天気晴朗なれど波高し(宅老所のその後)

福岡県本部/大牟田市職員労働組合

 

1. ボランティア活動から組織的な活動へのステップ

 「住み慣れた町で安心して暮らし続けるために」をテーマに、自治研の取り組みとして地域にその場を求め、様々な活動の積み上げのなか、自らがその中心となり1998年5月に地域での実践の試みとして宅老所を立ち上げた。
 それから2年が経過した。宅老所をつくるまでの苦労とはまた違い、日々の継続は大変なものがあった。なんといっても運営費の確保に苦労をしてきた。スタッフの給与や家賃などの維持費で毎月
34万円。公的助成がないなかカンパや物品販売、各種助成金の申請などで切り抜けてきた。一方では、理念を具現化するための活動の基本となる、宅老所における介護の質の向上と情報発信の取り組み。これらをささえる支援の輪づくりや行政への働き掛けなど、もとより苦労は覚悟していたが、山また山の連続であった。

 しかし、これらの日々の活動と苦悩こそが「住み慣れた町で安心して暮らしていくために」のテーマに向かって課題を明らかにし、やらなければならないことを知る作業でもあった。

2. NPO(特定非営利活動法人)の立ち上げ!

 おりしも1999年は、介護保険保険制度施行を控え、宅老所を取り巻く状況も大きく変わりはじめた。2000年1月に、NPO法人「よかよかネットワーク」として認証、4月から介護保険サービス適用事業所としての指定を受けた。あわせて、ネットワークづくりの事務局を設置し専任者を置いて体制を整えた。
 NPOの取得にあたっては定款や事業計画、予算書など分厚い書類を作り県の窓口へ。訂正箇所の指摘を受けながら4~5回足を運ぶ。受理されてから4ヵ月後認証を受けたがこれで終わったわけではない。次は法務局へ登記手続き、登記完了を県へ届けてやっと成立する。大牟田市では第1号となるNPO法人、後につづく市民団体を期待し、また、その牽引車となるために面倒な手続きに挑戦した。
 介護を取り巻く状況を変えていきたいという思いと現実のギャップに悪戦苦闘しながら運営してきた宅老所もスタッフが2人から5人に増え、利用者も毎日定員一杯の7~8人の利用状況となり、最大の懸案であった財政基盤も介護保険実施後なんとか賄えるような状況になった。
 この2年間、宅老所の取り組みは何をもたらしたのか。
 保健・福祉・医療のネットワークの必要性がクローズアップされ、さまざまな形でネットワークがつくられてきたが、縦割りの壁はあつく、また、主体は専門職であり当事者は第三者であったような気がする。宅老所を作ったきっかけもそこからだった。
 しかし、大きな危機に直面した。もとより、宅老所は小さな施設ゆえに、家庭の延長を演出し、利用者も安心して過ごしている。それは宅老所という場がもたらすものであるがそれを介護の質と勘違いし、宅老所という小さな場面で完結させてしまおうとする。しらずしらずのうちに介護する側とされる側の関係に陥る。
 また、市民団体というボランティア的な要素は、宅老所の日常的な運営に対しての関わり方の難しさと責任の所在の曖昧さを内在している。
 これらの課題に対し介護の質の向上、介護の社会化を求めるために地域の中にいかに交わっていくかの試みがつづいた。また、責任所在の明確化とより開かれた市民組織への転換としてNPO法人を取得、市民組織としての確立を図った。
 一方、運動的には、2年間の日々の継続は市職労運動の中で新たな運動の方向性を見いだしている。徐々にではあるが組合員内部にも行政内部にも意識の変化、システム変化のきっかけとなりはじめ、市民と連携した取り組みが活発化している。

