検証・大規模林道反対運動

山形県本部/白鷹町役場職員労働組合・自治研部

 

1. 公共事業の無駄

(1) 公共事業の目的とその実態
  いま各地で公共事業の見直しがはじまっている。
  公共事業というのは、河川、道路等の公共的な土木建築事業であり、「公共の用に供する」を目的としている。
  日本経済に占める公共投資の対GDP(国内総生産)比率は8~9%台だが、他の先進国は2~3%台。とくにバブル崩壊後、景気対策としてこの比率が激増している。国、地方自治体、特殊法人を含めた公共事業全体の年間総事業規模は、80年代末の30兆円台から90年代半ばの50兆円台に急増、もはや異常な事態に突入しているといっていい。国も地方自治体も、公共自治体による巨額の公債で破綻寸前の状態にある。
  こうした問題がある公共事業がどれだけ存在するか調査、発表したのが『21世紀環境委員会』である。
  この調査によれば、①無駄な公共事業はほぼ全国に渡っていること。②種類としては、高規格道路などの道路、ダムと河口堰、漁港、林道、農村農業整備事業、下水道、空港、防災事業、リゾート、などであるという。③事業費は、一般に公共事業は、発表された当初の費用は小さいが、徐々に膨れ上がっていく傾向を持っているから、実際はいくら無駄になっているか見当もつかない、としている。
  公共事業は、今や推進する官僚と、これに反対する一部市民だけの問題から、全国民的な関心を呼ぶ全国レベルの問題になっている。海外のマスコミからも注目され、日本の公共事業の実態と問題が、世界中に広く知れ渡るきっかけともなった。

  21世紀環境委員会は、経済成長のために国土を破壊し続けてきた20世紀後半の日本のあり方を反省し、21世紀にこの失敗を引き継がないようにするために、研究者、ジャーナリストが1998年4月に発足させた団体である。環境破壊をもたらす政治・経済・社会的構造を把握し、その構造を変えていくための研究、政策提案、問題提起などの活動を主として行うことを目的とする。メンバーは、天野礼子(アウトドアー・ライター)、五十嵐敬喜(法政大学教授)、宇井純(沖縄大学教援)、内橋克人(評論家)、河野昭一(京都大学教授)、筑紫哲也(ジャーナリスト)、保母武彦(島根大学教授)、水口憲哉(東京水産大学助教授)

(2) 利益が優先
  公共事業と一口でいっても、その中には、本当に必要な事業だけではなく、それ程必要性がないもの、不必要・無駄な事業もあるといわれる。
  不必要・無駄な公共事業は、公共の利益よりも、一部の土建業者とそれにつながる政治家や地区の有力者の利益を優先させる事業である。地元に土木建設事業を持ってくることが目的であり、工事より、住民の生活環境や自然環境が破壊したり、災害を引き起こしても、むしろ、工事費の積み増しを喜ぶ傾向にある。
  公共事業はますます大型化、広域化の傾向にある。それにともなって「広い地域(全体)の利益」と「狭い地域(部分)の利益」とが互いに矛盾、対立する傾向を生み、しかも、わが国では比較的狭い地域的利害について、これを調整するシステムが確立していないことが問題となる。
  公共事業を見ると、日本という国がいかに「中央集権体制国家」であるかが良く分かる。権限論からみても、国の直轄事業はもちろん、補助事業についても自治体は一切権限がないのである。そんな自治体の長は、戦後日本が構成されていった公共事業を軸に、経済波及、過疎地に悩む地域住民に職をもたらすと考えれば、自然環境破壊をもたらすが、それを補って余りある効果をもたらすと信じてきたに違いない。例え途中で間違ったということに気がついても無駄な公共事業としてストップをかける力はないのである。すなわち、何が必要で何が無駄か、最終的に判断するのは主権者である国民である。あるいは、その当該地域の住民である。
  借金は将来返却しなければならないお金である。累積公債は、やがて必ず税金や社会保障費、年金などの負担増となって国民に跳ね返ってくるのである。
  これ程膨大な費用を費やし、借金を積み、環境破壊を行った結果について、だれも責任を取らないということである。このツケを負うのは、結局、事業の計画や推進の決定にほとんど関われなかった住民であり、とりわけ現在の若者たち、あるいはこれから生まれてくる世代なのである。このことは、若い世代やこれから生まれてくる世代の福祉を、公共事業が食いつぶしていることになる。
  こうした無駄な公共事業を代表する工事として、私たち(山形県白鷹町)の周りでは大規模林道工事があげられる。

