HIV/AIDS問題から見えてきたもの

奈良HIVネットワーク副代表 中田ひとみ


1. はじめに

 奈良HIVネットワークは、HIV感染者AIDS患者(以下PHAという)の生活に必要な直接支援およびあたりまえに生きられる社会環境をめざして、1996年6月に奈良県で設立した。会の運営はすべて活動/賛助会員によるボランティアによって支えられており、医師、看護婦、心理職など医療専門職のほか、弁護士、患者会、HIV関連の活動家、地方議員、そして多くの一般市民の参加を得ている。特筆すべきは、労働組合の小さな分会の連続学習会から発展した経過から、多くの労働組合員が参加していることである。
 設立から4年が経過したが、奈良県内におけるHIVに関するNGO活動の歴史は、10年以上前にさかのぼる。血友病患者会や関西のHⅠⅤ関連他団体によって、県内の患者に対するケアは行われており、これらの活動にかかわってきたメンバーの一部は現在の奈良HIVネットワークにも参加している。設立以降の4年間に限らず、設立以前からの活動も含め、HⅠⅤ/AIDSの問題やPHAにかかわってみえてきた問題、出会いから学んだ課題について報告する。

 

2. HIVとAIDS

 AIDSというのは病気の名前ではない。もちろん、特定の人をさす言葉でもない。ウイルスに感染したことによって、人間の免疫機能(抵抗力)が徐々に壊れていき、健康な状態であれば問題のない感染症や悪性疾患にかかってしまうことを発症(発病)といい、この状態をAIDS(免疫不全症候群)という。HIⅤとは免疫機能を壊すウイルスの名前であり、この病気をHIV感染症という。HIVは感染した人の血液、精液・膣分泌液、母乳に存在し、粘膜をとおした直接接触によって感染する。感染経路は性行為、血液感染(麻薬のまわしうちなど)、母子感染である。
 当たり前の話であるが、ウイルスは人を選んだりしない。性別、国籍、人種、年齢、愛の有無、良い人間か悪い人間か、その他、その人の背景などまったく関係がない。大切なことは、感染する経路を遮断すれば予防は可能であるし、遮断できなければ感染する可能性がある、という科学的な事実である。重要なことは相手を選ぶことでなく、手段を実行することである。
 ところで、PWA/H(最近はPHAともいう)というのは、当事者が選択した呼称であるが、People With AIDS/HIVの略、つまり、AIDSという状態やHIV(ウイルス)とともにある人=AIDS患者・HIV感染者という意味である。根本的治療がない現在、感染者や患者はウイルスと切り離すことができない。一生つきあいながら、ともに生きていくしかないわけである。よくマスコミなどでは「エイズ撲滅キャンペーン」などと言われるが、あれは当事者に言わせると大変恐ろしい言葉で、「ウイルスごと自分もやっつけられてしまうのではないか」と聞こえると言う。感染爆発といわれたアメリカのポスターなどでは、よく、「Fight AIDS, not People With AIDS(たたかおうAIDSと、患者とではなく)」という言葉をみかけるが、病気を対象にするのか、人間を対象にするのか、このあたりの意識・視点の違いを認識しておかなければならないと思う。

 

3. 奈良の問題

 PHAをめぐる状況は次項に譲るとして、奈良県特有の問題といえば、奈良県立医科大学(以下、奈良医大という)および付属病院の存在である。全国的に問題となり、安部英副学長が刑事裁判の被告ともなった帝京大学と並び、西の帝京といわれた奈良医大である。血友病の権威といわれた小児科(学教室)では、古くから、近畿を中心に広く血友病患者を診てきた。薬害で問題になった80年代初期、当時の小児科教授は血液製剤問題小委員会11人のメンバーの1人であり、日本におけるHIVの情報を誰よりも早く知りえた(議論に参加した)教室でもある。また、86年から87年には、HIVの抗体検査が可能となり、関連病院も含めて広範に血友病患者に対する検査が行われたが、患者には検査実施にさきだち何ら説明も行われず(つまり検査は本人には無断で行われた)、結果は医学会では発表されたにもかかわらず、長い間当事者および家族には秘密にされたままであった。奈良医大小児科では、最近まで、「告知はしない方針」であり、この傾向は、関西の奈良医大小児科関連である他の病院にも大きな影響を及ぼしてきた。つまり、血友病を診るいくつかの病院では、長らく患者本人および家族に対する告知は行われず、したがって治療および感染予防の機会が放棄された。薬害裁判やその後の刑事裁判に関連して、国、製薬会社、安部氏が被告となってきたが、直接治療に携わった医師の多くが、その責任を問われることはなかった。薬害が発生した時点における問題は明らかになってきたが、感染してしまった患者に対する医療の放棄については、全国的にも追求されてはこなかった。薬害HIVの問題はまったく終わっていないのである。
 ただし、現在奈良医大病院のHⅠⅤ診療は内科を中心に各科の協力・連携のもと、積極的に取り組まれており、この問題の存在が直接奈良医大病院のHIV診療全体に対する批判・否定ではないことを追記しておく。

