【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第10分科会 みんなで支えあおう 地域包括ケアとコミュニティー

 医師、看護師不足の為、入院患者の受け入れも出来ない状態となっていた市民病院。指定管理制度移行に向けた動きや4人中3人の医師が辞職する中、市民からも「赤字病院は無くすべきだ」などと市民病院の必要性はないとも言われていた。こうした状況の中、病院存続にむけ、職員が地域と一体になり地域医療を守るために行った取り組みについて報告する。



みんなでつくる志摩市民病院の取り組み


三重県本部/志摩市職員組合・医療部

1. はじめに

(1) 志摩市民病院について

① 志摩市の概要
 志摩市は三重県の東南部の志摩半島に位置し、北部は伊勢市及び鳥羽市、西部は南伊勢町に接し、南部と東部は太平洋に面している。2004年10月に旧志摩郡5町が合併し、志摩市となり、2018年3月末現在、人口50,826人、高齢者数19,329人(うち独居5,122世帯、高齢者のみ世帯3,503世帯)、高齢化率38.0%のまちである。
 志摩市民病院は旧大王町立の病院として開設され、町合併後に旧志摩町立の病院と統合され国民健康保険志摩市民病院となった。その他、市内には公立病院として、県立志摩病院(指定管理)、市立浜島診療所(市直営)、同前島診療所(指定管理)がある。
② 志摩市民病院の状況
 志摩市民病院では、2014年に翌年度からの指定管理者制度の導入をめざして、公募が行われたが、応募者がなく、直営が維持されることとなった。2015年秋には、病院長と外科部長が辞意を表明し、その後、副院長も大学の人事異動により、近隣病院に異動となり、市民病院就任2年目の34歳の医師しか残らない状況となった。
 こうした厳しい状況の中、市と医療スタッフが一丸となり、自分たちの病院を存続させる為、若き医師と病院の立て直しに取り組んでいくこととなった。取り組みにあたっては、2016年に開催された自治労主催の地域医療セミナーで報告された事例を参考とした。とりわけ、医師8人の辞意表明で病院存続の危機となり、地域医療を守るために病院労組を結成し、病院存続のための取り組みを行った北海道松前町立松前病院の事例は、志摩市民病院と重なる部分が多く大変参考になった。

2. 病院存続に向けた検討会

 2014年までの市民病院は一般病棟50床、療養病棟40床の病院であったが、医師、看護師不足の為、一般病棟を休床し入院患者の受け入れも出来ない状態となっていたため、まずは、半分以下に減った入院患者を増やしていくためにどうしたら良いのか、毎日それぞれの部署にて検討会を開催した。抱えている問題は、医師不足だけではなく、看護師不足、介護士不足、すべての部署がギリギリの人数でやっており、業務が終わってからの話し合いは、職員の疲れと苛立ちを増長させた。
 しかし、やるべきことはたくさんあり、やらなければ、最悪、閉院になる危機であった。指定管理制度移行に向けた動きもあった為、一気に縮小、閉鎖はやむを得ない状態である。内輪もめをしている暇は私たちにはなかった。

3. 病院としての方針

 2016年4月になって、新たな病院長が理念として掲げたのは、『この病院で診てほしいと言われた患者はすべて断らない病院にしよう』であった。医師が減ったために、病院として受け入れ出来る患者数は限られる。当然、外来患者数も減っていく状況であった。しかし、病院長は、「とにかく断らない それが、病院の再生には絶対に必要だ」と強く言い切った。
 看護部が大幅な異動を行い、まずは、療養病棟40床満床を目標に掲げた。伊勢市、明和町、南伊勢町の各病院を回り、入院患者の転院依頼を行った。関連各所にも、医師が3人退職したことは伝わっている為、本当に病院として存続ができるのか、病棟は維持出来るのかと言われた。この頃には常勤医3人を確保し、当直体制も整った為、入院の受け入れは可能であることを訴えた。また、収益確保、外来患者確保の為、特定検診や企業検診を行い、公衆衛生費をあげていく方針をたてた。

