在留日系ブラジル人の状況

愛知県本部/豊田市職員労働組合

 

1. はじめに

 4月30日に警察庁は1999年の1年間に全国で摘発された来日外国人による犯罪件数を発表している。犯罪は前年より8.2%増の34,398件であり、摘発人数13,400人と10年前の約6倍になっている。地域別では首都圏などは減少したものの、地方での摘発が急増し、外国人犯罪は拡散・広域化している。このような発表に接すると、その背景こそが重要であり、その背景を明確にすべきと考えるのは、私だけではないであろうと思う。
 さて、私たちが暮らす豊田市は、愛知県の中央に位置し、昭和26年に挙母市(ころもし)として市制施行以来、昭和34年の市名変更を経て、今年で49年目を迎えた。人口は、348,671人(2000年4月1日現在)、市域面積290.10ヘクタール(県下第2位)であり、矢作川の流れを南北に望み、北部・東部に自然のままの山を残し、また市内各所には昭和12年にこの挙母の地に本拠地を構えて以来62年、西三河地方の地場産業とも言えるトヨタ自動車鰍フ工場が点在するといった、緑あふれる工業の街である。
 そんな当市にも、国際化の波は私たちの日常生活の中に知らず知らずのうちに押し寄せてきている。駅やスーパーなど街を歩いていても、ごく自然と外国人を見られるようになっているし、小学校でも52校中23校で外国人児童を受入れている。外国人登録者数は88年4月現在では、2,302人(それもほとんどが、いわゆるオールドカマーで占められていた。)であったものが、1999年12月1日には市の総人口の2.5%に当たる8,548人と急増し、その中でも特に、ブラジル人が急増している。(推移については、資料1参照)。これは、90年12月の入管法改正により多くの日系外国人が雇用の場を求めて来日したことによるものであり、これにより本市の市民生活や行政に対して多様な変化を及ぼすことになった。

2. 第1回地方自治研愛知県集会への取り組み

 こうした折、92年10月に自治労愛知県本部主催により『第1回地方自治研愛知県集会』が開催されることになり、豊田市職労は、『豊田市における日系ブラジル児童の保育施策について』と題し豊田市における日系ブラジル人児童の現状及びその対応に関するレポートの発表を行った。
 このレポートの発表に際しては、保育園職場だけでなく窓口職場など関係職場の組合員が、自分たちの問題として実態調査や関係資料を集めるなど積極的に取り組みを行い、この活動を通し、組合としても多くの組合員が外国人問題を再認識することができたと言える。

3. 日系ブラジル人に対するボランティアとの連携

 自治労の外国人に対する政策提言には、『外国籍住民と共生できる地域づくりのための自治体の役割が期待されています』とあり、そのためには、まず、『「外国人は住民です」の基本に立ち、地域に生活する住民は、国籍の如何を問わず、生活と権利を保障されなければなりません。』とまとめられています。豊田市職労としても、「外国人にとって住み良い生活環境づくりの一助となることは何であろうか。」と、その後、模索し行動を起こしてきた。
 翌年93年には、『日系ブラジル人協会設立に向けての取り組み』として2回目の発表を行っている。
 当時、行政・国際交流協会等により様々な施策を展開していたが、その内容は言語の障壁・人的要因等からまだまだ十分なものとは言い難い状況であった。一方、行政の立場とは別に日常生活の中でよりキメ細かな活動を進めているボランティアの人たちが奮闘していた。その一人として組合役員がボランティア活動をしていたことから、『在日日系人及びその家族の生活実態と日本語の学習に関する調査』の実施に豊田市職労も協力した。アンケート結果全体で第一に挙げられることは、言葉の壁によって職場・地域におけるコミュニケーション不足がお互いを理解しえない結果に繋がっていることであった。
 この結果から、組合としては、まず情報の伝達が十分できるような対応策を行政責任において行う必要を感じ、各課に外国人施策調査を行っている。

4. 日系ブラジル人協会の設立に向けての支援

 実態調査に協力した日系ブラジル人が中心となり、ブラジル人同士の交流、相談窓口開設によるより多くの情報提供を目的とした組織として、日系ブラジル人協会の設立に向け活動が開始された。オブザーバーとしてボランティアの仲間が担当して、協会としての具体的な活動内容が協議され、豊田市職労も協力団体として参画している。
 この中で、行政に関わる相談への対応、弁護士の紹介、組合主催の家族向け行事への参加の呼びかけに積極的に取り組んでいくことが決められた。
 そして、日系ブラジル人協会は、92年6月に20人程で設立され、会の存在をPRするため、同年7月に豊田の地域に在住する日系ブラジル人を対象に交流会を開催した。豊田市職労としても協力団体として交流会に参加することを決め、当日は催しの手伝いに20数名がボランティアとして参加している。
 当時も、日本に在住する外国人に関わる問題は複雑多岐にわたりしかも山積しており、豊田市職労としてもいろいろな問題に取り組まなければならないであろうが、協力団体としてのこれらの活動は足掛かりとなったと考えていた。

