【自治研究レポート(個人)】

地方自治体における平和行政のありかたについて

三重県本部/上野市職員労働組合 森  健至

 真夏の空に蝉の声がこだまする2000年8月6日、私は平和学習のために引率した6人の中学生達と一緒に、広島市の平和公園を訪れ、早朝から集まった沢山の人たちとともに平和祈念式に参列していた。
 55年前にこの地を襲った最悪の出来事、人類がそれまで経験したことの無い閃光と爆風、光熱の犠牲になった幾万もの犠牲者の御霊に黙祷を捧げ、想像だにできない当時の状況に思いを馳せながら、中学生達が今日この日にヒロシマで見聞きした経験から何か一つ心に響くものを得て欲しいということと、今を生きる自分達が、自らの英知を結集し、争いの無い平和な社会の構築のために何ができるのかを考えずにいられなかった。
 人口6万人足らずのわが町で、私は約4年間、平和行政を担当する立場となった。毎年夏前から秋口にかけてのルーティンな仕事が、市内の中学生を原爆の日に広島市で開催される平和祈念式に送り出す「中学生平和学習広島派遣事業」であった。
 「戦争の悲惨さと核兵器の恐ろしさを実際に感じとってもらい、世界の恒久平和と核兵器の廃絶のため、次世代を担う若者の平和な社会づくりの一助とするため……」。こういう謳い文句で十数年前から始まった事業で、毎年市内の中学3年生から6人を原爆記念日に合わせて広島市へ派遣し、平和祈念式への参列や被爆体験証言者からの聞き取り、原爆ドームなどの被爆遺構や資料館の見学、被爆者の霊を追悼する精霊流しへの参加等を行い、現地で体験したことを後日レポートし、それぞれの学校において報告会を開くなど同世代へのフィードバックをするといったものである。
 また、生徒達の学習内容は、現地で撮影されたビデオ映像と生徒のレポートで構成された特集番組として、地元CATV局の行政専門チャンネルで放映したり、市の広報紙の特集記事としてレポートを掲載するなど市民啓発にも役立てている。生徒達には学習成果のレポート以外に、テレビカメラの前でのナレーターというオマケがつく子もいるのである。
 広島や長崎への中学生の派遣事業は全国の市町村でも実施しているところが多く、行程や内容は大体似ているものが多いようだ。また修学旅行の行き先としても定番化しており、日常の学習ではなかなか学ぶことのできない平和学習をこういう形で取り入れている自治体は少なくない。
 本市における非核平和推進事業としては、先の中学生広島派遣事業以外に、被爆証言者を招聘して市民や若者を対象に講演会を開催(過去2回)したり、非核平和のための啓発用パネル展の開催、市内の各中学校が自主的に企画立案し実施する平和学習に対し補助をする事業がある(これは昨年はじめて予算化され実現に至った新しい事業である)。
 このような本市における平和行政の根拠となっているのが1982年に宣言された「非核平和都市宣言」である。
 この宣言がなされた当時の時代背景としては、1980年初等に迎えた米ソの軍事的緊張の高まりがあり、世界的規模での反核・平和運動の盛り上がりがあった頃であり、本市においてもこうした潮流に合わせて行ったものと言える。現在、類似の都市宣言は全国3,300余の自治体のうち2,400以上の自治体において行われており、このうちの多くが「全国非核平和都市宣言自治体協議会」を組織し、情報交換や意見交換を行い平和行政施策の推進を図っている。
 地方自治体が平和行政を扱う例は前述のとおり全国に沢山あるのは事実であるが、実際の取り組みについては課題も多いように思う。
 広島市や長崎市をはじめとする、戦争被害の象徴的な存在の自治体では独自の理念と政策、市民やNPOなどとの協働により平和行政を推進し、素晴らしい成果を挙げていることは周知のとおりであるが、これ以外の自治体では、平和を希求する理念に賛同し、これを政策として具体化しようとするもののその難しさに戸惑うことが多いように思う。
 私も当初、この仕事を担当して感じたのは、対象が崇高な理念を持つグローバルな問題であり、いかに具体的に事業化し住民に働きかけ、その効果を得るか、一地方行政の扱う課題としては非常に難しいテーマだと痛感していた。それは、事務を担当する行政組織面からもうかがい知ることができ、本市においては専門とする組織はなく、長年、庶務課または総務担当部署が担当しており、事務量的にも、一係内ですらメインとなる事務ではなかったということがあり、担当者においても夏前後に取り組む毎年お決まりな仕事に過ぎないということがあった。悪く言えば片手間的に処理される仕事に陥っていた感が強い。また年間予算も大きなものを要求することはなく、予算規模も非常に地味なものとなっていた。
 課題、テーマ自体の重要性は計り知れないのであるが、どういう形で市の施策として反映させていくのか、具体的な事業をどう考えるのか、事業実施をしたところで具体的な成果を得、見つけ出すのは非常に難しいのが現状である。