 

4. 日本の歴史と現状

 わが国のHIV/AIDS問題の歴史を振り返ると、まさに差別の歴史である。85年、日本ではすでにAIDSで死亡していた血友病患者ではなく、アメリカから一時帰国した男性同性愛者が第1号患者として認定・報道され、同性愛者に対する偏見を助長したばかりでなく、AIDSが特別な病気であるかのような誤ったイメージを広げ、緊急課題であったはずの薬害HIVの事実は隠され、対策の遅れにもつながった。結果的にはアメリカより2年4ヵ月も遅れて加熱製剤が認可され、明らかに被害は拡大している。
 86年フィリピン女性の感染が判明した松本市では、外国人女性が入店を拒否されたり、外国人が出入りしていた店で食器を全部たたき割る店主がいたり、松本市民が他府県で宿泊拒否をされる、などの反応が続出した。いわゆる松本事件といわれる、AIDSパニックの始まりである。続けて神戸では、日本人女性が死亡し、週刊誌で実名、顔写真が報道され、女性が「水商売に従事し100人の男性と関係があった」との誤った情報が流れ、神戸にはパニックに陥った男性が検査に押しかけた。このときにはある担当者が「1人の人権より99人の命」と発言している(神戸事件)。高知では感染した女性の妊娠・出産をめぐり、個人情報が報道され、全国で「生む・生まない」論議がまきおこった(高知事件)。
 一連のパニックを通して、HIV感染者AIDS患者がどのように扱われ、差別の対象になるのか、当事者や家族はさぞかし思い知らされたことと思われる。本来被害者であった多くの薬害感染者たちは、被害を訴え追求することもままならず、沈黙することになった。そんな中で強行採決されたのが「エイズ予防法」である。89年にただ1人赤瀬範保氏のみが実名を公表して大阪で薬害訴訟が提訴され、東京訴訟へと続く。原告すべてが匿名の番号で裁判を進めるという異例の事態が差別の深刻さを物語っている。その後も、感染を理由に解雇された男性が不当であるとして提訴した不当解雇裁判。講演のために来日した感染者であるデュケー氏が某有名ホテルで宿泊拒否をされたケース。他にも血友病であることを理由に幼稚園への登園を拒否されたケース、学校でのいじめ、などの問題が全国で報告されてきた。
 こうして、HIV感染症には「恐ろしい」「汚い」病気というレッテルが貼られ、「特別な人たちの病気」という誤った知識が広がることになる。性行為による感染者は「自業自得」「不道徳な人たち」と言われ、外国人、血友病患者、同性愛者らへの偏見が助長されてきた。感染者ばかりでなく、これらさまざまな当事者が、HIVをきっかけに、排除・差別の対象となってきた。
 こういう厳しい社会状況の中で、感染者患者への支援、社会への啓発などを目的に、患者自身や同性愛者のコミュニティなどを中心にいくつかのNGOが設立され、活動を続けてきた経過があり、現在ではその数全国で数十に及ぶ。当初は知識不足から感染不安を抱える一般の相談者や、必要な情報をもたないPHAに対する情報提供や相談などを目的とした電話相談を窓口に、検査医療機関の紹介、PHAや家族らに対する精神的・身体的ケア、生活支援などが活動の重要な位置を占めてきた。同時に患者の受け入れ先、つまり医療機関の開拓や、行政機関への要請行動など、直接支援だけでなく、医療・生活環境の確保・整備のためには社会全体に対する具体的な活動が必須であった。当時の医療レベルでは、PHAの多くが発病すれば数年以内に命を落とすという状況の中で、感染という事実のために、家族や友人の支援が得られないケースも少なくなく、家族も含めて孤立するケースも多くあった。
 しかし、HIV感染者AIDS患者をめぐる状況は、ここ数年で大きく変化してきた。HIVを理由に診療が拒否されるなどの基本的な問題は解決されてきた。また、新薬の登場でHIVの治療は著しく進歩した。いくつかの日和見感染症は予防や治療が可能となり、これまでは一旦減少すると回復することのなかったCD4(免疫のめやす)が、再び増加することも珍しくなくなった。根本的治療はできないまでも、以前のように「死んでしまう病気」ではなくなりつつある。同時に、一定の健康な状態を維持しつつも、ウイルスと免疫低下を抱えたまま、生きていかなければならない患者は、新たな問題に直面している。失明や四肢麻痺など重度の障害を抱えるケースも増加傾向にある。多くの慢性疾患患者や障害者と同様、ハンディをもちながら働き、生活することはたやすいことではない。もちろん、差別や偏見も残されたままである。現状では生活支援が必要な患者がプライバシーを保障されつつ公的なシステムを利用することや、職場や地域で、感染の事実を明らかにして、支援を求めることは困難である。特に性行為による感染者が家族や友人の支援を得ることも、変わらず厳しい現実がある。生活・自立支援が最重要課題となりつつある。NGOのかかわりも、これまでにもまして、多方面・広範囲かつ複雑なものとなっている。

