【代表レポート】

和歌山市における人権条例制定と人権の街づくり運動

部落解放同盟和歌山県連合会・書記長 池田 清郎

1. 和歌山市条例制定と法期限後の動き

(1) 和歌山市部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例
   1994年12月に、実態調査の総括と部落解放同盟の要求、和歌山市同和委員会の見解に基づいて制定される。名称等について一部市議団の反対があったが賛成多数での成立であった。
   条例に基づいて「審議会」が設置され、構成は市行政・議会代表、学識経験者、運動団体代表であった。しかし、市の体制(市長の再三の交代)の変化の影響を受け十分な機能を果たせていない。

(2) 法期限後の動き
   行政の基本姿勢として、「差別がある限り同和行政は必要」に基づいて具体的な手法として一般対策に工夫をして取り組む。
  ・同和対策事業長期総合計画⇒「街づくり」の推進
  ・教育啓発の市民運動=和歌山市同和委員会⇒和歌山市人権委員会(2,360人)
  ・同和対策事業⇒基本的に継続=個人給付、各種減免、住宅家賃、保育料等

2. 街づくり運動

(1) 「街づくり運動」の提起
   1990年ごろより、和歌山市内を中心に、それまでの同和事業の総括の上にたって、新たな展開として「部落解放の街づくり」の動きがはじまる。
   現在、「平井地区」「芦原地区」「杭の瀬地区」「岩橋地区」で取り組みが進められている。

(2) 県連の方針
   中央方針及び各部落の現状を踏まえ、「人権と福祉の街づくり」を提言。また、地域福祉計画の策定作業と相まって、県内にモデル地域を設定して県行政のワーキングチーム共同で具体的な方向づけについて検討する。

資料

「平井地区街づくり運動」

平井地区街づくり協議会
 平井地区街づくり協議会は、発足して10年を経過しています。子どもたちの「夢」を基点に、平井地区の3つの自治会、隣接する2つの自治会、部落解放同盟平井支部、平井子ども会をはじめ地区内のあらゆる団体や公的施設が参加するとともに行政関係として和歌山市、和歌山県も構成メンバーとして結成されました。協議会では、これ迄の住民や行政の様々な対策を検討・総括し、平井地区の総合的な街づくりを推進しており、最近では、さらに周辺の自治会をはじめ参加数が増加してきています。そのことに関わって、対象の範囲も拡大しつつあります。

1. 平井地区の概況
 @ 歴 史  平井地区の形成史等は、調査や研究が殆どされていません。ただ、地区内及びその周辺には、「雑賀党」や「鈴木(雑賀)孫市」ゆかりの寺院、城跡土塁跡や政所池、平井平、打手川という地名が残されています。こうしたこと以前から郷土史の研究家の話によると、平井には鈴木家の鉄砲鍛冶場があったとされており、戦国時代最強と云われた「雑賀鉄砲衆」の本拠とされています。また、一向一揆に関連して豊臣秀吉の雑賀攻めの際、打手川上流部にある平井峠から川伝いに大軍が侵入したといわれ、打手川の由来になっています。また、三重県熊野に有馬という部落があり、雑賀党が落ち延びたといわれており、鈴木姓のを名乗る世帯が大部分を占めています。
        紀州藩の時代には、「長吏」の記述があり、紀伊風土紀によると「平井村皮田」と記されています。
 A 地形・立地  平井地区は、もともと打手川の上流部の谷間で形成されていたと云われていますが、現在打手川の左岸側にあり、右岸に明治以降に出来た出村「観音前地区」があります。また、この打手川の河床が2階建ての屋根程もあり、河川が左右に蛇行していることと併せ、大雨や台風時に頻繁に決壊を繰り返してきています。
        また、地区の南部に「新六個井川」「七個川」があり、これは旧楠見村全体の水系の最下流部にあり、雨期になると一面冠水状態になります。
        さらに、地区内の特徴として墓地・火葬場の跡が多く、特に地区の北部にある小高い丘に隣接の地区の火葬場があり、露天による荼毘によって地区内が臭気と灰に覆われるということがよくありました。
        地区内の環境も「狭小過密」「老朽化」にあり、以前の調査では、約7割の世帯が、1メートル未満の生活道路でありました。
 B 仕 事  平井地区は、もともと農村に位置しているが、殆ど農地を所有していなく、もっぱら雑業であります。しかし、古くから農繁期の働き手としての関係から、稲作の刈り入れの後、藁をもらってきての「しめ縄」作りが有名であり、さらに植木職人も多い。また、墓や仏壇への供花売りも盛んで、夜に市場で花を仕入れ、自宅で仕込みをし、朝未だ明け切らぬうちに仕込んだ花をリヤカーに積んで、市街地に行商に出かけていました。最近では、和歌山市の現業従事者が非常に多くなっています。
 C 世帯数の動態  もともと250世帯程度の地区でありましたが、1934年調査(350世帯)、1952年調査(413世帯、この時観音前で42世帯)しかし1962年調査を境に年々減少し、現在240世帯になっています。一方、観音前地区で240世帯、別の地区(栄谷地区)で90世帯と増え続け、またもう一つの市小路地区で推定で100世帯を越えています。
        これは、同和対策事業の関係で、多くの公営住宅が観音前・栄谷地区に建設されていることと、市小路への自然流出(持ち家)がその原因です。

