【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第8分科会 市民とともに「憲法」と「平和」を考える

 これまで、安倍首相とそれを支える「日本会議」などの右派勢力は、日本国憲法によって規定され、戦後日本社会の根幹にあり続けてきた平和主義、主権在民、基本的人権の尊重という原則に対する破壊策動を進めてきました。短期的には「改憲反対」を訴えることが重要ですが、長期的には現行憲法がどのように国民生活の中で活かされているか、今後どのように活かしていくことができるのかを提言します。



職場・地域からの平和運動


大阪府本部/大阪市職関係労働組合・港区役所支部

1. はじめに

 平和と人権尊重の社会の実現にとって、憲法問題は、今後の社会が進む方向を定める要の問題です。しかし、このことは必ずしも多くの国民の共通認識になっているわけではありません。ほとんどの国民が現行憲法のもとで生まれ、育っている中で、憲法問題を最も重要な課題とみる国民は少なく、多くの世論調査では「改憲に賛成」も「改憲に反対」も決して多数ではなく、むしろ、「どちらかというと賛成」あるいは「どちらかというと反対」が多数になっています。これは、ある意味で現行憲法が定着してきていることの結果でもあります。
 安倍政権は、「積極的平和主義」をかかげて、アメリカとともに「戦争をする国」の実現を狙い特定秘密保護法案を成立させました。2016年9月の通常国会で、自民、公明両党が採決を強行し、集団的自衛権行使を認める安全保障関連法案を成立させました。直接武力攻撃されなくても自衛隊の武力行使を可能にし、自衛隊が戦争中の他国軍を後方支援できる範囲も格段に広げることになりました。安全保障関連法成立後も世論の反対はなお強く、同法廃止を求める行動は全国で展開されていますが、今なお、実を結んでいません。
 これで「専守防衛」の政策を大きく転換したことになります。憲法違反の集団的自衛権の行使容認を許さず、粘り強く安全保障関連法廃止の運動を強化し、同法の廃止を勝ち取らなければなりません。
 安倍政権は、2013年12月 秘密保護法強行可決、2014年7月 集団的自衛権行使の閣議決定、2015年9月 戦争法強行可決、2017年6月 共謀罪強行可決しました。
 そして今、改憲を豪語する保守勢力と民主リベラル勢力との対決が続いています。 
 本レポートでは、当支部が大阪市港区内で働く労働者の組合で構成された、港地区平和人権連帯会議で事務局長の任に当たっており、これまで取り組んできた反戦・平和運動について報告させていただきます。

2. 港地区平和人権連帯会議の運動

 私たち港地区平和人権連帯会議は、1993年9月28日開催の「総評港地区センター解散大会」「港地区平和人権連帯会議結成総会」以来、南大阪平和人権連帯会議に結集し、これまでの平和運動の取り組み経過から、従前の運動の枠組みを基本に中小労働運動支援と首切り合理化に反対し、解雇撤回・雇用確保をめざす長期組合の支援などの運動を継承していくことを確認し、この間活動を続けてきました。
 2000年に「民主・リベラル大阪労組会議」が解散しましたが、今日までの大阪における労働運動の中心的役割を果たしてきた労組会議の基本であった協調・協力体制の実績を踏まえ、「21世紀ビジョン大阪懇話会」が設立され、今日まで活動を続けてきました。
 2007年9月末、「21世紀ビジョン大阪懇話会」は、発展的解消をし、現在の運動は「大阪平和人権センター」が引き継いでいます。加盟団体の理解と協力のもと、府内7地域平和人権連帯会議を大阪平和人権センターの地域組織と位置づけ、さらなる運動の展開を進めています。

(1) 大阪港の軍港化を許さない取り組みについて
 1980年の「しらね」以降、大阪港への自衛艦の強行入港が繰り返されています。私たちは、従前の港地協の時代から、その都度幹事会を開催し、自衛艦の入港は「既成事実を積み重ねることによって『有事』の際の港湾施設の便宜供与を見据えた軍港化策動」との認識を共有化し、大阪総評や軍縮協等に結集して大阪市交渉や入港反対・追い出しの現場行動を取り組んできました。
 この間、大阪平和人権センターは、自衛艦の大阪港入港反対行動を取り組まないとする運動方針になりましたが、運動の継続性については、南大阪平和人権連帯会議での論議の中から軍港化に反対し、港湾の平和利用を求める「大阪港の平和利用を促進する連絡会議」が1996年7月15日に結成されました。私たちは、この連絡会議に最大限結集して、「自衛艦をはじめ、あらゆる軍艦の大阪港入港反対」行動に取り組んできました。
 自衛艦の入港に至る経過について、「民間団体が自衛隊に艦船の提供を求める」「国際儀礼を名目にしたエスコート」など、あらゆる機会を利用して大阪港を軍港化しようとしています。また、今まで入港岸壁での「一般公開」や「展示訓練」などは、市民に残っている「軍隊に対するアレルギー」の解除を目的としていることは明らかです。
 また、ここ数年は、大阪市からの事前の情報提供が無いため、当該職場からの連絡要請を受け、自衛隊、大阪市への抗議ファクスを送信する取り組みになっているので、対大阪市交渉、ビラ配布などの十分な抗議行動ができていません。近年このような状況が続いているので、大阪市の情報提供体制について糾弾していかなければなりません。
 私たちには、軍港化された大阪港が甚大な被害を被り、強制連行された人々をはじめ市民が非業の死に至ったという歴史があります。地域に刻まれたこの歴史を未来に活かすためにも、殺戮と破壊が繰り返され、人間の憎悪だけが残る戦争は、いかなる理由があっても許すことはできません。
 社会状況・情勢の変化と運動形態の様変わりの中で、今後とも大変厳しい状況が続くと思いますが、春闘集会・学習会・非核平和行進等日常的な「反戦運動」を継続し、新ガイドライン関連法や有事関連法を実際に発動させない取り組みを積み重ねることによって、大阪港が平和貿易港として運営されていくように、これからも粘り強くたたかっていきたいと考えています。

