自治体労働者から見たJCO臨界事故報告

茨城県本部


 1999年9月30日に発生した株式会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所における臨界事故は、日本で初めて周辺住民を被ばくさせる深刻な被害をもたらした。
 科学技術庁の事故調査対策本部は、JCO社員、原研・核燃機構職員、消防署員及び一般住民計439名が被ばくしたと発表しているが、住民の避難・誘導等にあたった自治体職員や警察官などがカウントされていない。
 そこで本報告は、事故発生時からの防災活動について労働者の視点から、とりわけ防災作業の第一線に立ち最後まで業務を遂行しなければならない自治体労働者の立場に立って気づいた点をまとめた。また、事故の再発防止に向けての安全規制についても言及することとした。
 事故当日の10時35分、JCOの転換試験棟で警報吹鳴。10時43分東海村消防署に119番通報がある。てんかんで倒れた人がいるということで消防署員がかけつけたところ、放射能を測定しているJCO職員がいたが、事情を聞いても要領を得なかった。
 もし、被ばく事故による急病人が発生した場合、事業者から消防署員が放射線防護が講じられるよう適切に事故情報が伝えられていれば、消防署に用意してあった防護服を着用するとともにサーベイメータ(携帯用放射線測定器)を持って現場へかけつけることができたはずである。このため消防署員は多い人で13ミリシーベルトの被ばく(一般人の年間被ばく限度は1ミリシーベルトと定められている)をしてしまった。この行為は犯罪的ともいえるものであり許しがたい。
 11時22分JCOから茨城県へ事故の第一報が電話で入るが、この時は事故発生からすでに50分近く経過していた。通報内容も「臨界事故が起こった」ではなく、「臨界の可能性あり」と切迫性がないことから、県職員は半信半疑の状態から対応することになった。このことも事故対策を遅らせた要因になっている。誰でも経験があることだろうが、どんな事故や失敗でも事故等が起きると現場の人間は、少しでも事態を小さく見せようとする心理が働くが、原子力災害ではその被害の深刻さ、事故の性質からいっても到底許されるものではない。このような人たちは、そもそも危険な原子力を取り扱う資格がない。
 なお、県の原子力災害対策本部の設置は16時00分と非常に遅く(東海村12時15分、科学技術庁14時30分設置)、このため事態の正確な認識を早期に確立できなかったことに根本的な問題があった。だがこれだけにとどまらず、県は近隣のひたちなか市への事故の通報も行っていない。当該市職員が言い放ったように「テレビを見ていた方が情報が早い」のである。また、那珂町へは12時40分県から電話とファックスで事故通報があったが、避難の要請など細部の事項はなく、「事故があった。住民に広報を願いたい。」という内容でしかなかったという。那珂町ではさっぱり状況がつかめないため、14時ごろ東海村へ職員3名を平服で派遣し情報の収集・連絡にあたらせた。但し、派遣といっても実際は事故対策本部を覗き見している状態で確実な情報はどうしても遅くなり、町としては住民にどんな指示をして良いのかわからなかった。また、両市町へのJCOから事故通報はなかった。
 ところで東海村はどうであったろうか。よく知られている村上村長の決断(原子力災害対策基本法に違反する独断での350メートル圏内住民避難要請)により住民の被ばくは軽減された。後日国はこのことを「結果的にこの避難措置は適切な措置であった」と評価しているが、全く無責任な御都合主義の評価以外の何ものでもない。
 11時34分JCOから東海村へ事故の第一報が入る。11時57分災害対策連絡会議が招集されたが「事故があった」といっただけの庁内放送があり村職員は待機した。その後災害対策本部から「JCOに防護服を届けるよう」指示があり、職員が「私たちは防護服を付けなくて良いのか」、「ポケット線量計を付ける必要はないのか」、「この線量計でどれくらいの数値だったら撤去すべきか」と管理職へ質問したところ、「大丈夫だ」、「そのような数値の基準はない」という返事であった。後日、組合がこの人たちにホールボディカウンタ(全身放射能計測器)による精密測定を勧めたところ、検査結果は「異常なし」だった。
 村職員(消防署員含む)は、情報収集や住民避難の誘導(350メートル圏内の避難勧告作業では職員が各家庭を回って避難勧告をした)において、線量計も付けず、防護服も着用しない無防備のまま、2~3時間の作業を行った人がいた。これらの人へは「血液検査」が行われたが、結果は「後日個人宛てに通知」と言われた。本当は検査結果が個人宛てにだけでは困る。町として記録を整理し、長期保管して今後定期的にチェックを続けていくことが重要なのである。(自治労原子力防災プロジェクト調査団は、今後のために村職員組合も検査結果をコピーして保管することを助言する)
