【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第3分科会 どうする? どうなる? これからの自治体

 神石高原町は広島県の中山間地域に存在しており、全国的にも早い時期から過疎高齢化社会を迎えてきた。2004年に4つの町村合併を行ったが、その合併による地域の現状分析と合併後に地域住民との関わり、役割分担により自治体運営や少子高齢化対策の取り組みを行っていることについての報告。



神石高原町における市町村合併と新しい過疎地域の
自立・活性化における協働によるまちづくり

広島県本部/神石高原町職員労働組合 矢川 利幸

1. 神石高原町の人口減少とその背景

(1) 高度成長期過程の人口縮小
 神石高原町は2004年に4つの町村合併により誕生した町で、標高約400~700mの吉備高原に位置し、わずかな平地と里山、丘陵地で構成された中山間地域です。戦後から緩やかに続く近郊都市への人口の流出により、全国的にも早い時期から過疎高齢化社会を迎えてきました。
 総人口は第1次ベビーブームの32.8千人をピークに高度経済成長期の1965年頃から1970年にかけて5年間で10%以上の人口減少となり、1970年には約2万人を割り込み、急速な人口規模の縮小を経験しました。その後、1985年から近年までは5%強の減少で推移しましたが、合併以降、再び10%を超える人口減少となっています。


図1 総人口の推移と将来推計
資料「神石高原町人口ビジョン」

 この間、町全域に10戸に満たない小さな集落が増加し、集落機能の低下が総体的に進んでいます。また、人口減少に伴う影響は、児童の減少により小中学校の統廃合が進み地域住民の精神的、機能的な核が失われてきました。
 本町の人口減少の大きな原因は、町外への人口流出で、18歳の進学時・就職期、とりわけ22歳前後の女性の転出が多く、統計からは結婚や雇用の機会を求めて都市部へ流出しています。女性の人口推移を見ると、20歳~39歳人口は2010年時点で566人、2040年には144人に減少すると見込まれます。その一方で、高齢化率は2018年2月1日現在で46.5%と高く、少子高齢化の進行は全国でトップクラスとなっています。

図2 15~39歳女性人口の将来推計
資料「神石高原町人口ビジョン」

(2) 3つの空洞化
 現在、町の人口は1万人を切り、人口減少による弊害は数多く、さまざまな問題が表面化しています。その中でも、長年にわたり人口減少を経験したため、「この町にはなにもない」などの言葉に代表されるように、地域への愛着やこの町に住む誇りまで低下する現象となり、合併以降、再び10%を超える人口減少の原因の一つと考えられます。
 本町のコミュニティの基礎単位となる集落は218あり、集落状況は人口減少における弊害が数多く、すでに様々な問題が表面化しており、一言で言うと「人・土地・ムラの空洞化によって、集落機能が大きく低下している」状況ということになります。
 具体的には、
○多くの集落で高齢化の進行や担い手不足により、農地、道路の保全や冠婚葬祭などの共同作業を行うことが困難になっている。
○ひとり暮らしの高齢者など、生活や健康の維持に不安を抱える住民が増えている。
○空き家の増加、常会が開催できない、住民リーダーの不在、コミュニティの存続そのものが危ぶまれる集落もある。
○商店の閉鎖・撤退、学校の統廃合などにより、地域から活気が失われ、生活の利便性が低下している。といった問題が拡大しています。


図3 小学校位置図
昭和初期
  現在
                 
資料「神石高原町」    

 こうした状況は、過疎に対するあきらめムードや、地域への愛着や誇りが薄れる「誇りの空洞化」まで引き起こしています。
 また、年配層などは「住みたくても住み続けられない」という厳しい現実に直面しつつあり、この空洞化によって引き起こされるさまざまな状況は、さらなる人口流出を招きかねず、悪循環に陥ることが懸念されています。

2. 団体自治の財政規模縮小から考える

 一方、法改正により合併特例期間が延長になったものの、法が定める10年間の期間を過ぎ、段階的に地方交付税が縮小しています。本町の財政規模は一般会計予算総額が約100億円、内、地方交付税は約50%の割合を占めています。財政調整基金をはじめとする貯金が100億円程度あるものの、今後においてはすべての公共サービスを団体自治だけで担うことが困難となりつつあります。
 また、指定管理者制度や介護保険制度改正に代表されるように、公共サービスの担い手も「官から民」の流れとなり、これまで高度成長期過程で豊富な税収があった時代に拡大した行政サービスが抱えきれなくなった時代となってきました。
 合併特例期間が経過し、町の財政もいよいよ逼迫し、行政の機能は縮小・衰退を余儀なくされ、かつてのような町が単独で支え得る公共サービスがますます限られてきた昨今、公共サービスはどうあるべきか、また、誰が担うべきなのか、その際の自治体の役割は何なのかを真剣に考え、行動する時代となりました。
 私たち公共サービスを担う者は、少子高齢化と人口減少社会の中で、住民自治は様々な課題が顕在化・深刻化し、集落、地域機能の衰退が進む一方で、財政悪化などによる団体自治が縮小時代に入るものすごい歴史の大転換期の中で行政活動していることを強く認識する必要があります。


