八日市市の里山保全活動について

滋賀県本部/八日市市職員組合

 

はじめに

 これまでの自然保護行政は、主に手つかずの原生自然や天然記念物などの希少価値のある自然を対象として、法規制によって人為を排除して保護・保存する方法が取られてきた。その反面、都市近郊や農村の人手の入った二次的な自然はその価値を低く評価され、自然保護の対象から外されたことにより、各種開発用地として利用され減少してきた。
 絶滅の危機に瀕している動植物を調査したレッドデータブックが発行されたが、ここで取り上げられている生き物の生存場所をみると、雑木林、田畑、ため池等の人手が入って成立した自然が多く、多様な生物の生息・生育環境として二次的な自然の価値が見直されている。また、都市住民にとっては潤いを与える身近な緑として、環境保全機能や景観形成機能の面からも里山が再評価されてきている。
 市町村レベルの自然保護・緑化行政にとって今日的な課題である里山といわれる身近な自然環境の保全について、八日市市の取り組みを報告する。

1. 里山の自然と現状

 里山とは、広義には田園風景のように、雑木林・田畑・ため池・小川など人間が働きかけによって成立した自然全体を言うこともあるが、一般には市街地や農村集落周辺の丘陵地や低山帯に広く分布するアカマツ林やクヌギ・コナラ林で、かつて里人が薪や炭などの燃料や田畑の堆肥となる落ち葉を採取利用してきた雑木林のことを言う。これらの林では、定期的に場所を変えて、下刈や伐採が繰り返され、萌芽更新と実生苗の生育で持続的に明るくて若い林地が形成されてきた。明るい林床では好陽性の植物の生育が可能で、これらを求めて昆虫類が集まり、そして野鳥や野生動物が生息していた。里山では、人間の生活や生産活動のための森林利用が多様な生物の生息・生育環境を形成してきた。里山は、森林の生産力と人間の持続的で節度ある収奪のバランスによって自然の生態系が維持されてきた。ここには、「自然と共生」してきた先人の知恵があり、地域の環境文化があったといえる。
 しかし、昭和30年代からのプロパンガスの普及や石油・電力へのエネルギー源の転換によって薪や炭は使われなくなり、農業においても化学肥料を多用し、堆肥としての落ち葉掻きの必要がなくなった。燃料林・農用林としての役割を失った里山は利用(管理)されることなく放置された。そして、多くは開発用地として消失し、残された手つかずの林もごみの不法投棄場所となり、荒廃が進んでいる。また、人手が入らなくなったことにより、竹林が拡大し、鬱蒼とした照葉樹林へと遷移が進行し、植生が単純化している。放置することで本来の自然林に戻るのだから構わないではないかという考え方もあるが、それではかつての多様な生物の生息環境を維持できない。里山のような二次的な自然を保全するためには、適度な人手を加えること(植生管理)が必要である。それは、一度は遊離した人と自然との関係を再構築することでもある。

2. 市民参加の保全活動

 それではいったい誰が伐採、下刈、落ち葉掻き等の大変な植生管理の仕事をするのだろうか。経済的な価値のない森林に対して所有者は管理に要する多大な費用と労力をかけられない。行政にもそのような財政的余裕はない。かつてのように経済的理由による利用ではなく、外部からの別の価値評価による支援が必要であり、環境保全に関心のある市民の力が必要となった。
 八日市市では、開発され残り少なくなった愛知川河辺林約15haを、地域固有の自然として、市民の環境財産として保全する計画である。かつては集落の入会林として利用されていたが、今日では多くの里山と同様に放置され荒廃が進む里山である。
 1998年4月に市では、里山保全に関して先進的な活動をしている(社)大阪自然環境保全協会から指導者を招き「里山保全管理セミナー」を開催した。これを契機に市民ボランティアを募集しながら『遊林会』というボランティアグループを結成して、愛知川河辺林の保全活動を開始した。
 当初は、有志5名で始めた活動も現在は会員数約90名で、月1回の定例活動日には常時40名ほどの会員が参加するようになった。会員は小学生から90歳代の老人まで幅広く、会社員、主婦、学生、公務員、定年退職者、自営業、農家、政治家そして森林所有者など様々な年齢、性別、職業のメンバーが八日市を中心に近隣の町からも参加している。また、会員外にも青年会議所、ソロプチミスト協会、ボーイスカウト・ガールスカウトや労働組合などの団体が加わることもある。
 参加の動機も様々で、環境保全に関心のある人、植物に興味のある人、退職後社会参加したい人、昔の生活を懐古する人、自然の中で遊びたい人など、各人が思い思いに森との関わりを求めて参加されている。