5. 豊田市における外国人人口の推移

 ところで外国人、とりわけブラジル人については96年12月に行われた法務省の外国人登録人員調査によると、日系を含むブラジル国籍を持つ在住者が、愛知県内は、36,392人と全国一となっている。県内では豊田市は豊橋市に次いで、県下2番目となっている。
 次に、近年の豊田市内の外国籍在住者数の推移を見てみると、88年12月現在で2,327人、市内全人口に対する割合は0.7%であり、そのほとんどが韓国、朝鮮国籍であった。中でもブラジル国籍の人は、わずか21人であったが、90年に入国管理法が改正されたことにより、国内の好景気や労働力不足の状況に加えて、情報のグローバル化の進展で日系人の流入が急増し、日本国籍を持たない二世、三世およびその配偶者等へと広がりをみせ、飛躍的に増加した。
 バブル崩壊後、一時減少したこともあったが、2年程で再び増加傾向に転じ、その後、97年をピークに少し減少してはいるが、1999年12月現在の市内の外国籍在住者数は、8,677人。市内全人口に対する割合は2.5%であり、11年前の3.7倍になっている。
 この増加の中心となっているブラジル国籍の人は、4,712人、市内全外国籍在住者に占める割合は54.3%と半数以上にのぼっており、11年前の224倍にもなっている。

6. 保見団地の概要と外国人居住者

 豊田市の状況が他市と状況をことにする原因の1つにブラジル人の急増に加えて、市内に分散して居住しているのでなく、全国的にも例を見ない規模で集住化傾向が顕著であるという状況が挙げられる。
 しかも、保見団地にブラジル国籍の人の大多数が居住している。この保見団地は、豊田市の北西部に位置し、一戸建ての分譲住宅および住宅都市整備公団の中高層の分譲・賃貸住宅、中高層の県営賃貸住宅からなる総戸数3,553戸、人口約11,000人が住むマンモス住宅団地である。
 住民自治組織としては、一戸建て住宅の保見緑苑、住宅都市整備公団では賃貸住宅を主とした公団保見ヶ丘、同じく分譲住宅を主とした保見ヶ丘六区、そして県営住宅の県営保見の4つの自治区がある。
 この団地への日系ブラジル人の入居は、87年ごろから始まっている。80年代は農村部から都市へ人口が流入し労働力は補填されてきたが、続く90年代は、バブル景気による企業の労働力需要に農村部から流入する人がいなくなるとともに少子高齢化で国内での労動力不足が深刻化する。自動車産業も例外ではなく、企業の需要を背景に保見団地への日系外国人の入居は増加し、92年には推定で1,500人に達している。日系外国人が急激に増加したため、豊田市、特に保見団地もご他聞に漏れず共生の経験が浅いことや言語・生活習慣の違いなどから、様々なトラブルが発生してきている。
 幸いにも、保見団地も市内の他の自治区と同様に自治区を始めとするコミュニティー組織が自立した活動を行っており、これらの地域問題に対してある程度の解決能力を発揮した。保見団地の自治区では、「日系人との共生」を合言葉に、日本語を話せる日系人に日本語教室の開催をお願いしたり、自治区として日系人に居住者マナーの指導を行うなど、住民からの苦情を解決するために懸命な努力をしてきた。
 そうした努力と共に、日系人入居者が景気の後退によって一時減少したこともあって、小康状態を保っていたが、4年程前から景気回復の兆しもあって自動車産業を始めとする労働力需要の増加に伴い日系人入居者が再び増加し始め、従来とは質的に異なった困難な事態を迎えた。

