生涯学習としての市民歌舞伎

東京都本部/自治労調布市財団法人労働組合


1. はじめに

 (財)調布市文化・コミュニティ振興財団は、平成7年4月芸術文化の振興を図るための事業を行うとともに、市民の自主的文化活動の育成、コミュニティ活動の振興と多様な学習要望に応えるための生涯学習に関する事業を行うことにより、市民の文化の向上と地域社会の発展に寄与するという趣旨で設立された。
 生涯学習の一環である市民カレッジの一講座として企画された「歌舞伎教室」の4年にわたる活動についてのべる。
 報告者は財団の臨時嘱託職員であり、この事業担当として当初より携わってきたものである。報告者の属する調布市財団労働組合は、財団事業課に在籍する臨時嘱託職員4名で構成され、全員が市民の生涯学習への支援を仕事としている。

2. 企画・講師依頼

 平成8年4月の「市民カレッジ」開講を目指して、前年の秋より色々な分野での講座が検討された。文学・歴史・絵画・陶芸・版画・木工芸・英会話・音楽・料理の他に「歌舞伎教室」が企画された。歌舞伎を深く学びたい、しかも自分で歌舞伎を演じてみたい、あるいは調布で歌舞伎を楽しみたいといった市民の声が寄せられていたからである。そういった市民の声と、日本の伝統芸能の火を調布に灯したいという財団の方針とが合致し、「歌舞伎教室」が生まれた。
 講師には、現役で歌舞伎に携わっている人(俳優としてでも、裏方としてでも、所謂関係者として)が相応しいと考えられたが、市民対象の講座の講師を依頼するにあたり、歌舞伎俳優が一番ではあるが、現役の方は毎月25日間は舞台に出演されているので、無理ではないかと懸念されたが、幸い現在の講師(歌舞伎俳優)にたどりついた。

3. 「歌舞伎教室」受講生を募集

 「歌舞伎教室」の募集は平成8年2月。毎回木曜夜7~9時、年間34回。翌3月発表会あり。衣装代等別途必要、定員40名。日本の伝統芸能「歌舞伎」について学び、演じてみましょうという内容で行った。40名という数は発表会を念頭に置き、出演者、黒衣、裏方などを数えるとこのくらいの人数は必要との考えであった。
 20代の女性をはじめ最高齢85歳の女性まで23名の応募があった。歌舞伎が好きで好きで、それが高じて自分で演じてみたくなった人、鑑賞の手引きをする教室と勘違いした人、他の分野の演劇の経験はあるが、歌舞伎も勉強したい人などが集まった。85歳の女性は、子供のころ門前の小僧で覚えた義太夫が忘れられず、その世界にどっぷりと浸れる機会としてこの歌舞伎教室に応募された。いまでは(現在90歳)、なによりも大切な生き甲斐として毎日の生活の要としておられる。20代の女性たちは、華やかな歌舞伎の世界にちょっと触れてみたいという動機のようであった。歌舞伎が好きで長年鑑賞しつづけてきた女性は、男性しか入れない世界である歌舞伎を、本職の歌舞伎俳優から学ぶことができ、女性が舞台で演じることが出来るとは、稀有のことと喜びをもって入った。

4. 講座内容

 1年のうち秋までの前半は、歌舞伎のいわゆる基礎的知識を学び、後半は発表会に備えての稽古とした。発表会の演目は講師と相談の上、7月上旬までに決定した。講師が大歌舞伎の俳優であることから、講座を大歌舞伎をまっとうに学ぶ教室と位置づけ、大歌舞伎にならって演目も、時代物、踊り、世話物と並べた。即ち「弁慶上使」「元禄花見踊り」「白浪五人男」の3つの演目である。
 配役は一応受講生の希望をとったが、講師が受講生の個性に合わせて決定した。希望役については、初めてのことでもあり、なかなか自分の能力を把握することが難しかったせいか、主役級の役を希望する人よりも、講師にまかせる人、或いは裏方希望の人が目立った。役の数は、延ベ35。小さい役の2つ、3つを掛け持ちで勉強した人も出た。芝居全体を学ぶ観点からすれば、裏方の仕事も学ばねばならないが、受講生23名という数では出演だけで手いっぱいで、それには至らず、稽古中の音出し(台詞の合間に入る義太夫や下座音楽、踊りの音楽をMDを使って流す)や、本番の裏方の仕事は講座担当及びプロの歌舞伎関係者(歌舞伎座舞台(株))が受け持った。
 演目決定後、直ちに台本の読み方、配役の決定、立ち稽古と進んだ。全くの素人の集団を舞台に立てるまでに指導する講師の苦労は、並大抵ではなかった。それぞれの役について、演技をほぼ全員に限られた時間内に教え込まねばならない。受講生も熱意に応え、自習を繰り返した(20回位)。歌舞伎には独特の舞台上のきまりがあり、まずそれを学んだ上での演技となり、あくまでも大歌舞伎における演技を手本にするからには、自分勝手な解釈、演技の仕方は慎まねばならないということで、自習のときは、テレビで放映されたビデオなども参考にした。
 稽古の場所は、財団の存在する調布市文化会館たづくりの10階和室の18畳と21畳の仕切りを取り払って使用した。