3. 宅老所が求めるもの

 私たちが追求する「住み慣れた町で安心して暮らし続けるために」は、様々な問題が当事者を主体とし、地域の中で自己完結できるものでなければならない。このような視点を持ち、宅老所という場を通じて地域にどう関わるのか、関わることによって何が変わったのかを常に問い続けている。このように理念に一歩でも近付く取り組みと、宅老所という実践の場を通して地域にあいまみえたとき、「共に感じ、共に生きる」ことを手に入れていく。当事者を主体とした問題解決のための意識改革(私たちも含め)や情報発信が迫られ、制度改革やシステム改革の必要性を自らのものとして痛感していく。それは必然的にネットワークづくりへと話が進み、新たな実践と議論の場がつくられていく。

4. 新たな展開「福祉でまちがよみがえる会」の結成

 これまで、障害当事者や高齢者を除く多くの人々や団体は、福祉を自分に関わる問題としてとらえきれてないような気がする。しかし、たとえば、商店街の活性化ひとつにしても、今や福祉の視点は絶対欠かせない。街づくりという大きな視点を持てば、それは宅老所という専門店みたいなところでは出来ない。たとえるなら、街づくりという大きな視点が百貨店で、そこにいろんな専門店が入るというような、皆が入っていきやすい器の必要性を必然的に求めていくことになる。
 その器をめざして、
1998年秋に市職労自治研、自治体職員、高校教師、障害当事者・福祉関係者、高齢者、ボランティア活動家、NPO法人(宅老所)職員などが集い、「福祉でまちがよみがえる会」なるものを結成。

 従来の問題提起型から政策提言ができうるように、会としての学習会を積み重ねる。同時に市民、行政に呼び掛けながら、財政効果からみた福祉の街づくり・人権講演会、介護保険の学習会シリーズ。また、市内の福祉関係者に呼び掛けて映画上映実行委員会を結成し、介護を取り上げた映画「ちぎれ雲」上映会など多様な実践の場を取り組んできた。
 このようにして、「福祉でまちがよみがえる会」は1年間突っ走ってきたが、それぞれの中には、今後、会がどのような方向性を持ち、それに対しどのように関わり、どういった活動をしていくのかよく見えきれてない思いがあった。
 それはまた、それぞれの拠って立つ場での自己完結あるいは自己満足がもたらしている壁でもあった。

5. 苦難のビデオづくり

 それを切り開く一場面として「介護保険と福祉のまちづくり」をテーマに自主制作のビデオづくりがはじまった。
 「介護の社会化」「普遍化」を求め、市職労自治研では、介護保険を切り口とした福祉の実情と課題の調査を取り組んだ。宅老所の取材で出会ったルポライターの牧坂秀敏氏と一緒に、行政や地域への取材を行ない、それを「福祉でまちがよみがえる会」がカメラで追いビデオ化する協働作業が、昨年
12月から今年5月までつづいた。6月に1本のビデオと、ビデオに収めきれなかった取材内容を冊子として編集し作業が完了した。

 「私たちはこういう目的で取材をしてます。カメラで取らせていただけますか。」門前払いだったり、本人の了解は取れても、後日家族から断りを入れられたり、そうかと思えば「もっと私は言いたいことがありますぜひ取材してください。」といわれたり、あるいは、たまたま取材の場所で会った人が取材に応じてくれるなど、予期せぬ場面展開となった。1日の取材が終われば宅老所に集まり、その日撮った映像を見直して様々な議論が深夜までつづき、翌日の取材へ。

 市営住宅の二階に住んでる
73歳のSさん、両足が不自由だが短歌を創ることを生きがいとし目を輝かせて話してくれた。仲間の死をきっかけに、28年間暮らしつづけた施設から飛びだし、地域での自立をめざして障害者支援の仲間づくりと共同作業所を創ったKさん。痴呆の両親と一緒に暮らしながらも、自分自身の自立と将来に悩むMさんなどなど。快くインタビューに応じてくれた市長と担当課、しかし編集のデモテープをみて、「当事者の思いに自分は十分答えきれてない。」と悔しがった介護保険課長。

