「介護保険からはじまる日本社会の変貌予想と地方の現実」

福井県本部/武生市職員組合 宮下 修洋


 1999年の日本社会は、公的介護保険制度をめぐって、新しい世紀の社会保障制度の必要性を強調し、介護保険制度導入後の日本社会変貌について、国をはじめ様々な研究機関が予想・提言してきました。
 2000年7月現在、介護保険制度が導入・運用され、少しずつその動き、進む方向が地方においても見えてきました。
 今回、介護保険がもたらすとされた変貌点を、以下5項目について検証してみました。

1. 地方分権・民主主義の進展

 介護保険の保険者が市区町村とされたことで、地方分権は一段と進み、いかに地域住民の満足度(負担する保険料と提供するサービス内容の双方についての満足度)の高い制度とするかについて、市区町村の間で競争が行われることになる。
 住民の意向をよりよく汲み取った首長や地方議員が当選し、住民も、投票結果が現在或いは将来の生活に直結することを自覚するようになるため、積極的に政治に参加するようになる。
 また、財源を保険料としたことで、介護のすべて、あるいは主要部分を税でまかなう時は、上記のような効果は生まれない。
 21世紀の地域福祉は、行政による「公助」と、住民一人ひとりの自己責任による「自助」及び、住民が老いも若きも知恵と汗とお金を出し合って参加する「共助」の三位一体によって成り立つものです。
 ある意味で介護保険制度は、地方分権のスタートを代表する制度であり、各市町村は、介護保険制度を4月からスタートさせるため、「介護保険条例」を策定することとなりました。
 介護保険制度の現状にも不備はあるものの、介護保険制度に盛り込まれている基本理念、「福祉ではなく、権利としての介護」、あるいは「介護の受け手と提供者が、基本的に対等の立場にあることの重要性」といった理念には、これまでの福祉の現場にはなかったものですから、当然、条例のなかにも盛り込むべきものです。
 ところが、市町村において策定された「介護保険条例」の多くは、国の「条例準則」のコピーでしかなく、基本理念、「公」「事業者」「住民」の責務、住民参加等を盛り込んだものは少なく、町村にいたっては名称と保険料以外はまったく同じといってもよいものでした。
 また、保険者(市町村)の独自サービスいわゆる「上乗せ・横だしサービス」は、65歳以上の一号保険者の保険料に跳ね返るとして、条例化を見送る市町村が大部分でした。
 結果的に、地域住民の満足度は別として、負担する保険料と提供するサービス内容及び量の双方について、若干の格差は生じたものの、市区町村の間で競争が行われることにはなりませんでした。

2. 権利の確立がもたらす老後の不安からの解放

 制度の運用がはじまると、市民は、自らや周りの人々の体験から、必要な介護を受ける権利を得たということを感覚で理解するようになる。
 特に、介護保険料を払うようになってからは、急速に権利意識が浸透すると思われる。
 その意識は、自分の老後についての不安を、大きく解消するであろう。
 老後の不安の最大のものは、自分が倒れたとき、誰かがきちんと最後まで自分を看てくれるだろうか、ということだからである。
 人生の最後の段階における安心が、必要最小限ながら得られると、市民は子供に頼らず、また行政の恩恵(措置)を当てにせず、尊厳を持って主体的に生きるようになる。
 生き方の選択の幅が広がり、今の充実のために蓄財を使いはじめるから、それは企業活動の多様化と地方経済の活性化をもたらすであろう。
 長引く経済不況と超低金利時代においても、高齢者は消費を抑えてせっせと貯蓄に回しています。
 それは、年金や医療保険が破綻の危機に瀕しているという不安、介護保険制度が導入されても、これまでの介護(措置)は、中所得者以上は恩恵に浴することが少なく、介護保険が導入されても、どれだけ自己負担しなければならないかがわからないからです。
 介護保険制度では、保険料を負担し、受ける介護サービスの一割を負担することになるわけですが、国の政治的判断で一号保険者(65歳以上の者)の保険料納入は本年10月まで延期され、その後の1年間も半分に減免されることになりました。
 現時点では、介護サービスの提供とサービスに対する自己負担は発生していますが、保険料納入が無いことから、本当の意味での制度スタートにはなっていないのが現状であり、保険料納入が開始される本年10月が介護保険制度のスタートと考えるべきです。
 また、住民の多くが介護保険制度について理解(信用)していないのではないかと考えるべきです。
 つまり今、行政に必要とされているのは、徹底した制度PRであり、低所得者への福祉としての「介護」という従来型ではなく、自立した生活を送るすべての高齢者が、自立生活の困難な部分の援助を受けられる「生活支援サービス」としての「介護」を、受けられるようになることを理解してもらうことです。
 また、サービスの受け手と提供者が、意識の上でも対等の立場にあることを最もわかりやすく住民に理解してもらうことです。
 さらに、「利用者の安全・尊厳・人権を護る仕組みの確立」がされているかどうかであり、そのためのフォーマル、インフォーマルなチェック機構を早急に確立するとともに、徹底した情報開示が求められています。

