【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第10分科会 みんなで支えあおう 地域包括ケアとコミュニティー

 「措置の時代」と「介護保険制度下での在宅介護」を経験した立場から、現在の介護保険制度の問題点と今後のあり方(将来像)等について考え、制度を充実させるため、在職中にともに組合運動を取り組んだ仲間らに相談し「やさしさとぬくもりのある高齢社会をつくる兵庫の会」を立ち上げ、活動しています。この問題意識を披瀝し活動状況を報告します。



高齢当事者が中心の介護保険制度へ
―― 「介護の社会化」への現状評価と実践報告 ――

兵庫県本部/「やさしさとぬくもりのある高齢社会」をつくる兵庫の会
                山中 小恵(兵庫地方自治研究センター・研究員)

はじめに

 私は介護が「救貧対策的措置の時代」に民間の特別養護老人ホームで3年、神戸市の特別養護老人ホームで25年、介護労働者として働いてきました{この間の労働組合活動歴は、神戸市従(自治労・神戸市従業員労働組合)民生支部執行委員2年、本部執行委員4年、そして民生支部書記長・支部長11年の、合わせて17年}。介護保険制度がスタートした2000年から4年後の2004年に定年退職を迎えました。丁度その頃実家の継母の介護が必要な状態だったため、10年近く在宅介護に関わりました。私が「『やさしさとぬくもりのある高齢社会』をつくる兵庫の会」の活動を開始することになったのは、現在の高齢者介護について、次のことを考えるようになり、問題意識を持ったからです。要約すると、①「介護の社会化」と障害者総合支援制度及び介護保険制度についての考察・評価が必要、②「高齢当事者」を主体にした制度の設計が必要、③「高齢当事者」-介護労働者-事業者の三位一体の介護と「介護労働者の主体性」が求められる、の3点です。

1. 「介護の社会化」と障害者総合支援制度及び介護保険制度について

① 「介護の社会化」は、社会制度に基づいて「家族以外の介護者」から大きな財政負担を強いられることなく介護が受けられることです。今では障害者総合支援制度と介護保険制度が日本社会に(完璧にとは言えないまでも)根付いていると言えます。
 介護保険制度の問題点と今後のあり方(将来像)について考える場合、この2つの制度がどのような社会的・歴史的背景の中でできたのか、また、それはどこがどのように違うのか、を今一度振り返っておく必要があります。
② 「介護の社会化」の"重い扉"を押し開けたのは、紛れもなく70年代の障害者解放運動です。この制度・法律を作ったのは政府・厚労省ですが、このような大きな社会的変化の背景には必ず大きな社会運動があります。
 70年代初頭「青い芝の会」を中心とする障害者自身の「自立生活運動」が展開されました。当時は障害者介護は「家族介護」というよりも「家庭内隔離」の状態でした。障害者が家族を離れて自立生活するにはサポート=ヘルプが絶対的に必要です。「自立生活運動」のサポート=ヘルプを障害者解放運動の活動家が担ってきました。彼らは「善意と共生の無償労働」に自らの生き様をかけて空気のように受け入れてきました。
