子どもたちの居場所づくり

東京都本部/八王子市職員組合(佐藤千恵子)

 

1. 児童館とは……

 八王子市の児童館に勤務して随分経ちますが、幸せなことに様々な子どもたちとの出会いがありました。
 児童館は、1963年児童福祉法に定められた児童厚生施設で、地域の子どもたちの遊び場、健全育成の場として国が整備を図ってきました。
 しかし、少子・高齢化社会を迎え、児童福祉施策も、エンゼルプラン、新エンゼルプランなどで出された社会状況の変化に合わせ、子ども家庭支援サービスの施策が求められ、児童館でも幼児への対応や親への相談事業など、幅広い分野での事業展開が必要となってきています。
 八王子市でも、1998年から2年の期間をかけて児童育成計画を策定し、児童館が従来から取り組んでいた「幼児クラブ」の充実や「子育て相談事業」が、市の政策で大きな位置を占めるようになりました。
 児童館を利用する子どもたちは、遊び場を求めたり、楽しい行事を選んで参加したり、元気に活動している子どももいれば、「なかなか学校になじめない」「友だち関係がうまくつくれない」「家庭の問題を背負っている」「障害」など、様々な事情を抱える子どもも利用しています。児童館は、単に遊び場やいろいろな行事の提供をする場だけではなく、そういう子どもたちにとって、「ほっとできる」居場所の1つになっています。
 また、保護者の就労などが理由で放課後保育の必要な小学校1~3年生の子どもたちが、学校を終えると児童館併設の学童保育所へランドセルを背負って元気に通ってきます。
 その他、幼児クラブや保護者向けの子育て講演会などを通して知り合った親たちの協力や、地域で育った子どもがいろいろなきっかけで、利用者から青年ボランティアに成長することもあり、子どもだけではなく様々な大人も児童館に出入りをしています。
 そういう意味では、一般的に子どもたちの遊び場と思われがちな児童館が、実は幼児から小学生はもちろんのこと、中・高校生、フリーター、大学生、社会人の青年など様々な年齢層の子どもや若者が大勢出入りしているのです。
 子どもへの直接的な公的サービスは、子どもの専門的な相談機関や学校教育だけではなく、今失われつつある様々な年齢層の人たちが共存し合える場、それが遊びを通してならなおさら、子どもたちにはより身近に体験できる場、学び合える場として児童館が、地域にどっしりと根付いて欲しい公的サービスの1つであると考えます。
 今回は、最近の事例から自治体が担う子どもへの施策の中で、どう公的サービスの役割を果たすべきか児童館現場の視点から問題点を整理してみました。

