【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
地元企画分科会 「ふるさと」を次の世代へ~「犠牲者ゼロ」の防災まちづくり~

大規模津波に対する多重防御等の検証
―― 仙台市における東部被災地の再生に向けた施策と
その有効性 ――

宮城県本部/仙台市議会議員 相沢 和紀

1. はじめに

 2011年3月11日14時46分18秒。牡鹿半島(宮城県)の東南東約130km、深さ24kmを最初の震源とする大地震が発生。震源域は幅200km、長さは500kmに拡大し、長時間の揺れとなりました。マグニチュード9.0、震度は最大の「7」を記録した東北地方太平洋沖地震は、東北地方の太平洋沿岸ばかりでなく、東京をはじめとする関東においても被害が発生しました。地震のメカニズムは、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域での地震で、プレートの一部が"将棋倒し"のように連続して地盤が崩れたことによって大規模な津波を発生させた点が特徴です。
 大津波は、海岸防潮堤(TP:6.2m、一部未整備区間あり)をいとも簡単に乗り越えて内陸部へと押し寄せました。仙台市の東部海岸線は平坦であり、次々と押し寄せた津波(海水)は平均3kmも侵入し、4kmに至った所もありました。尚、この数字は海岸線に並行して整備されていた"仙台東部道路(盛土構造、一部は高架式)"が位置していたことが大きな要因でした。つまり内陸部に造られた"堤"が津波の勢いを止める役割を果たしたのです。
 仙台市は、1日も早い復旧・復興を成し遂げるため復興計画期間を「5年間」と定めました。宮城県や他被災自治体は「10年間」であり、未曾有の被害状況からすれば「5年間」という時間はあまりにも短期間であり、住居・生活、そして農地をはじめとする生産基盤の復旧、復興を成し遂げることは至難の業と思えるものでした。しかし、一部の事業を除き5年間で終えることが出来ました。この計画達成の陰には市職員の懸命な働きや各政令都市をはじめとする全国の自治体からの職員派遣等の力がありました。改めて関係者に対して感謝するものです。
 前回の全国自治研(2016年仙台開催)において、復旧・復興の現状とその評価をレポートさせていただきました。今回の土佐自治研において"南海地震"への対応を含め、防災が大きなテーマとなっていることから改めて仙台市が取り組んできた防災、特に津波に対する各種の防災施策に対しての検証を試みました。一部の事業は工事が継続中であり、地域住民の体験を基にした検証に至っていないものもありますが、全国で取り組まれている防災施策の参考になればと考えます。

2. 災害危険区域の設定

 各施策の検証に入る前に、計画策定の過程で根幹となるエリアの区分が非常に大きな問題となりました。2004年の中越地震(長岡市など)では、被災者(世帯)の判断(希望)によって"災害危険区域"を決定できるとしました。しかし、その後の復旧・復興を進める際に大きな課題が生じたとの声を聞いています。また、宮城県内の被災自治体においても地権者の同意を得ることが非常に困難であるとして、一括したエリアの指定はごく一部に留まっています。
 本市の場合、南北10㎞、東西3~4㎞という広大な津波被災エリアをどのように区分して復旧・復興に繋げるかという大問題がありました。そして、その役割は新たに整備するかさ上げ道路が大きな要素となりました。
 新たに整備する県道塩釜亘理線(高さ6m)によるかさ上げ道路は、単に物流の確保ということでなく、もう一つの側面を持っていました。このかさ上げ道路によって津波を堰きとめるということは、海岸防潮堤とかさ上げ道路に挟まれた部分に津波(海水)を閉じ込めることであり、今回の津波浸水位よりも高まることを意味します。この科学的根拠は、東北大学とIBM社の共同で作成された津波シミュレーションがベースとなりました。(資料1を参照)
 今回の地震と同じ条件下で、海岸防潮堤のかさ上げ整備、防災林の再生、そして県道塩釜亘理線のかさ上げなどの多重防御の要素を入れた場合どのように変化するのか、その結果浸水域がどのようになるのかが導き出されました。結果として、今回の津波被害状況の分析なども考慮して浸水が2mを超えるエリアを災害危険区域に設定することになり、結果として海岸線とかさ上げされる県道塩釜亘理線に挟まれたエリアとなりました。
災害危険区域に指定された面積は約1,200haです。その内、宅地を中心とした合計64.9haという広大な土地を防災集団移転事業として買い上げを行っています。