2. 地区の課題と取り組み
 @ 部落解放運動  平井地区の部落解放運動については、全国水平社が1922年3月3日に京都岡崎公会堂で創立された翌年の6月1日に「平井水平社」が結成されています。結成は、地区の西部にある善教寺で1,500名が参加して、と当時の新聞記事に記されています。結成の中心メンバーは、地区では明治から移民をする家族が多かったが、その中のひとりで、アメリカから帰ってきた後藤弥一郎等であります。平井水平社の活動は、和歌山県水平社の中でも階級をめざした闘争が極めて積極的で、軍隊内での差別事件や本願寺に対する糾弾闘争が有名であった。
        特に本願寺糾弾は、地区内の2ケ寺から檀家の集団離脱により3ッ目の寺院を作り、そのことに関わって戦後も長い間、住民間に大きなしこりを残す結果となりました。
        戦後の運動の中心は、子ども会となった。子ども会は、子どもの持つ様々な課題を通じて親や地区の課題の解決をめざしてきました。同時に、活動を通じて部落解放運動の人材育成に尽くしてきました。しかし、1960年頃次第に政治活動化し、地区の親や自治会と対立する様になってききました。
        部落解放同盟平井支部は、1969年に結成されていました。結成当初は戦前の運動へのしこりから住民の参加は少なかったが、子ども会の正常化、教育実態調査の実施、住宅要求者の組織化を通じて参加者が急速に増加してきました。
 A 地区の課題  地区の概況でも述べましたが、市内の部落でもトップクラスの悪環境と云われてきました。大雨になると浸水や決壊を繰り返す二つの河川、細く長く形成された地区の中を走る1メートル未満の生活道路、住居の50%近くを占める借地、密集した老朽家屋、災害復旧の簡易住宅、共同井戸、共同便所……。生活保護と低学力…。
        1962年の夏、突然集団赤痢が発生し、連日の様に入院や隔離が行われ地区全体を救急車の音と消毒の匂いが立ち込めました。原因は、打手川上流に建てられた養豚場の排水でした。しかし、水利権を持たない中で、地区が全く無視された中で養豚場が作られ汚水の垂れ流し状態が続きました。
        自治会を中心に連日対策が協議され、和歌山市に対して「上水道の設置」「養豚場の移転」等の要求を提出しました。しかし、当時の市長は、「平井の人間は、昔から不衛生で衛生観念がない。だから赤痢が発生したのだ。和歌山市に責任はない」という発言を行いました。このことが住民の結束を呼び、取り組みが進められ上水道等を実現してきました。
        1969年に「同和対策事業特別措置法」が施行され、和歌山市でもそれぞれの地区で「長期計画」を策定することになりました。しかし、地区の自治会等の役員で協議された内容は、極めて保守的で融和主義的なもので、「あまりすると部落やといわれる」として、住民の願いとは程遠いものでした。例えば公営住宅の建設が「44戸」でしたが、部落解放同盟の調査では、150世帯を超える住宅困窮者が集約されていました。
 B 部落解放同盟と子ども会の取り組み  先に述べた様に、「平井地区長期計画」は住民の願いとは程遠いものであり、さらに子どもや高齢者、生活困窮者の対策が全く組み入れられていませんでした。そこで、平井支部と子ども会の共同で独自の調査と取り組みを進めてきました。教育実態調査の実施や住宅要求者組合の結成、教育センター(児童館)、福祉館の要求等でした。
        さらに、関西大学の研究グループに依頼しての「総合実態調査」の結果、長期計画に代わる「マスタープラン」の策定の方向も出されてきました。
        こうした支部や子ども会の取り組みは、急速に住民の支持を広げ、自治会とも徐々に協力体制が取られる様になりました。
 C そして街づくりへ  先に述べた様に、マスタープランの策定と県市に対する要求を積極的に進めてきましたが、やがて支部や子ども会の関係者の中で、何か大きな点が欠落している様な感じがしてきました。そのことを気付かせてくれたのは子どもたちでした。その頃子ども会では「平井の未来を考える」というテーマで、現在の地区の立体模型と未来図の作成に取り組んでいました。その中には、「遊び」「祭り」「友達」「進路」等様々な意見が出されていました。つまり、「長期計画」を批判して取り組んだ内容が、量的な拡大はあったものの、ただ物的な事業のみにとらわれ、関西大学の調査報告書に書かれていた「人間の住む街」ということや「夢」ということが軽く見られてしまっていたのでした。
        例えば、道路を付ける時、「家に車を横付ける」とか「利便性」という面だけで進めてきていました。
        そうした経過の中で、平井支部を中心に関係自治会をはじめ、あらゆる団体や集まりが共に平井地区の未来を考える「街づくりプロジェクト会議」を結成してきました。しかし、県と市の責任のなすり合いと縄張り意識が大きな障害になって、なかなか進展しませんでした。このため相当に時間を費やし、具体的な要求は全て撤回し、「平井地区街づくりプロジェクトヘの正式参加」を県と市に求めてきました。