4. 地域での活動

(1) タウンミーティング
① はじめてのタウンミーティング

 2016年2月から旧町を地区として、5か所でタウンミーティングを開催し、直接、市民の意見を聞く取り組みを行った。地元の大王地区では、温かい言葉をたくさんもらった。存続のための署名運動もする と「病院を守る会」が出来た。私たち、職員に対する労いの言葉をかけてくれる市民もいて、働く励みとなった。
 しかし、市民病院がどこにあるのかも分からない市民が多くいる地域もあり、「赤字病院は無くすべきだ」「公立病院の役割を果たしているのか?」と大変厳しい言葉をもらうこともあった。「自分たちの給与のためにやっているのではないか?」と言った市民もいた。病院は必要だが、市民病院の必要性はないとも言われた。
 それでも、地元の病院しか通えない患者や、金銭的な問題で施設に行けない患者、急性期は脱したがリハビリの必要がある患者、週に3日透析が必要な患者の受け入れなど、市民病院を必要としている患者のため、地域医療を守っていくため、病院存続にむけて職員一丸となり、地域住民に訴え続けた。
 私たちは公立病院だからこそ、社会のセーフティネットとして、どこにも行けない患者を受け入れる役割がある。公立病院でも収益を得ることは重要である。ただ、利益だけに拘っていては医療は成り立たない。はじめてのタウンミーティングですべての住民の賛同を得ることは出来なかった。しかし、引き続き、住民に市民病院の理解を深めてもらうために、住民との対話を続けていく取り組みは、重要であると実感した。
② 2年目のタウンミーティング
 前年に引き続き、各地区でタウンミーティングを開催した。今回のタウンミーティングの目玉は市立浜島診療所に常勤医がくる ということであった。2015年7月から診療所には常勤医がおらず、日替わり外来勤務体制で診療を続けていた。かかりつけ医としての機能を果たすことが出来ないため、ほとんどの患者は他地区のクリニックに転院していった。
 最期は自宅で過ごしたい と望む末期患者にとって緊急往診をしてくれる医師の存在が最も重要である。江角院長は患者の望みを叶える医療をめざしている。その思いに同調し、常勤医で来てくれた医師が総合診療医の大屋医師であった。浜島地区のタウンミーティングはたくさんの人が来場してくれた。そして、市民からの質問は、新しい医師がいつまで、浜島町にいてくれるのか? ということに集中した。来てくれただけでありがたいとは言えない。自分たちは継続する医療を望んでいると言われた。
 その質問に院長は、「大屋先生がいつまでいるかはわからない。ただ、2017年同様、2018年も医学生、看護学生など60人の学生の受け入れが決定している。この学生が必ず志摩市に戻ってきたい と思えるような環境を市民の人たちも協力して作ってほしい。大屋先生がこの地区に来てよかったと思えるように温かく迎え入れてほしい。それが医療の継続に繋がる」と訴えた。自治会長はこの発言を受けて、自分たちで浜島診療所を支えていこう と声を上げてくれた。
 しかし、その後に続いた各町のタウンミーティングは市民病院に対する関心のなさを感じる参加人数の少なさであった。ただ、人数が少ない分、グループワークではリアルに市民一人ひとりの思いを聴くことができた。歳をとっていく怖さ。一人暮らしの不安。病気になっても病院に行くために、往復何円のタクシー代を払わなければならない。病院、薬局に支払いをし、帰りに買い物をしたくてもお金が残らない現実。これが志摩市の高齢者の現状であることを実感した。

(2) イベントへの参加
 志摩市では様々なイベントや祭りが開催される。市民病院のスタッフとしてイベントに参加し、地域住民の中に溶け込み、直接、意見や要望を聞くようにした。
 市民病院から遠い浜島地区の「伊勢えび祭り」に参加し、救護所の役割を担う一方、そろいの法被で市民とともに踊り、祭りを盛り上げた。応援してくれる市民の声が直接、私たちスタッフにたくさん届いた。「こんなにたくさんのスタッフが残っていたのか?」と驚く市民もいた。「負けるな」と大きな声をかけてくれる人もいた。誰かとたたかっているわけではないが、温かい言葉がけはスタッフのモチベーションを上げた。誠実に患者と向きあい、市民の命を守る病院であり続けたい 市民病院を市民から必要と思われる地域の病院にしていきたいと思う気持ちが職員の中で日々、大きくなっていった。