2. 大規模林道とは

(1) 大規模林道の概要
  大規模林道は正式には「大規模林業圏開発林道」と呼ばれ、高度経済成長時代の1969年に新全国総合開発計画(新全総)の中で、北海道から九州までの7つの「大規模林業圏」が構想され、林野庁の外郭団体の特殊法人・森林開発公団を事業主体として、全部で32本の本線・支線の開削工事として総延長2,267kmという大規模工事をいう。総事業費は平成6年度末で1兆円に達している。1970年代にはスーパー林道に対する建設反対運動が各地で起きている。それは、沢沿いに進んで山腹で行き止まりとなる従来の林道と異なり、峠を越える「峰越え林道」として建設され、道路幅員4.6m、未舗装の林道で、1990年度までに23路線(総延長1,179km)で事業が完了している。それに対して大規模林道は、大型バスの乗り入れを考慮され、幅員7m、2車線の舗装道路というスーパー林道を上回る規格となっている。

(2) 大規模林道「朝日・小国区間」の問題点
  林業振興には林道が必要なことは当然であるが、全線2車線とする必要性はない。林業施行の利用頻度から考えれば避難所を随所に設置した1車線の林道でこと足りる。しかし、大規模林業圏開発計画が策定された当時は、低位利用の広葉樹林を高生産性の森林に転換する「拡大造林」により林業振興を図るという機運が旺盛であった。そのため、大規模林道は、林業・山村振興、治山のほかにも、森林レクリエーション等を目的に計画された。当時その効果としては、次のようなものがあげられてる。
 ① 大規模林道から一般林道を骨格のように伸ばし、周辺のブナ林を伐採、杉などを植栽し、経済性の高い人工林への転換が大面積にわたって可能となる。
 ② 林道ができることにより山への入り込みが容易となり、災害の早期発見等、山林の維持管理、副産物の採取、木材の搬出がきめ細かくできるようになる。
 ③ 林道により今までできなかった場所の治山事業が可能となる。
 ④ キャンプ場などのレクリエーション施設の設置が可能になる。
 ⑤ 山岳観光開発が期待できる。
 ⑥ 災害などの場合のアクセス道路として利用できる。
 ⑦ 建設業、林業関係に長年にわたり仕事が発注され、雇用の増大が期待される。
  前述のような効果を見込んで計画、着工されたわけだが、学識経験者、自然保護団体、山岳関係者などから次のような問題点が指摘されている。(図1参照)
 ① 小国町の金目川、長井市の野川、白鷹町の実淵川、朝日町の朝日川(ヌルマタ沢自然環境保全地域)のそれぞれ源流部を通り、野生動物(熊、猿、カモシカ、イヌワシ・クマタカなどの猛禽類、岩魚、その他)への影響が余りにも大きいこと。
 ② 豪雪地帯である険しい山岳地帯に工事をした場合、また原生林の大規模な伐採が行われた場合、ルート上は深層風化花崗岩帯であり、周辺の山腹崩壊、土砂流出が永続的に続く恐れがある。また、水源涵養機能も損なわれる。このことはすでに林道が完成し、伐採、植林が行われたルート付近の実淵川流域において実証済みである。
 ③ ルート周辺は、急傾斜地、豪雪地帯、高標高地が多く、地質の上でも杉などの人工林には適していない。これも、実淵川流域における公団造林地において荒廃林地が広がっているのを見ても明らかである。
 ④ 葉山から頭殿山にかけての標高1,000m以上の山頂付近を通り、両山における登山活動は壊滅する。
 ⑤ ルートは険しい山岳地帯のため、豪雨などの自然災害には真っ先に被害を受ける場所にある。平地に被害があった場合のアクセス道路にはならない。
 ⑥ 豪雪地であり、利用期間はせいぜい6月から10月まで。維持補修期間を考えればもっと短期間となる。
 ⑦ 厳しい自然環境の影響を直に受けるため維持補修に毎年膨大な費用がかかり、地元自治体の財政を圧迫する。
  以上のような理由があげられているが、この林道は、53kmに渡って人影まれな険しい山岳地帯を通るため、建設する場合、膨大な費用と長い年月がかかる。また相当の維持管理費用も覚悟しなければならない。これは血税で賄われるものであること。問題は、この費用と時間を掛けるほど必要性のある事業であるかということである。
  指摘の内容は、植林しても成林しない山への投資は意味がなく、ルート上には人家もなく、林道を切ることによる山の荒廃、野生生物への影響のほうが大きいと見ている。メリットがあるとすれば、建設や維持補修関係業界に対して仕事が長年にわたり発注されるということぐらいだろうか。しかしながら、それだけのために父祖から受け継いだ貴重な自然を荒廃させ、子孫にその負債を残すことが許されることとは思えない。
  時代は常に動きを見せる。50年という長い期間を想定した大規模林道工事の目論見は崩れ、林業生産の衰退と共に大規模林業圏開発計画も破綻し、世界的な環境破壊を食い止めるために森林の公益的機能に対する期待が強まってきていた。自然破壊を伴う大規模林道計画に対する反対運動が各地で起こってきていた。
  当地においても、大規模林道朝日・小国区間のような、林業に何等プラスにならず、それどころか、自然破壊のマイナス効果しかもたらさない公共事業は中止する必要があると訴え、自然保護団体『葉山の自然を守る会』(代表、白鷹町・原 敬一、長井市・飯沢 実)が86年3月に結成された。そして事務所として、以前は白鷹町の中心だった荒砥町の小さな店『織里座(オリザ)』が活動の拠点となった。そこには開店当初から、いろんな方面からいろんな方々が集まり、数え切れない各種運動が起きている。守る会結成直後の活動内容は次のとおりである。