≪資料1≫

3. 津波防災対策「多重防御」の各事業の有効性

(1) 仙台市震災復興計画の中に位置づけ
 仙台平野は、各地に残る遺跡や古文書等から868年の貞観津波、1611年の慶長津波など、過去に幾度も大地震とそれに伴う大津波に襲われています。ですから、今回の災害対応を教訓として、同じ悲劇を繰り返させないための施策が求められました。
 「はじめに」で触れましたが、大津波は"仙台東部道路(盛土構造)"によって堰きとめられました。仙台東部道路を挟んで、東側の住居の多くが流失や倒壊等"全壊"となったのに対し、西側では、被害は大きかったものの住居は残りました。浸水位が2mを超えると浮力等も影響し倒壊する確率が大幅にアップすることが推察されます。
 このような被災現状等や今後のまちづくり、更に東北全体の牽引などを考慮し、発災から8カ月後には「仙台市震災復興計画」を策定し、議会において承認しました。その中で多重防御を柱とする地域整備を決定しました。その骨格は①海岸防潮堤の強化(TP:7.2m)、②海岸防災林の再生(貞山運河の復旧と両岸盛土と松を中心とした植林)、③県道塩釜亘理線のかさ上げを行うというものです。これらの整備によって西側の地域は、若干の浸水被害が想定されるものの生活可能となりました。(資料2を参照)
 以下、整備項目ごとに検証を行ってみます。

≪資料2≫

【検証 行政の判断と今後の課題】
 仙台市の判断は、仙台東部道路が果たした内陸部の"堤"であり、新たなかさ上げ道路は県道塩釜亘理線をベースとして高さ6mとしてかさ上げ整備するものでした。エリア内に生活していた方や農地などの地権者には大きく重い判断を強いるものであり、それぞれの家庭内においても大きな葛藤があったと推察されます。
 しかし、災害危険エリアの設定は多くの復興事業を進めるにあたり非常に大きな要素であり、短時間での事業推進に大きく寄与したことは間違いありません。県内他自治体の津波被災地の復興状況をみると格段の差が見て取れます。
 災害危険エリアには居住できない訳であり、新たな活用手法が求められました。今回は従来の手法であった"公的な活用"ではなく、"民間活力"を広く募っています。勿論、買い取った土地全てを貸出す訳ではなく、震災遺構となった荒浜小学校など公的に使用する箇所があり、64.9haのうち、4地区で29ブロック、合計面積は43.5haが公募となりました。事業系や商業系の企業やNPO組織等による跡地利用が始まろうとしています。
 42haのまとまった面積を有する荒浜地区は市中心部から直線距離で約10kmであり、地下鉄東西線の荒井駅等からも4.2㎞程であり、賑わいの創出には行政を含めた工夫が求められます。応募事業の運営がうまくいかなければ雑草が繁茂する可能性もあります。
 尚、荒浜地区以外は点在する宅地を中心とした買い上げとなっており、まとまりが小さく有効活用には"難"があります。また、人の出入りが減ったこともあり、自然環境が改善しています。その意味で、防災林の再生などとも関連しますが、長期的な計画のもとに行政としての活用策が求められています。

