【代表レポート】

男女共同参画社会基本法に基づく
「男女平等条例」制定の取り組み

奈良県本部/執行委員 西田 一美

1. はじめに

 女性が社会のあらゆる分野に参画し、男女の人権が尊重され、公平に実現される社会の確立は経済、社会状況の如何にかかわらず優先される課題です。また、少子化・高齢化をはじめ経済の国際化など急激な社会の変化も、男女平等社会の必要性を一層強めているとも言えます。
 このような状況の中、1999年6月「男女共同参画社会基本法」が施行され、政府の基本計画策定と自治体の取り組み、国民の責務として、職域・家庭・地域などあらゆる分野での男女平等社会の形成に寄与していくことが明記されました。
 このことを受け、奈良にも基本法に基づく条例の制定を求めて2000年7月16日「奈良に「男女平等条例」をつくるネットワーク」を県内女性グループや北京女性会議参加者が中心に呼びかけ結成しました。約150の個人・団体の賛同を得て現在まで、学習活動・啓発活動・県民の意見公募・県への要望・県議会への働きかけなど様々な取り組みを行ってきました。結果、意外にも早く2000年12月県議会で「男女平等県条例制定請願書」が可決されました。私たちは「奈良の実態に沿った条例内容」を求めて私たちの求める条例案を作成しました。

2. ネットワーク結成の背景

 1999年6月「男女共同参画社会基本法」が制定されました。このことをきっかけに全国の地方自治体で法律に基づく条例づくりが始められていきました。大変機敏な対応に私自身は驚いたというのが本音でした。なぜかというと、ひとつは世論の盛り上がりは充分であったのかという不安があります。勿論、多くの女性たちの運動や願いであったことは事実ですが、「私たちには必要な法律」だと捉えられているでしょうか。現実には、男女共同参画社会基本法の存在すら知らない人も多くいます。
 正直言って、私の感想は「え?」と言う驚きが最初でした。数ヵ月の審議でスピード成立し同月施行された「男女共同参画社会基本法」は何なんだと思ってしまいました。しかも、その頃は「日の丸・君が代法案」「周辺事態法」「盗聴法案」と私たちの不安をよそに、どんどん反動法案が成立しました。また1995年には夫婦別性を盛り込んだ民法改正案が、「家族の絆が崩れる」という保守政治家の強い意向により廃案となったこともありました。こんな中での「基本法」施行は、こんな法律ぐらい施行しても何ら影響を及ぼさないだろうという政府の強気さがあったのではないかと私は思います。
 しかし、どんな状況であっても成立したことはやはり喜ばしいことですし、これからの法の活用を通じて不充分さなどを明らかにし、じっくり読みとりたたかいの背景としていかねばなりません。
 「基本法」には、都道府県での条例制定と基本計画作りが義務づけられ、市町村においても条例制定が努力義務として明記されています。「基本法」が施行されてから各地で条例が制定されてきました。いち早く埼玉県・東京都は2000年3月に施行されていますし、続いて鳥取県・富山県・三重県・山口県と次々に各地で制定されてきました。
 こうした流れの中で、奈良県にも「男女平等条例」をつくろうと、北京女性会議に参加された女性たちを中心に呼びかけられ2000年7月に「奈良に『男女平等条例』をつくるネットワーク」が結成されました。私自身も最初は呼びかけ人の1人として参加し、このネットワークの代表を任されることになりました。もう1人の代表のフェミニストカウンセラーの朴才暎(パクチェヨン)さんとの絶妙な(?)コンビネーションで楽しく条例制定に取り組むことができました。
 2000年4月にネットワーク準備会を始め、7回の会合を経て7月の結成に至ったのですが、呼びかけの段階からかなりの議論がありました。争点は、これまでの「内輪」の運動から脱却しネットワークをより幅広い人たちに関わってもらい、どれだけネットワークの輪を広げられるかということについてでした。そのため「超党派」とし様々な分野にもっと参加してもらった方がいいのではないか、男女平等条例だから男女半々の呼びかけ人にして、賛同者も同様に等、かなり激論をしました。
 さすがに、日頃男女平等運動に関わっている女性たちで豊富な知識と、スキのない議論でアッという間に時間が経過しました。その後7月16日に「奈良に『男女平等条例』をつくるネットワーク」結成集会を約150の個人と団体賛同のもと開催し、県女性政策課(現、男女共同参画課)とも条例制定にむけて協議を行い、連携を保ちながらすすめてきました。