(3) 地域医療集会

 市民病院を守っていくことが、地域医療を守ることであり、私たち医療従事者だけでなく、地域住民と一緒に考え、地域医療をつくっていくために、自治労三重県本部の協力を得ながら実行委員会を立ち上げた。2016年5月以降、実行委員会で議論を重ね、9月に「これからどうなる? わがまちの医療」と題して、城西大学の伊関友伸教授を講師に、伊勢志摩地域の医療情勢と地域医療を守る取り組みについて講演会を開催した。講演会は目標来場者数400人を超え、立ち見も出るほどの大盛況であった。
 伊関先生からは、三重県地域医療構想の中の伊勢志摩地域にて、まちの病院をなくさないために必要なことについて、自治体病院の役割や必要性、地域医療構想に対する自治体病院の取り組みなど、わかりやすく説明があった。また、赤字病院は収益アップの努力は当たり前に行うべきである。ただ、収益ばかりに拘って縮小していくと、志摩市に医者はいなくなり、医者だけでなくコメディカルも働く場所がなくなり、そのまま無医村になると市民に伝えてくれた。今後は医学生を志摩市全体で育てていくことが重要であるとも言われた。
 講演の後、市民病院は縮小すべきだと言い続けていた地域住民からも市民病院存続に賛同する意見が出た。また、市民病院で年間60人程度の実習生を受け入れている取り組みに対して、評価をしてくれる市民が増えた。
 その後も伊関先生には様々なアドバイスを頂き、現在の市民病院の活動に多いに役立たせて頂いている。

(4) はじめての病院祭り
① はじめての病院祭りに向けた話し合い

 2016年10月、病院としてはじめての病院祭りを開催した。時間も知識もなく、予算もない。市民と共に実行委員会を立ち上げ、実質4か月で病院祭りを開催した。
 目標に掲げたのが来場者1,000人。とにかく、予算ゼロであるため、病院スタッフで知恵を絞り、手作り感満載の舞台作りを行った。各部屋の飾り付け、屋台の交渉、オープニングのマーチングバンド手配、保健所への申請など、やらなければならないことは山ほどあった。
 断らない医療を目標に掲げていたため、病院全体が忙しく、業務後の話し合いは、何度も職員同士がぶつかり合った。初めての病院祭りが実際に行えるのか? 本当に不安な日々が続いた。何回かの話し合いで、私たちは、病院として一致団結する為に病院祭りをしよう と決意したことを思い出した。そして、それぞれの役割を細分化して、やりたいこと、やらなければいけないことを整理していくことで、ぶつかり合いは無くなっていった。
 病院食の試食コーナーは、保健所に確認して出来ないことが分かった。駐車場での屋台について、水道の設置場所が遠く、ボランティアの方に大変なご迷惑をおかけすることになった。様々な障害はあったが、なんとか病院祭りを開催できる運びとなった。
② 大盛況となった病院祭り

 当日、マーチングバンドの演奏で幕開けし、病院内は人でごった返しの状態になり、屋台の食事は12時前に完売してしまうという、うれしい誤算が起こった。ただ、屋台を楽しみに来場した市民からは、不満の声も上がったが、1回目だから仕方ない。生まれたての赤ん坊だからな と温かい言葉に変わっていった。
 外来部門では、なりきりナースと題して、ナース服に着替えての写真撮影があり、レントゲン室ではレントゲンの機器やCT撮影でどのような病気が見つかるのか、映像とともに説明を行った。熱心に質問する市民がたくさんいた。
 栄養士は特別食の説明や嚥下食のサンプルを実際に市民に渡して、何のためにこの食事を患者に提供する必要があるのか説明した。メイクセラピーや洗顔セラピーなど、市民病院が無料で提供してきた癒しの手当てを市民にも提供した。市民からは、「病院でこんなことをしているとは思わなかった。気持がよいことをしてもらえて入院生活も楽しくなる」と新たな取り組みを応援する、あたたかい言葉をたくさんもらった。
③ 総合診療をPR