3. 活動の内容と方法

 植生管理作業は、目標とする森の将来像をイメージしながら、除去すべき植物と育てたい植物を選択して、間伐・下刈・木の葉掻きなどの作業を実施している。共通の目的意織をもって活動するために、参加者には里山保全のための植生管理の必要性を理解してもらう説明を行っている。
 植生管理に付随して重要な作業が、伐採した木の処分である。かつてはこちらが目的であったが、保全活動では副次的な作業となってしまった。これには、炭焼・薪づくり・堆肥づくりやシイタケ栽培、木工や竹細工などに楽しみながら取り組んでいる。
 そして、もう1つ重要な作業が、参加者のための昼食づくりである。ボランティアの基本は手弁当での参加であるが、遊林会では毎回、みそ汁、炊き込みご飯や焼き鳥などを森の中で作り、参加者全員で楽しい昼食を摂りコミュニケーションを図っている。
 植生管理は長期間に続けなければ結果がでないため、活動は長続きすることが必要である。そのためには会員が無理なく楽しく活動を続けられる必要がある。遊林会の作業方法は1つの作業を参加者全員が黙々とこなすのではなく、下刈り・伐採・昼食準備など幾つかの作業メニューの中から参加者が体力と技術と好みに応じて作業を選択し、自分のできる範囲でマイペースで活動に参加できる方法を取っている。また、ハードな保全活動が会員にとって重荷とならず、新たなレクリエーションとして関われるよう、作業の合間には自然観察会やキノコ狩りなども盛り込んでいる。
 そして、入退会はもちろん自由であり、定例活動への欠席・遅刻・早退も本人任せであるが、活動はすべて個人の意思と責任において参加することが原則である。
 野放図な組織のように思われるかもしれないが、個人の意思と責任があれば、多少参加の仕方がバラバラでも、全体として一つの方向性を持っていることで息の長い活動のできるのではないだろうか。

4. ボランティアと行政

 関東や大阪など大都市周辺では市民参加による里山保全活動の事例が多くあるが、地域住民が主体となったボランティアであり、八日市市の遊林会のように行政主体の活動団体は数少ない。本来、ボランティア活動は市民の自発的な行動によるものであり、行政が深く関与するのはおかしいという考えもある。行政の事業には、ボランティアと称して参加者を都合のいい奉仕作業員にしてしまっている事例もある。また、組織の予算や規約などを重視する形式主義に陥り、活動内容が伴わないことで参加者の熱意を阻害しかねない。この点は私たち行政マンは十分配慮しなければならない。
 しかし、行政の関与を市民ボランティアが必要とし、有効に働く場合もある。
 1つは、里山保全活動のフィールドの確保である。里山の多くは民有林であり、そこに立ち入り、保全活動を実施するには森林所有者の理解と承諾が必要である。善意の市民が土地を借り入れに行っても、都市住民「=よそ者」に躊躇なく土地を貸すことは希である。しかし、地元自治体に対する信用のうえに林を提供されるという現実もあり、行政の肩書きに頼らなければならないこともある。
 次に、活動を支える事務局機能の問題である。会員に対する印刷物の作成や通信そして広報活動など継続的なボランティア活動には不可欠な事務、世話役の仕事は案外多い。多くの団体では活動の中心にいる一個人の自己犠牲のうえに成り立っている場合が多い。有償の事務員を抱えるNPOもあるが、その財源に困窮しているのが現状である。また、作業には参加したいが組織の役員や幹事にはなりたくないという人もいる。行政がこの部分で関与するなら、会員から面倒な事務や組織維持に費やす無駄な労力の負担を軽減でき、本来の活動に専念できるとも考えられる。
 里山の自然と自己に対する責任は参加者自身が負い、森林所有者や組織に対する責任は行政が負えばいいのではないだろうか。
 ボランティアは本人の意思により参加し、行政はコーディネーターという立場で、お互いがパートナーとしての役割を認め合いながら活動を構築することが大切であると考える。

まとめ

 市民参加で植生管理作業を実施して里山を保全することが当初からの活動の目的であったが、活動を通じて様々な活動の効果が現れてきた。
 雑木林の景観を再生して、多様な動植物の生息・生育環境を保全することはもちろん、結果として先人に培われた里山に関わる文化や技術を伝承することにもなった。
 また、参加者にとっては、新たなレクリエーションの場、社会参画の場、生き甲斐の場、環境教育の場、多様なメンバーとの交流の場として里山を活用できるようになった。
 活動に対する批判もある。その多くは「木を伐ることは自然破壊だ」「自然は自然のままがよい」といった観念的な自然保護を訴えるものである。こうした反対意見の多くはその人の自然体験の欠如に起因していると考えられる。人間との関わりの中で成立してきた二次的な自然の保全手法について、活動に参加して体験的に理解してもらいたいと思っている。
 今後の課題として、前段で述べたボランティアと行政の関係がある。
 活動の立ち上げには行政の関与が重要であった。そして、現在もボランティアの世話役(事務局)を行政が担っているが、役所は人事異動によりいずれ担当者が替わる。その時に活動が持続でき、ボランティアとの関係が維持できるかが疑問である。ボランティアに負担のかからない範囲で、現在の事務局の役割を徐々に移行していく必要があると考える。そして、支援者としての行政とのパートナーシップは維持しながら、自立した団体となることにより、息の長い活動を続けられるのではないだろうか。
 最後に、県内の自然はほとんど二次自然である。開発による自然破壊を嘆いているだけでなく、保全に向けた提案と行動が必要である。遊林会の活動は試行錯誤しながらの試験的な取り組みであるが、今後、遊林会と同様の活動が県内の多くの里山で展開されることを望むものである。