3. 「平井地区街づくり」運動
 @ 基本的な考え  「街づくり」を進めるにあたって、様々な議論や提案を行ってきました。まず、(a)同和対策事業を意識せず、どんな街にするかということが重要、そのために、それまでの計画を可能な限り白紙にする。(b)環境改善について改良・新設だけでなく現状の保全も考える。(c)全ての住民の課題を考える。(d)行政に求めるものと自分たち自身で取り組みことを明確にする。
        こうしたことが話し合われ、さらに「昔の生活や遊び、想い出等を子や孫に伝えよう」「すばらしい故郷を作ろう」ということが共通認識として確認されてきました。
 A 「街づくり」の概況
  (1) 住みよい街づくり
    (a) 河川の改修等……打手川、七箇川、新六個井川の改修
    (b) 浸水対策…………楠見地区の浸水と河川改修、楠見地区の公共下水道・栄谷地区の浸水対策と公共下水道
    (c) 道路整備…………都市計画道路の早期実現、地区内道路の整備
    (d) 公園緑地…………スポーツ公園、児童公園(3か所)
    (e) 公営住宅…………住宅の建設、将来構想の策定
    (f) 火葬場・墓地……公園墓地等
  (2) 福祉のネットワーク
    ○ 隣保館を福祉の拠点に(小学校区程度の範囲・24時間の地域福祉を)
    ○ 福祉の充実と計画の確立(デイサービス、見守り支援、生きがい対策)
    ○ 地域コミュニティの再建⇒ボランティア活動の創造
    ※ 現在、隣保館2館、福祉館1館、地区センター1館、児童館1館、教育集会所1館が建設されている。この活動や利用について、さらに検討を加える。
  (3) 子育て運動(育ちの保障)
    (a) 児童館(子ども会)、保育所、小学校、中学校のネットワーク
    (b) 住民みんなで子育てを
    (c) 子ども会活動の発展
  (4) 歴史と文化の保存
    ・平井峠ハイキングコースの整備
    ・史跡等の保存(講演)
  (5) 人権と住民の連帯意識
    (a) 夏祭り
    (b) 「人権展」の開催
    (c) 人権交流

4. 最後に
 @ 街づくりの未来
  ○ 高齢者・障害者・子どもの住みよい街
   ・環境保護、バリアフリーETC
   ・世代間の交流の促進
   ・共生の街
  ○ 地域コミュニティの再生・再建
  ○ 歴史・文化の保存と創造
  ○ 周辺地域住民との交流
  ○ 人権意識の高揚
  ○ 人権と福祉の街づくりのネットワークヘ
 A 部落解放運動の方向
  ○ 部落差別は、真に民主的な共生の社会の中で実現
  ○ 部落差別だけでなく、全ての差別の撤廃と人権の確立を
  ○ 周辺の住民との連帯
 B 最後に

<別紙>