(2) 沖縄新基地建設反対の取り組みについて
 日本の米軍基地の75%を占める沖縄では、「代替ヘリポート基地」建設予定地の名護市辺野古で強い反対運動が続く中、政府・防衛省は環境現況調査を行うなど、強行にヘリポート基地建設の工程を進めてきました。
 2014年11月には、沖縄知事選で「オール沖縄」として辺野古基地建設に反対する翁長さんが当選し、普天間基地移設を国外・県外に求め、辺野古新基地建設反対の声が一層大きくなりました。さらに、同年12月に行われた衆議院選挙でも、沖縄県小選挙区では自民党が議席を獲得できず、辺野古に基地建設を許さない沖縄の意思が明確になりました。
 それにもかかわらず、政府は辺野古ボーリング調査を2015年1月から再開し、地元の抗議行動にも暴力的警備を繰り返し、調査を強行してきました。地元の移設反対の意思は明確です。埋め立て工事の強行を許さず、基地建設に反対するたたかいに連帯した粘り強い取り組みの強化が求められています。
 2015年7月の参議院選挙翌日から、政府は高江のヘリ基地建設を強行し、反対運動に対しては、本土から大量の屈強な機動隊員を動員して反対派の住民らを排除しています。
 港地区平和人権連帯会議より、南大阪平和人権連帯会議主催の沖縄現地訪問団に毎年代表派遣しており、2018年は3人派遣し、団は合計19人となりました。参加者は、米軍基地や戦跡を訪問し、沖縄戦での出来事や基地問題について学んできました。
 米軍基地問題では、米軍機墜落や弾薬輸送船爆発、米兵による暴行殺人、レイプ殺人、交通事故等での沖縄県民の死亡者数は700人にものぼっています。また、嘉手納基地周辺住民は毎日、深夜にも及ぶ米軍機による爆音被害に悩まされており、たくさんの健康被害が起きています。
 同じように米軍基地のあるイタリア、ドイツでは、米軍の活動にそれぞれの国の法律が適用され、飛行訓練などの軍事行動の制限が大幅に強化されているのに対し、日本は原則として国内法は適用されません。日米地位協定は、これまで一度も改定されず、いわばアメリカの言いなりとなっています。
 2018年2月の名護市長選では、基地容認派の渡具知氏が当選しました。渡具知氏は、選挙で高校生まで医療費無償化を掲げました。アンケートを取れば基地反対の人が多いが、選挙となれば違う状況になります。基地は反対でも自分の生活のことを考えると複雑な住民感情があります。
 現地訪問では、毎年、読谷村役場を訪問しています。役場玄関前に憲法9条の碑があります。読谷村は、沖縄地上戦で米軍が最初に上陸した土地でした。読谷村一帯はたちまち米軍に占領され、当時多くの村民が亡くなりました。戦後も読谷村のほとんどの土地は米軍に占領されたままでした。1965年には、パラシュート降下訓練中にトレーラーが村に落下し、小学生の女の子が死亡しました。村民の米軍に対する反発感情が高まります。村民による抗議行動は勢いを増し、行政も基地返還に向け粘り強く活動を続けました。その結果、1997年にまだ基地が多くの土地を占拠していた読谷村の中心地に村民のための公共施設である読谷村役場の庁舎が建てられました。そして、2006年に読谷飛行場の全面返還が果たされました。戦争のない平和な生活のためにたたかってきた、村民と行政の強い想いが、この憲法9条の碑に象徴されています。
 また、現地訪問では、沖縄本土各地にある沖縄地上戦の戦跡も訪問しています。日本軍が米軍の捕虜になることを許さなかったので、たくさんの住民が集団自決した「ガマ」や北から攻めてくる米軍からひめゆり学徒隊が逃げついた米須海岸を訪問し、当時の状況を平和ガイドから説明を受け、地上戦の悲惨さを学んでいます。
 戦争で悲惨な経験をした沖縄。戦後、アメリカの統治下に置かれ、1972年に日本復帰を果たしますが、今もなお、沖縄には多くの米軍基地があります。日本には憲法9条があったから、47年前沖縄は日本に復帰しました。そして、日本復帰のためにたたかってきた人々が、今、辺野古に座っています。戦後73年、日本復帰から47年、しかし今もなお、基地問題に揺れ動かされる沖縄の人々、なぜ沖縄の人々は何年もの間悩まされ、たたかい続けなければならなかったのでしょうか。本土に住む私たちは、「沖縄だけの問題」とどこかで思っていないでしょうか。沖縄基地問題は、日米安保に関わる問題です。日本人として、行政で働く者としてその歴史と現状を知り、一緒に考えていかなければなりません。
 現在も、私たちの仲間が辺野古など、現地のたたかいに参加し、沖縄新基地建設反対運動を進めています。

