三良坂町発「平和と人権と文化と」vol.3
― 今、私たちができること ―

広島県本部/三良坂町職員労働組合

 

1. はじめに

 三良坂町職員労働組合は、前回と前々回の自治研で「三良坂町発平和と人権と文化と」と題して1980年から1997年までの取り組みを報告しました。7月・8月の平和月間の取り組みや、1995年から始まった核実験抗議の座り込みなどについてレポートしました。その後、核実験に対する座り込みは数を重ね、今年4月7日の座り込みで23回を数え、参加者は延ベ1,700人を超えました。
 というわけで、今回は1998年以降の取り組みを中心に報告します。

2. 戦争・核・差別を許さない三良坂平和の集い

(1) 「平和・人権・文化のまちづくり」を芸術をとおして考える 1998年8月6日
 1998年は映画「夏少女」の上映会と「平和と人権のまちづくり座談会」を開催しました。1997年に続き行った「まちづくり座談会」では芸術とまちづくりをテーマにしました。芸術といってもさまざまな分野がありますが、三良坂平和美術館の佐々木情子館長をコーディネーターに、映画「夏少女」の脚本家・早坂暁さん、大分県湯布院町で「ピースアートの会」を主宰されている永松千春さん、県北を中心に音楽活動をされている多賀祐司さんと奥井智裕さんをパネリストに迎えての座談会でした。それぞれ活躍されている分野は違いますが、平和に対する願いや思いは同じです。芸術という表現活動をとおして、平和や人権を私たちの文化として定着させていきたいものです。
 この平和の集いは、町内の民主団体26団体から構成されている三良坂町平和を願う会の主催で行われています。この集いで町職労は1992年から平和公園に灯ろうを点灯しています。この灯ろうには、その一つひとつに保育所の児童からお年寄りまでの平和と人権の確立を願うメッセージや絵が描かれており、最近ではその数も800基まで増えています。そのため、メッセージや絵を描いてもらうだけでなく、当日の灯ろう設置準備にも平和を願う会の構成団体の方々に協力を呼びかけました。そして、老人会や商工会、PTAなど多くの方々の協力を得ることができ、参加者の輪が少し広がった年でした。

(2) 「平和のために、今私たちができること」 1999年8月3日
 三良坂町では平和の集いを企画する際、その年の情勢を取り上げ、これまでも反戦地主の知花昌一さんの対談やコント集団のザ・ニュースペーパーの公演を行ってきました。
 昨年の平和の集いは「平和のために、今私たちができること」をテーマに、沖縄から前知事の大田昌秀さんを招いて行いました。会場を埋め尽くした800基の灯ろうのなか、参加者は大田さんの語られる戦争体験や沖縄の現状の話に聞き入っていました。
 大田さんの「何も大きなことをしなくてもよい、一人ひとりがそれぞれ置かれている立場でできることを着実に実らせていくことが平和につながっていく」という言葉が心に残っています。
 また、この年県内で初めての地域組織「三良坂町被爆二世の会」の結成が、この集いのなかで紹介されました。こうしてわれわれの活動は新たな組織を生むなど、着実に次の世代に受け継がれているのです。
 ちなみに、この年の取り組みが広島エフエム放送に取り上げられ、8月6日原爆の日に行っている朝の「平和の集い」が生中継され、8月3日の取り組みも放送されました。この打ち合わせの時、広島エフエムのディレクターが「これまで平和・人権といったテーマで取材をすれは必ず堅苦しいイメージがあったんですが、三良坂の場合それがなくていいですね」と言われました。これからも肩肘張らず、気楽に参加できる「平和の集い」を企画していきたいと思います。


戦争・核・差別を許さない '99みらさか平和の集い

テーマ 「平和のために、今私たちができること」

ユーゴスラビア、コソボへの空爆は
そこに住む人々に多くの戦禍を与えました
アメリカ、ロシアをはじめ核実験は絶えることがありません
日米防衛協力の指針(新ガイドライン)の関連諸法に対して
多くの自治体から慎重審議の意見書が国会に寄せられました
沖縄の現実はやはり基地の島です

平和のために
今私たちができることを考えてみたいと思います
平和公園を埋め尽くす幾百の灯ろうの中で

過ちを二度と繰り返さないために

 

3. 核実験抗議の座り込みの記録

記録

 これまでの自治研でも報告しましたが、町職労の呼びかけで始まり、その後平和を願う会へと受け継がれていった座り込みも23回を数えます。中学生を含めて毎回多くの人が平和公園に集まります。座り込みをしてもどうなるものではない、という意見もありますが、何もしないということは核実験を容認していることと同じです。心で思っていても行動に移さなければ意味がありません。県内ほとんどの自治体が非核平和宣言をし、看板を掲げていると思いますが何もしていないのが現状ではないでしょうか。平和運動は広島市や長崎市に任せておけばいいのではありません。私たちの行動の輪が広がることを願いつつ、今後も粘り強く抗議を続けていきたいと思います。

4. 人とのつながりを大切に

 三良坂町では、こうした「平和・人権・文化」のまちづくりを進めるなかで、多くの方々とのネットワークができています。1990年に整備された三良坂町平和公園には、栗原貞子さんの県内で2つ目の詩碑があります。また、1991年に落成した三良坂平和美術館の活動から、原爆画家・丸木位里、俊さんとの交流も生まれ、今年俊さんが亡くなられた際には、館内に追悼コーナーが設けられました。
 そして今年、以前より資料収集していた山代巴さんの記念室が中央公民館内にオープンします。前回報告した「人権センター」(キラリンみらさか)の整備は、町の財政事情により先送りとなりましたが、この記念室をきっかけに、「平和・人権・文化」のまちづくりをめざす、新たな活動を起こしていければと思います。


山代巴記念室の開設にあたって

 激動の20世紀、その最後の年に山代巴記念室を開設する。
 山代巴の「荷車の歌」は、困難な戦中戦後を生きた農村の人々に大きな感動を与えた。彼女は自立と連帯の在りようを飽くことなく表現し、日々の暮らしに人権と民主主義を深く求めんとした。
 三良坂町は平和と人権と文化を大切にする町づくりを進めている。この取り組みに共感を覚え彼女は多くの貴重な資料を私たちに寄贈した。
 山代巴記念室の開設は、新しい世紀を生きる一人ひとりが「現代の民話」を生み育むための彼女と三良坂町民の共同のメッセージである。
 2000年4月
  ~ご協力いただいた多くの方々に感謝して~

三良坂町/三良坂町教育委員会

 

5. おわりに

 昨年はガイドライン関連法、盗聴法、国旗国歌法などが制定され、今年になって、憲法調査会が設置されました。日本国憲法が制定され50年以上が経過した今、平和や人権という憲法の精神が大きく踏みにじられようとしています。三良坂町職労は、この憲法の精神を守り、育むために「今私たちにできること」を常に自分自身に問いかけながら、これからも活動を続けていきたいと思います。

1995~2000「みらさか平和の集い」コンセプト一覧

2000年8月6日付け朝日新聞広島県版