2. O君と出会うなかで…

 O君は17歳。
 17歳というとこの1年、西鉄高速バスのっとり、愛知県豊川市の主婦刺殺など17歳を中心にした少年の凶悪犯罪が相次ぎ、一時は連日「17歳の少年の凶悪犯罪」という見出しで報道がされ、少年犯罪の厳罰化についての議論に拍車がかけられているところです。
 現在、彼は無職。本人は、児童館のボランティアをしていることを自慢に思っている青年です。中学校時代は、先生に逆らったり、時には弱いものから金品を巻き上げたり、殴ったりしたこともあると話していました。いつも迷彩色のズボンをはき、半そでのティーシャツからむき出しているやや太目の腕には、自分でつけたというタバコの火のあと、通称「根性焼き」というのだそうだが、ざっと数えただけでも片腕に10数個の後が見えます。身長は165センチ、がっちりしているという表現が当てはまる体格で、髪は角刈、いつもできるだけ前髪が立つようにしているのか、ハードなジェルをたくさんつけています。どちらかというと大人としゃべるのは苦手で、特に初めての人に話しかけられると「えっ、何?」「それで…」「ふーん」と会話が続きません。それでも挨拶された人には一応「こんにちは」と挨拶ができるようになりました。
 彼が児童館を利用するようになったのは、中学1年生の夏に弟と一緒に児童館主催のキャンプに参加をしたのが始まりでした。一泊二日で近隣のキャンプ場へ出かけたのですが、彼への印象は、とにかく他の子どもたちと行動を共にすることができず、いつも問題をおこして、グループ担当のボランティアの青年を困らしていたことを覚えています。でも、彼にとっては20歳前後の若い青年が、自分のことを親身に世話をしてくれたことがうれしかったのか、その後、中学を卒業するまでキャンプには参加をし、ボランティアの青年たちと会うのをすごく楽しみにしている様子でした。しかし、相変わらず、規律や協調性については、キャンプに参加している最年少の小学3年生に注意をされるなど幼い行動があり、いろいろ問題を起こすことでボランティアの青年の気を引いていたようです。
 中学校時代は、毎日のように児童館を利用していた子どもたちも、一般的に義務教育を終えると急に顔を見せなくなります。たまに児童館に来ても今までのように遊び回るということが気恥ずかしくなるのか、遊びにもなんとなく遠慮が出て少しずつ大人になっていく様子がうかがえます。それでも引き続き来館する子どもは、小さい子の面倒や児童館の行事などに興味を持っていて、ボランティアとして活躍する場合もありますが、どちらかというと引き続き援助が必要な子どもが多くいます。なかには就職のことや高校や専門学校に入ったが続けるかどうか迷っているなどの悩みを相談に来る子どももいます。
 O君も中学を卒業して、高校生になりしばらく顔を見せませんでしたが、高校1年生の後半に、「学校を辞めた」と仲間をつれて突然現れました。職員がいろいろ事情を聞くうちに、自分が何故学校を辞めたかということについて素直に話し出し、その日はしばらく仲間と楽しそうに遊んで帰りました。
 それをきっかけに、1年以上経つ今も彼は、毎日のように児童館に通って来ています。
 楽しそうに仲間と遊んで帰ったあとの彼はどうしたかというと、次の日もその次の日も来館し、いつの間にか自分が小学生のガキ大将に戻ったような錯覚をおこしたのか、遊びもだんだん大胆になり小さい子どもが遊んでいても、いま自分が遊びたいとなるとその子どもを突き飛ばしても遊んでしまうというトラブルが続きました。
 また、小さい頃から喫煙常習者のようで、本人は児童館へ来るようになって、随分我慢をしていると言っていますが、児童館内で吸えない分、児童館周辺で吸ってから戻るので、それがまたいろいろなところで問題になってしまいます。タバコを吸ってまた戻るという彼なりに他の子どもたちへ配慮はしているのですが、中学生に求められるとタバコをあげてしまうなど、結局彼が怒られるということがよくありました。
 そんな時、彼と何度も話しあったことは、「今は、義務教育を終え、他の年下の子どもたちにとって、あなたは遊び仲間ではなくボランティアのお兄さんだということ」「あなたもボランティアの人たちにやさしくしてもらったことを思い出してみること」でした。そのアドバイスが適切だったかどうかは別にしても彼にとってボランティアは、あの楽しかった夏のキャンプを思い出させるのか、ボランティアで来てくれていた青年たちのことを題材に「どういうことがボランティアをすることになるのか」彼と話し合うことが出来ました。その後も様々なトラブルをおこしながら、彼はどうやったら児童館のボランティアになれるのかを目標に、他に出入りをする青年ボランティアに恋したり憧れたり、失敗を重ねながら今もボランティアをしています。
