【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第2分科会 まちの元気を語るかよ~町ん中と山ん中の活性化~

 地域活性化の手法として、各地における様々な文化財・文化遺産を活かした取り組みが注目されて久しい。本稿では、2015(平成27)年度より認定が始まった文化庁による「日本遺産」制度について、その背景と概要を振り返るとともに、2018(平成30)年5月24日に認定された豊後高田市・国東市のストーリー『鬼が仏になった里「くにさき」』の認定までの動きと、これからの取り組みについて概観したい。



歴史・文化資源を活かした地域活性化
―― 「日本遺産」への取り組み ――

大分県本部/豊後高田市職員労働組合 大山 琢央

1. はじめに

 地域活性化の手法として、各地における様々な文化財・文化遺産を活かした観光などの取り組みが注目されて久しい。地域の特色を形成する文化遺産は、他所との差別化を図る上で"オンリーワン"の観光資源として期待されており、それらに目を向け、光らせようとする"地域の宝さがし""地元学"などの動きも各地で盛んである。このような動きは、基幹産業に乏しく経済的にも停滞している地方都市において、文化遺産を観光資源化することで、様々な活動を喚起させる一方、文化遺産そのものを保護するための社会的・経済的基盤をも形成する"切り札"と考えられた。
 その顕著な例が、日本が1992(平成4)年に国際条約に批准した「世界遺産」と一連のブームである。旅客誘致の世界的ブランドとなることが明らかになると、地域振興の観点から積極的に登録を推進する動きが各地で活発化した。「遺産」という重厚な語感と、「世界」に認められたという"お墨付き"は多くの関係者に魅力的に捉えられた。一時期は各自治体が登録に続々と名乗りを上げたが、2008(平成20)年イコモスが平泉の登録延期を勧告した、いわゆる"平泉ショック"以降、登録までの過程が極めて困難であることが分かると、急速にその熱意は冷めていった。
 現在、地域活性化を目的とした国の認定制度として文化庁の「日本遺産」がある。詳しくは後述するが、地域内に所在する様々な文化財をストーリー(物語)としてつなぐことで、観光客を呼び込み、地域を活性化しようとするものである。日本遺産は地域活性化を主軸とする制度であり、文化財保護を本質的な目的とする上述の世界遺産登録とは一線を画する取り組みである。2015(平成27)年度より認定が始まった新しい制度であり、その効果は未知数ながら、「国」が認める「日本遺産」ブランドに多くの自治体が注目し、認定に向けた取り組みが活発化している。
 豊後高田市でも国東市と共同で申請した『鬼が仏になった里「くにさき」』のストーリーが2018(平成30)年5月24日に日本遺産に認定された。今後は観光振興・地域振興への各種取り組みと、その効果が期待されているところである。本稿では、日本遺産制度の背景と概要を振り返るとともに、豊後高田市の認定までの動きとこれからの取り組みについて概観する。