 

5. HIVから世界が見える

 世界のAIDS問題を見てみると、背景や課題はさまざまであるが、貧困・被差別層と感染の拡大が重なるという指摘がある。たとえば、教育が受けられず、文字が読めない人たちにとって、感染予防に必要な情報を正しく得ることは難しい。経済的にコンドームなどの購入が困難な事情もある。これまで「避妊」を肯定してこなかった宗教や社会背景の中では予防教育自体が困難であるし、できるだけたくさんの子どもを産むために感染してしまう背景もある。これらの事情からは特に女性の感染が拡大していく情況があるが、性や避妊について女性に主導権がない社会ではさらにこの傾向が強い。また、現在では妊娠中の抗HIV薬の内服、早期の帝王切開(自然分娩時の産道・出血が感染機会となるため)、母乳を与えないなどの方法によって、母子感染はかなり低く抑えられるのであるが、貧しく医療レベルの低い地域では手が届かない。高価な薬は手に入りにくいし、食べ物がないために感染している母親の母乳を飲まざるを得ない子どもたちもいる。医療や栄養が不十分なために感染すれば早期に発症し、高率に死亡に至る地域も多い。
 また、20代から40代の性行動の活発な年代に感染が広がっていることが、問題をさらに深刻にしている。少なくない地域では、両親をAIDSで失った子どもやその親(高齢者)たちが生活もままならず、AIDS孤児・孤老などと呼ばれる社会問題となっている。残された子どもたちは、路上生活を強いられ、犯罪や買春による被害、さらには新たな感染などの危険にさらされている。社会の担い手の中心である年代層を失うことは、産業・工業界の労働力の損失、食料確保の危機、教育などのレベル低下、家庭崩壊などを招いており、社会や国の維持そのものが危機に直面している。まさに、問題は地球規模である。

 

6. HlV/AIDSをとおしてみえた課題

 HIV/AIDSの問題をとおして、これまで社会に潜在していた多くの問題が、改めて明らかになってきた。私たち自身も、取り組みの中で、それまで見えなかったことに気づいたり、自分自身を問い直したり、自分があたりまえだと思い込んできた常識を疑うような機会にたくさん出会ってきた。「AIDS」が問題の本質ではなく、あくまでも入り口・きっかけであることを思い知らされてきた数年であった。AIDSだけの解決なんてありえないのである。
 たとえば、高齢者や障害者があたりまえに生きられない社会の中で、感染者だけが生きやすいはずがない。ハンディをもつ人たちに対する社会のありかた、うつるかもしれない病気に対する社会や医療の対応が問われている。感染してしまった人たちを保護・治療すべき対象の患者としてではなく、隔離等排除することでなりたってきた歴史は、ハンセン病政策や「らい予防法」の反省にたたずに、エイズパニックやO-157パニックとして繰り返されている。薬害の問題は薬事行政や厚生行政、官僚体質、医師と患者の関係性、など多くの問題を明らかにした。インフォームドコンセントやカウンセリングの重要性が認識され、整備されてきた経過もある。