 どのようなビデオを創るのかシナリオがあるわけではない。それぞれ会のメンバーの寄って立つべき土俵も違うし思いも違う。まさに混成部隊。編集段階である人は介護保険の問題点をテーマにと、また、ある人は障害者の人権をテーマにと激しい議論が展開された。
 ビデオを創るのが目的ではなかった。その過程を通じて「福祉でまちがよみがえる会」としての方向性、あるいはそれに関わる私たちの為すべきことのコンセプトを明確にしていく作業だった。

 様々な出会いのなか、4月末に大方の取材を終え、編集作業に取り掛かる。実に
20時間の取材ビデオとなった。目を真っ赤にしながらぶっ通しで取材映像を繰り返し見る。その人の精一杯生きている姿に触れたとき、自然と認識の共有がはかられていった。

 一方では、組合員に対し、市職労の機関紙で特集シリーズを組み、取材模様をつぶさに報告することにより、自治研の取り組みとはなんぞやとの問い掛けを行ない、また、市当局に対しても取材に巻き込みながら意識改革、行政システムの改革を求めていった。

6. 地域での出会いを求めて!

 取材を通じての出会いのなか、当事者のそれぞれの生きざまに触れることは、「老いる」「老いを支える」「共に生きる」とは何かを、私たち一人ひとりに投げかけるものだった。さらに、「介護の社会化」と「共生」が分かちがたく結びついていることを感じさせてくれた。それは、私たちがなすべきことは何かを明らかにしてくれた。ビデオのタイトルである「いのち輝く今日、そして明日へ」はその根底に座るものである。
 ビデオづくりを通して、それぞれが関わる場、立場は違っても当事者の側に立ちえたとき、目指すべきものの本質は同じであり、介護の社会化・普遍化を求める作業が、今、求められている地域のネットワークづくりであることを学んだ。
 文字どおりの手作り、難産の子であった。このいとおしいビデオの一コマ一コマを、一人でも多くの自治体職員に、地域の人々に観てもらうための活動が始まった。しかし、制作した側の思い入れが、果たして観る側にとってどうなのかはまた別問題、不安がある。無事に育ってくれればいいがと、まさに我が子を見守る親の気持ち。

 介護保険サービス事業者の集会に出掛けていき会場の片隅で販売、3本売れた。
300人ほどの参加者の中で3本。いちばん観てもらいたい人たちと思っていただけに前途多難の感。次の日に市民へ呼び掛けた試写会をやった。何よりうれしかったのは上映終了後、間髪を入れず拍手をしてもらったこと。少し自信を取り戻し、これからの上映販売活動に光明を見いだす。翌日、市内の高校から電話があった、会の一員である高校教師からビデオを紹介され、「学校の教材に使いたい、他の学校にも紹介をしたいから。」との問い合わせ。

 公民館や老人会に上映の打診、様々な会議や集会の場に出掛けて、出張販売などなど、一人でも多くの人に観てもらうための活動が始まった。新たな出会いと活動がそこから始まりネットワークの芽が育まれるであろう。

7. ネットワーク化に向けて!

 市職労自治研でも宅老所づくりからNPOへの展開、「福祉でまちがよみがえる会」への関わりを通し、市民活動団体とのネットワークづくりについて方針を強化した。情報交換や皆が集える場所の提供、パソコンや印刷機械など、器材の活用をはじめとした市民活動支援の具体化に取り組んでいる。それはまた、これからの市民参加の意識と概念を作り上げる第一歩の取り組みでもある。
 「福祉でまちがよみがえる会」もNPO取得やタウンモビリティの学習会、商店街空き店舗での事務所開設の議論にはいっている。
 これからの市民社会の創造はNPOをはじめとした市民団体が力をつけなければ成り立ちえない。互いに主体性の確立の上にはじめてパートナーシップが重要になる。そこにもうひとつの街づくりがある。市職労の自治研活動もまさにここに収斂されていく。