2. 「日本遺産」成立の背景

 文化庁による日本遺産制度が成立するに至った背景については、いくつかのアプローチが考えられる。一つには「文化財の保護から活用へ」の動きである。文化財保護法第1条では法律の目的として「文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資する…(後略)」と謳われているが、その重点は専ら"保護"に置かれてきたことは言うまでもない。これまでも度々、文化財の"活用"については議論されてきたが、2000(平成12)年前後より文化財の活用による地域活性化を政府としても期待する動きが加速した。この背景には上述の世界遺産ブームも例外ではない。
 二つ目には「文化財保護対象の面的な広がり」が挙げられる。従来の文化財保護制度は、個々の文化財の重要性に鑑みてそれぞれを"点"として保存・活用を図ってきた。文化庁では2007(平成19)年に文化審議会の提言を受けて、「歴史文化基本構想」の策定を推進することとなった。歴史文化基本構想とは、「地域に存在する文化財を、指定・未指定にかかわらず幅広く捉えて、的確に把握し、文化財をその周辺まで含めて、総合的に保存・活用するための構想(文化庁HPより)」である。有り体に言えば、域内の文化財を漏れなく把握して一体的な保存・活用を図るとする、文字通り"面的"保護の発想であり、更に同構想が文化財保護に関するマスタープランとしての役割を果たすことが期待された。構想では文化財のまとまりを「関連文化財群」と呼び、「一定の関連性を持ちながら集まった総体」であることとされた。構想における"一定の関連性"は、後述する日本遺産における"ストーリー"に相当することは想像に難くない。日本遺産制度創設の背景に歴史文化基本構想の策定が思うように進まなかったとする見方もあるようだが、あながち間違いでもあるまい。
 三つ目が観光立国実現に向けた、国策としての「国際観光の推進」である。2003(平成15)年に当時の小泉内閣のもとで「観光立国宣言」が発表され、長らく軽んじられてきた"観光"は国家的課題として位置づけられることとなった。これをうけて、"観光立国=外客誘致(インバウンド)"という発想から「2010(平成22)年までに訪日外国人客を1,000万人に倍増させる」とする「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が始まり、2006(平成18)年には観光立国推進基本法、2008(平成20)年には国土交通省の外局として観光庁が発足し、徐々にその体制が整えられていった。アベノミクスの始まった2013(平成25)年以降からインバウンドは継続的に増加しており、韓国・中国・台湾など東アジアはもとより、近年では東南アジアからの旅客も急増している。なお、2017(平成29)年のインバウンドは過去最高の約2,870万人を記録している。加えて、2013(平成25)年には東京オリンピック・パラリンピックの開催が2020年に決定したことが追い風となり、今後、更なるインバウンドの増加と、各観光地においてはハード・ソフトを含めた受け入れの整備促進が期待されている。したがって、外国人観光客が各地の日本文化・歴史に興味関心を示し、観て・感じて・体験できるような魅力的な選択肢を数多く用意しておくという点において、日本遺産は絶好のコンテンツとなることが望まれているのである。
 以上のような複合的な要因・背景が複雑に交錯しながら、標記の日本遺産制度が文化庁によって始められることとなった。

3. 「日本遺産」制度の特徴

 日本遺産とは「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを"日本遺産(Japan Heritage)"として文化庁が認定するものであり、ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ること(文化庁HPより)」を目的とする事業である。
 先述のとおり、世界遺産や文化財の登録・指定は、文化財の価値付けを行って保護することが第一義であるのに対して、日本遺産では地域に有形・無形、指定・未指定を問わず点在する遺産を一体的に捉えて"面" として活用し、これらを結びつける"ストーリー"を発信することで、地域活性化を図ることを目的としており、認定に際して新たな文化財の価値付けや規制が発生することは無い。換言すれば、複数の文化財を一定の関連性において上手くまとめたストーリーを認定する制度が日本遺産である。この点は、先の歴史文化基本構想の流れを汲んでいるものと理解できる。
 「日本遺産」というブランド力については未知数であるが、"国のお墨付き"が得られるという点においては地域外における一定の知名度向上が期待できる他、情報発信・啓発普及、また、調査研究など日本遺産に係る事業費には国の補助金が受けられるというメリットがある。これまで、文化財の活用に関する補助金については不十分な面もあったが、地域活性化を目的とする文化財の保護・活用に係る国からの資金面の支援は、各自治体においては魅力的な事業といえる。
 とはいえ、申請をしてすぐ認定されるという類いのものではなく、外部有識者からなる「日本遺産審査委員会」の審査を経て、文化庁が認定する流れとなっている。無論、申請した"ストーリー"の良し悪しが認定を左右することは言うまでもない。日本遺産の審査基準は、「①ストーリーの内容が、当該地域の際立った歴史的特徴・特色を示すものであるとともに我が国の魅力を十分に伝えるものになっていること」、「②日本遺産という資源を活かした地域づくりについての将来像(ビジョン)と、実現に向けた具体的な方策が適切に示されていること」、「③ストーリーの国内外への戦略的・効果的な発信など、日本遺産を通じた地域活性化の推進が可能となる体制が整備されていること」の3つからなる。とりわけストーリーの内容については、「興味深さ」「斬新さ」「訴求力」「希少性」「地域性」から総合的に判断される。すなわち、"オリジナリティ"と"わかりやすさ"が重要であり、既に認定されたストーリーとの類似性が指摘されるものや、専門的知見の多いストーリーは敬遠される傾向がある。類似性のあるストーリーは切り口を変えてみたり、タイトルを分かり易くキャッチーなものにしたりする工夫等が求められる。
 ストーリーのタイプは二種類あり、単一の市町村内でストーリーが完結する「地域型」と、複数の市町村にまたがってストーリーが展開する「シリアル型(ネットワーク型)」が存在する。但し、地域型で申請できる条件は、歴史文化基本構想(又は歴史的風致維持向上計画)を策定済の市町村に限られており、同構想において関連文化財群を域内で完結させている自治体に合わせている条件であることは自明である。
 なお、2018(平成30)年5月現在までに認定された日本遺産は67件となっている。各年度の認定件数内訳は2015(平成27)年度に18件、2016(平成28)年度に19件、2017(平成29)年度に17件、2018(平成30)年度に13件である。文化庁では、2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに認定数を100件程度とする意向であり、今後も同様な認定数が続くと思われる。一方で、第1期認定から3年が経過し、認定後の取り組みや効果についてのメリット・デメリットが報告されるにしたがい、認定に向けての取り組みの見直しや見合せを行う自治体も出てきている。