 

7. セクシュアリティと人権

 大きな出会いの1つは、たとえば同性愛者であることなど、自身の立場を明らかにして活動に参加していた多くのセクシュアルマイノリティとの出会いであった。アメリカでは、HIVや同性愛者への差別が厳しい時代から、同性愛者のコミュニティが仲間を助けるために献身的・先進的な活動を積み重ねてきたが、そのノウハウや情報は感染経路や背景・立場を超えて、その後のNGO活動に反映され、大きな役割を果たしてきた。日本でも現在に至るまで、多くのセクシュアルマイノリティの参加とともに、HIVの活動は進められてきている。
 現在では、「違いを認めよう」「いろんな人がいる」という視点が認識されつつあり、「障害の有無」や「国籍や人種の違い」など、個人のアイデンティティを尊重しようという考え方が徐々にではあるが提起されてきたように思う。しかし、学校をはじめとする教育の現場では「セクシュアリティの多様性」について教えているところは少ない。人権教育の中でも「女性問題」や「ジェンダー」という視点が重要視されるものの、「性別が女性・男性と分けられない人」や「身体と心の性がちがう人」の「人権」は語られてはこなかった。むしろ存在そのものが見えていなかったといえる。それだけに、マスコミや漫画のように一部の情報から、誤った知識をもつ人や、偏見をもっている人も少なくない。
 本来、人の数だけ性のありようも多様なはずであるが、ここでは、自分をふりかえってみるということを通して、基本的な知識について知っておいていただきたいと思う。
 人の性と生(人生や生き方)を総合してセクシュアリティという。多くの人は、自分の性について疑ってみるという経験はあまりないと思われるが、①身体の性、②心の性(自分が自分の性をどう認識しているか:性自認)、③社会的性(役割・表現など)④性的欲望の対象(これを狭義のセクシュアリティということもある)といった要素にそって考えてみると、理解しやすいかもしれない。その認識は、男である、女である、どちらでもない、どちらでもある、時によってかわる……と程度もさまざまである。もちろん、これは人をセクシュアリティ別に分けてレッテルを貼ることが目的ではないので、あくまでもこれまでの「人の性は男と女のどちらかである」という思い込みを疑ってみるためのきっかけにしていただきたい。実は、人の性は多様なのであって、境界のはっきりしないグラデーションといえる。
 たとえば、身体の特徴が男女どちらかに判別できない、またはどちらの特徴ももって生まれてくる人がいる(インターセックス:半陰陽)。身体と一口に言っても、外性器、内性器、染色体などそのレベルはさまざまである。また、身体の性と心の性が一致しない人もいて(トランスセクシュアル/ジェンダー)、自分の身体の性に強い違和感をもち、手術を望む人もいるし、社会的に自認する性が認められればいいという人もいる。身体の性に違和感はないが、性的欲望の対象が同性である人、性別にこだわらない人もいる(男性同性愛者:ゲイ、女性同性愛者:レズビアン、両性愛者:バイセクシュアル)。そしてもちろん、こんなふうに分けられないと感じる人や、分けられたくない人もいるわけである。
 つまり、セクシュアリティというのは性行為の方法や種類ではない。それはあくまでも一面であって、その人となりを形成する基本的要素の1つであり、それは生き方、人生に深くかかわっていくものである。
 近代の日本では性について語ることがタブーとされてきた。「いやらしい」「恥ずかしい」話とされ、オープンに語り合うことは難しい。学校でも家庭でも、セックスについて具体的に教えたりしないし、性の多様性について触れたりもしない。しかし、学校や社会の中で、自分自身(のセクシュアリティ)を肯定するメッセージを見出せないセクシュアルマイノリティの当事者は、自分を否定することで過ごしていく人が少なくない。多くの当事者が、「学生時代が一番つらかった」と語っている。「ずっと自分がおかしいのだと思い悩んできた」という。もし、私たちの社会が「多様な性が認められている」社会であれば、もっと自分らしく生きられる人たちがたくさんいるはず。それは家制度や結婚制度の中で息苦しいと感じている多くのすべての性(男性や女性や異性愛者たちにとっても)にとっても同様ではないだろうか。逆に自分の個性(存在そのもの)を否定され、その個性によって奪われているものがあるとしたら、それはまさに人権問題であると思う。そういう意味でも、HIV/AIDS教育だけでなく、性教育そのものが問い直されていると思う。