③ 他方、高齢者介護は家族・家庭―それも多くの場合は女性―の24時間365日終わりの見えない無償労働(=シャドーワーク)によって担われてきました。それが当時の一般的な"社会通念"でした。高度経済成長の時代に「寝たきり老人問題」がクローズアップされ、特別養護老人ホームの創設や老人家庭奉仕員などが法制化されましたが、これも家族・家庭の「介護」が限界を迎え、「家族・家庭介護の限界を超えるもの」を限定的に選別支援するものでしかありませんでした。
 核家族化が進むと高齢者介護は悲惨な状況に直面しました。孤独死・自死・介護疲れによる心中・殺人、老-老介護、介護離職等々いわゆる高齢化社会の様々な問題が社会問題となってきました。このような中で高齢者介護は2000年、障害者の自立生活運動に触発される形で「『家族以外の介護者』が担う社会制度」(=介護保険制度)の創設に向かいました。続いて2006年、障害者介護も制度化{=障害者自立支援(現在の総合支援)制度}されました。こうして日本社会は「介護の社会化」という新時代を迎えたのです。
④ 「介護の社会化」の"両輪"であるこの2つの制度には「決定的な違い」があります。それは「当事者性」です。障害者解放運動を社会的・歴史的背景に制度化されてきた障害者総合支援制度-障害者サービスは、障害者一人ひとりの特性とニーズに合わせたメニューがあり、障害当事者の意見・意思が尊重されてサービスが支給されます。障害者サービスを決めるガイドラインも障害者の運動によって、その枠組み・中身も充実されていきます。サービスプランも相談支援専門員(介護保険制度のケアマネジャーに相当する)によるプランと障害者自身による「セルフプラン」が並存しています。つまり「障害者の当事者性」が尊重されています。
 一方、介護保険制度は、被介護者の当事者性は限りなくゼロに近いといえます。介護保険制度は「定められたメニュー」から高齢者がサービスを選択することになっていますが、実際は「高齢者の実態や意向を無視した要介護認定」とプランを作成するケアマネジャーがすべてを決定しているといっても過言ではありません。なぜこのような違いが生まれているのか? それは両制度が生まれた社会的・歴史的背景の違いにあると思います。介護保険制度は家族・家庭―とりわけ女性―が担ってきた高齢者介護を「家族・家庭以外の介護者」(=介護労働者)が担う社会制度であり、「要介護」高齢当事者の要求をベースに作られたものではありません。「被介護者の当事者性」を"棚上げ"にして、家族介護者の労苦を緩和するために築かれた制度なのです。
⑤ 「介護保険制度を充実させる」という前提で考えるならば、いま問われていることは介護保険制度にいかにして「高齢者の当事者性」を入れるのかということではないでしょうか。これが「介護の社会化」"第2期"の最大の課題であると考えています。