(2) 海岸防潮堤の整備
 海岸防潮堤は震災前にも存在していました。しかし、その整備状況はTP:6.2mで、七北田川河口から名取川河口までの海岸線全てにおいて整備されてはいませんでした。未整備区間が荒浜地区の北側と名取川河口の北側に残されていたのです。これは国土交通省と農林水産省の権益に関わっていました。勿論、今回の津波被害の拡大に大きな影響を与えたことは間違いありません。
 新たな整備内容は、TP:7.2mとして従前の防潮堤をベースとして補強したものです。そして先に示した未整備区間についても同様の仕様で整備されました。加えて七北田川と名取川の河川堤防についてもTP:7.2mで整備されました。(資料1を参照)
 高さの補強、そして接続する河川についても同様の基準での整備となったことは"弱点"が解消された訳であり、一定評価されます。

【検証 被害想定をしっかりと周知】
 今回の整備は、三陸海岸の田老町に見られた直立型の堤防ではなく、緩やかな台形状の堤であり、表面を大型コンクリートブロックで覆う構造となっています。よって、高さが7.2mであっても高さ6mの津波を堰き止めることが出来ることにはなりません。津波は大きなうねり(塊)であり、最先端が防潮堤に押し寄せると後ろから次々と押し寄せます。後ろから来る津波(圧力)が先の津波を押し返し、更に乗り越えて次々と海岸防潮堤を超えることになります。
 行政は、海岸防潮堤の高さとその効果について近隣の町内会や新たに活動が想定される企業・NPOなどについてしっかりと周知することが求められます。併せて防潮堤を超えた津波(海水)が、その西側に広がることによって水位の低下と勢い(圧力)の減衰が生じること等を認識していただく努力が求められます。単に、「海岸線に近く危険だから」では将来の跡地利用や農地の活用にあたっての対応に課題を残しかねません。
 災害を減ずるには大規模津波が持つ莫大なエネルギーを閉じ込め、減衰させるエリアが必要なのです。それが仙台市の場合の災害危険区域そのものなのです。

(3) 新たなかさ上げ道路&避難道路(3路線)の整備
 (2)で記したように、災害危険区域の境界線となるのが県道塩釜亘理線のかさ上げ整備です。①高さはグランドレベルから6m、車道幅は2車線で10m、法面は芝などによって強度を確保する。②東側の災害危険区域にある農地や跡地利用施設などへの通行や地震発生時の避難を確保する道路との接続は"平面交差"することによって開口部を創らない。③河川や用水路については、津波の遡上を止めるための自動ゲート(浮力式)を設ける。などとする仕様です。
 工期は2019年3月末をめざし、急ピッチで工事が進んでいます。当初、荒浜地区などの一部地権者の反対や土地所有(相続確認等を含め)の確定・同意に時間を要したこともありましたが、何とか期限までに完了できる見通しとなっています。
 また、併せて災害危険区域および浸水区域内に生活や活動している方、更に県道塩釜亘理線(かさ上げ道路)を通行中の車両などを安全に避難させるための道路の整備も進められています。①既存の主要道路を活用し、車道幅は8m(災害時に中央部に緊急車両の通行を可とする)に拡幅する。(資料3資料4を参照)②歩行避難を確保する為、歩道もしっかりと整備する。③県道塩釜亘理線から仙台東部道路までの間とする。というものです。
 尚、かさ上げ道路及び避難道路の供用開始は、今後は道路標識などの設置等を含め、県公安委員会等関係機関との協議や修正工事などが想定されることから、2019年度半ばになると予想されています。

