設も高い塀と柵に囲まれている。
 シュタイナー主義の小学校と説明されたこぎれいな建物の敷地の中に小さな作業場があった。中にはこれも日本からの支援物資のミシンが幾つか。ママ、と呼ばれる白髪の女性がここの責任者のようだ。
 ここにいる女の人たちは連れ合いと死に別れたり、捨てられたりして単身になってしまった人たちばかり。自立のために人形を作っていろいろな販路で売っているという。これは売れるよーと口々に声があがる。大中小赤ちゃんの大きさ。アフリカの部族の数だけ種類がある。お土産にするならこういうものをということでほとんど全員が予約購入した。
 1日で3ヵ所の女性が運営する施設を見学したことになる。女性たちの主体的な、自立的な姿が際立っていた。しかし、社会問題を女性だけが課題としているのは何故なのだろうか。女性が置かれている状況が苛酷であると考えざるを得ない。そうした中で、人頼みにすることなく自分たちの手で状況を変えていこうとする彼女たち。政権のなかに確かな位置付けが有ることも有るだろうが、彼女たちから「未来への確信」を学ばせてもらったように思う。

3. 南アフリカの人たちとの連帯のために

(1) 自治労の社会貢献事業への展望
   今回私たちが、南アフリカで訪れた場所、出会った人々は、それぞれ忘れえぬ思い出を胸にきざみこんでくれた。とりわけ、オレンジファームで障害児施設や保育園、エイズ患者支援の施設を運営している女性たちの明るくおおらかなパワーには圧倒され、その献身的な姿には心を打たれた。
   この感動をその場かぎりのものではなく、持続させ、なんらかの行動に結実させることができないか。そんな思いから、これまでの自治労と南アフリカの人々との関係を振り返り、これからの支援の可能性について考えてみたい。
  ① 自治労と南アフリカ
    1980年代、南アのアパルトヘイト(人種隔離)政策批判の国際世論が高まり、経済制裁措置によって欧米企業は撤退するなどしていた。ところが、その間隙を縫うかのように、日本企業が進出し、87年には南アとの貿易額が世界第一位となり、激しい国際的非難を浴びることになった。
    その直後、88年5月に、アフリカ民族会議(ANC)は、東京事務所を開設している。そして自治労は、同年12月宇都宮で開かれた第89回中央委員会で、「アパルトヘイト撤廃のたたかい」として、職場カンパと署名活動を提起している。カンパについては、「南アの政治犯として獄中にある人々への合法的援助」「釈放された人々、とくに子どもたちのリハビリテーションへの援助」を目的として、組合員1人100円を目標に、アパルトヘイト廃止と政治犯釈放要求の署名とともに取り組まれた。
    その結果、約2,200万円のカンパが集まり、政治犯釈放と釈放後のリハビリや、児童教育施設の資金として活用され、ANC東京事務所の運営経費にも充てられた。その後、90年2月のネルソン・マンデラ氏釈放後に再度職場カンパが取り組まれ、さらに94年4月に全人種参加による初の普通選挙が行われた際には、選挙監視団の一員として自治労本部役員が派遣され、南ア自治体労組(SAMWU)の要請にこたえて、選挙教育キャンペーン用の自動車確保のために500万円の資金を援助したりもしている。
    このような取り組みを経た後、現自治労国際局長の井ノ口登さんが専門調査官として、そして高橋薫さんが、連合派遣の書記官として、在南ア日本大使館に赴任しているのである。
    今回の旅行で、大使館の高橋さんの上司と会食をする機会があった。4月に着任したばかりのこの上司に、高橋さんは、過去の自治労とANCの関わりを説明しながら、私たちを紹介してくれた。その説明を聞きながら、改めて自治労の南ア支援の実績を知り、彼女こそ自治労運動の最良の部分を継承し、体現しているにちがいない、と思ったのであった。
  ② これからの支援の可能性
    さて、これまでの自治労の支援・連帯の取り組みを発展させ、この2年間高橋さんが南アの労働組合関係者やNGOスタッフと築いてくれた信頼関係を継続するために、何ができるだろうか?