(3) 日朝友好の取り組みについて
 2002年9月17日、小泉首相の訪朝により、戦後初めての日朝首脳会談が実現し、「日朝平壌宣言」が調印されるなど、日朝国交正常化交渉に向けた歴史的な一歩が踏み出されましたが、日朝政府間対話は、2008年8月の実務者協議以来中断し、今もなお、日朝関係に改善は見られません。
 2005年9月に北朝鮮の核問題を中心とする6カ国協議で、共同声明が採択されましたが、米朝間の対立などにより最終段階において具体的な進展が図られませんでした。こうした中、2009年5月には2回目の核実験を行いました。これに対して国連では、安全保障理事会決議を全会一致で採択しました。内容は、核実験の強行を最も強く非難するとともに、核及びミサイルの拡散に関わる資金を凍結することや、ヒト・モノ・カネに対象を特定した制裁を課すことで武器等の輸出入をさらに制限するものとなっており、国際関係の緊張化を招いてきました。2011年7月のパリでの日米韓3カ国外相会談で、南北対話の進展→米朝や日朝協議再開→6カ国協議再開の流れを確認しましたが、6カ国協議については2011年から進展はありません。
 この間、頻繁な米韓軍事演習の強行と北朝鮮の短距離ミサイル発射や核実験成功報道など朝鮮半島をめぐる緊張は、激しさを増していました。
 しかし、韓国に新政権が誕生し、文在寅政権がピョンチャンオリンピックをきっかけに北朝鮮との対話の道を切り開きました。第3回南北首脳会談で「板門店宣言」が出され、「統一・不戦・平和」の宣言がされ、「戦争と分断の象徴」が「平和と統一の象徴」に変わり、朝鮮半島の完全な非核化が世界の非核化とならなければなりません。
 日本政府は、朝鮮船舶の入港全面禁止・輸入全面禁止・入国全面禁止を柱とする独自の制裁措置を行ってきました。
 一方、拉致問題を契機として、特に朝鮮総聯や朝鮮民族学校の生徒たちに対しての弾圧、暴行事件、嫌がらせが多発しており、このような行為は人権問題として断じて許すことはできません。
 今後とも引き続き、東アジアの平和と緊張の緩和に向け、日本政府による戦争犠牲者に対する真の謝罪と補償の実現を求めていくとともに、6カ国協議の「9・19共同声明」と「2・13合意」における公約を再確認し、日朝平壌宣言に基づいて両国間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、対話を通じての真の意味での「国交正常化」の早期実現に向け、私たち市民レベルでのより広範な交流がますます重要となってきています。
 そうした立場からも、「日朝友好西・港・大正新春のつどい」について、2001年以降毎年開催することができたことは大変意義深いものであると言えます。さらに、2005年2月11日には、西大阪朝鮮初級学校初の一般公開授業が開催され、継続的な支援を行うことを目的に「西大阪朝鮮初級学校アプロ・ハムケ」(現在:南大阪朝鮮初級学校アプロ・ハムケ)が結成されるなど、市民レベルでの日朝友好の輪は確実に大きな拡がりを見せています。
 また、朝鮮学校の高校授業料無償化適用と補助金支給再開を求める運動を支援しています。
 今後とも引き続き、こうした交流をさらに深め、朝鮮人民が願う朝鮮半島の自主的平和統一の実現と真の日朝国交正常化に向けた取り組みを強めていかなければなりません。

3. おわりに

 大阪市職員労働組合は、労働組合敵視施策により、組合事務所撤去をはじめとして職員を服従させる極めて反動的な教育基本条例、職員基本条例、政治活動規制条例、労使関係適正化条例により活動が制限されています。また、長年、官民連帯で一緒にたたかってきた仲間が差別・排外主義者達から攻撃を受けています。私たちは、こうした一連の労働組合潰しを目論んだ攻撃に負けることなく、一人でも多くの組合員が平和運動に参加し、歴史や現状を知って平和について理解を深め、学んだことを機関紙や報告会を通じて組合員間で共有することが重要であると考えています。
 今後も、総評結成以来の平和四原則(全面講和・再軍備反対・軍事基地提供反対・中立堅持)と護憲の下で「反戦平和・民主主義・人権尊重」の政治闘争を官民連帯で進めていきます。