≪資料3≫

【検証 "想定外"の排除を意識した整備へ】
 盛土による道路の有効性は、先にも記したように非常に有効です。そして、この路線を整備することによって災害危険区域と浸水区域であっても居住可能区域を画するものであり、大きな意義がありました。
 しかし、現実の災害に対して本当に対応できるのか? いくつかの点で問題を抱えています。この指摘は私自身が議会質問で明らかにしていますが、設計変更等改善には至っていません。
 第1点は、仙台東部道路と海岸線の中間に整備されるわけであり、東日本大震災規模の津波が襲来した場合はより大きな圧力と高い水位となることは明らかです。対して盛土の法面は芝などで補強しているものの、土砂を固めたものであり、大きな圧力や渦による潜堀が発生し道路全体の損壊に繋がる危険性があると考えます。既存の仙台東部道路の一部(名取川と接する2km程)がコンクリート基礎と大型ブロックで補強されており、潜堀は発生しませんでした。実際の検証は難しいわけですが、「想定外」という言葉が使われないよう十分な強度を担保した設計・施工が求められます。
 第2点は、完成後の騒音対策です。県道塩釜亘理線は塩釜港や仙台港、そして仙台空港を経て福島等へ繋がる産業を支える幹線道路であり、トレーラー等大型トラックの通行が多いのです。ルートのすぐ西側(浸水区域)に種次中野地区や岡田新浜地区等の居住地が残りました。ここに住む住民に対しての騒音対策が講じられていません。質問に対して、「すぐそばであり下に位置する事から、直接の騒音は大きくないと考える。供用後に環境測定等を行い、必要な対策を行う」という答弁にとどまっています。
 第3点は、河川や用水路の津波遡上対策です。対策として自動ゲート(浮力式)を設置するとしていますが、先の津波で用水・排水路のゲートが水圧で変形した個所が多数ありました。全国的に津波に対応した工法や工事事例の検証が少なく、自信を持って指摘しにくいのですが、最終の工期まで時間を活用し、大学や研究所等でのシミュレーション等を行っておくべきだったと考えます。
 また、3本の避難道路のうち南に位置する井土長町線の整備で"ボトルネック"が生じることとなり、スムーズな避難が出来ないことが想定されます。北と中央の2本は仙台東部道路との接続部分において東・西とも同じ、もしくはより広い道路となっており、接続地点で渋滞が発生しにくい状態になっています。ところが南の避難道路は、西側にも農地が広がっており、片側2車線だけの整備区間(1.3㎞)が残ります。議会において再三取り上げ改善を求めました。しかし、国の復興事業補助基準(浸水区域に対する整備)に合致しないことから、整備するとなれば一般的な道路整備の補助基準となり、多額の単費持ち出しとなることから前向きの回答に至っていません。

(4) 「避難の丘」の整備
 災害危険区域には居住出来ませんが、広い農地が含まれることや防災集団移転事業によって取得した跡地には物流施設や商業施設等が整備されます。このことに伴って、災害時(津波の襲来)に避難できる施設の整備が求められました。先の津波が襲来した時、若林区井土地区に整備されていた「冒険広場」内に造られていた築山に職員や市民利用者5人が駆け上がり、命拾いをしました。このことから災害危険区域、特に市民利用施設に併設する形で4ヵ所の「避難の丘」が整備されました。
 北から順に、蒲生地区(野球場やテニスコート)と荒浜地区(サッカー場とパークゴルフ場)に高さ10m。井土地区(馬術場と冒険広場)と藤塚地区(ネイチャーゾーン ※未整備)には高さ15mで整備されました。頭頂部には東屋が造られ、飲料水や保温シート等も備えられています。
 尚、このような避難の丘については仙台湾に面した他の自治体においても整備されています。