4. 豊後高田市の認定に向けての取り組み

 豊後高田市では、2015(平成27)年度より翌年度の第2期認定に向けて教育委員会(27年度当時は教育庁総務課文化財係)で、国東市と共同でのシリアル型のストーリー作成等の取り組みを始めた。その背景として、国東半島に展開していた仏教文化「六郷満山」が伝説的僧侶・仁聞によって開創されたと伝わる718(養老2)年から数えて2018(平成30)年には1300年となる節目の年に向けて、国東市・豊後高田市両市において各種取り組みの機運醸成が図られていたこと、また、六郷満山文化ゆかりの巡拝行である「峯入り」についても現在の順路が国東市・豊後高田市両市にまたがっていたことなどの共通点が挙げられる。
 したがって、当初は国東半島の仏教文化「六郷満山」を前面に押し出したストーリーを作成して申請を行ったが、事前準備や各方面との連絡調整・指導が不十分であり認定には至らなかった。2016(平成28)年度からは大分県が「日本遺産認定推進事業」を開始し、日本遺産認定をめざす取り組みを支援することとなり、その受け皿として関係者や有識者らで構成する「認定推進協議会」が発足した。前年度にも増して文化庁及び推進協議会での協議・検討の中でストーリーは六郷満山文化から"くにさきの鬼"にブラッシュアップされ、より良いものに仕上がったと思われたが第3期認定には至らなかった。
 前述のとおり、申請したストーリーの審査は文化庁ではなく、外部有識者らで構成される「審査委員会」に委ねられており、認定・不認定の傾向と対策が立てづらく、「次回申請に向けてどのように取り組めばよいか」という方向性が見出しづらかった。また、年度ごとに提出書類や書式に変更があり、その情報収集や対応に追われることもあった。"三度目の正直"となった第4回認定に向けての申請では、前回申請時に提案した"くにさきの鬼"のストーリーを更にブラッシュアップさせ、鬼の文化の特色をより際立たせた取り組みなどを盛り込んだ。
 その結果は、冒頭に述べたとおり2018(平成30)年5月24日に日本遺産に認定され、"六郷満山開山1300年"の記念すべき年に華を添えることとなった。

5. 『鬼が仏になった里「くにさき」』のストーリー

(1) ストーリー概要
 「くにさき」の寺には鬼がいる。一般に恐ろしいものの象徴である鬼だが、「くにさき」の鬼は人々に幸せを届けてくれる。
 おどろおどろしい岩峰の洞穴に棲む「鬼」は不思議な法力を持つとされ、鬼に憧れる僧侶達によって「仏(不動明王)」と重ねられていった。「くにさき」の岩峰につくられた寺院や岩屋を巡れば、様々な表情の鬼面や優しい不動明王と出会え、「くにさき」の鬼に祈る文化を体感できる。
 修正鬼会(しゅじょうおにえ)の晩、共に笑い、踊り、酒を酌み交わす―。「くにさき」では、人と鬼とが長年の友のように繋がれる。

