育児休暇を取得して

新潟県本部/新潟県職員労働組合

 

1. 育児休暇を取ろうと思った動機

 今考えてみると、妻との話し合いやこれまでの青年部運動の経験から「何となく育児休暇を取ってみようかな」というのが動機といえば動機です。
 95年に男性にも育児休暇が取れるようになって、新潟県職労で知っている限りではそれまで2人がすでに取得し、いづれも青年部で一緒に運動していた仲間でした。2人から育休を取った時の話を聞くと、「大変だったけど、取ってよかった」というものでした。
 家族構成が、妻と自分の2人暮らしで、他に子供の面倒を見てくれる人がいないということや、妻の育休が明けた後、3交代勤務にもどり子供と2人きりになる、その予行練習の意味もありました。あともう1つ理由に付け加えれば、これまで青年部役員をやってきて、せっかく勝ち取った権利は行使しなければという義務感みたいなものもあったと思います。参加した組合の集会等で育児時間の制度があってもとらせない当局や、バスガイドの仲間の「母乳をトイレでしぼって捨てた」などの話を聞き『動物以下に扱う当局』に対する怒りもあり、意地でも取りたいという気持ちもありました。

2. 育休取得までの経過

 当時は、土木事務所の行政係という許認可の業務を担当するところに配属されていました。係長と2人の係で、残業こそしないようにしていましたが、2、3日職場を明けると申請書類が机に山積みというような職場でした。育休は取っても1ヵ月と決めていましたが、このような職場状況を考えるとその1ヵ月の育休を係長になかなか言い出すことができずモヤモヤとした毎日が過ぎていきました。
 しかし、職場の先輩の一言で、係長に話す決断ができました。それは、「係長がどう言うかではなく、自分が本当に子供がかわいいと思って育休を取りたいのか。その気持ちが大事ではないか。」ということでした。あとで考えてみると、当局への怒りなどという建て前では権利は取れないんだなあということと、職場の雰囲気、仲間の大切さを改めて実感しました。
 幸い係長は快く返事をしてくれました。ここをクリヤーすれば管理職は軽いものでした。しかし、管理職は、「ほかの方法はないのか」など、なるべく取らせたくないという姿勢が見え見えでした。また、職場の反応も興味深いものがありました。女性からは、「えらいね」とか「いい経験になるよ」と言われ、反対に男性からは、「1ヵ月も何をして過ごすんだ」と言われました。私自身まだ育休中がどんな生活になるのかわからなかったためどちらにも何と答えてよいものかわかりませんでしたが、答えは産休後に出ました。

3. 産休中

 さて、いよいよ2月1日。1ヵ月間の育児休暇の始まりです。最後の1ヵ月を妻と交替したため、子供は11ヵ月から3月1日の満1歳を迎えるまでの1ヵ月間でした。この頃はちょうどハイハイから歩行ができる時期にあたり目が離せない時期でした。また、誰に似たのか、寝付いたと思って布団の上におろすと目を覚まし、起きている時は1人にしておくとすぐ泣くという手のかかる典型的な子(自分達でそう思っているだけかも知れないが)でした。しかし、子供と長い時間接することで、毎日毎日の成長ぶりが確認することができました。そして、妻が帰ってくるなり「今日はこんなことができた」など1日の様子を報告したものでした。
 育休前の職場の反応の答えは、(当然ですが)女性の方が正解でした。夕方まで新聞を読めなかった日も何度かありましたが、育休前には予想もつかないことでした。朝起きると朝食をとり、妻は8時頃出勤。その後子供に離乳食もどきの朝食を食べさせた後、洗濯と毎日ではないが掃除。そして、いつの間にか昼食を作る時間に。2人だけの時は、自分の分は取りあえず口に入れてから子供に食べさせるため、味わう余裕などなくただ腹いっぱいにするだけという感じでした。その後は昼寝をしてくれれば少し早い夕食の準備、寝ない時は一緒に遊んだり、夕飯の買い物に行ったり。買い物の帰りの中で眠り、家に帰ってそっと寝かせることもよくありました。そしてもう妻の帰る時間です。夕飯が間に合わないこともあるくらいあっという間の1日が過ぎていました。
 そして1ヵ月もあっという間に終わりました。もし、自分1人で全期間育休を取ったらと考えると、育児ノイローゼになる人が出ることも理解できるような気がしました。

4. 育休後

 育休が終わり、1ヵ月ぶりに職場復帰。机の上は書類の山でした。育休に入る前の1月、2月はほとんど年休を取りませんでしたが3月も年度末事務や、さらに3月下旬には配転の内示が出され、引継ぎ書類の作成などなかなか休暇を取れる状況ではありませんでした。係長も口には出さなかったものの1ヵ月間は本当に大変だったと思います。
 妻も3交代勤務がはじまり、夜勤の時は子供と2人きりの生活も始まりましたが、そう苦労したという記憶もありません。
 子供は日中、「子守さん」にあづかってもらいました。保育園も考えましたが、延長保育は時間が限られているため、いざという時対応できないことや延長保育自体あまりしたくなかったため、出費を覚悟で決めました。3歳からは、幼稚園へ通い、降園後は、「子守さん」にみてもらっています。

5. 今後の課題と制度改善

 たった1ヵ月の休暇でしたが、貴重な経験でしたし、育児をしながらの家事がいかに大変であるかも実感できました。現行制度の改善点としては、①代替職員の補充-引継ぎ期間も含めて育休者全員に補充を行う。②賃金保障(現行-共済組合から25%)の充実一県職労では80%補償を要求、昇給延伸の完全復元。③期間(現行-子が1歳になるまで)の延長-育児休業は3歳まで、部分休業は、小学校低学年程度まで。④保育料の軽減、子育て支援の充実(延長保育、一時保育、障害児保育)などがあげられます。
 今、少子化対策ということでエンゼルプランの策定や実施、児童手当の拡充などが言われていますが、根本的な解決方法は、両親(家族全体)で子育てができる条件を作ることだと思います。男女平等の名の下に、残業規制の緩和など女性の保護規定が改悪されましたが、男性はもとより女性でさえ、子育てをしながら働いていくことが困難になります。
 そして何よりも、男性も女性も家族を大事にできる職場環境(残業のない職場、いつでも年休など権利行使のできる職場、何でも話せる民主的な職場)を作っていくことが重要だし、そのためにこれからも運動を続けていきたいと考えています。