【自主レポート】

「折戸神社と戦争の遺構と風力発電」

青森県本部/風間浦村職員組合 冨岡  宏

1. 風間浦村の概要

(1) 自然的条件
   当村は、青森県下北半島の西北部に位置し、津軽海峡を隔てて北海道と相対している。東西20㎞、南北8㎞、面積69.58k㎡の臨海村である。津軽海峡に面した海岸線延長約20km及ぶ狭隘な土地に本村の全集落である下風呂・桑畑・易国間・蛇浦の4集落が点在しており後背地は、険しい山岳地となっている。
   総面積の92.9%が林野で、そのうちの78.8%が国有林野となっており、そのほとんどが傾斜地で平野部は極めて少ない。
   気象については、積雪寒冷地帯で春から夏にかけて偏東風(ヤマセ)が吹き、冬期は偏西風が非常に強く吹き荒れる日が多く、梅雨期には濃霧の発生する日が多い。
   年平均気温は9.5℃前後、降水量は年間1,000~1,300mm程度で8月から10月にかけて多い。
   降雪は11月下旬に始まり、山間部では1m以上に達するところもあるが、県内では比較的少ない方であり、3月下旬には消雪する。

(2) 歴史的条件
   下北地方は、徳川幕府時代に入り盛岡南部氏の領地となり、田名部(むつ市)代官の支配下におかれた。明治維新後は、会津藩主松平容大3万石をもって封ぜられた斗南藩となり、明治5年戸籍法の施行により、陸奥の国北郡下風呂村・易国間村・蛇浦村の3村になった。明治11年郡制施行により北郡を上北・下北の2郡に割られ3村は下北郡に属した。明治22年町村制の施行により、下風呂村・易国間村・蛇浦村の3村を併せ、それぞれの村の一文字をとって風間浦村が誕生し、村役場を大字易国間においた。
   古くから豊富な磯資源を中心とした漁業と、古くは湯本と称した下風呂温泉の観光により発展してきた村であり、藩政時代には檜材の移出が行われ和船の往来があった。また、北海道開拓の拠点でもあったことから、当村出身の先人は、北海道各地に輝かしい足跡と偉業を残している。

(3) 社会的条件
   当村と下北地域の中心都市のむつ市との距離は、約40㎞で、国道279号線によりバスで約1時間30分、自家用車では1時間を要する。また、北海道函館市への隣接の大間町よりフェリーで1時間40分を要する。これら地域経済の中心都市からは距離的・時間的に遠く経済的立地条件にはめぐまれていない。

(4) 過疎の状況
   当村の人口・世帯数は、平成12年の国勢調査においてそれぞれ2,793人、929世帯となっており、昭和35年の4,945人をピークに年々減少を続けている。特に若年層の減少が著しくなっており、地場産業の不振等による就労の場の不足、出稼ぎの通年化傾向、結婚適齢期男性の深刻な嫁不足等が原因となっている。一方、高齢者比率は急増し、高齢化が急速に進んでいる。
   このような状況を踏まえ、村ではアワビやエゾバフンウニ・コンブの増養殖事業、東京銀座での「いかさまレース」開催による観光PRなど地場産業の振興に力を入れている。

※「折戸山」おりとやま
  標高119.1m   本州最北端の山である。
  ・折戸神社奥の院
   元和3年(1617年)に折戸山の山頂近くに勧請された。蛇浦地区の人々に厚く信仰される神社である。集落から遠く鬱蒼とした森の中にあり、毎年8月の大祭に地区内の本殿へ迎えられる。

  ・大間要塞折戸観測所跡
   折戸山の山頂に昭和3年ごろ完成したと言われる大間要塞折戸観測所跡がある。津軽海峡に向けられた大間要塞の砲台は低地にあったため、折戸山山頂に観測所を設け、敵船を監視、戦闘の時は有線・無線により砲台と連絡をとりあっていた。
   この遺構は、太平洋戦争末期まで本州最北端の警備にあたった人達を偲ぶ貴重な遺産となっている。