3. 学習活動

 結成当時は、全国でも東京・埼玉など条例制定自治体が少なく運営委員会などで、各地の状況など資料を収集しながら、基本法の内容なども含め「男女共同参画」「男女平等」の相違などを学習・討論を積み重ねてきました。さらに、奈良県における男女平等政策の進捗状況などを、2000年9月20日に県女性センターで県女性政策課(2001年4月男女共同参画課に改名)大石課長補佐を講師に招き学習会を開催しました。
 また、2001年1月29日に橿原市社会福祉総合センターで、奈良県主催の男女共同参画プラザのワークショップにネットワークとしてパネルディスカッションで参加しました。県内市議・弁護士・DVサポート(えんぱわめんとA子さんをささえたい人この指とまれ)・奈良教組の4人のパネラーがそれぞれ違った角度から男女平等と条例の必要性について問題提起を行い、約60人の参加者からも多くの意見がだされ、予定時間を超過する程の熱心な議論ができました。
 請願が採択された2000年12月県議会まで30数回におよぶ学習会・検討を行いネットワークとして独自の男女平等条例案を作成しました。私たちネットワークのメンバーは本当にエンパワメントできたしなんと言っても、弁護士にカウンセラー、教職員に各女性団体の長、市会議員・町会議員、記者に労働界と豊富な人材でその意見は「無料」で聞くのはもったいない話ばかりでした。

4. 男女平等条例制定「請願書」提出の取り組み

 男女共同参画社会基本法の学習や、条例制定の手順等の学習、更に奈良県における実態の把握と学習を重ね、どういう方法がより効果的なのか議論し様々な手法の中で県議会へ請願書を提出し条例制定決定~条例案知事提案という流れが最短期間で結論がでるということで選択しました。
 請願方法は「地方自治法第12条 住民の条例制定改発請求権」「第74条の4 選挙権を有する者の五十分の一の連署添付請願」「第124条 紹介議員1人以上を通じて議長宛に請願提出」「第112条 議員の議案提出権、議員定数の十二分の一の賛成」「憲法第16条 国民の請願権」等を初め様々あり、その中から選択したのは地方自治法第124条の紹介議員を通じる請願書提出の方法であり、県会議員への賛同行動は「超党派」という原点で、奈良県には5人の女性議員がいますが、自民党1人、公明党1人、共産党3人で、民主党や社民党の女性県会議員がいないことからかなり困難な取り組みでした。しかし、要請した2人の女性議員はすべて賛同いただき、男女平等の課題は党派も超えているんだとも感じました。最終的には、県議会厚生委員会役員の関係と「男女平等」の趣旨から男女1人ずつの紹介議員をお願いすることになりました。
 当初、9月議会での請願書提出を予定していましたが、県女性政策課より「まだ事務方の準備が整っていないため請願は12月にしてほしい」との要望があり、9月議会では「要望書」を知事と県会議長に提出し、12月県議会での「男女平等県条例制定請願書」提出となりました。12月14日の厚生委員会で全会一致で可決され、18日の本会議でに可決され、奈良県に男女平等条例を制定することが決定しました。同時期に部落解放同盟奈良県連合会女性部も同趣旨の請願書を提出し、男女平等の潮流にも後押しをされた形となりました。そのほか、民主党・社民党の議員の方々にも様々な形で協力をいただきました。