 以上、最近の事例を簡単にまとめましたが、これは決して児童館の取り組みの成果を報告しているのではありません。ここまでの話はあくまでも児童館という小さな器の中だけの話です。現実はもっとシビアであり、彼を受け入れることによって、「児童館に怖いお兄さんがいる」など地域での児童館の一般的な評価は確実に下がり利用者も減りました。
 そんな折、日頃連携を取っている民生委員、地域の連携機関の職員、彼の出身中学校の教師たちと、彼が児童館に毎日のように通ってきていることについて、どう感じているか知る機会がありました。O君のことについて共通して言われたことは、「あんな子が(または、あんなやつが)小さい子が行く児童館に行っていいんですか」でした。また、地域の年配の方には「児童館の職員がどんなにかっこいいことを言っても、タバコを吸う子ども1人止められないで何をしているんだと思いますよ。私ならぶん殴ってでも止めますよ」と忠告を受けました。
 家や学校以外の子どもの居場所として、子どもたちに直接関わる児童館現場の職員との認識の違いに愕然としたことがあります。
 児童館は、先ほども述べたように様々な事情を抱えた子どもたちが、日頃の居場所として利用をしています。最近は、学校が地域の民生委員や主任児童委員を中心に情報公開をはじめたこともあって、児童館も地域の連携会議に参加する機会がより多くなってきました。
 しかし、地域の連携会議といっても小・中学生の問題については、青少年対策会議、民生委員情報交換会など、学校を中心として話が進められることが多く、小・中学校側から「自分の学区域内の子どもたちを地域の人たちの協力を得ながら、どう対応していくか」に話の方向がどうしても行ってしまいます。
 当然話題は、義務教育中の不登校の子どもたち、素行が心配な子どもたち、家庭に問題がある子どもたち、普通学級に通っている障害児など、学校内だけではなかなか解決できない問題のある子どもたちの話をすることになります。そういう子どもたちは、児童館を利用していることも多く「学校や地域でも児童館の存在が大変ありがたいと思っています」と参加する多くの人たちが一定の評価をしています。それは、その子どもたちにとって居場所の1つになっていることが分かるからです。
 にもかかわらず、いざ、義務教育を終えてしまった子どもたちの問題になると、一変して顔をしかめる人が増えます。
 しかし、児童館から発信する子どもの問題への大切な視点は、その子が小学生なのか中学生なのかという問題ではなく、その地域に生活をしている子どもという視点です。それは何故かというと、O君の場合のように中学を卒業しても児童福祉法にある子どもとして児童館を利用するからです。
 ですから、「この間まで○○中学の生徒でしたが、今はもう卒業してしまいましたので、うちには関係ありません(注.これは実際に受けたことがある対応ですが、全ての場合ではありません)」というシステムを持つところが、地域の子どもたちの問題を束ねているとすると、何らかの対応が必要な子どもへの支援が偏ったものになる可能性があると思っています。
 O君の事例のように、本人にチャンスがあったら自分を変えたい、見つめなおすきっかけや時間と場所が欲しいと思っている子どもたちは意外に身近に多くいます。しかし、子どもたちにとって、学校でも家でもなく本音が出せる自分の居場所を行政に求めた場合、今、私たちはそれをどれだけ具体的に示すことが出来るでしょうか。特に思春期の子どもたちの問題は、社会の大きな問題になっています。これを解決していくためには、少年法の改正で更なる厳罰措置の方向や学校教育要領の改正論議だけではなく、今まさに思春期を生きている多くの子どもたちが望んでいるであろう、「自分の居場所を見つけながら自分を見つめる」という作業が出来ることではないでしょうか。
 O君は相変わらずトラブルを起こしています。でも彼が確実に変わったのは、「児童館でボランティアをして良かったこと?」をたずねた時「小さい子にやさしくなれるようになった」「小さい子に頼られてうれしい」と言う彼の言葉です。

