2025/05/21
「命 どぅ 宝」(ぬちどぅたから)は、沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味
沖縄の日本復帰の日・5月15日にあわせ、沖縄の基地問題などを問う「5.15沖縄平和行進」が、5月17日に行われた。
約2,000人の参加者が、米軍・嘉手納基地と普天間基地の2コースに分かれ、約12キロ・5時間を歩き、基地撤去と平和な世界の実現を訴えた。自治労の組合員は、各県平和運動センター等の隊列で参加した。
行進後の「平和と暮らしを守る県民大会」では、復帰後も続く事故や騒音、米兵犯罪などの基地被害、辺野古新基地建設や「台湾有事」を口実とした宮古・八重山諸島への自衛隊配備増強などに抗議する声が上がった。

自民・西田参院議員の「ひめゆり」めぐる発言に怒り
また、一連の行動の中では、自民党の西田昌司参院議員が5月3日、「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の展示内容を「歴史の書き換え」などと述べたことについて、多くの発言者が言及。沖縄県民に多大な犠牲を強いた沖縄戦の事実を歪めるものだとの怒りの声が相次いだ。
自治労神奈川県本部「オキナワ平和の旅」で学習深める
今回の平和行進に30人の行進団で参加した自治労神奈川県本部は5月18日、沖縄戦の実相と基地の課題を学び理解を深めるため、「南部戦跡」のフィールドワークを中心とした企画を実施した。ガイド役は自治労沖縄県本部の青年部の仲間が務めた。

朝8時に出発したフィールドワークの最初の訪問先は「ひめゆり平和祈念資料館」。敷地内に立つ「ひめゆりの塔」で犠牲者に黙とうを捧げた後、参加者は資料館へ。沖縄戦の犠牲になった「ひめゆり学徒」136人を含む227人の刻銘者に思いを馳せ、戦争の悲惨さと命の尊さ、平和の大切さを心に刻んだ。
[コラム]「ひめゆり学徒」とは
当時、校舎の敷地を共有していた沖縄師範学校女子部と県立第一高女学校の生徒240人が看護要員等として沖縄陸軍に動員され、136人が命を落とした。両校から動員されたその他の在校生や教師の91人を加え、計227人の犠牲者が「ひめゆりの塔」に刻銘されている。
*「ひめゆりの塔」は、最も多くの犠牲者を出したガマ(自然洞窟)の上に立てられている。「ひめゆり平和祈念資料館」は、両校の同窓会が設立した民間の資料館。
次に、平和祈念公園・平和の礎(いしじ)、沖縄県平和祈念資料館を訪れた。「平和の礎」には、沖縄戦で命を落とした242,225人(2024年6月23日現在)の名前が刻まれている。平和祈念資料館では、「琉球処分」から沖縄戦、戦後の米軍統治から日本復帰、今日までの歩みについて歴史を概観し、沖縄が世界に発信してきた平和を求めるこころへの理解を深めた。
午後は、沖縄戦当時、日本陸軍が設置した「沖縄日本陸軍病院壕群」の跡地を見学した。小高い森の地下に壕を堀り、傷病兵を治療した施設で、看護のために動員された「ひめゆり学徒」もここで任務にあたった。狭い壕内で数千人が治療を受けたとされる。南風原(はえばる)町の文化財に指定されているが、戦争遺跡を文化財に指定したのはここが日本で最初だ。
その後参加者は、自治労沖縄県本部の前底伸幸委員長から、沖縄における自治労の平和運動について講演を受けた。
参加者コメント
「歩いた足の痛みは基地の広さ」

沖縄に来るのは初めてです。自分の一歩一歩が平和の尊さにつながるんだという思いで歩きました。実際に自分で見て、現場で肌で知る熱量は、教科書や資料を読んだりするのと違うなと実感しました。
集会の中で、「歩いた足の痛みが、基地の広さです」という言葉を聞きました。本当にその通りです。今の豊かさと平和の尊さ、戦争と戦後80年の歴史を、職場の仲間や家族に強く訴えたいと思います。
フィールドワークで知った沖縄戦の悲劇

平和行進への参加は2回目です。前回は行進をしただけで、今回のようなフィールドワークはありませんでした。今回、日本軍による沖縄住民への集団自決の強要など、沖縄戦の悲惨さを学ぶことができたのは、とてもよかったです。「戦争は人間を人間でなくする」という言葉が、心に刺さりました。
学ぶ機会になるので、職場の仲間も参加して欲しいと思います。