    日本と南アをへだてる時間・空間や、当事者の苦労といったことをいっさい捨象して、思いつくまま述べてみれば、以下のようになろう。
    1つは、大使館への派遣を継続、拡大することである。
    ヒト・モノ・カネが国境をこえて移動し、それぞれの国の労働基準が多国籍化した企業の動向に大きな影響を与える時代だけに、国際労働運動と国際政治・経済は、密接なつながりを持っている。労働組合に問題意識や関心の薄い外務官僚ではなく、組合員が労働分野の専門官として任務につくことによって、国際労働運動への寄与は大きなものとなるだろう。無限に自己増殖する多国籍資本に対抗して、「自由・公正・連帯」の価値観を共有しながら、公正労働基準の実現や人権の確立をはかっていくことはきわめて重要である。また、大使館という官僚機構のなかで本人は大きなストレスを抱え込むことになるかもしれないが、NGOとの連携、側面からの支援も大切な仕事であろう。
    連合が組合員を派遣している日本大使館は4ヵ国にすぎないが、ドイツでは21ヵ国にものぼっているという。もっと多くの若い人が、そして女性が、高橋さんに続いてほしいと思う。
    第2は、アジア「子どもの家」事業でも実践してきているが、研修生の受け入れや、専門技術を持った組合員の派遣といった、双方向の交流・支援である。たしかに、アジア以上に気候・風土、文化の違いは大きいが、児童福祉、衛生医療、教育などの分野で、こういった事業の可能性が探られてもいいのではないだろうか。
    最後は、施設建設や運営に関わる資金援助である。オレンジファームの障害児施設でも、政府から建設補助は出ても、運営補助は出ず、スタッフがほとんど無給に近い窮状にあることが訴えられていた。将来的な自立も視野に入れながら、当面する窮状打開の財政支援が、もっとも緊急かつ必要なことかもしれない。
    今回のツアーに参加した15名が、小さくてもいいから、最初の一歩を踏み出してみたいものである。

4. 南アでの経験から

(1) 組合に期待すること
   南アはその悪名高きアパルトヘイト政策を捨て、94年に初めて黒人が多数を占める民主的政権を誕生させた。しかしながら、それから約8年が経過しても、南アは未だにアパルトヘイトの後遺症から立ち直るべく試行錯誤を重ねているところである。
  ① 南ア社会が抱える問題
    第1に、南アはブラジルに次ぐ世界で最悪の所得格差を持つ国であることが挙げられる。民主化後一部の黒人は裕福になったが、依然として大部分の黒人は貧しいままだ。アパルトヘイト下では、「黒人は理数科教育を受けさせない」との当時の政府の方針に代表されるように、黒人に対する教育、また職業選択の自由も制限されていた。その結果教育、技術不足さらにそこから派生する失業、貧困という悪循環に陥っている。
    第2に、30%とも40%とも言われる高失業率が挙げられる。その一方で技術不足も深刻な問題となっており、失業者が多数いながらも熟練労働力が不足している、という矛盾を抱えている。
    経済界は熟練労働力を国外から調達し易くするための移民行政改善を求め、国内雇用を促進し高失業率改善に取り組む労組は、それに反対するという構図が出来上がっている。
    第3に、国内治安の悪化が挙げられる。殺人、強盗の発生率は米国の約10倍と言われ、世界最悪の犯罪都市とまで称されている。失業者が生活に困って強盗をするというケースは多い。
    しかし、年々その犯罪の手口は巧妙化かつ凶悪化しており、銃器をもった強盗団が計画的に民家を襲う事件が多発している。さらに、女性がその被害者となるとさらに悲惨なことが起きている。家の中の物を根こそぎ盗られた上に、必ずと言って良いほどレイプされ、しかも、幼い女児もその被害者となっている例が多発している。治安の悪化に伴い、海外直接投資の減少、観光収入の減少等、経済に悪影響を及ぼしていることも見逃すことができない。