2. 風力発電所計画の経緯

 風力発電所を計画したエコロジー・コーポレーション社は、当初「大間灯台」の風力データを持っていたので、隣接する大間町へ話を持ちかけられた。ところが、大間町では原子力発電所が計画されており、重複するとのことで断られた。その時「折戸山」を見上げ適地とひらめき、風間浦村へ打診した。建設予定地が蛇浦地区の共有地であったため、蛇浦自治会との交渉となった。自治会では、会の運営費等の捻出に苦慮しており、すぐ合意に達し、下北半島での第1号基建設の運びとなった。
 当時、風力発電等のローカルエネルギーは、自家消費しての余剰電力を電力会社へ売電するのが原則であり、そのため小さな温室を作ったりした。しかし、今度は東北電力との売電価格が折り合わず、営業運転まで数ヵ月を要した。
 エコロジー・コーポレーション社は、村への共同出資も呼びかけたが、村では全く受け付けなかった。村では、年間600万円の電気を消費する「あわび増殖センター」を抱えており、当時通商産業省の補助金や有利な地方債を借り入れできたことを考えると、もっと思慮すべきであったと思われる。
 その後、下北半島一円に風力発電計画が持ち上がり、あちらこちらに風車がそびえ立つようになった。おそまきながら村では、平成12年度から風力発電風況調査事業を実施し、風力発電所計画へ一歩踏み込んだばかりである。
 しかし、残念ながら当村は、一般配電線のみであり現在の風力発電所2基分の送電が限界となっている。大間町では計画されている原子力発電所が完成されれば、付近を送電線が通るため、何基でも設置が可能となる。エコロジー・コーポレーション社等では、30基程度の増設を視野に入れているという。原子力発電所をすべて否定するわけではないが、なんとも皮肉な話である。
 この2基の風力発電所の建設により、法人税が5万円×2社及び固定資産税100万円×2基分程度が毎年村の収入となっている。固定資産税については、村全体の4.2%となっており、一般財源の乏しい村財政にとって大きな、そして確実な一般財源となっている。これが30基分ともなれば……と捕らぬ狸の皮算用である。
 また、蛇浦自治会へは年間30万円の土地貸付料が入り、自治会の運営費となっている。
 この「折戸山」山頂近くには、蛇浦地区の鎮守折戸神社の奥の院が祀られている。また、山頂には、大間要塞折戸観測所の遺構があり、そして中腹には、近代的な風力発電所が設置されている。
 実にアンバランスな配置であるが、神社と遺構は鬱蒼とした森の中に隠れていて、遠くからは、威容にそびえ立つ2基の風車しか見ることはできない。
 山頂付近からは、360°のパノラマが満喫でき、特に大間崎灯台・津軽海峡・北海道の山並が手にとるように見える。

3. 蛇浦風力発電所施設状況

・所 在 地 青森県下北郡風間浦村大字蛇浦字折戸19-87
・施設設置者 1基目 ㈱蛇浦風力発電研究所 (エコロジー・コーポレーション)
       2基目 ㈱下北風力発電研究所 (ミツワ不動産)
・発電年月  1基目 平成8年9月
       2基目 平成9年11月
・最大出力  400kw×2基  高さ36m  羽の直径31m(デンマーク製)
・年間発生電力量及び供給電力量   年間平均風速7.8m/s  100万kw時/1基
・建設費(総事業費)   2億4,000万円(2基)
・営業費用  年間料金収入  1,400万年/1基
       年間費用    定期点検費 300万円/2基
                  電気保安協会委託費 80万円
       法 人 税    5万円/1基
       固定資産税   100万円/1基
       土地賃借料   30万円/2基 (蛇浦自治会)
・耐用年数  約20年
・その他
(風況調査) 20mの高さで1年間観測
(鳥害対策) ヒアリング調査の結果、鳥の飛来ルートでなかったため、対策は特に行っていない。
(騒音対策) 騒音レベルの事前調査を行ったが、近隣に民家がなく、騒音に対する問題は特になかった。
(地元対策) 住民に風車を公開し、身近に接してもらえるように配慮している。

4. まとめ

 脱原子力原発・地球温暖化・環境汚染等、発電環境は厳しさを増す一方である。
 当村に隣接する大間町に計画されている原子力発電所も例外ではなく、建設が中途となっている。これは、反対地権者のがんばりや我々自治労が中心となり展開している1坪運動が大きく貢献しているものである。さらには、プルサーマル計画の中止や電源開発株式会社の民営化等が追い風となっている。
 しかし、関連工事は現在も継続されており、地元建設業者やそこで働く地元業者が恩恵を受けているのも事実である。
 財政危機を原子力発電所誘致だけで乗り越えようと考えず、自然エネルギー発電等でも応分の財政効果が図られるはずである。
 願わくは、原子力発電所計画が白紙撤回となり、その用地が自然エネルギーの活用施設や研究施設として利用されることを望むものである。なぜならば、下北半島は、安定した風、潮流、波等自然のエネルギーを持っているからである。