 

8. ともに生きるために

 これらの課題や、PHAから学ぶことは多い。困難を抱えながらも前向きに生きるPHAの生き様は、いかなる立場・背景であれ、そのいのちの重さにかわりがないことを痛感させてくれる。赤瀬さんが残した本の題名は「あたりまえに生きたい」であった。4年前の総選挙の際、奈良県1区から立候補した家西悟さんは「病者が病者としてあたりまえに生きる社会を」を訴えて選挙をたたかった。「あたりまえ」の中身を考えさせられると同時に、人が人として大切にされるという基本的なことが大きな課題として改めて見えてきたと思う。
 他人から受ける差別によってのみ、生きることが阻害されるわけではない。自分自身の差別心が何よりも自分の生を阻害する。「エイズなんて恐ろしくてかかわりたくない」と思っている人が、その病気になってしまったとしたら、前向きに生きたり、治療に専念したりする気持ちにはなれないであろう。「自分なんて生きる価値がない、死んでもかまわない」と思っている人に対する支援ほど難しいことはないのである。予防の考え方も同様なのであって、感染者が排除されてしまう社会の中で、感染したかもしれない人たちが検査を受けたり、治療を受けたり、自身の感染の可能性をパートナーに打ち明けたりするのは難しい。現在の日本で「予防知識は知っているのに行動に反映できない」若者や、世界で自己肯定の低い(と思い込まされている)女性たちが感染していく背景を考えるとき、「正しい知識のおしつけ」教育だけでは、感染は予防できないし、感染者・患者も生きていくことはできない事実を思い知らされる。
 人が人として大切にされる、それは「他人」だけでなく、「自分を自分で尊敬できる(認められる)」社会であってほしい。そのためには「どんな人であっても」他人から大切にされる社会であってほしい。人から大切にされない人が自分自身を大切に思うことは難しいと思う。
 本来、HIV感染という事実や、たとえば同性愛者であるという立場は、個人的なことであって、あくまでもその人の要素の一部だと思う。わざわざ明らかにすることではないかもしれないし、逆に明らかにしたことで奪われることがあってはならないはずである。残念ながら、現状では、日常会話の中で自然に話せる話題でもないし、援助を必要とする人が自分の立場を明らかにして助けを求めることも難しい。しかし間違いなく、私たちは同じ時代をともに生きている社会の一員同士なのである。
 最近はテレビや雑誌などで目にすることも多くなってきたレッドリボンをご存知だろうか? 古くは、ヨーロッパなどでは、赤いリボンが事故や戦争などで人生をまっとうできなかった人を悼むものであったという。現在では、世界で共通の、HIV/AIDSに対する理解と支援のシンボルとして広がっている。思想信条や人種・国境をこえ、個人の違いをこえ、レッドリボンのように、世界に理解が広がることを望んでいる。
 さて、私たちの職場は、地域は、家庭は、PHAが生きやすい環境でしょうか? 自分が/友人がもし感染したら、何も失うことなく、これまでのように生活することができるでしょうか? 自分が感染したとしたら、何をあきらめることになるのでしょうか? 何が変わるのでしょうか? 一度「AIDS」をキーワードに、私たちの周囲を見直し、点検してみることから始めてみてはいかがでしょうか。HIV/AIDS問題が、単なる学習にとどまらず、地域や社会を変えていく1つのきっかけとなることを望みます。