7. 外国人居住者の変化と自治区機能の低下

 その原因は、日系人の質的変化と量的増加であった。
 まず、質的変化とは、初期の日系人が日本に愛着を感じ日本社会に溶け込もうとしていた人々であったのに対し、最近の入居者は、二世、三世と世代が代わるにつれ、日系人という日本との繋がりを少なからず意識していた人々から、意識しない人々に替わってきており、考え方や生活スタイル自体が違ってきていることといえる。このことは、ことさら日系ブラジル人に限った話ではなく、日本人でも世代によって変化してはきている。
 次に量的増加については、11年前21人であったものが、現在保見団地には推計で約3,000人の日系ブラジル人が居住しているということである。
 この数は豊田市全体の日系ブラジル人居住者の過半数が保見団地に住んでいることを示しており、保見団地内では全入居者約11,000人の27%と、住民の4人に1人が日系ブラジル人となっている。
 保見団地内の賃貸住宅における外国人入居世帯の割合(資料2参照)は、99年6月現在で、公団保見ヶ丘自治区の公団賃貸住宅内で約40%、保見ヶ丘六区自治区の公団賃貸住宅内で約31%、県営保見自治区の県営住宅で約44%となっている。
 棟ごとの状況では、外国人の入居割合が50%を越える棟は公団・県営賃貸住宅が45棟ある中で11棟であり、中には、入居戸数21戸のうち外国人14戸、日本人7戸、割合では67%が外国人世帯という棟がある。
 このような事態になり、外国人世帯の自治区への未加入などから自治区の構成組織である隣組は、機能しなくなってしまったところが出てきている。

8. 外国人との共生における課題と自治区等の取り組み

 上述の状況にいたり、保見団地で何が起こってきているのかを、99年4月、保見ヶ丘4自治区区長会が「保見団地からの日系人に関する現地報告書」としてまとめ、関係機関に提出している。
 この報告書により現地の状況を紹介すると、まず自治区への未加入、ごみ収集ルールの無理解によるごみの散乱、生活習慣の違いによる深夜の騒音問題、火がついたタバコやバケツに溜った汚水などの階上の部屋からの投げ捨てがある。団地内では、使用不能となった自動車の路上放置、集団で騒ぐ、目には目、歯には歯をの考え方の違いによる行為・行動など、団地に住む日本人が生活していく上で許容しがたい事態が頻発するようになっている。
 また、自治区長からすると、日系人の若者によると見られる犯罪行為、自転車の盗難及びオートバイや車など部品の盗難、ガソリンの抜き取り、ごみコンテナへの放火等々が多発してきている。
 大多数の日系人は犯罪とは関係なくまじめに生活しており、一部の心ない日系人に日本人と同様に不安を感じているが、日系ブラジル人全体が日本人から悪く見られてしまう実情からか、深い溝が日本人と日系人との間にできてしまい、お互いに敵意を感じながら生活するようにもなってしまった。
 このようになる間に、自治区及び公的関係機関の間で個々の問題に対する話合いと対応が図られてきたが、各機関にまたがる問題もありなかなか解決への進展が望めなくて、地元としては限界を感じていた。
 ここで、今後の取り組みを展望していくために、外国人との共生における課題と自治区等のこれまでの取り組みを整理し、経過を辿って見たい。
 1990年には、中心は日系一世、二世であった。企業は公団賃貸住宅を日系外国人従業者の寮として利用しており、集住しているうえに生活マナーを守らないことから、自治区は解決能力を発揮し公団を通して、企業へ要望を提出している。
 1997年、日系三世、四世に替わり急増。生活マナーは依然として守られず、生活習慣の違いによる未就学、生活の不安定、定住するのかしないのかなど生活上の不安から青少年が非行に走るようになる。
 この年の6月に公団、愛知県、豊田警察署、豊田市をメンバーとした『豊田市保見団地住環境問題連絡協議会』設立、保見ヶ丘4自治区の区長と役員で組織された地元住民の会、『保見ヶ丘を明るくする会』設立。
 9月に保見ヶ丘4自治区の区長より、豊田市へ「保見ヶ丘4自治の環境改善に関する要望書」を提出。
 1998年、3月に日系人労働者を保見団地に居住させている請負業者で『保見団地日系人雇用企業連絡協議会』を設立。現在7社が加盟し、同業者の加盟を呼び掛けている。保見ヶ丘を明るくする会より7月、豊田警察署長に『要望書』の提出。以降、保見団地内で、月1回のペースで交通検問が行われる。
 1999年、2月保見ヶ丘を明るくする会より、弁護士を代理人として、公団中部支社長、愛知県知事に『要求書』を提出。公団は全国初の「国際化モデル団地」として2000年度末までに住民向けの共生のルールづくりを進める。また、県も現地の事務所に月2回、ポルトガル語通訳を派遣し、外国語での相談に2000年4月から応じている。
 6月には日本人右翼と一部のブラジル人青少年の衝突。右翼が「ブラジル人出ていけ」と街頭宣伝。右翼の街宣車が不審火により全焼。
 住民は「共生」の姿勢を崩さなかったが、関係機関の間では、危機感が高まった。
 公団は前述の対応の前に、8月から10月の2ヵ月間、企業への新規法人貸しを一時停止。9月ポルトガル語通訳と権限のある職員を現地事務所に常駐とする。10月ボランティア日本語教室の利用に集会所の無料貸し出しを行うようになる。
 警察は、9月保見交番にポルトガル語のできる職員を配置。県は豊田市内中心部にある豊田事務所での相談から前述の対応を決める。
 豊田市としては、4月に国際課を新設。8月、豊田市国際化施策推進会議(庁内会議)を発足。具体的に2000年4月より未就学青少年のための日本語教室を開始。
 12月に、ブラジル人の協会として保見ヶ丘国際交流センターが正式発足。そして、東京都立大学の野本助教授がボランティアの指導助言にあたっている。