2. 高齢当事者が中心の社会制度へ

① 介護保険制度にどのようにして「高齢者の当事者性」を入れるのか? 重要なことは介護保険制度における当事者とは「介護を必要としている高齢者」だけではなく「今は介護を必要としていない"健康な"高齢者」も当事者である、という視点です。
 いま世間には「ピンピンコロリ」と「ネンネンコロリ」というコトバがあります。このコトバは「私は『ピンピンコロリ』で逝きたい」「『ネンネンコロリ』になりたくない」というふうに使われています。意味するところは「人生後半を健康で暮らしたい」ということですが、逆に言えば"健康な"高齢者の「介護を必要としている高齢者」に対する無意識的な"優越意識""差別意識"そのものではないでしょうか? 介護保険制度に即して言えば「介護保険制度は"かわいそうな人"のための制度であり「私たち"健康な"高齢者には関係ない」との考えから、「部外者意識」が生まれてくるのではないでしょうか? 
② 実はこの「"健康な"高齢者の部外者意識」が介護保険制度における当事者意識の欠如の最大の要因ではないかと思います。なぜなら介護を要する高齢者が「介護サービスに」対して「声を挙げる」ことはまず不可能に近いと言えます。仮に声を挙げても「介護を受けている者が何を"わがまま"言っているんだ」と抑え込まれてしまいそうです。
③ 私は「"健康な"高齢者も介護保険制度の当事者である」ことを特に強調したいと思います。「"健康な"高齢者も介護保険制度の当事者である」という意味は「今は"健康な"高齢者もいずれは通る道(要介護予備軍)だ」ということだけではありません。"健康な"高齢者が「介護を必要としている高齢者」に対して"連帯意識"を持って、介護保険制度のあり方に関心をもち、声を挙げていくこと、このことが介護保険制度に当事者性を入れる最大のカギになると考えます。
 しかし、なかなかそうはなりません。世間では健康な高齢者を対象にして「介護が必要とならない」ために老人大学・老人クラブ等々生きがい対策的な様々な取り組みが行われています。私の身近なところでも労働組合の退職者会がありますが、全員が対象者である高齢者の社会問題に、どれだけの退職者会が強い意識を持って取り組んでいるでしょう。神戸市従退職者会においても、子ども食堂の取り組みや市民ホールコンサートの開催などを取り組んでいるものの、旅行や趣味・ゴルフ・カラオケなどの生きがい対策に熱心にならざるを得ず、時には年金問題・消費税問題・政治(国政選挙など)問題なども取り挙げますが、社会的介護についての討議には未だ行き着いていません。昔の仲間も無意識的に「要介護状態になった自分を考えたくない、考えない」「ああはなりたくない」ということで、介護を要する退職者の話が出ても「○○さん倒れたらしいね」などと、より深入りすることなく素通りします。自分が要介護状態になることを想定することもしない。「そんなことは考えたくない」「なったらなったときのこと」ということで、要介護状態のあり方について検討する機会すらも逃してしまう。結果として「"健康な"高齢者」と「要介護高齢者」の関係は端的に言えば仲間というより分断状態であるということです。この分断は政府・厚労省を手助けすることにつながると思います。
④ 福祉先進国といわれているデンマークでは「高齢住民委員会」という組織があって「私たち抜きに私達の事を決めないで」と声を挙げているそうです。兵庫では「今からでも遅くない」との思いで2017年11月、神戸市従の労働組合運動を共にした退職者らや現在実際に訪問介護に携わっている介護職の方たちに呼びかけ、すでに高齢社会をよくする活動をされている大阪の植本眞砂子さんを講師に講演会を開催し「『やさしさとぬくもりのある高齢社会』をつくる兵庫の会」を発足しました。構成メンバーは"健康な"高齢者、介護労働者、介護を要している高齢者の家族等々です。2018年当初より介護保険制度、障害者総合支援制度などについて様々な講演会・学習会などに参加し学ぶことからスタートしました。「障害者のガイドラインへの取り組み」「介護保険制度の現状」「要介護状態にある高齢者の実態」等を学び、隔月には会報で会に参加されてない方々にも関心を持っていただくよう会報の発行をしています。そのような取り組みの中から会議に参加されている方たちからは、高齢当事者としての自覚が芽生え始め、「要介護高齢者」に対し、現状の介護保険制度上の提供サービスは充分か等、高齢当事者として介護保険制度に向き合い、意見がでるようになりました。また、会に参加されていない方からも電話での問い合わせなど少しづつではありますが介護保険制度について関心を持ち始めています。次回はケアマネジャーさんから、具体にお話を聞き、意見交換することにしています。フリートークを通じて会として今後何ができるのか等々意見交換が進められています。   