  1986. 3.14

葉山の自然を守る会設立総会

       4. 5

大規模林道(愛染峠~中の沢間)の工事中止を求める陳情書を長井市長・白鷹町長に提出

       4. 6

新聞折り込みチラシ発行(第1号)

       5.

白鷹町愛染峠から工事開始

       7.10

長井市長・白鷹町長に対し署名簿提出(長井市886名、白鷹町977名)

    87. 3.20

新聞折り込みチラシ発行(第2号)

3. 自然保護運動を阻止するもの

(1) 配転人事とその背景
  この頃から、大規模林道中止運動を良しとしない、町の権力者、地元建設業者、保守派町民などからの圧力が強まっている。
  87.4.7 原敬一君と伊藤隆君が町長室に呼ばれ、町長から「けしからん」と、教育長からは「職員としてあるまじき行為、公務員としておかしい、行き過ぎである。」88. 2.25教育長から「内部告発である。運動は職員を辞めてやれ。」と再度言われた。
  それに対して職員組合では翌日、「私たちは職員であるが、町の住民でもある。自然保護運動は住民の意志に基づいた要求であり、町長・教育長が運動に干渉するのはおかしい。発言を撤回しろ。」と申し入れを行っている。
  3.28人事異動内示において、原君を社会教育課から上下水道課へ配置転換が行われた。労働組合では、助役に対し『報復人事撤回』を申し入れた。しかし、町側は、内示撤回する気はないと強気に出たために、原君は、公平委員会に提訴する意思を伝えた。そして同年5月27日公平委員会へ申立を行い、労働組合でも「差別人事反対、人事の民主化闘争」の取り組みを決めた。その後、人事委員会闘争は、弁護士を含む25人の代理人(主任代理人は単組執行委員長)で、延ベ10回の公開口頭審理をたたかっている。
  原君が申立を行った理由として、①社会教育主事の専門性・本人の意向を無視した不当配転である。②私人として自然保護運動に関与していることに対する反感嫌悪・報復措置である。③配転の手続きが違法である。ことの三点であった。
  この申立に対し、白鷹町職員労働組合は、「原君の支援」と「差別人事反対、人事の民主化闘争」として取り組みを決定した。理由は、①冬時間闘争(紺野町長は、82年10月冬時間全廃提案、一部町民を集め、町民の声を吸い上げ労働条件も町民の声で決めるやり方で、労働組合つぶしをもくろんだ事件。)を一つの境として、人事異動が独断的、偏見的に毎年行われていることに対する組合員の不満がある。②町当局は、私人として原君が行っている住民運動を阻止するための「見せしめ人事」を行った可能性が強いこと。③思想・信条・言論の自由を抑制し、基本的な人権侵害に関わること。などであった。
  差別人事反対、人事の民主化闘争の取り組みの若干の経過

 1987.  4. 7

守る会代表の原敬一君に対し、白鷹町長は「自然保護運動を続ければ考えざるを得ない」と処分をほのめかす圧力。

     12.20

新聞折り込みチラシ発行(第3号)

     12.27

山形県自然保護団体協議会に加入

   88.  2.

教育長から「自然保護運動は職員を辞めてやれ」と命じられる。

     4.  1

原君(社会教育主事)を、社会教育課から上下水道課へ配置転換。

     5.27

原君は、山形県人事委員会へ不服申立。

     6.  2

執行委員会で「差別人事反対、人事の民主化闘争」取り組み決定。

   89.  2. 3

第1回公開口頭審理。4.24 第2回、6.22 第3回、9.14 第4回、12.1 第5回、         90. 2.16 第6回、4.23 第7回、7.23 第8回、10.23 第9回。

   91. 6.27

町職労と町長及び教育長との間において確認書を締結。

     7. 1

原君は、県人事委員会に対して行った「不利益処分の申立」を取り下げる。

  人事委員会の審理はすべて公開性の口頭審理で行われた。証人喚問が進むに連れて白鷹町の人事行政の杜撰さがリアルに明らかになっていったのである。さらに、人事委員会は紺野貞郎白鷹町長を証人尋問することに決定していたが、第9回の審問の中で人事委員会審理委員長は、教育長に対し「住民運動は、職員という身分を離れてやるのが筋ではないか」ということは、「言われた側(原君)としては、これをとことんやるなら(職員を)辞めろと受けとられる」このことは、これ以上町長を尋問したところで、白鷹町行政の恥部をさらけ出すだけであり、今後の町政運営にヒビが入るだけ、を思わせる発言で、実質勝利と確信した。そのため、町職労は原君に対し、「不利益処分申立」の取下げをお願いしている。
  96年4月、原君は、社会教育係長に職場復帰を果たした。