9. 外国人との共生社会の構築

 関係機関の具体的施策は実施され始めているが、真に外国人との共生社会を構築していくために、ここで問題点を整理してみたい。
 @ 4自治区ごとに「問題」の内容は異なっている。外国人の多い自治区は言ってみれば同じ人間としてまじめな外国人もいることがわかっている。外国人の数が少ない自治区は、返って悪い感情を持つにいたりやすい。そして、外国人居住者のいない一戸建ての多い自治区では、共生への関心が薄い。
 A 保見団地問題は日本人の形成してきた自治区からの問題提起であり、ブラジル人からの提起ではなかった。
 B 多文化共生のまちづくり施策という観点では語られてこなかった。
 この背景にあるものは、@マンモス団地、A企業の寮としての利用、B集住度の高さ、Cコミュニケーションパイプの少なさ、D外国人の青少年問題など生活に根ざした問題がある。
 また、『守り』と『攻め』の観点からみると、@財産保全と集住の最低限の秩序の形成という多文化共生の仕組みをいかにつくるかであり、A住民が空間と他者に積極的に関わり、集住の楽しさを創造し永住できる住環境を形成していく仕組みをいかにつくるかである。
 本当に分かり合い共生できるには、日本人と日系ブラジル人の結婚など、時間を要する。一方、日本人が人権について確かな考え方を持つ必要がある。

10. おわりに

 国際競争はますます激しさを増しており、先行き不透明な経済状況下では、若者の3K職場の敬遠、日本の雇用制度の変化による終身雇用の崩壊、人件費抑制によるローコストで必要な時期のみの労働力の確保などから、外国人は日本国内の労働力の貴重な担ない手である。ますます依存度は高くなる傾向にあるが、雇用形態からして請負業で雇用され、景気後退などで派遣先の需要がなくなれば雇用はされていても仕事はなく収入は減少し生活は不安定になるという可能性を大いにはらんでいる。
 最近は、仕事がないと思われる外国人が昼間から団地内でたむろしている姿が目立つようになってきたとの情報がある。地元では、仕事がないことが外国人の家族などに不満と不安を招き、悪い方向へ進まなければよいがとの、事態を憂慮する声も出ている。
 保見団地という一地域の住環境問題が、自治体、警察、他の公的機関などを巻き込み社会問題までに発展した例は、全国的にも極めて稀である。しかし、この外国人との共生という課題は、単に保見団地だけの特殊な問題ではなく、いずれ日本のすべての地域・社会が遭遇することとなる外国人との共生社会の構築という普遍的な問題をはらんでいる。
 国全体の施策として、多文化共生社会づくりを真摯にかつ具体的に取り組んでいく姿勢の打ち出しがまず急がれなければならないし、定住から結果としての「移民」を受け入れる準備を進めなければならない。
 国の施策として考えられるのは、@集住化への対応として、集住化地域への支援及び集住化回避の政策研究、民間の入居差別の解消、A業務請負業者の把握と雇用形態の指導にあっては、人材派遣法の適用等で受入元企業の責任の明確化、社会保険加入等の徹底、B外国人の青少年対策では、学校教育において子どもたちの母国語ができるのみでなく、心理面でのフォローや多文化教育を担える人材を国外から雇用したり、外国人自身の教育活動の支援や非行・犯罪の防止と取り締まり、Cコミュケーションを図るために、年齢によらず日本語教育機会の公的機関による保障などである。
 豊田市職労として、8年前、ブラジル人協会へ協力団体の立場で取り組みを行っていたが、ボランティアの中心的役割を担っていた人々が離れていったりする中で、係わりが途切れてしまった。
 今回、レポートの作成に際して、この反省を踏まえつつ、今後の取り組みを模索してきた。内部で十分な検討がまだまだ必要であると思うが、これからは協力団体という立場からボランティア活動を行うというよりも、多文化共生のまちづくり、社会づくりを進めていくための制度・政策の確立に向けて、労働組合として教宣、啓発活動を主に、まずは継続することを念頭に具体的取り組みを行っていきたい。
 終わりに当って、今後の自治労の仲間の皆様のご理解とご協力をお願いし、より広い取り組みを行えるよう念願するものである。

保見団地図