 しかしながら、片手間に同じことを繰り返していたのでは先細りするのみである。昨今の世界平和を巡る情勢を見ても、毎日毎日きな臭いことばかりが報じられている。ここ数年の動きでは、ベルリンの崩壊に象徴された、米ソ対立・東西冷戦の終結から、世界大戦の危機はなくなったと思われたものの、その後世界各地で勃発する地域間の紛争は後を絶たず、また、昨年9月に起きた衝撃的な米国での連続多発テロ事件の発生やそれに伴う米国による報復行動、イスラエルとパレスチナの絶えることの無い暴力テロの応酬など、紛争の構図がそれまでの国対国という図式ではなく対民族や宗教といった非常に分かりにくいものとなっている状況がある。また、核兵器の問題に限って見ても核不拡散条約(NPT)の再検討・延長会議以後も世界の核保有国は、依然として核兵器を持ち続けることを明確にしている。例えば、早期に批准されることが期待されている包括的核実験禁止条約(CTBT)締結前にフランス、中国は駆け込む形で核実験を強行したり、また条約には抵触しないとの理由で米国とロシアは核爆発を伴わない臨海前核実験を現在まで何度も繰り返している状況がある。核保有国には核軍縮に誠実に取り組む姿勢は感じられないのが現状である。この他にも1998年にはインド、パキスタン両国が核実験を行い国際社会を驚かせ、つい先ごろもパキスタンが核兵器搭載可能なミサイルの発射実験を行い、両国間の軍事的緊張が増している。米国上院がCTBT批准を否決したことや、核保有国とされていた国以外にも核保有疑惑があるなど、新たな核拡散やNPT体制の崩壊が起きはじめている憂慮する事態になっている。
 こう言った世界情勢の趨勢を常に睨みながら地方における平和施策の遂行を考えることが今後も必要であることは言うまでも無い。
 国内においても、残忍残虐な犯罪の横行など凡そ平和な社会とは懸け離れた出来事が頻発している状況である。
 私は、世界や国内で起こる、このような争いの根本原因は、全て暴力によって争いごとを解決しようとする一種の「暴力文化の存在」が暗黙のうちに人々の間に是認されていることにあるからではないかと思う。相手の人格を完全に無視し、有無を言わさず威嚇や脅迫によって自分の主張を押し付ける、暴力は最大の人権侵害ではないかと思う。
 今一度、平和行政のあり方を、従来型の核兵器廃絶の啓発や核保有国への非難といった側面からだけではなく、身近な人権問題も含めた広い意味での暴力全般に広げ、見つめ直す必要があるのではないかと思う。その中で核兵器を頂点とするすべての暴力文化から脱却し、核兵器のない世界、平和な社会をいかに構築していくかを考えていくべきである。
 平和行政は、決して敷居の高い課題を扱ったものではないのである。広島派遣に参加した中学生が、自らの感想文の中で、身近にある「いじめ」や差別をなくす努力をしたいと書いた子がいた。まさにそのとおりである。紛争解決が暴力的方法であるべきとの根拠は何もないのである。その結果、失い脅かされるものは尊い命と人間の尊厳、残されるものは悲しみと疲弊、虚しさと憎悪だけである。歴史はそれを繰り返してきたのにその時の反省はいつの間にか忘れさられてしまう。それを忘れないために市民に語りつづけなくてはならないのである。平和行政はそのまま平和教育でもあると思う。
 身近に起こるいじめや差別、虐待、暴力犯罪も含めた全ての暴力的事象を含めてこれを否定し、人を思いやり、理解、協力することで平和を実現する。そのために一人ひとりが担える役割があることを広く啓蒙する必要がある。その結果、暴力文化、人権侵害の頂点である戦争や核兵器をなくしていく広がりにつながっていくのである。
 こういった取り組みを日本中のいや世界中の自治体が行えば、必ず大きな潮流となるだろう。そのためには国家いや世界レベルの平和行政、平和教育の統合プログラムの作成も望まれるところである。
 折りしも今、国会において、有事法制について議論が始まった。昨年起きたテロ事件をきっかけに検討され、国民や地方自治体に有事(戦争)の際の協力義務を課するものらしいが、唯一の戦争による被爆国であり、戦争放棄を明言した平和憲法を掲げるわが国は、もっと違ったアプローチで国民や世界に語りかけて欲しい気がする。
 日本と同じような平和憲法を持ち軍隊を持たない国として知られる、コスタリカの平和施策の紹介をテレビ番組や新聞記事で知る事があったが、この国の施策に学ぶべきことは多いと感じた。特筆すべきは、同国の教育では「対話教育」に力を入れていることである。学校では紛争に限らず、家庭内のいさかいも友達とのけんかも全ては話し合い、対話で解決できるという考え方を徹底させているということである。世界に向けては「積極的永世中立宣言」をし平和を守る姿勢をアピールしてきた。このような国を攻撃すれば国際世論が許すはずが無い。つまり戦争に巻き込まれる心配がないという戦略である。戦争はまさに暴力の応酬である。軍事力の強化はむしろ戦争や紛争を誘発しやすくなる。仮に、わが国が有事の際の備えとして軍事力を強化したとしても、それは「備えあれば憂い無し」にならない。なぜなら、世界一の軍事大国である米国でさえテロ攻撃され、反撃をしたために再度のテロ攻撃に国民は怯えている状況にあるからだ。
 地方自治体で平和行政を進める立場からは、常にあらゆる手段で市民に語りかけ世論を高めることは勿論のことであるが、同じ志を持つ自治体同士が連携し、政府に対しても、要求ばかりではなく、説得力のある具体的な提案を続けていくことが、やがて政府の姿勢を動かす大きな力となり、平和実現への道筋をつける、国家の政策実現へのカギとなるに違いないと思う。
 そして、このことこそ平和でだれもが安心して生活出来る、本当に民主的な社会、国家、地域を構築できることにつながると思う。