 病院長は、あまり定着していない総合診療について、スライド写真を見せながら講演を行った。祭りの終了間際の時間帯ではあったが、ロビーに入りきらないほどの来場があった。総合診療はどのようなものなのかを、丁寧に説明した。
 そして、これからも市民病院として地域住民に医療を行っていきたいこと、また、24時間一次救急を受け入れる体制づくりや、研修医を受け入れて医師を増やすこと、開業医と連携して、入院が必要な療養の患者を診ていくこと、医学生の実習を受け入れて、志摩市で働きたいと思う若い医師を育て、5年先、10年先の医療を充実させること、役割分担をして志摩市の医療の隙間をつくらないこと、そして理念にも掲げている、すべての患者を断らない医療を、職員一丸となってやっていくことの熱い思いを伝えた。かかりつけ医として、病院長に診てもらいたいという市民が増えたことを、講演後の市民からの、病院長への大きな拍手で改めて実感した。
④ 祭りの後
 最後は太鼓と三味線の演奏で、浜島地区のえび祭の踊りを市民、職員みんなで踊りあった。残ってくれたたくさんの市民が、「来年も絶対やってほしい」「健診受けにくるよ」と声をかけてくれた。病院に対しての、市民の意見や思いを付箋に書いてもらい貼った模造紙は、市民からの思いでいっぱいになった。どれも病院の存続を願う温かい意見であり、本当に働く意欲を与えてもらったと感謝している。
 初めての病院祭りは、大きな事故もなく無事、終わることが出来た。目標に掲げた来院者数1,000人も達成出来た。この祭りにより、市民病院がどのような医療を行っているのかを知ってもらえたと思う。やはり、患者が来院するのを待っているのではなく、市民病院がどんな医療を行えるのかを、市民に理解してもらえるように情報提供していくことが、重要であることを実感することが出来た。

5. 市民病院存続のために

 市民が求める市民病院の一番重要な役割とは、いつ、どんな時にでも診てくれる体制であることであった。昼間なら開業医が診てくれる。しかし、夜間はどこも診てくれない。やはり、救急の重要性を強く求められていた。24時間、365日、医療を受けることが出来る病院であることが市民病院として求められていることである。現在、昼間の救急車しか受け入れは出来ていない。その分、一次救急、直接来院する患者の時間外受け入れは可能な限り行っている。結果、時間外患者の来院数は増えており、処置の必要な一次救急の患者は診ることが出来てきている。
 三重県地域医療構想で伊勢志摩区域の機能分担はある程度決まっており、その構想に基づいて各病院が体制を構築している。市民病院は災害の拠点病院ではないが、災害の支援病院としての役割はある。立地としても高台にあり、避難場所としての役割も担える。これからは、病院内で災害対策委員会の強化を行い、市民病院としての使命を果たしていきたいと考えている。災害はいつ起こるかわからない。南海トラフ地震による大きな災害が予想されるこの志摩市では、基幹病院だけでは災害に対応できない。県立志摩病院は阿児地区や磯部、浜島地区を、市民病院は大王、志摩地区の市民を守るために、役割分担しながら、市民病院としてあり続ける必要がある。
 現在、入院の待機患者が増えてきたため、2016年11月に20床増床し60床の療養病棟にした。生活困窮者や、独居の高齢者の受け入れが増えたため、市の福祉、介護担当部署との関りも深くなっていった。地域包括ケアシステムの構築についても市民病院としてやるべきことはたくさんある。まだまだ、生活しづらい高齢者や地域の弱者と呼ばれる人たちは志摩市にたくさんいる。適切な医療を受け、制度を利用するために健康状態を戻していくことが重要である。
 2017年5月現在、透析患者の待機もあり、2クールの体制を考えている。療養病棟も入退院が激しく、待機患者も増えている。このまま、すべての患者の受け入れが可能な市民病院として存続していくことが、市民にとって必要な公立病院の姿であると思う。そのためには、職員全員が、この病院の存在意義を共通認識として持ち、この病院で働くことに誇りを持ち、笑顔の絶えない職場づくり、若い人たちが働きたいと思える魅力ある病院にしていくことが重要である。

6. おわりに


 タウンミーティング、講演会、病院祭り等、地域医療を守るために、職員一丸となり取り組んできた。その中で、住民に理解されず誤解もあり、行き詰まり、職員同士で意見のぶつかりもあった。しかし、そこから学ぶべきことは沢山あり、これまでの取り組みで得た職員間の交流の中で、同じ目的意識を持つことの大切さを考えさせられた。地域住民・行政・市民病院が一緒に歩むことで初めて、地域医療は守られる。これからも継続して取り組みを行い、日々の診療に活かし、患者さんに安心して来院していただけるような病院づくりにつなげたいと思っている。今後も引き続き、みんなで地域医療をつくっていくために、一歩ずつ歩んでいきたい。