(2) 自然保護運動と町職労
  環境・自然保護運動は、全国的にも市民運動が先行し、また財政危機に押されて、これまで決して見直されることのなかった公共事業が、中止、休止され始めている中にあって、労働組合が環境問題に取り組むべき必要性として、地球環境を守るということが、人類生存の上でも、地球存続の上でも、不可欠な条件だからである。現在の新たな環境問題への取り組みは、労働組合が社会的役割を強めていくためにも、組合活動を活性化させるためにも有効であることである。しかし、厳しい行財政改革攻撃の中、賃金や労働条件などの課題に忙殺され、新たな課題に目を向ける余裕がないというのが現状である。
  大規模林道中止を求める運動も、白鷹町職員の原君に対する不当配転撤回闘争は組合全体のこととして取り組み、91年6月27日には「職員の基本的人権を尊重し、法令に反しない限り、地域住民運動に参加することは干渉しない」という覚書きを交換してからは、原君に対し、それまで執拗に繰り返されていた大規模林道に関する弾圧はほとんど無くなった。と同時に、そのほかの活動家(職員)への圧力も減ることとなり、成果としては職員全体で共有できるものである。しかし、最初から最後まで自治労県本部・単組が積極支援が出来得なかったこととして、林道計画当初の段階において、社会党支持労組で構成する林政共闘会議が、ルートを変更することで施工合意していたために、自治労全体の取り組みにならなかったものと考える。また、自然保護の大切さ、大規模林道に対する疑問は感じていても、町で推進している事業に労働組合として反対運動をすることに悩んだ組合員も多くいたことも事実である。したがって、労働組合としては一部理解者の取り組みに終始したきらいがある。

(3) 組織運動とは
  職場の中で自分たちの課題だけを追及していると気付くことができないものだが、町民と一緒に運動していると、労働組合の長所が見えてきたりする。町民一人ひとりから見れば、組合の組織力、継続カ、専門性、多様性、社会的発言力、どれを取っても羨望のまなざしと言える。これを地域の中で有効に使うべきである。シンポジウム・イベントの共催、署名の取り組みなど、住民運動のアイディアや新しい運動スタイルは、組織運動にどんどん取り入れていくべきだ。その際、つねに受け身になって住民の要求を聞くだけではなく、私たちの側からも積極的に組合の抱える課題や要求について理解を求めていくことが大切である。
  「葉山の自然を守る会」の皆さんや、そのほかの自然保護団体には、つねに住民との信頼・協力開係を築こうという努力と粘り強さがあり、そこにお互いの理解をつくることができたものと考える。このことは私たち単組組織運動にも大いに参考になったと言える。

4. 平成の自由民権運動(まとめ)

 環境問題は、現在、人類が直面する最大の課題の一つでもある。これは、人類生存の基盤を自然環境に大きく依存しているにもかかわらず、その自然環境を一部権力者の利益追求の道具として、利用する間違った考えの故に生じている問題である。
 葉山の自然を守る会はこうした矛盾にも果敢にたたかい続けてきた。評論家の佐高信氏は、96年8月19日、白鷹町での講演会の中で「私は、大規模林道建設中止を求めている葉山の自然を守る会などの運動を、『平成の自由民権運動』と位置付けている。官僚の手に我々の生活や政治が奪い取られているのを取り戻す運動といえよう。官僚たちが勝手に大規模林道という余計なものを押しつけてくる。平成の自由民権運動は、公共の仮面をかぶって押しつけてくるものから、公共の概念を取り戻す運動である。」と話されている。
 葉山の自然を守る会は、林道という極めて地味な存在に早くから着目し、敢えて長期的な課題を運動(12年間、300回を越す事務局会を開催)として選び、その実態を明らかにすることによって、人間は自然とどう付き合うべきかという今日的課題を考える上で、つねに新しい視点を提供し続けてきたことをもっと評価されなければならない。
 現在、自公保3党は、公共事業見直しに関する改革案をまとめようとしているが、公共事業の「押しつけ」による自治体財政の硬直化と財政赤字の拡大の問題が解決するされるとは考えられない。
 自然が永遠であるように、たたかいも永遠に続く(評論家・佐高信氏)それも一ヵ所だけたたかっていれば良いと言うのではなく、全国ネットワークを結成して、全面的にたたかう必要が見える。