水俣市の「環境モデル都市づくり」ISO14001

熊本県本部/水俣市職員労働組合

 

1. 水俣とは

 三方を緑の山に囲まれ、一方を海に開き、水俣川の源流から不知火の海辺まで一本の水系で完結している水俣は自然豊かな理想郷であり小宇宙である。
 人々は海の民、野の民、山の民そしてマチの民に分かれ、恵をもたらすが時として荒れる大自然に感謝と畏敬の念を抱いて暮らしてきた。私たちの祖先は、森の中を移り動きながら、山では動物や木の実、川や海では貝や魚、海草など自然の恵みを受けて暮らしていた。森や川や海が暮らしを支える生命の基盤であった。
 水俣は明治末期に工業による近代化、都市化が始まり1906年(明治39年)チッソ株式会社の前身である日本窒素肥料株式会社が立地し、数少ない輸出産業として大きく成長し、日本経済をリードするようになった。資源やエネルギーが、森から石炭、石油へと大転換する産業革命である。これ以来、水俣はわが国が世界の工業先進国の仲間入りを果たそうとする動きに呼応し発展を遂げていった。
 ヨーロッパでは農耕牧畜による農業革命で自然環境の変化が進み、森がなくなり、環境破壊が発生した。それに対して、日本では産業革命による都市化、レジャーランド化が進行した。更に、工業化が進む過程で水俣は不幸な出来事に遭遇することとなる。水俣病の発生である。工業排水に含まれていたメチル水銀により海の魚が汚染され、その魚を食べて起きた有機水銀中毒症は世界に類を見ない公害となった。
 水俣病の兆しは「ねずみの急増」に現れた。1954年(S29年)の7月「ねずみが急増して漁村を荒らし回り手がつけられない」と駆除の要請が市の衛生課にあった。6月初め頃から急に猫が狂い死にはじめ、百匹いた猫がほとんど全滅したと報道された。鳥や猫に続いて人に影響が出たのは1950年代で、漁村に奇病の発生が続出し、1956年(S31年)に水俣病が公式発見された。1956年(S34年)には熊本大学の研究班は「原因はチッソの排水中の或る種の有機水銀」と発表している。
 公式発見から12年、熊本大学の有機水銀説発表から9年後の1968年(S43年)に厚生省が「チッソの排水が原因」と断定するまで、チッソは有機水銀が副成されるアセトアルデヒトの生産を中止しなかった。その間に排水口を水俣湾から水俣川河口に変更したこともあり、不知火海沿岸まで拡大し大きな公害事件となった。
 水俣病と認定された患者は2,264人、そのうち死亡者は1,390人。また、政府解決策の一時金による救済者は、10,353人に及ぶ。直接被害を受けた人だけでも、実に膨大な数の人々が犠牲となり、水俣は想像を絶する悲惨な産業公害の町になった。
 水俣市民は水俣病の犠牲を無駄にしないようにするにはどうすればいいのか、このことから水俣は環境を深く考えていくこととなった。森、川、海と暮らしの関わり、水や資源の循環、持続可能なエネルギー源の利用、生命基盤である環境の再生などである。

2. 環境・創造 水俣再生のスタート

 水俣市民の「環境モデル都市」づくりのきっかけは水俣湾に堆積している水銀へドロを処理するための公害防止事業(1977年~1990年3月)により、新しく生れた58haの土地に市民が水俣再生の熱い思いを重ねたことである。この土地に水俣再生を竹の生命力に託して4haの竹林園を整備した。今、熊本県の事業により、環境と健康をテーマとする「エコパーク水俣」と呼ばれる運動公園に、生まれ変わりつつあり、シイ、カシなどのドングリの実を植えた実生の森づくりが市民の手で進められている。また、水俣川の源流の山でも市民の森、水源の森づくりなどが進められ、悲劇の海であった水俣湾に珊瑚の生息が確認され市民を勇気づけた。
 1991年(H3年)県、市、市民一体で「環境創造みなまた推進事業」をスタートさせた。市民が互いに話し合い、水俣病問題を克服し水俣の再生に取り組むよう呼びかけ、10年にわたり運動を展開した。また、この年に地域の自治組織である「寄ろう会みなまた」が誕生した。地域を改めて見直し、森や山や川や海の変わり様を、地図に貼った写真を見ながらの話し合いが各地区ごとに開催された。引き続き、地域にあるものを探しだして磨こうと「地域資源マップ」、水のゆくへを調べた「水の経路図」を作成してきた。住民による水俣再生が動き始めた。
 この動きに呼応して、1992年(H4年)水俣市議会は「環境、健康、福祉を大切にする産業文化都市」へと市の将来像を大きく転換した。また、市の将来像に基づいた環境基本計画は、水俣病の教訓を生かす、自然環境を大切にする、自然と共に生きる暮らしを創造する、という3つの柱をたてている。

3. ISO14001(環境マネジメントシステム)とは

 ISOとは1947年設立のスイスに本部を置く、国際標準化機構(International Organization For Standardization)のことで、一般にはネジやフィルムの感度、品質などの分野の国際標準化で知られ、日本では日本工業標準調査会(JISQ)が加盟している。
 ISOは環境分野の国際規格の番号を14000台に振り分け、14001が環境マネジメントシステムである。これは、環境方針に基づいて、計画(plan)→実施及び運用(Do)→点検及び是正処置(check)→トップによる見直し(action)を繰り返し、責任者などの組織推進体制を明確にし、環境負荷の最小化を進めていくシステムである。
 水俣市は1999年(H11)2月23日に自治体として全国で5番目にISO14001を認証取得したが、自治体の取得に向けた動きが加速しており、2000年(H12)度には、300を超える自治体の取得が見込まれている。