3. 子どもによりそった公的サービスを(児童館現場の視点から問うもの)

 1990年に国は地域福祉計画策定指針を作成しました。全国規模で少子・高齢化に向けた各自治体の具体的施策計画が出されるはずでしたが、子どもと子育て家庭への施策が充分に盛り込まれないまま、計画が作られる結果になりました。その後、厚生省は、1994年に出されたエンゼルプランで、各自治体に児童育成計画を立てるように指導しました。その結果、独自に児童育成計画を立てる自治体や地域福祉計画の見直しのなかに改めて児童育成計画を含めて立て直す自治体など、子ども家庭への具体的施策の取り組みが前進しました。
 実は国が出した児童育成計画(地方版エンゼルプラン)策定指針については、国際条約である「子どもの権利条約」を日本でも批准するか論議があり、公の施策としてはじめて「子どもの権利条約」を基本にした子どもの権利保障が盛り込まれ、少子化対策(保育所の増設や延長保育)など親への支援だけではなく、子どもの権利を保障する施策も盛り込むよう指導をしています。
 「子どもの権利条約」は、その基本に子どもを保護の対象ではなく、権利の主体として位置づけ、「最善の利益の保障」「一切の差別の禁止」「意見表明権の保障」などを規定しています。
 しかし、児童育成計画(地方版エンゼルプラン)策定指針では、そのことについて具体的に施策を示しているわけではなく、理念的な問題に留まったこともあって、東京の各区市町村の児童育成計画には「子どもの権利」が文言として盛り込まれているところも多くありますが、文言が入ったからといって子どもたちが抱えている様々な問題に十分対応できたかというと、むしろ現行ある施策のなかで、言葉をひねり出しただけのところもあるようです。
 児童育成計画は、全国的に都市部や農村地帯などの地域事情があるなかで、一律に形態や方向性を出すことは難しく、子どもや子育て家庭への施策課題も、各自治体の裁量に任されている実態はあると思います。
 しかし、地方分権時代の到来を考慮に入れても、戦後の経済優先政策のなかで、日本の教育制度も含めて、子どもの文化をつぶし、子どもが自由に使える時間や居場所をなくしてきた現状は、地域を問わず子どもの育ちに大きく影響を及ぼしています。公的サービスが子どもの施策に果たす役割をもう一度問い直すためにも子どもたちが本当は何を求めているのか、子どもも市民のパートナーとして受け入れながら、児童育成計画や計画の見直しを運動の政策課題として取り組む必要があると考えます。
 八王子市でも1998年に地域福祉計画の見直しのなかで、高齢、障害、介護のほか新たに児童育成計画を立てることになり、2年の期間をかけ計画の策定を行いました。
 計画の策定にあたっては、「市民参加の協力委員会」「関連課長及びその指名した職員で構成する児童育成部会」「関連課長で行う幹事会」「助役、教育長、関連部長で構成する策定委員会」で、下から上へ吸い上げる方式で進められました。並行して「地域福祉審議委員会」を設置し、審議委員として学識経験者や労働者代表を置いて、最終的な地域福祉計画の策定が行われました。
 八王子市職では、事前に計画策定の情報があったので、児童育成計画に市職児童館・学童保育所部会と保育園部会から組合側としての職場代表を各1名ずつ選任するよう交渉を進めていました。渋る当局側に何度も交渉を行い、最終的に各1名ずつ現場代表を選出し、「関連課長及びその指名した職員で構成する児童育成部会」に参加をしました。
 児童育成計画に関しては、実際に市としてはじめて手がける計画で、基本的なことは「児童育成部会」で議論が進められ、他の高齢、障害、介護の計画については、以前に立てた地域福祉計画の見直しから議論に入りました。これは、結果的には、不幸中の幸いと言う言葉がぴったり当てはまる状況を作ってくれました。
 児童育成計画に関しては、福祉部児童課が事務局になり、学校教育部学務課、社会教育課、市民課、交通安全課、保健予防課など、通常の業務ではなかなか福祉に関連しない所管も含めて寄せ集め状態で議論に入りました。市民参加については、一般公募はしたものの、私立保育園協会やPTA連合会の代表などで構成され、日頃熱心な活動をしている市民団体や主体者である子どもが入れない状況で始まりました。
 最初の会議では、既に市民へのニーズ調査を含め研究所に丸投げの状態で始まり、アンケートの内容も乳幼児と小学校低学年の保護者に向けた調査だけでした。それは、保育園と学童保育所のあり方だけを問うものにしかならず、子ども全般の問題を覆いきれるものではありません。
 私たちは、市職の運動としてきちんと取り組みをすることを決めました。まず、各所管の参加者の中から、子どもの権利を含めて問いかけが出来る人へ呼び掛け、(管理職も含めて)「子どもの権利条約」の精神を基本に据えさせることの重要性と市職も参加し取り組みを進めている市民ネットワーク「生きいきしているかな八王子の子どもたち」が、市内2,200人の中・高校生へむけて「ほしい遊び場」など子どもの声をアンケート調査したものを「子どもの声」として会議の中で生かしていこうという共通課題をつくりました。
 児童育成部会で一番問題だったのは、福祉は福祉、教育は教育という縦割り行政を前提とした考えの構成メンバーでの議論でした。問題点が自分の課の問題に終始し、八王子市の子ども施策全般をどうするかと言う視点につながっていかないのです。でも、児童育成計画が「子どもの権利条約」を盛り込んだ策定計画にするべきものであること、市民ネットワークで調査したアンケートを直接的には資料として出せないにしろ、市民からの貴重な資料として取り扱うことを申し入れ、議論に含めることが出来ました。
 結果的に少しずつ賛同者が増え、最終的には「子育て家庭への支援」から「子どもの権利宣言都市」に向けた計画を策定することが出来ました。
 現在、八王子市では「子どもの権利宣言都市」に向けて、子ども会議やシンポジウムなどが予定され、この8月には、「『子どもの権利って?』― 子どもといっしょに考えよう ―」という表題でイベントを開催しました。当日は、児童館・学童保育所の子どもたちが主体になって、自分たちで考えた子どもの権利の歌や劇を発表し、来場した人たちと一緒に楽しむことができました。
 しかし、これで取り組みが終わったわけではなく、これから具体的に子どもに寄り添った子どもたちの「居場所」作りも含めて、市職の運動、子どもを含めた市民ネットワーク、そして、子どもたちが権利を主張できる場の1つとして、児童館が担う役割は大きいと感じています。
 最後に、O君の事例から、児童育成計画の策定まで、どこを共通課題としたかについてまとめます。
 これからの社会を生きる子どもたちが、安全に安心して生活していくためにも、市民への公共サービスを基本としている自治体が、子どもを1人の市民として受け止め、生きていく場の保障をしていく必要があります。それには、思春期の子どもも含めて、学校でも家でもない「ほっとできる」子どもたちの居場所を、児童館を含め公的に保障していく必要性を、様々な子どもたちのメッセージの中から強く感じ、受けとめ、引き続き訴えていきたいと思います。