    最後に、HIV/AIDS感染の問題である。これは南アだけでなくサハラ砂漠以南のアフリカ各国に共通した問題であり、南アの人口の9人に1人がHIVウィルスの感染者であると言われ、その数は日増しに増えている。しかも、感染者の多数が女性であると言われ、母子感染の被害も多数報告されていることからも、感染防止策にジェンダーの視点を徹底させることの重要性が指摘されている。
    また、ムベキ大統領が「HIVウィルスは必ずしもAIDSを引き起こさない」とコメントし、その対策に及び腰であったが、国内外から激しい抗議がわき起こり、ようやく同大統領もそのコメントを訂正したところである。そして、遅きに失したとの感はあるが、エイズ治療薬である「nevirapine」の使用を、公立病院で認めるとの政策転換をしたばかりである。さらに、労働界や経済界は、HIV/AIDS感染で失われる労働力の問題に真剣に取り組み始めたところである。
  ② 南ア労組(COSATU)が抱える問題
    南アの(黒人)労組は、アパルトヘイト政権下の1970年代後半に合法化されたことにより、アフリカ民族会議(ANC)等の(黒人)政党が非合法される中、民主化に果たした役割は大きい。アパルトヘイト撤廃後はANCが与党となり、国内最大のナショナルセンターである南アフリカ労働組合会議(COSATU)と南ア共産党(SACP)と同盟関係を結び、COSATUは政府に対し大きな影響力を持つようになった。COSATUからは多くの指導者がANC役員(事務局長等)、閣僚(通産大臣等)、州首相、国会議員に就任するとともに、労働省の主要ポストに人を送り込む等、自らの政策を実行し易くする環境を整えた。
    さらに、民主化政権誕生後、憲法を始めとする諸法制が改正され、先進国を凌ぐ先駆的な内容が盛り込まれた。労働諸法制もその例外にもれず、ドイツ等をモデルとし労働者保護に手厚い内容となっている。解雇の条件は厳しく規制され、ほとんど全ての公務員に労働三権が保障されている。以上の背景を踏まえながら、南ア労組(特に断りがない限り、COSATUを指すこととする)が抱える問題点を挙げてみたい。
    第1に、指導者不足問題である。ベテラン役員が抜けてしまったことにより、現在の労組役員は若年化しており、経験不足から生じる長期的視点を欠いた運動方針、未熟な交渉能力等が指摘される。それと相まって、戦闘化する傾向のある一般組合員を統率できないことにより、一旦ストが発生すると長引く傾向がある。しかも、ほとんどの労組は闘争資金の積み立てなどない中でストを決行し、特に低所得層組合員の損害は大きいことが問題である。
    第2に、先駆的な労働諸法制のために、海外直接投資が伸び悩んでいることである。よりよい労働力をより安価に手に入れたいという企業の論理からすると、労働法制の整備されていないアフリカ大陸の他の諸国、あるいはアジアの途上国の方が投資先として魅力的に映るかもしれない。経済界からは、「南ア国内労働力は未熟練で労働生産性が低く、その割に高賃金である」、「ストが多く他国に生産拠点を移したい」との声もあがっている。
    しかし、悲観的な側面ばかりではない。指導者不足の状況下、数は多くないが、広い視野を持ち国際問題を論じることができる若くして大変優秀な役員が育っていることも事実である。南ア金属労連(NUMUSA)や繊維労連(SACTWU)の書記長はまだ35歳程であるが、日本から生産性向上や日本的労使関係(真似しようとは思わないと言われたが(笑い))につき学びたいし、日本の役員との人事交流をしたい旨述べている。個人的には是非それを実現したいと思う。
    アパルトヘイトから立ち直り、社会・経済復興を遂げようとしている南アは、戦後の廃墟の中から経済大国としての地位を築きあげた非白人国日本に興味を持っている。また、日本はアフリカ大陸において植民地化の悪行に手を染めていないことからも、信頼を寄せられている。だからこそ、その信頼に応えるような協力ができないものかと思案するこの頃である。