ISO14001 PDCAのサイクル図

 

4. 水俣市のISO14001取得の意義

 水俣市は環境に関する地域づくりをマネジメントしていくためにISO14001を認証取得し、環境マネジメントの方針(環境方針)として市役所自体が環境汚染の当事者とならないこと、省エネ・省資源及びリサイクルの推進、環境モデル都市づくり推進を重要課題としている。
 現在のシステム構築と運用の目的及び成果については次の通りである。

(1) 環境に関する職員の意識改革と具体的行動の進展
  省エネ・省資源の日常的な行動は、庁舎・公共施設の電気料、用紙代の節約など平成10年度は467万円、平成11年度は660万円の経費節約をもたらした。また、システムの導入が行政改革と連動し、情報公開のための文書管理システム導入に結びついた。
  水俣地域新エネルギービジョンを策定し、市の施設に太陽光発電の設置を進め、公用車に2台のハイブリッドカーを購入した。市役所では、夏4ヵ月間は市議会の本会議などでも全て半袖ポロシャツのエコスタイルで済ませている。
  資源やエネルギーの最大効率化、化学物質使用の廃止・極小化、それに廃棄物、環境汚染などの自然環境への影響の最少化のために、道路や公園、公共施設づくりにおいて素材の調達から製造、使用、廃棄段階まで配慮している。このライフスタイルアセスメントの考えで、水俣市では公共事業の環境配慮指針を作成し実施している。

(2) 水俣病の犠牲を無駄にしない住民協働の「環境モデル都市づくり」の推進
  1993年(H5)に住民参加によるごみの分別収集が始まったが、不燃ごみに混入したプロパンガスボンベの爆発事故がきっかけでごみ分別収集に着手した。市民自らが23種類に分別し、クリーンセンターで生きビンなど更にメーカー別に80種類に分ける高度な分別であり、ごみのブランド品と呼ばれている。約300箇所のごみ分別ステーションは自治組織で運営され市は、関与していない。一人暮らしや共稼ぎ世帯など困っている人たちには、隣近所などが手伝ってあげるなど助け合いが生れた。これまであいさつもなかった人々の間に対話が生れ「ごみ端会議」と交流の場になってきた。
  しかし、ごみを分別するだけではごみの総量は減らない。そこで、1997年(H9)に女性団体が結束して「ごみ減量女性連絡会議」を立ち上げた。まず、市内の4つのスーパーや生協などと協定を結び、65品目の食品トレイの廃止を実現している。次に、環境に配慮した良い店を「エコショップ」に指定した。現在13店舗が認定を受けている。そのほか、お買い物袋を呼びかけ過剰な包装を追放するため、容器包装の値段を調べたりしている。

(3) 市民意識の向上と具体的行動への波及
  水俣青年会議所はISOの理念を市民に普及したいと「我が家のISO制度」を創設し、現在70世帯を認証している。また、市内の16校の小中学校では、環境にいい学校づくりを進めようと「学校版の環境ISO制度」を自主的につくり、児童生徒や職員が役割を分担し、行動を宣言し、記録し、見直しを行うシステムを作って行動をはじめ、全ての学校の認証を終えた。更に、市内企業の環境マネジメントシステムの構築支援のために研修会も開催している。
  企業との「公害防止協定」の地域版である水俣市独自の「地区環境協定制度」も作り、現在6つの地区の住民同士で互いに環境に関する生活ルールを約束しあっている。例えば、「川の上流の地域では水をきれいにするために合併浄化槽を設置しよう」、「ビオトープを守ろう」、「ごみの分別を徹底しよう」、「ごみの不法投棄防止のためにパトロールをしよう」などである。

(4) 地域イメージの向上
  環境保全で大事なことは、ものを大切にし使い続けること、リサイクルしたものを購入することである。水俣市ではグリーン購入ネットワークに加入し、率先して環境に配慮した物を購入している。
  また、環境と健康に配慮した「ものづくり」を進めている名人、達人たちを「環境マイスター」に認定し、お茶、みかん、米、野菜などの有機無農薬栽培農家、無添加の水産加工、和紙づくり、畳づくりなど14名が認定されている。減農薬有機栽培のサラダ玉ねぎは水俣特産として全国的に有名になってきた。
  ごみ分別の視察も全国各地から増加し、ごみが水俣市の貴重な観光資源となり、市民は自信と誇りを持っている。
  さらに現在、エコタウン計画を策定しその実現に努力を始め、すでに廃家電リサイクル工場など、数社の循環型の企業の立地が確定している。

5. 最後に

 地球温暖化、オゾン層や熱帯雨林の破壊、酸性雨、ダイオキシン、環境ホルモンなどグローバルな環境問題は深刻であるが、個人個人には生活を削ってまでという切実感はない。
 水俣病問題は、その原因物質が判明し、原因企業も分かったことで患者救済がなされた。しかし、現在進行している地球環境破壊は人類全員が原因者であり被害者であることからPPP、原因負担の原則は適用できない。その対策は、人類全体の環境意識の高揚しかないと水俣は訴え続けている。
 水俣市民は不完全処理の産業廃棄物で半世紀も苦しめられてきた。そこで、その教訓を生かして一般廃棄物も産業廃棄物と共にしっかりと安全に処理しリサイクルしできるだけゼロに近づける努力をしている。ごみの分別収集もそうであり、エコタウン計画もそのための方策である。
 市民生活も産業活動も、全てゼロエミッションに収斂させたいと考えている。水俣市の最終目標はゼロエミッションのまちづくりであり、目標と方法論、組織を明らかにする仕組みづくり(環境ISO14001)をもとに目標に向かって懸命の努力を続けていく。