 これらのことは、当初情報が錯綜していたとはいえ、いかに日頃の防災計画・訓練が役に立たなかったのかを如実に示している。労働安全についての幹部職員の認識が欠落していることもわかった。原子力事故はあってはならないことだが、事故を想定しての真剣な防災訓練の実施と労働安全教育を実施させなくてはならない。
 さて、約20時間にわたり放出され続けた中性子線はどのようにして止められたのであろうか。9月30日深夜の原子力安全委員会で、核分裂連鎖反応を起こしている沈殿槽の周りの冷却水を抜きとることが決められ、現場を熟知しているJCO社員が作業に動員されることになった。「大半の人間が使命感に燃えて申し出た」と関係者は語っているが、JCO社員を半ば強制的に高放射線下で高被ばく作業に就かせたことは、緊急作業のあり方として問題を残した。
 当初科学技術庁は、冷却水の抜き取り作業を行った18人の被ばく線量を0.05~120ミリシーベルトと発表していたが、後で最多の人でも44ミリシーベルトと下方修正した(当初の発表はポケット線量計によって測定された暫定値であると説明)。現在、放射線業務従事者の被ばく限度は、年間50ミリシーベルト、緊急作業時は100ミリシーベルトを超えてはならないという基準があるが、防災業務従事者、すなわち自治体労働者も同じ基準となっている。もし、また同じような事故が発生したと仮定した場合、現行基準ではJCO事故程度の水抜き作業は行って当たり前ということであり、場合によっては自治体労働者も同程度の作業にかり出されてしまう可能性があるのである。想像しただけで何と恐ろしいことかがわかるのではないだろうか。だから、今回私たちは防災業務従事者の被ばく線量基準の大幅な削減を強く要求しているのである。少なくとも日常的に放射線を扱うことに従事している者と一時的に防災業務に従事する者が同基準であることは納得できない。両者とも基準を下げることが必要である。
 次に、事故の再発防止に向けての安全規制体制であるが、国は原子力災害対策特別措置法、原子炉等規制改正法を成立させ、原子力安全委員会による事故報告書も昨年12月に提出するなど矢継ぎ早に対策をほどこしてきたが、その対策は決して十分なものではなく、これから深めるべき重要な課題も多く存在する。例えば、特別措置法で新設されることになったオフサイトセンター(緊急事態対応拠点施設)の機能の整備はこれからであり、原子力災害合同対策協議会(国上県 一 市町村 一 事業者)の定期的な開催や立入り検査体制をもたせること、防災業務関係者や住民のための日頃からの研修の場とすることなど具体化を図らなければならない。そもそも、原子力災害対策特別措置法は住民の安全を重視するために立法化されたということではなく、今後も原子力開発・利用を推し進めたい国と、原子力施設等の設置に伴う交付金は欲しいものの、第一義的には自らの責任とされてきた原子力防災対策の重荷は脱ぎ捨てたい自治体との妥協の産物という側面が強い。緊急時の住民被ばくをできるだけ防ぐには、各自治体が自立した緊急時対処能力を備えることが重要である。逆に、都道府県を含め各自治体が国への従属依存を深めて自立的な緊急対処能力をなくして国の手足となるだけで国しか判断が行えないというのでは、小回りがきかなくなり判断まで時間がかかって初期対応が後手に回りかねない。緊急時いかに国があてにならないかはJCO事故の実際の対応をみれば明らかである。自治体にできるだけ多くの原子力防災専門職員を配置し、初期対応は自治体が行うものでなければならない。
 また、原子力の安全行政の確立についても国の方針は、相変わらず推進体制と安全規制体制を行い得ていない。原子力推進体制から未分離の従来の安全規制体制(推進のための規制)を改め、独立の安全規制体制(安全を最優先する体制)をつくる必要がある。すなわち、国はJCO事故のあと「原子力安全委員会の100名体制(従来は21名)と事務局の科学技術庁から総理府への移転」、「省庁再編後の経済産業省に保安院を新設し460名体制(5割増)」を打ち出しているが、従来の推進のための体制の手直しでしかない。いまだに「安全神話」の考えが払拭されていないといえる。もし、本格的な安全規制体制をつくるのであるというのであれば、アメリカの原子力規制委員会のように原子力推進機関から独立し、施設の許認可権と3,000名の専従スタッフをもつような強力な組織体制にすべきである。