図4 普通交付税の推移
資料「神石高原町」          

3. 神石高原町の協働によるまちづくりと住民自治

(1) 自治基本条例
 神石高原町は人口減少や地方分権を背景に、先進自治体から学び合併の際、自治基本条例「人と自然が輝くまちづくり条例」(以下、「協働によるまちづくり条例」)を制定しました。
 協働によるまちづくり条例を一言で表現すると「まちづくりのあり方や仕組みを住民自らが定めたもの」で、全国の多くの自治体が制定しています。内容は、町民のまちづくりに対する権利と責務、町民がまちづくりに参加しやすくなる仕組み、行政や議会の役割の再定義、などが主な条例の項目となっています。
 背景には、人口減少による、社会構造の変化、危機的な自治体財政、自治体が行ってきたサービスの見直しが必要であり、行政サービスの縮小一本やりだけでなく、町民の力で担える部分は担っていこうというものです。行政が直接行うサービスは小さくなっても、全体としては、サービスの水準を維持しようとする取り組みで、担い手は、町民一人一人、住民自治組織や各種団体、NPO、企業や事業者で、「町民」「議会」「町」はそれぞれが自治の担い手としてお互いが力を合わせて行う部分が「協働」としています。
 特に、第9条(住民の責務)2項の「住民自治組織は、地域の共同管理について地域を代表する組織であることを自覚し、地域における様々な課題に対処する責任を持ちます。」という条文は、高度成長期過程において忘れられた、地域づくりに住民自治組織を明確に位置づけ、これまでも、それが協働であると認識されているかいないかに関わらず、昔から、集落コミュニティによる自助、共助の理念に基づいた活動が行われてきたことを改めて気づかせてくれました。

(2) 合併を契機とした住民自治組織の設立
 本町では合併に伴い ①行政制度の統一を図ること ②行政が広域化した際の住民自治のあり方が課題となっていたこと ③過疎・高齢化による集落機能の低下の状況へ対応することなどや、行政の下請け関係が強かった行政区(振興区)制度を廃止し、住民自治組織の再編が行われました。
 合併後の住民自治組織(以下、「自治振興会」)は「自分たちの地域は自分たちで創る」ことをめざし、合併とほぼ同時に218行政区(又は振興区)を、概ね旧小学校区を中心とした31自治振興会体制に移行することとなりました。自治振興会は、住民と町や自治組織が適切な役割分担を図るとともに、一方的であった町と地域の関係を脱却し、「行政との協働と補完によるまちづくり」をめざす「町のパートナー」として位置付けられました。
図5 自治振興会体制図
 資料「神石高原町」
 しかし、自治振興会の設立にあたって、旧町村(油木町、神石町、豊松村、三和町)の取り組みや設立までの経過に温度差があったこと、合併新町建設計画(ハード事業)などの合併調整事項に時間を割かれ、条例づくりに多くの期間、多くの住民参画が得られなかったことが、合併後のまちづくりに少なからず課題を残すことにもなりました。
 合併後10年を迎えた頃、加速的に進む過疎化や少子高齢化に伴って、集落活動や一部の自治振興会でも活動が困難化している地域もみられるようになりました。自治振興会アンケートの結果からも「役員の後継者が不足している(80.6%)」、「役員の負担が大きい(64.5%)」、「人口減少、高齢化などで活動の継続が難しい(51.6%)」 など、現行の規模や体制では活動が困難化するという厳しい結果となりました。
 また、地域内に存在する様々な団体・組織も継続が困難化することも予想され、現在は課題が顕在化していない地域においても、今後、集落の維持や高齢者の生活手段の確保など大きな課題になってくると考えられ、「行政責任」としても人口減少を見据えた地域コミュニティ体制を早い段階で再構築することが求められるようになりました。


4. 「新たな地域コミュニティ組織」づくりに向けて

 神石高原町は、合併以来、「職員数」「公共施設」「借金」の3つの過剰を抱えて、その解消を図るため、かつてのような行政サービスの拡大提供はできなくなり、住民と行政がギブアンドテイクで協働する仕組みなしに町を維持することはできなくなる一方で、協働の担い手となる自治振興会なども前述したように少子高齢化と人口減少によって、現行の規模や体制では地域コミュニティの運営が立ち行かなくなりつつあり、従来型の行政サービスにとらわれず、新しい制度や仕組みを積極的に取り入れた、「将来を見据えたまちづくり」をめざすことが喫緊の課題となっていました。
 特に、集落や地域には各種の組織や役職があり、行政施策の関連で組織化されたものも多く、縦割りで運営されている傾向があり、また、自治振興会、社会福祉協議会、公民館、各種の地域団体は、それぞれに目的をもって独立して活動を行っており、行政の縦割りの体制に合わせて、系列化されており、人口減少時代を背景に「再編又は整理統合」することが必要となっていました。
 新たな地域コミュニティ組織化に向けては、2013年度から行政内部で本格的に検討が行われ、同時に、まず、第一に住民の自発的な取り組み意識ややる気、維持・活性化に向けた地域のまとまりといった機運の醸成が必要であることから、住民自治組織を中心に、住民意識調査の実施、住民向け・職員向け研修会の実施、情報発信など、条例制定時の反省に立ち返り重点的に取り組むことになりました。


