「次代に伝え、残したい」フォトジャーナリスト豊田直巳さんインタビュー 東日本大震災から7年 

7年前の東日本大震災によって原発事故に見舞われた福島。震災直後から現在も、飯舘村を中心に人々の生きる姿をフォトジャーナリストの豊田直巳さんは記録し続けている。この2月に写真絵本を刊行した豊田さんに話を聞いた。

 

 

『それでも「ふるさと」』シリーズ全3巻

原発震災の続く福島の、飯舘村の人々の7年にわたる物語
写真・文 豊田直巳

 

 

※インタビュー内容は機関誌じちろう(2018年4月11・21日合併号)第2216号より転載

 

――原発事故後の福島の記録としてはすでにフォト・ルポルタージュや映画『遺言』『奪われた村』を制作されました。なぜ写真絵本を刊行されたのですか?

 

福島での子どもの甲状腺のエコー検査に関する取材を通じて、出会った小学生、中学生たちが7年前の事故を忘れたり、知らなかったりする現実がありました。原発震災は歴史的にみれば千年に一度の大事件です。この子たちは幼いがゆえに実体験としての記憶が残っておらず、もしかしたら将来、この事故が無かったかのように消え去る可能性があるのではないかという危機感をもったからです。加えて私自身が同時代を生きた者として、次の世代に「伝える」「渡す」「残す」ということをしなければならないと思ったからです。写真絵本という表現ならば、誰もが一目でわかり、物語として伝えられます。千年後の読者にも伝わるようにしたいのです。子どもにとって身近な学校の図書館などにぜひ置いてほしいです。

 

――豊田さんが見てきた福島の復興を言葉で表すと?

 

村民交流センター、道の駅、地域の集会所、子ども園、復興住宅などには多額のお金がつぎ込まれます。真新しいハコモノの建つ風景からは開発が進んでいるようにみえます。しかし、人間は復興しているのでしょうか。どうしようもない困難な状況の中でも、なんとか未来に希望をつなごうとしている人たちがいることを私は知っています。被災者が将来にむけて展望をもてるような支援をしてきたのでしょうか。何も誇張するわけではなく、普通の生活がいまだ取り戻せていないのに、これのどこが復興であるのかがわかりません。

 

――読者の中には7年前の現場で奮闘した組合員もいます。メッセージをお願いします。

 

7年前のあのときを現場で経験した自治体職員の皆さんは市民と面とむき合う中で、たとえば、避難指示が出る一方、現場で働く者としての責務を果たさねばという思いや病院に何百人もの患者が押し寄せ、対応しようにもできなかったことから、「ああしておけばよかった」という悔しさやじくじたる思いがあったはずです。その思いは同じ職場の人たちに伝えなければいけないことだと考えています。私はぜひ自治労の皆さんと一緒に映像作品をつくりたいです。7年前の現場に立った一人ひとりの声や表情が残された記録は世界中で同じように苦闘しながらも働く仲間に伝わり、100~200年後にも大きな意味をもつと信じており、記録するに値すると考えています。カメラにむき合うと「7年前のあのとき、なぜ自分が悩み苦しんだのか」を再考するきっかけになり、後悔や無力感を対象化することで新しい可能性を生み出していけるのではないかと思っています。(3月19日談。豊田直巳写真展「叫びと囁き」聖心女子大学4号館/聖心グローバルプラザ・BE*hiveにて)

 

職場・地域で写真展を行ってみませんか

豊田さんが写真パネルを無料で貸し出します。搬送料も無料です。開催を希望される方は公民館などで展示会場を確保して写真展を開くことができます(開催者が会場費を負担)。寄付・カンパも受け付けています。

詳しくは「豊田直巳写真展『フクシマの7年間~尊厳の記録と記憶』全国巡回プロジェクト」公式HP http://toyoda-fukushima-photo.strikingly.com/#home