5. 私たちの求める「男女平等条例案」策定の取り組み

 奈良県は、12月議会での条例制定請願可決直後に「男女共同参画推進条例検討委員会」を発足させ具体的に条例内容の検討がはじまりました。
 私たちは、あくまでも「奈良の実態に即した」「私たちの求める男女平等条例」の制定を願っているのであり実効のある内容にと、検討委員会へのネットワークからの参加や、検討委員会議論の透明性を県に申し入れを行いました。
 一方で、結成当初より自分たちで私たちの求める「条例案」を作成していこうとしていたことから、まず広く県民に意見を応募する取り組みとして、県女性センター・県婦人会館・生駒市女性センター・天理市女性センター等に公募用紙を置き、郵送・FAX・Eメールで受け付けました。寄せられた意見や要望も参考にしながら数十回におよぶ学習会や検討を重ね、一定中間まとめができあがった段階で1月31日県検討委員会主催の条例の意見公聴会で「中間まとめ要望」を知事と検討委員長に提出しました。公聴会には20人が参加し、「名称を平等に」「女性への暴力は人権侵害」「苦情処理委員会の設置」「市町村の条例制定支援」「マイノリティの視点」「男女のみならず全ての性差別禁止」等多くの意見を述べました。
 その場での議論をふまえ、中間まとめ案を更に補強するためネットワークで3月17日~18日合宿を行い、深夜まで議論し成案の策定となりました。 私たちの求める「男女平等条例案」の特徴は「男女差別のみならず、全ての性差別を対象」「あらゆる女性への暴力は人権侵害であり犯罪である」「苦情処理委員会の設置」「市町村における条例制定の支援」「男女平等実現に学校教育、生涯教育の場で積極的に推進」「奈良県における伝統、文化、風潮、社会通念に残る男性優遇傾向の解消」「奈良県は全国的にみて女性の就業率が低く、働く権利は人権とし女性の労働を保障」「審議会委員の公募制」等であり、こうしてできたネットワークの条例成案を3月29日知事と検討委員長に提出しました。
 活動を始めて半年で結果が得られたことで、運動に参加した女性たちにはかなりの自信につながったことと、男女平等社会にむけて着実に動いていることを感じました。
 最終的に2001年6月県議会で全会一致で「奈良県男女共同参画推進条例」として成立し、7月の「差別をなくす強調月間」にあわせて施行されました。内容は、私たちが求めた独自の「男女平等条例」(案)と比較するとかなりスリムであり、「苦情処理」のあり方が全くふれられていないとか、条例に基づく審議会委員の選出基準があいまいであるとか、財政措置の裏付けがない、見直し条項がない、検証機関がないなど不充分な内容の部分もかなりありました。
 しかし、セクシュアルハラスメントにはかなり重点的にふれられていること、審議会委員の男女比率、市町村の条例制定支援等は、私たちネットワークの独自案を活かされたものであり一定の意見反映は出来てきたと言えます。
 私たちの取り組みと並行して部落解放同盟奈良県連合会女性部も同じく請願活動、署名活動などを行いながら条例作りに取り組まれ、大きな力の結集により近畿初の条例制定となったわけです。
 以後これまで、県内でも大和高田市が条例制定をし、奈良市や斑鳩町、平群町も制定検討を始めていますが、行政主導のなかでどこまで実効あるものか不安があると同時に市町村条例制定にむけての取り組み強化が必要です。
 2002年7月1日「奈良県男女共同参画推進条例」制定の1周年に、「奈良に男女平等条例をつくるネットワーク」として条例制定1周年を検証する学習会を開催しました。教育現場・暴力サポートの立場・行政の立場・人権擁護委員・町議をはじめ様々な分野から多くの男女の参加があり、それぞれの立場から、条例制定によって何がどのように変わったのか検証を行いました。公共の施設名や講座名が「女性」から「男女」の変わったことくらいで特に生活に変化は感じられない、という意見もありましたが、居住地の学校が男女混合名簿になったという意見も出されました。
 必要であるからこそ「求めた」条例を、制定されたことが決してゴールではなく、そこからのスタートであることを確認し、条例と2002年2月策定された「男女共同参画プラン21」(基本計画)を活かしていき「達成されたところ」「不十分なところ」を明確化していき、次のステップへの運動へとつなげていくことが大切であり、求めた私たちの責任でもあるのではないでしょうか。

活 動 経 過

奈良県「男女平等条例」(案)

奈良県男女共同参画推進条例