図6 協働支援センターイメージ図
資料「神石高原町」          

 新たな地域コミュニティ組織「協働支援センター」は、2017年に旧町村ごとに自治振興会を主な構成員として組織化され、その後、公民館、営農組織、PTA団体、青年会女性会、老人会、消防団、サークル団体、住民団体など、「地縁型組織」「目的型組織」「属性型組織」が一同に会する「協働体」に発展しつつあります。
 協働支援センターの役割は、①旧町村単位の課題やテーマを共有するとともに、解決方法やアイディアを幅広く出し合い、「地域の総力を結集」すること、②行政との関連で縦割りにされ、個々別々に活動してきた「多様な団体をつなぐ」こと、③行政依存ではなく、地域づくりを住民の手に戻すことで、地域のニーズや特色に沿った方法で効率よく地域の活性化を図ることで、「様々な団体が連携する場を創出」し、「地域全体をつなぎ、住民と行政の新たな協働を推進するコーディネート役」となることが期待されています。


図7 協働支援センターと町の関係

資料「神石高原町」          

 協働支援センターは、旧町村の住民代表的な組織とし、そこに財源や権限を委譲し、自主的な地域課題解決活動を推進していく、住民自治の組織手法です。
 住民が身近なところに、「決定機関」と「実行機関」をあわせもった組織として位置付けられ、行政からの財政支援は、従来型の使途が限定されていた補助金制度から、「一括交付金制度に見直し」され、主体的にまちづくりを実施する意識を高めるため、事業実施の柔軟性及び資金使途の裁量(自己決定、自己責任)の最大化に配慮したものとなっています。
 今後は、協働支援センターの運営にあたっては、人口減少に伴う町税の減収や地方交付税の減額など、益々厳しくなる財政状況のもと、交付金や補助金に多く依存することなく、「多様な自主財源の確保」に積極的に取り組むことも必要となります。

5. ふるさと納税制度の活用

 神石高原町のファンづくりをめざしてスタートした「ふるさと納税制度」を活用し、2014年度から協働の担い手となる「自治振興会」や「町内のNPO法人」を寄附先に指定できるようにし、2016年度からは、「協働支援センター」を加え、この町で生まれ育った地域を直接的に支援できるよう制度改正しました。2017年度の寄附額は5億円を突破することになりました。寄附者から寄せられた言葉の中に、神石高原町の取り組みは「お礼産品で寄附を釣る」のではなく、「施策で寄附を募っている」とありました。
 この町を応援くださる寄附者に感謝し、これからも地域活性化、定住促進対策などに協働支援センターやNPO法人などと連携した「新たな仕組みによるまちづくり」を推進する必要があります。

6. 皆で知恵を出し合って実現すること

 神石高原町はいくつもの山や丘が織りなす静かな山村ですが、平地が少なく農業を営む上で決して恵まれた環境ではなく、ハンディともいえます。都市部と比べれば生活の利便性が良いわけでもありません。ですが、先人たちは、「互助と工夫」による住民自治でこのハンディを乗り越えて、今の時代につなげてくれました。
 これまで、協働によるまちづくりを推進する中で、「今まで行政がやってきたことを住民に押し付けるのか」とよく批判の声を聴くことがありました。


 しかし、町の将来を考えたとき、日本全体は少子高齢化と人口減少社会という、ものすごい歴史の大転換期で私たちは行政活動を行っていることを認識する必要があります。
 特に、合併特例法が定める10年間を過ぎ、段階的に財源が縮小していきます。昔のような互助と工夫による住民自治を取り戻し、今まで行政が担いすぎた仕事を整理して、本来担うべき主体に返すなど、次の時代に引き継ぐ仕組みを作ることが、人口減少社会の中での「行政の責務」ではないかと考えます。
 「協働によるまちづくり」とは、どの自治体にも課せられた人口減という厳しい時代を乗り切るための試みの一つかもしれませんが、ただ単に厳しい時代を乗り切るための協働は本質でないと考えます。次世代を担う子どもたちのためにも、人任せでなく、ここに生まれて、ここに住んで良かったと思えるように、楽しく「皆で知恵を出し合い実現する」。このことが協働ではないかと考えます。
 町の人口は1万人を切りました、そのことを残念がったり、隣の芝生を見てうらやましがったりしていても前に進めません。郷土を愛し、可能性を信じて、将来を見据えた取り組みを展開していくことが重要です。先ずは『この町に住む誇りの再生』から。