大型公共事業(吉野川第十堰の可動堰化計画)に対する住民意識の高まりと分権改革
― 吉野川の未来はみんなで決めよう ―

徳島県議会議員 庄野 昌彦


1. はじめに

 本年8月、与党3党による公共事業見直しが行われました。先の衆議院選挙の結果与党は大きく議席を減らしました。争点として、公共事業の見直しがありました。このままでは来夏の参議院選挙を戦えない…といった危機感が、与党幹部にあったと思います。
 見直しの中に本県の吉野川可動堰計画が取り上げられました。当然といえば当然ですが「現可動堰計画白紙」までの道のりは平坦ではありませんでした。環境(水、生態系)を心配する人々や、漁師さん、農家の方、予算を心配する方など多くの方々の協力でここまで来たのだと思います。

 

2. 第十堰改築についての歴史

 現在の第十堰は、1752年いまから約250年前に出来た固定堰です。補修を繰り返しながら、現在の上下2段の斜め堰になっています。目的は旧吉野川への分水(農業、工業、飲料水)です。
 この堰を取り払い、新たに現堰下流1.3キロ(河口から13キロ)に可動堰を建設しようというのがこの計画です。建設省の事業です。工事費は、約1,000億円です。改築の理由は、①老朽化している。②斜め堰なので南岸が深掘れする。③堰上げがある。以上3点です。
 可動堰化計画が明記されたのは、1982年に建設省の吉野川工事実施基本計画が改定された時です。その後、1988年に予備調査、1991年に実施計画調査が行われ、1992年に第十堰環境調査委員会が設置されています。1993年に、市民団体がこの計画を知り、疑問の声を上げ、建設省や県に対して情報の開示を求めました。同時に、市民団体自らが、反対ありきではなく、「もっとみんなで良く知ろうよ」といったスタンスで河川の専門家を招きシンポジウムを開催するなどして、アピールしました。そして、建設省に対しては対話を求めたのでした。しかし「可動堰計画」はどんどんすすんでいきます。

 

3. 河川審議会答申と河川法改正

 そんな中、1996年河川審議会答申、1997年新河川法の施行により河川整備のあり方は、理念上は大きな変化を見せました。すなわち、河川のあり方は、従来の「治水」「利水」に加えて「環境」が大きく取り上げられ、整備計画等にも地域住民の意見を聞くことが盛り込まれたのです。

 

4. 審議委員会の設置

 河川のあり方が大きく変わろうとしている中、全国のダム、堰の計画に対し、首長、学識経験者などによる審議委員会が設置されました。(全国で13事業)徳島県では、細川内ダムと、第十堰の2つが設置対象となりました。しかし委員を知事が選任するため、当初から市民団体は危惧を表明しました。
 細川内ダムは、当該自治体の木頭村、藤田村長が委員選任をめぐり不参加を表明したため、審議委員会は最後まで設置されませんでした。(そして、今回中止勧告を受けました)
 第十堰審議委員会は、1995年9月に設置され、2年9ヵ月間、可動堰ありきの議論が続き、最終は1998年7月「可動堰建設が該当」と結論づけられました。

 

5. 県議会、流域市町村議会での促進決議

 各種アンケートでは県民世論は、可動堰化反対が過半数を占めていたが、知事は議会決議を根拠に、「民意は可動堰」の主張を繰り返しました。(県議会、流域2市9町)

 

6. 住民投票運動

 では、民意を知るにはどうしたらいいのだろうか。直接住民に是非を問おう。そしてこの計画をもっと良く知ってもらおう。という主旨で住民投票条例の制定を求め、署名活動を始めました(住民投票の会)。(徳島市 …… 有権者21万人、藍住町 …… 有権者2万3千人)1998年11月~12月の間みんな一生懸命でした。その結果(徳島市で有権者の49%、藍住町で44%)の高い署名率でした。

 

7. 条例案否決

 1999年2月、徳島市議会、藍住町議会共に住民投票条例案を否決。(徳島市議会22対18)

 

8. 統一地方選挙

 1999年4月、徳島市議選で住民投票を支持する候補22名が当選(定数40)。住民投票の会より新人5名を擁立。3名が当選。

 

9. 住民投票条例が可決(徳島市議会)

 1999年6月、議員提案による住民投票条例が可決(賛成22、反対16)成立。投票の実施時期は明記せず、成立要件として投票率50%以上が加えられる。12月議会にて、2000年1月実施が確定。

 

10. 「吉野川第十堰計画の賛否を問う住民投票」の成立(2000年1月23日)

 投票率55%を確保し成立。投票者数:113,996人(54.995%)賛成:9,867人 (8.2%)反対:102,759人(90.1%)反対が圧倒的多数を占める。
 しかし、建設省も徳島県知事も可動堰推進のスタンスは変わらず。ただ、徳島市長は方針を180度転換し、現計画反対を表明。
 藍住町議会議員選挙(2000年2月14日)住民投票賛成派減る(定数20賛成派7→6)

 

11. 衆議院選挙(2000年6月25日)

 徳島1区(徳島市:有権者208,801人、佐那河内村:有権者2,735人、松茂町:有権者10,920人)から立候補の仙谷由人氏(民主現)は可動堰反対白紙撤回を主張。対する自民党候補に大差をつけ勝利。

 

12. 白  紙

 2000年8月28日、与党3党合意を受け、現可動堰計画は白紙。
 2000年9月20日、徳島市議会が「促進決議」を撤回。
 2000年10月県議会では、知事がゼロからの対話を強調。吉野川懇談会:(2000年2月に建設省が市民参加のあり方を考えるために発足したもので、可動堰推進団体、住民投票にかかわってきた団体は不参加)での解決に期待を寄せている。しかし市民団体からの評価は全くない。

 

13. これからの課題

 白紙になった状態から今後どのような形で対話の場を設けるのかが重要。
 いずれにしても、住民の力=分権=自分たちの町のことは、自分たちも参加して決めたい、中央からの指令待ちはいやだ。というはっきりとした意志を共有している方々を無視して事業が進むことはないということです。