5. 大道具・衣裳・鬘の委託契約

 懸案は、大道具をどうするか、手作りにするのか、業者に頼むのか、衣裳、鬘はどのように準備するのかであった。大道具は、講師の紹介で、歌舞伎座舞台(株)が低料金で引き受けてくれることとなった。歌舞伎座舞台(株)は現在歌舞伎座での大歌舞伎の公演の他に農村歌舞使や学生歌舞伎の大道具を引き受けることもある歌舞伎界の最大手である。
 衣裳の関係は何社かに問い合わせたが、松竹衣裳(株)が鬘部門も合わせて予算内で引き受けてくれた。これは幸運なことであった。
 依頼に際して、大道具の細かい仕様については、歌舞伎座舞台(株)に対しては、演目を伝えるだけでよかった。衣裳と鬘の仕様については、個々の役について、細かく大歌舞伎で使われるものの名称を書き出して渡し、必ずしもこのとおりではなくてもよく、近いもので結構という依頼の仕方をした。結果的には、大道具は歌舞伎座で使ったものを、衣裳、鬘も相応しいものを予算内で用意できた。受講生募集時、「発表会の衣裳等負担有り」としたが、これで受講生は衣裳、鬘については自己負担ナシとなり安堵した。
 契約に当たっては、他に3社ほどから見積もりをとったが、いずれも上記2社よりかなり高額であった。なぜ上記2社が予算内に納まるほどの低額だったのか。歌舞伎という伝統芸能を市民が学ぶということは、長い目で見れば歌舞伎振興を促すという両社の判断があったためである。

6. 稽 古

 演目は芝居が2つ、踊りが1つとなり、稽古も数をこなさねばならなくなったので、一度に2ヵ所での稽古をした。「踊り」の指導には講師1人では手が回りかねたので、副講師を講師を通じて依頼した。4~9月まで月2回位の講座回数であったが、10月からは講師の指導も週1回ずつとなり、それに加えて週1回の自習も始めたため、受講生の時間的負担も大になったが、受講生の意気は高く配役された後で受講を取り止めた人は皆無であった。芝居と踊り両方に出演する人も出たため、稽古の時間割の配分に苦労した。
 公演(発表会)間近には、舞台での稽古を2回ほど行った。受講生は、初めて舞台という空間に立ち、いよいよここで芝居をするのだと緊張感は高まった。舞台での稽古には、歌舞伎座舞台(株)にも立ち会ってもらい大道具の準備の為の舞台の大きさなどを把握してもらった。
 演技の稽古と平行して、鬘を一人ひとりの出演者の頭の大きさに合わせる鬘あわせ、衣裳の準備の為の寸法取りなども受講生にとっては初めての体験で嬉しかったようである。公演前日には、化粧はせず衣裳だけをつけてリハーサルを行った。

7. 広 報

 3月9日の公演の広報活動は、3ヵ月前から文化会館前に「調布市民歌舞伎」という大きな立看板を立てて知らせると共に、市広報、財団広報などで宣伝した。市民カレッジの受講生の発表会ということで入場無料とした。ポスターと、チラシも作成し、市内および近隣市区の公共施設に送付し配架方を依頼した。またマスコミ各社にも送付した。数社から取材があり公演2、3日前に新聞に稽古の様子が大きく取り上げられ、前評判も上々となった。地域のケーブルテレビからも本番当日の舞台を撮影し後日放映したいとの依頼があった。