(2) ストーリー本文
① 「くにさき」の奇岩霊窟に棲んだ鬼達
 ヤマトタケルの父・景行天皇は、熊襲征伐のために周防灘を渡る時、九州の東に張り出す「くにさき」を発見した。瀬戸内海を渡るヤマトの人々にとって、「くにさき」は異界との境界であり、"最果ての地"の象徴であった。幾重にも連なる奇怪な山塊には、霧や瘴気がたちこめ、どこか不気味で、「鬼」でも出そうな雰囲気を醸し出している。いや、この「くにさき」には、実際に鬼が棲んでいた―。
 円形の半島「くにさき」に放射線状に広がる岩峰では、ぽっかりとあいた洞穴を見ることがある。しかも、到底人間が踏み入れられないだろう高い場所にである。そこには途轍もない力を持つ恐ろしい鬼が棲んでいた。かつての「くにさき」は鬼達の棲む異界「大魔所」であった。「くにさき」には、腕力で大岩を割り、割った石を積んで一夜で石段を造ったなど、鬼にまつわる伝説が多く残されている。
② 「くにさき」では、人と鬼とは長年の友
 「くにさき」には、鬼に出会える夜がある。「くにさき」最大の法会「修正鬼会」である。
 鬼は松明を持って暴れまわり、火の粉が舞って、咽るような煙が充満する。服や髪に火が付けばちょっとしたパニック状態に陥るし、松明で尻を打たれる「御加持」もかなり手荒であるが、寺の講堂には悲鳴よりも笑い声の方がよく響いている。
 それは、火の粉を浴び、御加持を受ければ、「五穀豊穣」「無病息災」等の幸せが叶えられるとされるからだ。「くにさき」の鬼はその法力を使って災厄を払う良い鬼として、人々から厚く信仰されているのである。
 鬼へのお供えは「飾り餅」「大鏡」などの餅が多い。長い仏事の合間には唐辛子のきいた「鬼の目覚まし」が僧侶達に出され、最後に大きな丸餅「鬼の目」が縁起物として撒かれ、人々は福を分け合う。毎年、修正鬼会によって「鬼の幸」とでも言うべき「くにさき」の産物の豊穣も約束される。
 岩戸寺・成仏寺では、講堂での所作が終わると、鬼達は集落へと繰り出す。人々はこぞって鬼を自宅に招いてもてなし、鬼と酒を酌み交わす。「知らぬ仏より、馴染みの鬼」とはよく言ったもので、人々は年に一度の鬼と語らえるこの夜をこの上なく心待ちにしている。
 節分のように鬼を払って幸福を得る祭りや、鬼に子どもを脅してもらい良い子にさせる風習は各地で見られるが、「くにさき」の鬼はそれ自体が幸せを運ぶ頼もしい存在である。
③ 鬼に祈る「くにさき」の僧侶達
 鬼と人との深い友情の立役者となっているのが僧侶達である。
 鬼は古来より不思議な法力を持つ存在として、僧侶達の憧れの存在であった。古代仏教の僧侶達は、鬼の姿を探して「くにさき」の岩峰をよじ登り、鬼の棲む洞穴を削って「岩屋」と呼ばれる修行場を作り出し、岩屋を巡る「峯入り」を創始した。堂や社がなくても、霊窟の神仏に自然に手を合わせる、そんな仏教文化が「くにさき」では千年の歴史を持っている。岩屋の多くは「奥ノ院」と呼ばれて、いまでも各寺院の信仰のはじまりと位置づけられている。
 やがて「くにさき」の6つの郷には、最大65ヶ所の寺院が開かれ、「六郷満山」と呼ばれる仏の世界が創られた。そして、六郷満山の殆どの寺では鬼会面が作られ、僧侶が扮する鬼は国家安泰から雨乞いまで様々な願いを叶えてきた。こうして、「くにさき」には鬼に祈る文化が花開いた。現在、修正鬼会が行われなくなった各寺でも、鬼会面の供養を修正鬼会が行われた日取りで脈々と受け継いでいる。
 鬼会面の表情はバリエーションに富み、すごんだ顔だけではない。鬼会面をじっと見つめていると、時には笑顔で、時には自慢げに、もしかしたら鬼のくせして目に涙を滲ませながら、里の昔話を聞かせてくれるかもしれない。
④ 「くにさき」の鬼と不動明王
 平安時代、密教文化が「くにさき」に入ってくると、「くにさきの鬼」は「不動明王」と重ねられるようになる。
 「くにさきの鬼」の姿を見てみると、不動明王との共通点が見られる。鬼の持ち物の1つである剣は、不動明王の宝剣と同じであり、煩悩を焼き尽くす不動明王の火焔光背は、災厄を払う鬼の松明の炎と通じている。そして何より、「くにさき」の不動明王の多くは、かつて鬼が棲んだ霊験あらたかな岩屋「奥ノ院」にまつられていた。
 一般に不動明王は静かに怒りの表情をたたえるが、「くにさき」では丸顔で優しい表情をした像が多い。
 真木大堂や無動寺など、平安時代のやわらかな表現を用いた木造の不動明王たち、石造の熊野磨崖仏や川中不動も表情は優しく、目の前に立つと深い安心感を得ることができる。
 そして、長安寺の太郎天は、子どもの姿をした「くにさき」の神の像であるが、内部の梵字から不動明王の化身であると知られている。不動明王をあえて柔和な顔の子どもの姿で表し、「神」と「仏」の両方の意味を持たせた、六郷満山の叡智の結集した姿をしている。
 様々な姿の不動明王を通じて、「くにさき」の鬼に祈る文化の深さを知ることもできるのである。
 「くにさき」では、怖い鬼でも仏となって、人々の願いを叶えてくれる。鬼に憧れ、鬼と会い、鬼に祈り、鬼と笑う。そんな文化が残る「くにさき」で、あなたも鬼と友達になってみないか?