【検証 避難動線を考慮した位置設定に】
 先に記したように有効性を否定するものではありませんが、その整備位置については問題があります。津波の襲来を知った場合、より安全な場所へと考えます。ですから、津波が来る海に向かって逃げることには躊躇するのではないでしょうか。本市の整備は"災害復旧"という側面もありましたが、それぞれ公園内の海側に配置されているのです。買い上げた土地を活用し、より陸側(西側)に整備すべきと指摘を行いましたが、災害復旧費を活用することから、計画段階で市有地をベースにした計画を出さざるを得なかった事情があったようです。
 改めて整備する場合、避難に際しての動線や施設利用者の人数や年齢構成等にも配慮した設計が求められます。
 海岸防潮堤の整備は終了したものの、かさ上げ道路の工事や大規模区画を中心とした圃場整備工事等が並行して行われていることから各公園の本格利用はこれからとなります。平坦なところに10mを超える丘が出来た訳で、その眺望は素晴らしいものがあります。遠く北東には牡鹿半島や金華山、南には仙台湾の海岸が福島県境まで見えますし、西には仙台市中心部のビル群とその背景には泉ヶ岳、更に南西には遠く蔵王連峰が見通せます。この様に素晴らしい眺望や貞山運河沿いの自然(鳥や植物)の観察に適しています。その意味から風に対する安全対策としての手摺、さらに簡易トイレ等の整備が求められます。蒲生、荒浜、そして井土の公園内にはトイレが整備されましたが、藤塚地区には未設置のままです。設置を求めましたが、「今後の利用状況等を見てから判断する」との答弁に留まりました。災害復旧費の活用という制約がありましたが、将来の利用を想定したしっかりとした計画、そして施工が求められます。

(5) 避難ビル等浸水エリア内の避難施設整備
 先にも触れていますが、かさ上げ道路の西側は浸水の危険性はあるものの「居住可」としました。そしてこの地域の安全を確保するため、仙台東部道路と新たにかさ上げ道路(塩釜亘理線)に囲まれたエリア内の集落ごとに避難施設が13か所整備されました。(資料4を参照)
 整備内容は浸水想定水位より高い約6m以上で、集落や隣接する市有施設の利用者等を考慮して収容人数が決定されました。高齢者や障害者への対応も考慮され、階段の他にスロープも整備されました。なお、より早い避難を考えた場合、エレベータ等も想定されますが、浸水区域であり電源の確保などの点から"シンプル・イズ・ベスト"と考えます。
 また、備蓄物資として水や食料、毛布の他に簡易ガスボンベを使用する発電装置(照明装置との組み合わせ)や暖房機、さらに女性や乳幼児を持つ女性のため、プライバシーを守るための簡易のテントなどが備えられています。更に防災無線等の電源として活用できるよう太陽光発電装置とバッテリーも備えられています。
 また、各地区消防団の小型ポンプ積載車等を保管する資機材倉庫が破壊されたことを受け、資機材倉庫と詰所も併せて整備されたところはビル形となっています。

≪資料4≫

【検証 縦割り行政の枠を超え、有効活用を】
 立派な施設であることは誰しもが認めるものです。しかしこの施設の利用を考えたとき、各地区で"集会所"的な使用を認めていません。これは"縦割り行政"の典型ではないでしょうか。
 災害は少ないことが望ましいわけですが、活用されなければ"宝の持ち腐れ"になってしまいます。各町内会には集会所など自主運営の施設があり、その運営には多少の補助があるものの、町内会費や使用料金などで賄われています。避難施設の電気料金などは100%が市によって支払われることとなりますので、多少の課題はあるものの日常においての活用手法などが模索されるべきです。
 維持管理に関しても十分なものになっていません。使用が少ないこと、更に避難タワーの場合は消防団員の集まりも無く、市の危機管理室による定期的な点検のみとなります。実際に生じた事例ですが、周辺の農地が圃場整備事業であったことも作用したとは考えられますが、屋上の雨水排水ドレンが詰まって屋上に"水たまり"ができていたこともありました。
 また、細かな問題ですが、野鳩などが住み着き易い構造となっていることから、階段やスロープに糞などが多数確認されています。梁などの形状に工夫を凝らし、とまりにくい構造等にすべきです。