8. 公 演

 公演当日は開場12時30分、開演13時のところ、11時過ぎから人々が並び始め会場前は前評判を裏付ける結果となった。並んで待つ人にはお年寄りも多かった為、開場時間を早め12時の入場とした。入場と同時に満席となったが、それ以後も人は入り続け、通路、階段にも観客が詰めかけた。
 2年目も入場無料であったが、入場者数を定員に制限したので、前年度のような混乱はなかったが、出演者の家族でさえ入れない有り様となった。このような事態を踏まえ、出演者の技術も向上したということで、3回目からは全席指定の有料(1,000円)としたところ、発売間もなく完売となった。4回目も発売後11日で500席を完売した。有料化以後チケットを入手できなかった人の為に、同じ文化会館内にある映像シアターで同時中継の映像をながした。
 観客は、出演者の家族、知人は勿論だが、アンケートなどによると、調布は東京近郊という土地柄、若いころ歌舞伎座に通った人が高齢のため、今は銀座までは通えないが、近くで歌舞伎を見ることが出来るならばという人々や、本当に歌舞伎が好きで造詣が深く、受講生の成長を楽しみに見て下さる方々などもかなりの数にのぼっている。4回目に取ったアンケートから少し抜粋すると、①70代女性は「初めて観劇したが、こんなに充実しているとは思わなかった」、②60代男性「受講生もさることながら、調布市の取り組み姿勢が伝わってくるようだ」、③40代女性「失礼ながら高齢者が多くいらして、生き生きと演じられることに驚くと共に、感動しました」、④30代女性「年月を重ねるとこんなにも立派になっていくものだと感心しました。今後もずっと存続して欲しい」、⑤40代女性「普通は高くて見られない歌舞伎を安く見られるようにしてくれて有り難い」などである。
 出演者は、早朝来場するや楽屋着に着替え、頭に羽二重をつけ化粧をした。化粧は講座中にも2回ほど稽古したが、なかなか短期間に上達するものではないので、一人ひとりが自分の舞台化粧をするのは無理で、講師2人が全員の化粧をした。出演の順番に従い、羽二重、化粧、衣裳、鬘の順に身につけて舞台へと上がった。緊張していながらも、1人も舞台上で立ち往生することなく、無事芝居を仕終えることができた。感激のひとときであった。
 演目のうち「弁慶上使」は、忠義の為に我が子を身代わりに殺す話である。受講生のつたない演技にもかかわらず、アンケートには感動したとの記述が数多く、会場ではすすり泣きも聞こえたということであった。本物の舞台装置、本物の衣裳、本物の鬘に助けられてのことであろうとも、観客にとっては、自分の身近な市民が1年間の努力の末、立派に舞台を務めているのをみることは、もしかしたら自分にも、事情が許せば出来るかもしれないと感じさせたようであった。70歳以上の高齢者が、何人も重厚な芝居の出演者として、老いを感じさせずに活躍しているのを見ることは、同年代の方々に大きな夢と力を与えることである。また若い女性が、美しい衣裳を付けて稽古の苦労をにじませながらも踊る姿には、日本の伝統芸能にまじめに取り組む姿勢が見られ、同年代の人にとってもまわりと違ったユニークな生き方として羨望を持って受け取られたようであった。日本伝統芸能が好きで、長唄や舞踊などを習っていた人にも、唄や舞踊の発表会以外にも、このような形での、仲間と力を合わせての学習と発表の機会があるということを気付かせ、人生への意欲をかき立てたようである。
 受講生の中で最高齢の女性は、講座(稽古)のある日を目標に体調を整えるのは勿論のこと、公演日を目指しての慎重な生活態度は、1つの目標を持った生き方のお手本として受講生の尊敬を集めた。自分の都合で全体の稽古に支障が出ることのないようにするとの気構えが、一座全員の自覚を促したと思われる。演じる役の大小にかかわらず、演劇集団にありがちな嫉妬、羨望などが影をひそめ、講師の指導に応えようとする個人の努力と連帯意識が、公演後の達成感となって報われたのであった。受講生の生活は仕事中心、家庭中心であることは勿論であるが、ひととき歌舞伎の世界に浸ることによって、全くの非日常へと飛翔することができるのである。
 2年目からは、第1回発表会を見て参加したいと思った人も受講を始めた。年を経るうちに参加者も増え、高校1年生の参加もあった(彼女は目下受験のためお休み中)。今年5年目に入り、受講生は総勢38名である。僅かながら退会した人もあり、残念ながら仕事の都合で通えなくなったというのがその理由であった。
 4年目からはメンバーも増えた結果、裏方の学習をする余裕も生じ、発表会では黒衣裏方共に受講生が全て行うことができた。華やかな演技者を、裏で支える地味ではあるが重要な裏方の仕事を学ぶことができたのである。

9. 今後の課題と展望

 財団は、この事業は5年をメドとして一応の区切りをつけるとの方針である。それ以後も受講生はこのまま学習を続けたい、発表会も今までどおりにやりたいというのが希望であるが、財団としては、一応の成長を果たした受講生グループの自立を促したいという考えがある。4回の公演で「調布市民歌舞伎」として市民に次第に浸透し、公演を楽しみにして下さる方々に、今後も更に成長した「市民歌舞伎」を見て頂くためには、どのような方策があるのかじっくりと考えていかねばならない。願わくば、調布に灯った市民によるこの日本伝統芸能のともしびを、灯し続けたいものである。
 歌舞伎という特殊な演劇を事業として行う場合、主催者としてもある程度は専門知識をもたねばならない。また、発表会(公演)にあたっては、プロデューサー的役割も担わねばならない。財団は担当として臨時嘱託職員をあてた。その結果、市からの派遣職員のように、3年毎の異動の可能性なしに講座の運営に専念できたため、専門知識を得るための機会ももつことができた。財団労働組合としては、担当を臨時嘱託職員としたことは妥当であり、事業発展の為には良い結果をもたらしたと考えている。
 「歌舞伎教室」という、全国的に見ても非常にユニークな講座を企画し、受講生には生き甲斐を与え、多くの観客を喜ばす4回の公演を成功に導いたことは、財団の、市民の生涯教育支援事業の大いなる成果である。素晴らしい4年間であった。
 目下、受講生たちは次回発表会に向けて稽古を始めたところである。