6. 今後の取り組み

 豊後高田市と国東市が申請した上記ストーリーは、晴れて日本遺産に認定された。無論、認定は"ゴール"ではなく"スタート"なのであって、地域活性化への取り組みは今後、本格的に進めていくこととなる。
 日本遺産はストーリーもさることながら、申請時に「地域活性化計画」と呼ばれる具体的な取り組みをまとめて示す必要がある。前述した審査基準の②にあるように、「地域づくりについての将来像(ビジョン)と、実現に向けた具体的な方策」が示されなければならない。認定後は、この地域活性化計画に基づいて各種事業を進めていくのである。また、同じく審査基準の③にあるように、「地域活性化の推進が可能となる体制」づくりが急務となる。認定を受けた自治体では漏れなく、関係機関の代表者らによって構成される協議会等を組織している。豊後高田市・国東市も例外ではなく「六郷満山日本遺産推進協議会」を発足させ、その受け皿を整えたところである。
 さて、本市の事例に限らず、日本遺産認定に向けてのストーリーの作成やその推敲、ストーリーに絡む文化財(日本遺産では「構成文化財」と呼称)の選択などの作業は、概ね文化財担当部局が主体となって進めることが出来た。しかし、日本遺産制度の主眼はストーリーを介した文化財の活用と地域活性化であり、今後の取り組みについては、庁内でも観光・地域振興等の関係部局と協力・連携して進めていくことが必要となる。また、シリアル型で認定されたストーリーについては複数自治体(広域な事例としては、北は北海道~南は広島まで30数自治体にわたるストーリー(=「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」)もある)にまたがるため、自治体間での緊密な連絡調整が欠かせないことは言うまでも無い。
 今後、豊後高田市・国東市が取り組む「日本遺産魅力発信事業」は、各メディアや媒体を介したストーリーの魅力発信や、ストーリーを観光客に語るガイドなどの人材育成、普及啓発事業などのソフト面に対して文化庁が補助金を交付するものである。これらの取り組みの継続によって"日本遺産"のブランド力が強化され、多くの観光客の来訪を促し、これらに対応する地域の諸活動が活性化するものと期待されている。将来的には諸活動が地域に根付き、持続可能な成長が図られることが望まれているが、当面はそのための"種まき期"として位置づけ、腰を据えて取り組んで生きたいと考えている。




《参 考》
・市川拓也「『日本遺産』で地域活性化 ~世界遺産とは異なる、秘めたる"可能性"~」『大和総研調査季報』27号(2017)
・山下晋司編『観光学キーワード』有斐閣(2011)
・藤木庸介編著『生きている文化遺産と観光 住民によるリビングヘリテージの継承』学芸出版社(2010)
・日本遺産ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/ (2018年6月25日閲覧)
・文化庁ホームページ「日本遺産について」 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/ (2018年6月25日閲覧)