  ③ 自治労、連合への期待
    上述したような、公務セクター(地方自治体)以外からの産別からの人事交流等の要望を自治労で取り扱うことは不可能であるし、国際連帯運動、国際労働運動の展開を考える際には、ナショナル・センターである連合の支援が必要不可欠となってくる。以下に今後の課題をあげてみる。
    第1に、連合選出の書記官が駐在する在外公館がある国の書記官を充分に活用し、現地労組との交流や現地情勢等を情報収集する仕組みを確立することである。発信される情報を如何にナショナル・センターで活用するか、という視点の確立が重要であると考える。
    第2に、在外公館に、労働問題担当官をきちんと位置づける取り組みである。現在米、タイ、中国、ザンビア、南ア等に派遣されている連合出身書記官は、担当が文化・広報、経済、政治と多様化しており、労組出身であるにもかかわらず、労働問題担当官としての明確な位置付けがされていない。ちなみにドイツのナショナル・センターであるDGBは、世界数十ヵ国の在外公館にベテラン労働問題担当官を送り出しており、積極的な労働関連情報収集活動を展開している。
    最後に、長期的なプランとして、アフリカ大陸を拠点とした連合事務所を設置し、情報収集やILO関連ロビー、開発援助を執り行う「連合アフリカ事務所」を設立することも提案したい。本年7月にアフリカ連合(AU)が設立され、初めてアフリカ自身が過去の植民地化や紛争、貧困、低開発から立ち直ろうとの意識を持ち、先進国とのパートナーシップに基づき、これらの問題を克服しようとの取り組みが始まったところである。また、最近のG8サミットでも、先進国のアフリカ問題への関心の高まりが見受けられ、「アフリカ問題の解決なくして人類の平和はあり得ない」との認識が定着し始めたようである。アフリカ大陸の重要性はますます高まっている一方で、経済のグローバル化の波はアフリカ大陸にも押し寄せており、再度先進国の搾取の対象になる恐れは否定できない。残念ながら、現在、日本政府は開発援助の金をばらまき、はこ物を作ることはできるが、紛争の調停や民主主義を根付かせる取り組み等、ソフト面の地道な活動をする力量はないと言える。
    だからこそ、日本の労働組合が、労働法制整備、労組運営の援助等、労組だからこそできる取り組みを進め、途上国が経済のグローバル化の餌食にされないよう防ぐ役割を果たすべきだ。このことは同時に、労組自体の存在感を示すことにもなる。
    また、日本政府がアパルトヘイト廃止に関し明確な対応を示せなかった当時、自治労・連合は南ア労組に多大な貢献をしてきた。最近目まぐるしい日・南ア関係の発展を日本政府が自分だけの手柄にしようとしている現状を、ただ傍観すべきでない。
    南アは障害者に対するバリアフリーや機能訓練が遅れている。日本からスタッフを派遣することが望まれている。自治労には、機能訓練士、言語訓練士、保育士、医師、看護士などをまずは短期間派遣する取り組みを提案したい。
    これはベテラン役員である必要はない。ボランティア精神が豊富な組合員をボランティア休暇等の制度と組み合わせ、例えば半年間の給与は組合負担で派遣する等の案が考えられないだろうか。現在、組合員の多くが青年海外協力隊等のボランティアに対し関心を持っていることからも、そこに合わせて労組主導で現地のニーズに密接した支援をすることができる。またそれは、若年層の組合に対する無関心を食い止める1つの方策ともなるだろう。
    さらに、自治体レベルでの人事交流、国際的に通用する労組役員育成のための語学研修プログラム策定等も、組合側から発信していくことができる。
    以上、南アフリカでの実感を提案してみた。帰国以降、組合の国際貢献事業実現の努力を皆さんと一緒にしていきたいと思う。