3. 心を支える市民運動の社会的認知

 身体を支える介護保険制度の運用が確立されるにつれ、心を支え、交流する市民活動(NPO・ボランティア活動や、近隣型ふれあい活動)の意義が広く認められてくる。
 そして、家族間の心の交流を含め、心の豊かさを求める無償あるいは非営利の活動が、人の幸せにとって経済活動や行政サービスよりも重要であるという認識が、-般的になっていくであろう。
 それにつれ、社協や生協などの非営利組織が、この分野での活動に重点をおくようになると期待される。
 私たちの老後の生活の維持は、まず「自己責任」で取り組むべきです。しかし、個人では背負いきれない負担が生じた時には、社会全体で負担し、支えていく制度が介護保険です。
 しかし、介護保険制度による公的サービスだけでは住民の望んでいる身体と心の安心は確保できるものではありません。
 住民自治による住民のボランティア活動を通じた保険枠外のサービスが必要となってくるのです。
 特に今、最も欠けているのは、介護保険の枠からはずれる層や、将来、要支援・要介護となる確率の高い高齢者を支える役割です。
 また、初期の痴呆や、独居の高齢者を支える予防策を講じられなければ、重度の要介護者を増やす結果となり、国や地方の負担は倍加するでしょう。
 行政は介護サービスを受けることができない層、そして潜在的なリスクを抱えた層に対して、「横だし・上乗せサービス」を実施すると共に、もう一つの「予防」という点に重点を置いたサービスの枠組みを行う大きな責任があります。
 そのサービスの担い手こそNPO・ボランティアであり、介護保険でカバーできないサービスを行うボランティア団体等を設立・育成するためには、行政のさまざまな支援が必要です。
 住民主体のNPO・ボランティア組織が、積極的に日常生活の支援や心の交流などの精神面での「予防活動」に関与するための受け皿として成長するためには、首長の理解と支援のもとに、それら草の根活動組織と介護保険担当や幅広い関係部課を集めたプロジェクトを組織するとともに、住民への徹底したPRと情報開示をすべきです。

4. 新しい市場の創出

 介護の市場規模は、相当なものとなるであろう。
 しかも、それはこれまでの、土木・建設を主体とする公共事業と異なり、需要はすべての地方(市町村)で、継続的に発生してくる。
 そして、介護を供給するための労働力は、性別や年齢の点において、土木・建設業と異なり、非常に幅が広く、特に女性の就業が拡大することとなり、またこれは、地方経済を活性化させるであろう。
 日本の福祉サービスを質的にも量的にも変えていくのは、従来の担い手である自治体や社協等の社会福祉法人でなく、これから新しく登場してくる良質な民間、営利法人やNPOです。
 民間の営利法人が介護保険事業に参入することは介護の質を向上させ、供給を増やすうえで役立つだけでなく、運営の硬直した自治体や社協などの公的機関の活性化にも役立ちます。
 しかし、「公」と住民が参加する非営利部門との協働は不可欠です。
 行政は、安価な労働力としてNPOを捉えずに、「公」とNPOそして営利企業も含めた「民」の責任領域をきっちりと分けるべきです。
 そしてそれらの協働を機能させることにより、老後に不安を持つ住民への明確な回答、明るい希望につながるはずです。
 もし従来の担い手たちが、この改革に追随する形で変貌を遂げられなければ、利用者(消費者)から見放されて消え去ることになるでしょう。

5. 日本社会の変化と国際的連携

 公的介護保険制度が定着していくことにより、人生の最終局面における精神的自立が保証されると、日本人の「個の自立」意識は、相当のスピードで確立されるであろう。
 それが、これまで述べてきたようないろいろな局面において、社会の変化を引き起こすと予想されるのである。
 日本人が「個」を確立するということは、西欧先進国の人々と同じ基本的な価値観を持つということであり、それによって、日本人は、世界の先進国との連携を深めることになる。
 また、東南アジア諸国も、程度に差はあれ、同じ方向に進んでくるのであり、従って彼らとの連携も強まってくるであろう。
 高齢化への先進各国の対応はさまざまだ。特に介護サービスの提供の仕方は、その国の政治機構や文化を率直に反映しています。
 日本は、これまで長い間、家族と「公」つまり行政を中心とした介護が行われてきました。
 一方、福祉先進国として挙げられる北欧などは高福祉高負担であり、よく知られているように、税金による行政機関のサービスが中心で、家族介護の軽減を図ってきました。
 「介護は誰が提供すべきか?」その意識は国によってまちまちですが、イギリスやスウェーデンでは、日本の介護保険導入と似たような動きがありました。
 企業やNPOなどが参入する「混合型の福祉」という自由化の動きです。
 ただしこうした福祉自由化も、例え日本や欧州で成功したとしても、東南アジア諸国でそのまま通用するとは限りません。
 東南アジア諸国では、各国の歴史や生活スタイル、特に宗教などの文化的な背景がまず違うし、政治や制度的な要因が大きく関連してくるはずです。
 同様なことが、介護保険に関して、日本の各地方にもいえるのではないでしょうか。
 介護保険制度の定着までには、まだまだ紆余曲折も予想され、行政はもちろん、市民にも相当がんばってもらわなければならないでしょうが、長く広い視点から世の流れを見れば、着実に流れをとらえていると断言できます。
 私たちは、目先の動きにまどわされたり、途中でくじけたりすることなく、自分たちの力を信じて、住民と一緒に前進していきたいと思います。