3. 被介護当事者-介護労働者-事業者の三位一体の介護と「介護労働者の自主性」について

① 介護事業は「介護の社会化」によって生まれました。障害者介護についてみると「介護の社会化」以前には介護者は家族・友人・知人・ご近所・障害者解放運動の活動家・良心的なボランティア等でした。それが事業化に伴って"一挙に"介護労働者(=介護事業所に雇用される労働者)という位置づけに変わりました。このことは事業主にも言えます。「介護の社会化」以前は事業主は家族・篤志家・宗教家・障害者解放運動の活動家でしたが、それが事業化に伴って"一挙に"事業主(介護労働者を雇用する事業主)になりました。つまり介護者と事業主は"任務分担"に近い状態でしたが、事業化した瞬間から「事業主と介護労働者」という関係になったのです。
② 「介護の社会化」の社会的・歴史的経過から言えることは、被介護当事者-介護労働者-事業者の3者はそれぞれに想いと信念を持ち、それぞれの想いと信念によって介護が成り立っている、ということです。つまり、介護事業は社会的事業そのものであり、社会的事業は被介護当事者-介護労働者-事業者のそれぞれが主体性をもった"三位一体"でなければ成立しない、ということです。
③ これを踏まえたうえで「介護労働者の主体性」についての検証が必要と考え、私の経験の範囲で見られる事象を挙げてみました。
 介護労働者の問題を考える場合、最も重要なことは「介護労働への就労の仕方」です。一般的に労働者は「高校・大学・専門学校等を経て労働力を身につけ、企業を選び職に就く」という"コース"を辿ります。しかし、介護労働者は、最初は介護とは関わりのない他のコースを歩んでいた者が、何らかの理由でこのコースを外れ、気が付けば介護労働に辿り着いていたケースが多く見られるということです。いわばドロップアウトの末の"終着駅"が介護労働だったというケースも見受けられ、かなり高年齢まで働いている場合があります。更に言えば、引きこもりやニートの「非就労の経験」の方も働いておられます。このことは辛い人生経験を多く積まれ、相手の心を読み暖かな心で寄り添えるからこそ利用者にも年齢・性別関係なく受け入れていただけるのではないかと思います。しかし、別の視点、より一般的な見方は「最も報われず忌避された労働」になってしまっているという現実があります。もちろん若い頃から福祉の仕事をめざし、苦難を乗り越えながら福祉の仕事を継続している方もいるのですが、大別するとこの対極にも見える労働者で福祉を支え、数量的にはやはり「やむなく」組の方が圧倒しているのです。
 新卒の方たちが希望に胸膨らせて介護労働についても長続きしないのは、いわゆる3K職場(きつい・汚い・危険)といわれ、さらに気力・体力・気苦労の必要な職種の上に社会的に評価が低い=(賃金が安い)からでしょう。職業に貴賤はありません。しかも必要不可欠な仕事です。尊厳ある労働に値する処遇を確保し、介護労働者自らが「社会を構成する人・動かす人」「社会の主人公」を自覚させた上で、この職業や被介護当事者-介護労働者-事業者の関係などについて学習を重ねる必要があります。
④ 介護事業にとって「人材確保・育成」は絶対条件です。一般企業の新卒なら企業理念の徹底、人事考課(=差別化、今風に言えばキャリアアップ)の実施でしょうが、私の労組活動の経験から言わせてもらうならば、尊厳ある労働の条件が提供されない労働者は、「企業理念、人事考課の受け入れ」が困難です。
 労働組合・労働運動は「労働力を商品とする売り手」として、経済的活動が目に付きますが、実は職場の自主管理能力も一定持ち合わせており、「人材確保・育成」は労働組合(活動)に委ねた方が"有効"であるように思っています。この意味からも介護現場、介護労働者の組織化・労働組合は絶対に必要であると思います。

4. さいごに

 労働運動は賃労働の改善中心の運動から脱却しなければならない-は、何十年も前から言われてきたことですが、その必要性がより強まっています。私はその現実を、自らが老い考え、仲間の代弁の役割も込めた「『やさしさとぬくもりのある高齢社会』をつくる兵庫の会」を立ち上げたことで一層確信しました。そして、これに共感してくれるかつての仲間達や、いま介護の職場で働く皆さんと、地道な活動の緒に就きました。「高齢者介護は高齢者の声を元に」「介護は介護を支える労働者の知恵を借り」等が、一層確信が持て(修正が必要なら当然修正し)、実践に繋がるよう取り組みを続けることにしています。当面は被介護者や介護労働者のアンケートなどを取り組む予定です。
 私の主観や想いを中心にしたレポートでは、共感が得にくいと思います。最後に私の現役時代の活動から、ささやかな経験を1件紹介します。
地域に出かけた介護教室
 「民間で出来ることは民間で」の流れのなか、公立施設としての役割は何か、何ができるのか、地域に開かれた公立施設のあり方について、労働組合内に検討委員会を持ち検討を重ねました。
 そして私達の介護技術を利用し簡単な介護教室を地域に出かけて行って開催したらどうだろうとの意見をまとめ、地域自治会や婦人会に"営業"に行き合意を取り付け実施した経験があります。当時リピートがあり継続できた喜びは今でも忘れません。公立施設も建て替え等を機に順次民営化が進んできましたが、残された公立施設では取り組み始めて14年が経過し、今も地域からの要請を受けて開催していると聞いています。