4. まとめ

 震災から7年4ヶ月が経ちました。全国的には人口減少が加速していますが、仙台市は被災した近隣市町村からの転入者やビジネスの拠点としての役割が高まっており、震災前に比して5万人程増加しました。「仙台の一人勝ち」との陰口も聞かれます。
 しかし、仙台市という都市が"魅力にあふれたまち"として評価を頂いていることの表れと信じています。また、大災害から5年という短時間で多くの復旧・復興事業を成し遂げたことは市全体の誇りに感じています。
 今、行政運営を改めて振り返ると、震災発災後の被災者対応は合格点が付けられるものではありませんでした。災害時に対応すべく事前の訓練が徹底されていなかったことから、避難所では多くの苦情が寄せられました。困難な状況の中で、被災者と行政、そして議会が真剣に向き合い、今出来ること、今やらなければいけないことを行政だけに求めるのではなく、被災者(市民)も力強く踏み出しました。改めて避難所生活から仮設住宅等への移行期を思い起こすと、何故あのような連日の行動が出来たのだろうか? と思ってしまいます。
 今回、大規模津波に対する仙台市の取り組みを検証してみました。私自身が被災地(若林区六郷)に生まれ、育ったことも大きな要因ですが、同じように先祖代々と繋がってきた歴史において"災害危険区域"となり、新たな住まいを求めざるを得なかった方々、浸水区域に再建する方々がどのような思いで復興事業を見ているのか? など被災者の視点で振り返りました。
 改めて思うことは、永田町が策定した"40項目の復興事業"によって自治体の主体性が縛られたことが挙げられます。確かに多くの財源を得ることが出来ましたが、被災者が求める再建に対して100%応える事業とはなっていません。
 「大震災からの復興が第一」など声高に語られましたが、今や"東京オリ・パラ"にシフトしています。仙台市以外の多くの被災自治体は2021年3月末までが復興計画期間であり、今まさに仕上げの段階に入っています。その一方で住民の帰還率が大きな課題となっているのも事実です。災害公営住宅や集団移転宅地の造成が行われてきましたが、空き家や応募者の不足などが発生しています。人口減少社会にあって自治体の存亡そのものが問われています。生活の糧、つまり仕事の確保(創生)が何よりも求められています。
 今回のレポートとは離れますが、2018年の6月8日に「災害救助法」の改正が行われました。これまで国⇔県⇔各基礎自治体という縦割行政の中で、大災害への対応で問題が多数発生しました。基礎自治体として被災者の要望に迅速な対応が出来なかった事を踏まえ、政令指定都市市長会として政府と国会に要望していたものです。今後は政府と政令指定都市が、直接協議(予算措置)が行えることとなります。勿論、当該の政令市と県の間において協議・合意が必要ですが、市民、そして県民である一人ひとりの生活再建に繋げられる制度になることを期待します。また、このような働きかけや本市の復旧・復興の最前線で指揮にあたって来られた奥山美恵子前市長のご労苦に対し、改めて感謝と敬意を表します。

 2016年の熊本地震、台風10号による岩手県や北海道での河川災害、2017年の九州北部豪雨の被害、そして2018年7月の西日本全域に被害をもたらした豪雨被害など、自然災害が止むことはありません。
 今回の事業検証を通じ、仙台市が進めてきた大規模津波対策事業は総じて誤りのない ものであったと判断しています。しかし、全てが他都市に対しても適合するものではありません。都市規模、歴史、そして地勢などが、それぞれに異なるわけであり、個々に総合的な判断が求められます。時間は未来に向かって無限にあるように思えます。しかし、災害は何時発生するかわかりません。今、対策を講じなければ、その災害は人災になってしまいます。持てる知恵と住民を含めた相互討論、そして限られた財源のより有効活用をお願いしたいと考えます。
 仙台市は、伊達政宗公による町割に始まり、太平洋戦争の敗戦からの新たなまちづくり、2市2町の合併による政令市移行(区政)、そして今回の大震災からの復興まちづくりと大きな転機がありました。20年後、50年後に今回の復興まちづくり、そして大規模津波対策事業がどのような評価を受けるのかは知る由もありませんが、これからも議会の場から発信続けることを表明し、報告といたします。